シルフェレストの女王




 数百年後──。




 まだ太陽が顔を出さない時間。

 ようやく空が白んできた頃、シルフェレスト王国の王宮のあるじは、目を開ける。

「──……」

 大きな寝台の上でゆっくりと上体を起こしたのは濃艶な容姿の女。

 形の良い眉、長い睫毛に憂いを帯びた少し大きな目。高く形の良い鼻、紅など付けていなくても紅く艶っぽい唇。

 そして、──銀色に輝く艶やかな長い髪と瞳が女の美しさをより際立たせていた。

 特徴的なのはその額。

 そこには大きめの少し丸みを帯びた菱形の紅い石が。眉間には小ぶりの、同じく少し丸みを帯びた菱形の金に輝く石が埋め込まれている。

 そしてそれらを中心に、左右対象の不思議な紋様が額に描かれていた。


 女の名は、リジア・フィグネル・クレスフェルト。

 ここ、シルフェレスト王国第十二代国主、即ち女王である。

 十八という若さながら、即位して既に八年。民や臣下からの信頼も厚い。


 寝台から降りたリジアは、一人でクロゼットの前に立ち、扉を開いて適当に一着を手に取る。

 着替えようと寝間着の紐を解き、脱ぎかけたところで、寝室の扉が叩かれた。

「陛下。メイラ、アリス、シャロンが参りました」

 来訪を告げる若い男の声がある。

「通しなさい」

「失礼致します」

 入室の許可を出すと、若い女の声と共に扉が開かれた。

 こうべを垂れながら入室する侍女服に身を包んだ栗色毛の女の後ろから、同じく侍女服に身を包んだ二人の女が様々な物を乗せた台車を押しながら同様に頭を垂れて部屋に足を踏み入れる。

 彼女達はリジア付きの侍女で、主に毎朝の着替えや雑務を担当している。

「おはようメイラ、アリス、シャロン」

「おはようございます、陛、か……」

 顔を上げた栗色毛の侍女メイラはリジアの姿を目に止め、はっと目を見開いた。

「っ!陛下、そのような事をご自分でなさらないで下さい!」

 慌ててメイラがリジアに駆け寄ると、黒髪のアリスと淡い紫の髪のシャロンも慌てた様子でリジアに近付く。

 そんな女達の様子に、リジアは苦笑した。

「すまないね。これも訓練だと思って諦めておくれ」

 リジアは右手を持ち上げた。その手は小刻みに震えている。


 リジアは八年前に起きたある出来事によって重傷を負い、結果、利き腕であった右腕が不自由となった。

 リジアの努力によってある程度使えるまでには回復したのだが、やはりまともには使えない。


 しかし、それが言い訳だという事は、ここにいる女達は知っている。

 単にリジアは世話をされる事が苦手なだけなのだ。

「そんな事ばかり仰って!私達の仕事を奪わないで下さいませっ!」

 メイラが腰に手を当てて憤慨する。

「わかったわかった。だから、そんなに怒らないでくれるかなメイラ」

 ずいっ、と身を乗り出してくるメイラにリジアは降参というように両手を上げた。

 メイラは、分かればよろしい、とばかりに鼻息荒く頷き、そんな二人の様子を見ていたアリスとシャロンは苦笑した。

 最早日課のような遣り取りを終え、メイラが声を掛ける。

「では、始めましょう」

 軽く嘆息を漏らしたリジアは解いていた寝間着の帯をもう一度結び直し、渋々鏡台の前にある椅子に腰を下ろした。

 女達はテキパキとリジアの身支度を始める。

 シャロンが持ってきた水桶で顔を洗い、髪の一部を結い、五連の黄金色の珠飾りの両端を蟀谷こめかみの高さで髪に取り付ける。


 そして服を着替えるために寝間着を肩から落としたところで、リジアの背にあった酷い疵痕が露わとなった。──それは右肩から左肩甲骨下の辺りまであり、また、右鎖骨の下の辺りには貫かれたような深い疵痕がある。

