裸体礼賛 『FKKでいいじゃない』

 海なし国のイメージを持たれがちなドイツだが、ちゃんと海はある。北の果ての果てまで行くとそこは一面の海岸線で、夏になると大勢の海水浴客でごった返す。西側の人々は北西部ノルドゼー(北海)へ、東側の人々は北東部オストゼー(バルト海)へ。かつては違う国に属したこの二つのビーチリゾート。未だにしっかりと棲み分けができているらしく交わることはあまりないらしい。西側ドイツ人曰く「だってオストゼーって、ほら、みんな裸で気まずいじゃない?」と露骨に嫌そうな顔をする。


 そうそう、東ドイツを語る上で絶対に忘れてはいけないキーワードがある。Freikörperkultur(フライクーパークルトゥア)こと『FKK』(エフカーカー)裸体主義のことである。なんてことはない、裸でいいじゃないかという清々しい活動なのだが、日本人にはなかなか受け入れがたいオープン具合で、私の知る限りの西側ドイツ人も「絶対無理!!」と拒否反応を見せる。東側で現在も市民権を得続けているこのFKKの一例を紹介しよう。


 海に行きたしされども遠し、という訳で夏場のドイツ人はこぞって湖に出掛ける。ライプツィヒや現在私が暮らすハレ近郊にもたくさんの美しい湖が点在する。

 私たちも毎年泳ぎに行くのだが、いつまでたっても慣れないのは、そう、生まれたままのありのままの集団との遭遇である。家族揃ってすっぽんぽん、爺さんも婆さんもすっぽんぽん、赤ちゃんも犬もすっぽんぽん。東側の湖は裸体パラダイスなのである。

 私たちは目のやり場に困りつつ何事もないように振る舞うのだけれど、芝生に寝そべっていても、お弁当を食べていても、否応なしに何かしらが揺れているのが視界に入る。凝視しなくても、動くものを視界に捉えてしまう習性が人間にはあるらしい。全裸で自転車に跨り、全裸の仁王立ちでアイスを食べ、全裸でバレーボールを楽しむ自由な人々を横目に、水着を脱がない自分が何か重大な間違いを犯しているのではないかとさえ錯覚する。あっ、そうそう。夏のドイツ人はアイス狂である。太陽が少しでも出れば老若男女問わず嬉々としてアイスを手に手にぺろぺろしている。夏の湖のアイス率は当然ながら高く、裸族たちの手にはほぼアイスが握られている。そしてそんなアイス屋は冬季には店を閉める。日本でいうかき氷もしくは冷やし中華的な立ち位置なのである。


 もちろん東側出身者でも「FKKは苦手です」というカトリンのような慎ましやかなタイプもいる。そして、基本的にビーチも湖もFKK専用とそれ以外に棲み分けができている筈なのに、どこでも生まれたままの姿になりたがる困ったありのまま軍団なのである。数人は水着着用、数人はすっぽんぽんという男女のグループなども居たりして、どういう選択であろうとも干渉はしないというフリースタイル制のようである。


 東ドイツ時代のFKKムーブメントは国を挙げて展開されていたようだ。裸で寛ぐ、精神の解放というのがこの活動の目的で、家族が裸で余暇を過ごすことが推奨こそされ、批判されるようなことはなかった。性的関心とは完全に無関係なところにあったのだ。FKKは西側でも展開されたが、当時からセックス産業が一大産業であった西側では、その健康的なポリシーが根付きにくく賛否両論あったようだ。先に示した西側の保養地ノルドゼーにももちろんFKK専用ビーチは存在する。いかんせん東側の脱ぎっぷりがよすぎるだけの話のようだ。


 着衣状態だってエロチシズムを感じる男女の関係において、一糸纏わぬ姿を恋人以外に晒すという行為が、秘すれば花な日本人としては1ミリも理解できないのだが、東ドイツで育った友人らに話を聞くと、エロチシズムとは『その状況によって発生するものであってして、清々しく裸で過ごす人に性的なものは感じない』らしい。

 たとえば裸で恥ずかしそうにもじもじする女子がいればその状況により、それは急にエロチシズムに発展し、堂々とおっぱいを出して威風堂々であれば発生しないというシステムらしい。言いたいことは解るけれど、でもやっぱり理解はできない。


 そんな私には縁遠いはずだったFKKであるが、奇しくもそれを体験する機会に恵まれた。

 娘がまだ乳児の頃、同じく乳児を持つカトリンに誘われライプツィヒの外れ、テクラという社会主義の名残が色濃く残るエリアにあるサウナ施設にてベイビースイミングを受講することになり、その建物に足を踏み入れた瞬間、思い出した。サウナと言えば裸族、裸族と言えば東側ドイツ人。そこは裸祭り会場であった。

 ドイツのサウナは有無を言わさず裸で利用する決まりがある。温泉には水着着用で入り、サウナは全裸一択。そしてまたこれも男女共用サウナが当然の体で存在する。

 そんな訳で、この施設全体がFKKにやさしい仕様となっているらしく、そこここで全裸のおっさんが電話をしていたり、全裸のおっさんとおばはんが何かしらを食べたり談笑したりしている。もう設定がシュールすぎて、つい口調も軽くなってしまう。


 ベイビースイミングは、カトリンによると『いかにもDDR時代の体育教師』風情で髪が極端に短い軍隊口調のおばさんが指揮を執り、唯一の外国人の私は勝手がわからずおばさん教官に叱り飛ばされ、娘が泣けばプールから強制退去させられと非常に手厳しかった。でもなぜか憎めない、そんな種類の教官だった。

 クラス終了間際にはサウナに入るのだが、皆、実に慣れた手つきで素早く水着を脱ぎ捨てあるべき姿になる。FKKは苦手なんて言っていたカトリンも躊躇なく裸になっているではないか。やはり東の民である。さあ、私、どうする。胸の鼓動が高鳴る。

「ほらあなた、何してるの。さっさと水着脱ぎなさいよ」教官命令に促され、はいっと水着を脱ぎ捨てる極東人。ああ、なんだろう、このフリーダムな感じは。サウナにはクラスを終えた若い母親と赤ちゃんたち、そしておっさんとおばはんの大群。悪くない。決して悪くなかった。


「さあサウナから出て今度は外気浴ですよ!」教官に急き立てられ、全裸のままぞろぞろと移動する母親の集団。そんな中に極東人の私もごく自然に紛れているのが妙に誇らしい。3月の寒空の下、全裸で外気浴だなんて正気の沙汰とは思えないのだが。

東に入れば東に従え。

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