林檎の木とザック少年

久崎マミ

第1話

 私は、どこにでもある林檎の木。

 ここから一歩も動けずたまに林檎を食べる鳥と会話する毎日。

 平和であった。

 神から与えられた生。それは定めであり、同時に呪いとさえ感じる。

 けれど、私は物足りなさがあった。

 その答えは、すぐ見つかった。


「うぅ……。あっちにいけよな!」

「?」

 とある日、いつもの様に昼寝をしていたら聞き覚えのない声が聞こえた。

 目覚めると根元に一匹の大きな犬がいた。

 真っ黒な犬。何かに興奮しているのか、よだれをまき散らしながら私に登ろうとする。でも、爪でひっかくだけで登る賢さがない。

 よだれは嫌い。

 痛くはないが少しむず痒い。

 しきりに吠えているので、吠える先に何がいるのか探った。

 正確には、自分の木々につかまる人間の手。体温を感じ取った。

 その少年は、怯えているのか涙をため震える手を隠そうとする。

 男の子だから震えるのは、情けないという人間の変わった考えは好きじゃない。

 よく見ると腕や顔が傷だらけだった。相当、逃げ回っていた証拠か。

(何がそんなに怖いのかしら)

 疑問はあったが、このままでは少年が可哀想だ。

 私に出来る事といったら木々をワザと揺らし、うろちょろする犬に林檎が直撃するタイミングを狙った。

 落ちてきた林檎にビックリした犬は、どこかに行ってしまった。

 痛そうな鳴き声に私は、まぁ少年のためだと思った。

「あれ? もういない」

 怯えていた少年は、犬がいなくなった事に気がつくまで数分かかった。

 そして、私から降りるのも時間がかかった。

 無事に地面までたどり着いた少年は、服についた葉っぱをはらい落とす。

 旅人から聞いた話だが、学校と言う場所では制服を着るらしい。

 旅人が見ていた息子の写真と少年が着ているものは似ていた。

 ベストにネクタイ、地味目な半ズボン、短めの靴下に革靴。


 犬に当たった林檎を拾って、少年は拭いてから食べた。

 逃げ回ってお腹がすいたみたい。

 私は、普段は人間に話しかけない。

 理由は、至極簡単。面倒な事は巻き込まれたくないからだ。

 この時の私は、好奇心にまけてしまった。

「ねぇ。少年。犬がきらいなの?」

「わぁ!?」

 私の声に驚いた少年は、食べかけの林檎をおとした。

 林檎は転がっていく。

 まるで人間の首が転がるみたいに。

 少年は、そのまま逃げようとまでした。

 私は、急いで引き止める。

「待って。いかないで。ただ知りたくって……」

 振り向いた少年が私の後ろに移動した。

 また前へと戻る。

 誰かがいたのかと勘違いしたのかもしれない。

 そう思った私はまた話しかけた。

「人間じゃないわ。ここよ。林檎の木なの私」

 上を向いた少年が首を傾げる。

 木々の隙間からもれる太陽の光が、少年の茶髪をてらす。

 眩しそうにメガネをずらしていた。

「やばい。おかしくなっちゃったのかな?」

「そんな事はないわ。林檎の木が喋るのは不思議でもなんでもないもの」

 久しぶりに人間と喋る。

 私は、自然と嬉しさがこみ上げる。

「へぇ。そうなのか……。ってそんなわけないよ! 犬がきらいなのはヒミツにして」

「そう。信じなくてもいいけど遊ばない?」

「何をしてあそぶの?」

 少年は、私を怖がらなかった。

 少年は、私を嫌わなかった。むしろ大好きになってくれた。

 こんな幸せは生まれて初めてだとさえ思った。

 毎日、遊びにくる少年。

 ある日、葉っぱを集めて王冠を作り、「もりの王さまだ」と言いながら遊んだ。

 またある日は、木登り。

 そのまたある日は、枝にぶら下がって遊んだ。

 そして、林檎をお美味しそうに食べる少年を眺めるのが好きだった。

 一緒にかくれんぼだってした。

 遊び疲れて木陰で眠る少年。

 誰よりも、何よりも私を好きでいてくれる少年。

 私は、幸せでした。

 時間と言うのは、残酷にながれる。

 少年は、だんだん大きく成長していった。

 私は、ひとりぼっちなる時間が増えてゆく。

(少年が私の前からいなくなったら、私はどうなるんだろう)

