終章あるいは序章 心は晴れども雨は上がらず。



 人海空が珠の家に行ったその翌日。

 人海空は相も変わらず傘を持たないまま、学校に登校していた。

 そして現在昼休み。

 そこそこ美味しい総菜パンを屋上で食べていた。美味しいけど味気ない。もう慣れた味だがたまにはやはりこういう市販品でない物が食べたくなるが、めんどくさいのでお弁当なんて作らない。そもそも夕食でさえたまにしか作らないズボラな男なのだ、味気ないという程度の理由で自炊をすることはあまりない。

 もそもそと総菜パンを食べる。誰もいない静かな時間。そしてパンを完食したその瞬間――、

 「はいはーい、こんにちはっ。事後処理というか事後報告というかオチ担当の名探偵さんだよっ」

「誰だよおまえ」

「名探偵の人知しるべさんだよっ」

 まるで見計らっていたかのようなタイミングで胡桃高校が嘆く『変人四天王』の一角が意気揚々と現れた。まぁ実際見計らっていたのだけれど。

「…………」

「ノリが悪いぞー」

 悪いのはノリじゃなくてキャラだと言いたくなった。

「キャラが悪いのはお互いさまでしょっ。だいたい私のキャラが唐突にブレるのは今に始まったことじゃないでしょう?」

 そのまま妙に明るいテンションのまま人知は人海の隣に腰掛ける。

「そうだっけか?」

「そうなのっ。まぁキミは私のキャラなんて興味ないから、以前の私がどいうキャラだったかなんて覚えてないだろうけどねっ。だいたい私がこうして語尾を跳ねさせてるのだって最近よっ?」

「……覚えてねぇ」

「でしょうねぇ……」

 初めて会った時などは知的でクールな黒幕キャラだったとことも覚えていないだろう。人海空はどんなキャラでも変わらずソレを『人知しるべ』として受け入れる。いったいどこでどう他人ひとを判断し認識しているのか全くの謎だけれど、人知しるべのような『変人』にとってこうして『普通』に接して受け入れてくれる人物は貴重なのだ。ソレこそずっと観察していたいくらいに。

「さてさて、まぁここで私とキミが文庫本一冊分くらいの雑談をしてもいいんだけれどっ、……今日の私はただのメッセンジャーだからねっ。コレは私を楽しませてくれた『あの子』への報酬だから、キミが聞きたくなくて興味もないのは知ってるけど、そんなのは関係ないかなっ」

「帰っていい?」

「もちろん却下だよっ」

「はぁ……」

(めんどくさい)

 一体何を言おうとしてるのなんて知る由もないが、めんどくさいことになるのは間違いない。人知しるべの話は基本めんどくさい、というより、もう話というか存在がめんどくさい。

「まぁそんな溜息吐かないでよ。キミも関わりのある話なんだから。さすがのキミもつい昨日のことを忘れたりしてないでしょう?」

「昨日……」

 さすがに覚えている。

 珠の家に行って、好き勝手言って言うだけ言って帰るという、それちょっとどうなの? と言われても仕方ないことをしたことを、人海空は覚えてる。

 家に帰ってからさすがにちょっと反省したことまで含めてばっちり覚えている。

「そう昨日、キミがよりにもよって、親にヒドイ仕打ちを受けた若干中学三年生の女の子である傷心の猫ちゃんにキレて怒鳴りに行ったその顛末。ソレを話に来たのよっ」

「分かってたけど字面にすると俺ただの鬼畜だな」

「何を今さらっ。さてじゃあアレから猫ちゃんがどうなったのかと言いうと――何も変わってません。ああ、今日学校には行ったみたいだねっ。でも何も変わってません。相変わらずあの家には『雨』が降ってるし、猫ちゃんが雨に濡れてるのも変わってないよっ」

 何も変わっていない。

 依然として猫野家の家庭問題は何も好転していない。そもそもすでにあの『家』はすでに終わっている。終わっているモノにこれ以上の変化はなく、珠はあの家に居る限り、縁がある限り、どうしようもなく雨に晒され冷たく震えることになる。事実珠がこの先どのような選択をしようともそれは変わらない。逃げようとも、戦おうとも、耐え忍ぼうとも、その『雨』を避けることはできない。

 そういう意味では、やはり何も変わっていない。

 都合よく『家族』が和解することなどない。

 これから先どれだけ時間をかけようとも、『猫野家』が『家族』になることはない。

「まぁ何も変わってないけど、でも――君のあのいっそ暴言と言っていいほどの言葉のどこに感化されたのかは分からなけど――部屋からは出てきたのはいいことだよねっ」

「まぁ……そうだな」

「――――」

 思わず人知は人海の顔をじっと見つめる。その顔は別段何か変わったことは無い――無い、無い筈だ。だけど、それならどうして――、

「――興味ないって言わないんだ?」

「ん? いや、興味はないよ。でもお前が聞いたんだろ? ”いいことだよね”て」

 分からない。人海空が何を考え何を思っているのか分からない。いつもなら、それでもここで人海は”興味ない”と言ったはずだ。今までの経験からして、人海はそう言うはずなのだ。