 この疵がもとで右腕が不自由となったのである。


 初めてこれを見た者は、一様に絶句する。

 それ程酷いものなのだ。

 毎日のように見ている女達でさえ、悲しげに眉尻を下げた。けれど手を止める事はなく、そのまま支度を進める。


 季節はもう時期冬。

 リジアは細身のズボンを穿き、冬物の細身のドレスと洒落たコートを合わせたようなそんなデザインの、動きを全く制限しないよう特別にあつらえられた服に袖を通した。

 他の女では着られている感が強くなりそうなそんな服だが、リジアが着ると、彼女の持つ女らしさと何物にも動じない凛とした強さがより際立つ。

 ブーツを履き、最後に細密に作られた鞘に収められた剣を右腰にいた。

 メイラが外套がいとうをリジアの肩に掛け、前を留める。

「ありがとう、みんな」

 リジアがにこっと笑むと、女達は仄かに頬を染めた。

「では、行ってくる」

「「行ってらっしゃいませ」」

 女達はうやうやしく頭を垂れ、リジアを見送った。


 自室の寝室から居間に出ると、控えていた白髪はくはつの若い侍女から籠を受け取り、先程メイラ達の来訪を告げた長身の男を連れて自室を後にする。

 リジアはすれ違う兵士や侍女達に労いの言葉を掛けつつ、ある場所を目指した。

 屋外に出て、広大な庭園を抜ける。

 そして少し行くと、鉄製の門が見えてくる。


 ──その先に、リジアの目的の場所はあった。


 門の前には二人の兵士。

 彼らはリジアに気付くと、居住まいを正してすぐさま頭を下げる。

 二人の前に立ったリジアは、優しい笑みを浮かべた。

「ご苦労様。冷えるけれど、大丈夫?」

「おはようございます、陛下。この程度の寒さにやられるようなやわな鍛え方はしておりませんよ」

 二人の兵士のうち年嵩としかさの兵士が少し悪戯っぽい笑みを浮かべて応じた。

 リジアは柔らかく笑む。

「だが、いくら鍛えていても体調を崩す時は崩すからね。少しでも体調が優れなければ早めに休養を取る事。皆を頼りにしているのだから、体調管理もしっかりと努めて欲しい」

 リジアは穏やかに笑みを浮かべつつ、しかし真剣に言葉を発する。

 リジアは分け隔てない。貴族に対しても平民に対しても思いやる心は平等。位が高かろうが低かろうが関係ない。

 決してそれだけではないが、その優しさも臣下と国民の絶対的な信頼を得る大きな要因となっている。

 現に、気遣われた兵士達は嬉しげに、そして誇らしげに頬を緩めている。

「肝に銘じておきます」

「そうしてくれると嬉しい」

 微笑んで頷くと、リジアは持っていた籠を手渡した。籠の中には二人分の軽食と葡萄酒が入っている。

「交代まではまだ時間があるだろう?これを食べて力を付けてくれ。……ああ、葡萄酒も入っているが、それは交代してからにして」

 釘を刺すと、二人は笑って頷いた。

「有難く頂戴致します」

 年嵩の兵士は受け取った籠をもう一人に手渡し、門の鍵を開けた。扉を押し開く。

「ありがとう」

 リジアが足を踏み出すと、二人の兵士は再びこうべを垂れて見送った。


 足を踏み入れた門の内側は、小さな森のようで。樹々が生い茂る中をリジアは真っ直ぐ進んで行く。

 少し行くと、一気に開けた場所に出た。

 そこには綺麗に形を整えられた数多くの石が均等に置かれている。

 その石の表面には一つ一つ異なった名前が丁寧に美しく刻まれてあった。


 ──ここは、クレスフェルト王家の墓地である。


 リジアはその中でも一番新しい墓石の前に立った。



『アルバード・ヘースティング・クレスフェルト


 ラーナ・カトリーヌ・クレスフェルト


 ディーラ・レオンハルト・クレスフェルト』



 この墓石の下に眠るのは、前国王と王妃、そして皇太子。

 つまり、リジアの両親と実兄である。

 リジアは年相応の笑みを浮かべ、女性らしい動作で恭しくこうべを垂れた。

「──おはようございます、父様、母様。──兄様……」






 ──空は大分明るくなって来ていた。




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君との約束 永才頌乃 @nagakata-utano

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