モンチッチビジネス 『物は大切に』
ある日、カトリンの子どもたちの部屋に、懐かしきモンチッチが鎮座しているのを見つけた。でろんとした垂れ目に親指をしゃぶる毛むくじゃらの可愛いやつ。日本が誇る葛飾生まれのモンチッチ、なんと同世代ドイツ人は東西を問わず必ずと言ってもいいほど所有している人気キャラクターである。1974年に発売されて以来、世界的に人気を誇ったモンチッチだが、特に西ドイツへの輸出事業が活発だったらしく、図々しくも西ドイツ発祥だと思っている輩も少なくはないようだ。
「あーこのモンチッチは西側に住んでた叔母がプレゼントしてくれたんだ」カトリンがボロボロに色褪せたモンチッチをひょいと持ち上げる。
西ドイツから、東ドイツに暮らす家族や知り合いに物資を送ることは認められていた。もちろん検査と称して中身はすべて確認されたし、資本主義を啓蒙するようなものは抜かれたりもしたが、食品、衣類、嗜好品が取り上げられるようなことはなかった。
そして西ドイツから東ドイツを訪ねることは可能であったが、東ドイツ国民が西ドイツを訪ねるには特別な申請をして手続きを踏まなければならなかったし、そう簡単には実現しなかったが、国際的な協定に基づき『外国への旅行』として出国をする権利はあったのである。そういったしがらみがなく自由に行き来できるのはチェコ、ポーランド、ルーマニアなどの社会主義国家のみであった。
カトリンのモンチッチは私の記憶の中のモンチッチより小さめで、心なしか顔立ちが端整に見えるけれど、欧州輸出用にマイナーチェンジがあったのだろうか。
子分のように引きずり回していたモンチッチ。そういえば幼い頃の写真にはいつも写りこんでいたのを今になって急に思い出した。天然パーマでくるくるの髪をしていた私とモンチッチはどことなく似ていてたことも。
「私は西から贈り物としてもらったけれど、モンチッチは東ドイツでも普通に手に入れられたから、結構な数の子どもが持っていたはずだよ」とカトリン。
そういえば、ベルリンのDDR博物館(Deutsche Demokratische Republik、ドイツ民主共和国の略)を見学していた時も、東ドイツ時代の思い出の品にしれっとモンチッチが紛れ込んでいるのを見た。実はカトリンも、かつてモンチッチは西ドイツ製だと信じていた不届き者であるが、下手すると東ドイツの物であると勘違いしていた人もいたのかもしれない。
日本生まれのモンチッチが、実は東ドイツ生まれだったのかもと見紛うほどそのキッチュな空間に妙に溶け込んでいて、堂々とレトロな東ドイツっぽさを醸し出していたのでDDR博物館に苦言を呈することはやめておいた。
どうやら、このモンチッチ。あどけない顔してなかなかのやり手で、なんと社会主義国相手にも堂々の輸出ビジネスを展開していたようだ。輸出入制限の厳しかったあの時代に資本主義国代表のモンチッチが正規のルートを経て東ドイツに届いていたとは知らなかった。
計画経済により、化粧品から食料品、車に衣料品、と全てを国内生産で賄っていた『地産地消』の東ドイツだったが、財政が苦しく外貨を必要としたことから、限定的に資本主義国との貿易を認めていた。西ドイツと、そしてなんと日本との貿易協定があったと聞いて驚いた。社会主義国ではトップを誇った技術も、資本主義国との差の開きが顕著だったこともあり、西ドイツと日本から最先端の技術をこっそり仕入れていた。東ドイツ国民にはなるべくこっそり、見つからないように。しかし結局は隠し通せなかった上に、国民がそれを歓迎するという皮肉ももれなくついてきた。
そしてもちろん正規ルートばかりではなく、相当数のいわゆる贋物モンチッチも市場に出回っていたようだ。ゆえに顔つきの違う欧州風モンチッチや、果ては日本を意識し過ぎたか、やけにオリエンタル風なモンチッチも存在する様子である。
満を持して西から届いたモンチッチ。カトリンはそれを誰かに盗られないようにと、それはそれは大事に扱っていた。物が少ないゆえに、子どもたちの間では盗み盗まれたりということが日常茶飯事で、盗られる方が悪い、管理がなっていないといった風潮だったらしい。
丁度その時遊びに来ていたカトリンのお姉さんのアニャは、そうなのよー、大事なものは盗まれないように気を付けていたのよーなのにねーちょっと聞いてよー、と肌身離さず大切にしていた高級ボールペンをキャンプ場で盗まれたのがいかに悔しかったかを昨日のことのように話し始めた。
計画経済が主体だった東ドイツ時代は物が極端に少なかった。店に行けば必要なものが買えるというわけでなく、そこにあるものから選択するしかなかったのだ。なければ作るか借りる。そして修理修繕を常とし、工夫して長持ちさせることが基本だったので、その分愛着が湧くのも推して知るべし。
今の物が溢れる暮らしは幸せだけれど、昔ほどありがたみがないのは事実だよね、とカトリンもアニャも小さく笑った。あの頃はあの頃でよかったけれど、もう取捨選択の少ない暮らしには戻れないし、戻りたくないというのが本音だと二人は結論づけた。