「…………そうだねっ」

 人知はこの人海の反応を心の隅留めながら、今は流すことにした。人知しるべは人のことが『理解』できない。だからいくら考えても分からない。

「あー、でも今回のは楽しかったなー……。いやさ人海君、キミもう一回言うけど何で猫ちゃんにキレてるのよ……? ふふふ……っ、ふ、普通、さ……こういうときキレる相手って……っふ、親とかじゃないの……? ふふっ、ああ大満足よ。ありがとう。おかげでまた私はわたしを知れたわ。ふふっやっぱりキミと私は違うわねっ。まぁ違うと言ったら猫ちゃんなんかとは全然私は違うみたいだけどっ、私はあんな選択はしなものっ」

 昨日のことを思い出しながら、笑いが堪えられないとばかりに吹き出しながら人知はいう。

 裏で野次を飛ばし終始役者たちを翻弄し続けたチェシャ猫は満足げに、実に楽しかった良い見世物だったと笑っている。その笑顔は実に悪辣で、それでいて恋する乙女のようだった。

「あーそうかよ。それはどうもこっちは良い迷惑だよ」

 人知が人を理解するために、こうした舞台を作るのは今回が初めてじゃない。

 人知しるべは人が『理解』できない。人のことが理解できないから自分のことも『理解』できない。だから人知しるべは人を調べる。舞台を作りソレを鑑賞するのも、人を調べるためだ。

 こういう状況の時人はどういう選択をとるのか? ソレ知るために状況を配役を役者を変えて、観賞する。

 そして知るのだ”ああ私はこういう選択をしないんだな”と自分を消去法で知っていく、『理解』していく。

 そしてその主な被害者が人海空だ。なにせとびきりのヒトデナシなのだから、観賞対象としては極上だ。人海空にとってはたまったものじゃないが、それでも人海空にとってメリットが無いわけじゃない。

「でも、私のおかげで猫ちゃんのところに行けたでしょう? キミは動けたでしょう? 知ろうとしないキミに知らせてあげる。今回の事だって、猫ちゃんがあのままキミに関わって行くんだったら遅かれ早かれ起きた事なんだしっ? キミを動かしてあげたんだから感謝して欲しいなっ。共犯者さんっ?」

「あーはい。そうですね」

「心が籠ってなーいっ」

 共犯者。いつか人知しるべとと人海空が珠に教えた二人の関係。人知しるべは人海空を動かし、人海空は無自覚にしかし協力的に人知しるべに観賞される。一方的に見えても、その実この二人は互いに等しく利用し合っている。

 ヒトデナシ同士の不可解な共犯。

 チェシャ猫と何も知らない子アリス。できそこないの童話のような、そんな関係。

 人知は笑い。人海は溜息を吐いた。

「まぁいいや。許してあげましょうっ」

「はいはい……ありがとさん」

「ちょっと返事本当にテキトウすぎるよー? さてさて、私はもう行くけど最後に耳寄りな情報を教えてあげましょうっ」

「…………」

「興味なさそうだねっ、でも言うよっ。今日は帰りに雨が降るからゲーセンに行くことをお勧めするよっ。じゃねーっ」

 言うだけ言って屋上を去っていく人知を人海は見送った。

 ふと空を見上げる。言われてみれば、確かに今にも振り出しそうな色合いの曇り空だった。

 天気予報を見ない人海は当然雨を持ってきていない。もう梅雨時なのだから、晴れていても折り畳み傘くらい常備しといたらいいんじゃないのか、というツッコミはしてはいけない。家を出るとき雨が降っていなかったら傘を持たない、それが人海空のポリシーなのだから。

 まぁ……実際は、折り畳み傘を持っていないだけであり、ただ傘を持つのがめんどくさいだけなのだが……。

「ゲームセンターね……。久しぶりに格ゲーでもやるかな」

 人海にしては珍しく、いつかの事を思い出しながらぽつりと言った。



 1



 そして放課後。

 降りだした雨に追われるように人海はゲーセンの中に入る。

 自動ドアが開くと同時に店内からあふれる雑音の波、ソレをいつかと違いイヤホンから流れる音楽で防ぎながら店内を泳ぐように進む。

 いつもなら――今日はイヤホンも忘れていないし――音ゲーエリアを回るのだが、今日は気分的に格ゲーのためエスカレーターで5階に向かう。

 5階に到着するといつものように両替機が見える。そして、その横には三枝第二中の制服を着た少女が、無表情で立っている。特徴と呼べる特徴が無い、どこにでもいそうな普通の少女だ。強いてあげるとするなら、人海の母校の制服を着ていることと、やたら大きなカバンを持っていることだろう。

「…………」

「…………」

 しかし、人海空にとってやはりソレは興味を持つ要素になりえない。

 人海は少女の前を素通りし――少女の視線をひしひしと感じながら――筐体へ向かう。

 筐体の前に立った人海は、おもむろに財布から百円玉を取り出し戸入口の横に置き――自分は反対側へと行き座る。そして、百円を投入しゲームを始める。選ぶモードはトレーニングモード。

 そして、キャラを選びゲームをいざ始めようとした時――乱入者が現れた演出が画面に表示される。誰かが・・・向かい側の筐体に座り、先ほど置いた百円玉を使って乱入してきたのだ。

 対戦相手の選んだキャラクターは、自分と同じキャラクターだ。

 人海は思わず口が緩むのを自覚する。

「さてさて……どれだけ腕が鈍ったか確かめてやろう」

 こうして二人の雨宿りはまた始まった。

 

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猫の雨宿り。 在間 零夢 @arimareimu

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