東ドイツ時代を経験し、現在親、祖父母になった世代は子どもや孫に大量にプレゼントを買い与える傾向にあるらしい。自分たちが物質的に充たされなかった子ども時代や選択肢が極端に少なかった若い頃の抑圧をそうやって解消しているのかもしれない。「でも、ものを捨てられないんだよね。まだ使える、まだ使えるって思っちゃって」人はそうそう変わらない。
モンチッチ談義を繰り広げる内に、急にかつての相棒が恋しくなった。今でも現役選手のモンチッチはドイツのどこのおもちゃ売り場でも買い求めることができるが、私のモンチッチはどこに居るのだろう。里子に出されたか、お寺で供養されたか、いずれにせよもう手元にはいない。
私は子どもの頃から物に対する執着が薄く、数年使用しない物は捨てるか譲るの二択なので手元には差し迫って必要な物しかない。転勤族の父を持ったのに端を発し、常に何年か周期で引っ越しをし続けて今に至るので、ミニマムになる訓練がなされているし、子どもの頃の愛用品や描いた絵、そういう類の思い出はほぼ形として残っていない。
それに対してカトリンの幼少時からの宝物コレクションは実に膨大で、はじめて使った財布に始まり、友達が描いた絵に旅のパンフレット。気に入っていた毛布、大小さまざまな人形とまあ驚くほど物持ちがよい、か、捨てられない性分のようだ。
彼女曰く、父親の収集癖はもっと壮大で、家の地下室に、休暇用の家に、揚句に思い出収納用のガレージまで借りて紙の一枚も捨てることなく保管しているらしい。
これは東西の別なく、ドイツ人は物を非常に大切にする傾向があり、自分が使っていたベビー用品を自身の子に使ったり、親や祖父母から家具や食器や衣類などを譲り受けたりというのが一般的である。何代にも亘って受け継がれるなんて、ロマンがあっていいなと思うけれど、日本の場合は、住宅収納事情と、容赦なく襲う湿気の猛攻に保存状態が常に脅かされるのでなかなかそうもいかないのが実情だろう。祖母が私のために取っておいてくれた古い着物の数々は、虫干しして大事に保管していても虫食いやカビを完全には防げないらしい。
こちらの知人が随分と年季の入ったベビーカーに子どもを乗せていて、聞くと彼女自身、そして彼女の母もかつてそれに乗っていたという。日本ではまあ聞かない話である。
ドイツでは毎週末どこかで、フローマルクトという蚤の市が開かれては、アンティークという名のもとに不用品が売買されている。運がいいと状態の良いヴィンデージに出会え、この辺りでは貴重な東ドイツ製品が多く放出されるため、DDRファンやマニアが多く訪れている。日本でも一部に熱狂的な支持を得ているキッチュで独特なかわいらしさを持つDDR製品は、オルタナティブな雰囲気を醸し出すのに一役買うため、ベルリンのオシャレなカフェなどでよく見掛ける。ちなみに東京でものすごい高額で取引されてるのを見て目玉が飛び出そうになったことがある。うちの隣のおばさんがあらこれもう欠けてるわ、と廃棄ゴミに入れるようなレベルの食器がである。マニアってすごい。
一般的に中古品をあまり好まない日本人に比べ、ドイツ人は古い物に価値を見出す人の割合が高いように見受けられる。「いやケチだからってのも大いにあるんじゃない?」とカトリンが口を挟む。うん、どちらかと言えばそっちが強いかな。ドイツ人がケチなのはもう万国共通の認識であり、ドイツ人の鉄板ネタであるからして説明は省く。ドイツ人と言えばケチ。ドイツ人と言えば割り勘。常識である。
日本人の新しい物好き、更には流行の移り変わりの速さもあり『古き良き物』より『新しく機能的な物』が重宝される傾向はあるように思う。住居ひとつとっても、古い家を壊しては新しくモダンに建て替えるビルトアンドスクラップが基本の日本と、中世からの建物の修復を繰り返して保存するドイツなのだから。まあこちらも地震がないからできるわけですが。
最近は日本でも古民家再生プロジェクトが盛んで、伝統を風化させないための活動を頻繁に耳にするようになった。厳しい気候風土条件を凌いできた美しい日本の建築が後世に引き継がれる活動がもっと広がることを期待したい。なんてったって日本家屋は美しい。いつかまた日本に暮らす時が来たら、梁の美しい木造りの家、そして畳の上で暮らしたい。伝統を見直す大切さはここドイツで培われた気がする。どこに暮らしても腐っても日本人は日本人なのだ。
古ぼけたモンチッチを手に取ってみた。SEKIGUCHIと印字されたタグがかろうじてそこに残っている。ああ、このモンチッチは正真正銘の葛飾生まれだ。私たちのモンチッチが東京の下町の工場で偶然隣合せに座り、一方は西ドイツ経由で東ドイツへ、一方は大阪へと送り出された、と想像すると感慨深い。カトリンの、いや今は彼女の娘たちのモンチッチに引き合わせてあげられなかった私のモンチッチ。取っておけばよかったかな、娘のために。少しだけ悔やんだ。
なんて言っておきながら、娘が使用しなくなったおもちゃは既に箱に詰めてあり、リサイクルに出すかどうかで迷っていることは、内緒。人はそうそう変わらない。
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