 不安な日々が続いた。


 ある日、少年が私の下にやってきた。

 嬉しさのあまり木々が折れそうな勢いで歓迎した。

「久しぶりね。また会えてよかったわ。ザック。今日はどう遊ぶ? 枝にぶら下がって、林檎を食べるなんてどうかしら。木陰で遊ぶのもありね」

 上機嫌で話す私に少年が冷たくこう言い放った。

「もう、木登りする歳じゃねぇよ」

 私は、嵐にさらされたあの冷たくって、孤独感と虚しさが心を深くえぐられる感覚。

 それが今の私を襲う。

 少年は、ポケットに手をつっこみ、ガムという食べ物を噛みながら背が大きくなった体で私を睨みつけた。

 メガネ越しでも少年の緑色の瞳が私をうつす。

 木というしがない私を。

 どのようにうつっても私は、少年が大好きなのは変わらない。

「じゃあ、今日はどうしたいの」

 声が震えていないだろうか。

「あーっと。レイ。今、金がないんだ。何と言うか金がいる。物を買うにも必要ってな。だからよ」

「ごめんなさい。私にはお金はないの」

 だって林檎の木。黄金の林檎だったらよかったのに。

 そうだ。そうよ。その手があるわ。

「ザック。私には葉っぱと林檎がある。林檎を持って街で売ればいいのよ。幸せになれるでしょう?」

 自分を褒めてあげたい。少年に褒められるともっといい。

「マジか。善はいそげ」

 少年は手荒く私に登って、あるだけの林檎を集めた。

 お礼も言わなかった。別にそれはいい。

 運んでいく後ろ姿を見て私は、幸せでした。

 でも、そのあと長い間ザックは、姿を見せなかった。

 私は悲しくって、ただ待つだけの自分がきらいになりそう。


 そんなある日、少年が私の下へ戻ってきた。

 私は、大喜びで体を揺らした。

 根元がはずれそうに。

 木だからそんな事ぐらいしか出来ないの。

「ザック。私ね。嫌いなモノを発見したの。それはね」

 少年は、私の話を遮って言った。

「俺は忙しくて、そんな話をしている暇はねぇんだ」

「そう……」しゅんと木々がたれる。

 雪の重みで積もった時みたいに。

 また背が大きくなったのか、見下ろす感じも変わった。

 服装だって旅人が教えてくれたスーツと言うものを着ていた。

 髪だって寝癖はなく、綺麗にととのえられている。

「じゃあ、何の用事できたの」

 私は、嬉しい答えが返ってくる事を期待した。

 でも答えは私の心を、ナイフで容赦なく斬り殺した。

「奥さんがほしい。子供もほしいしそれによぉ家だっている。俺に家をくれ」

 私の気持ちはしまっておこう。

 湖にある深い底と同じ様に。

「ザック。残念だけど、私は家を持っていないの」

 木に家なんて、ツリーハウスでも用意しなきゃ……。

 ふっとある考えがうかんだ。

 まるで空に風船が見えた時のように。

「私の家って森なのよ。だから、私の枝を切って、それで家を作れば。どうかしら?」

 少年の役にたてるのなら、外見なんて関係ない。

 大好きな少年の幸せに必要なら。いくらでも捧げる覚悟。

「そっか」

 少年は私の言う通り、木の枝をナイフ等で切り、それを運んで家を作った。

 立派な家ではないが少年の笑顔がみられた。

 私は、幸せでした。

 だけどそのあと長い年月が過ぎった。少年の姿を見ませんでした。

 

 雨が降るある日、少年がまた戻ってきた。

 私は心の底から幸福な気持ちになるのを感じた。

 黒色の傘をさしてくる少年に私は、雨宿りをさせてあげたかったが……。

 枝を切り落とされた私には無理だった。

 背をむけた少年が、傘の下からタバコをくゆらせた。

 知らない一面を見た私は、ひどく心が軋む音が聞こえた様な気がした。

「なぁ。レイ」

「タバコ吸うようになったのね。ん? どうしたの」

 タバコの臭いは想像するしかない。雨音でも聞き取りやすい低い声。

 昔の声とは違う。

「妻と子供の前じゃ吸わねぇ。それに別れたからもう意味ない。

昔、お前の嫌いなモノを聞きそびれちぃまったから今、聞いてもいいか?」

「そう。いいわよ。雷と炎」

 タバコの火も怖い事は、黙っておこう。少年の好きな事を奪うつもりはない。

 雨が激しくなるなか、遠くで雷がおちた音がした。

「怖いか?」

「いいえ。少年がいるから平気よ」

 嘘だ。怖くって、怖くってたまらない。

 タバコを消したのか雨に混じっていた煙が見当たらない。

「その呼び方やめろよなぁ。恥ずかしい。それに俺の心は」

 顔が見えないが泣いていると思った。

 なんとなく。

「楽しく遊びましょう」

 私は、元気になってほしくってそう囁いた。

「俺は、遊ぶ年は過ぎている。だから、船がほしい。俺を運んでくれる船が。俺に船をくれ。レイ」

 少年の声が微かに嗚咽まじりだった。

 私は、考えた。少年の幸せと私の心を天秤にかけて。

「ザック。私の幹を切って、船をつくりなさい」

 いかないで。

 私のしまっておいた心が叫ぶ。

 ザックの事が今でも大好きなの。本当は愛しているのと。

 でも、言えなかった。

 私は林檎の木。少年の傍にいられるだけで幸せ。

「それに乗って遠くに行って……。幸せになるのよ」

 私はまた嘘をついた。

「あぁ」

 ザックは言われたように家まで戻って、斧で私の幹を切り倒した。

 それで船を作った。何も言わず旅立った。

 私は、シアワセ。

 そんな風に思える気分じゃなかった。

 ザックは、私を見ているようで見ていない。

 すぐ近くに居るようで遠い。

 どうか。この気持ちを雨と共に流されたらどんなにいいか。

 そう祈った。


 ずいぶんと長い時間が流れた。

 私の姿を見た物は、林檎の木だと思わないだろう。

 ふっと私に人影がかさなった。

 少年がまた、戻ってきた。そうすぐに分かった。

「ごめんなさい。ザック」

 私は謝った。

 そうしないと少年が私の元から去ってしまうと思ったから。

「私には、もう何もない。あなたにあげられるモノが」

 言っていくと心が砕けそう。

「林檎ももうないし」

「俺の歯。弱くて食えないよ」

 少年のしゃがれた声。

 杖がないと立っていらない姿。髪は白い。雪のように。

 顔だってしわだらけ。

 メガネだってレンスが厚い。

 私は、どんな姿でも少年が大好き。

「枝だってないし、ぶら下がって遊ぶ事も。私に登る事だって」

 ごめんなさい。本当に。

「幹だって」私の声は何かに怯えているようだった。

 少年が私と出会ったあの姿みたいに。

「木登りするような元気が、俺にはもうない」

 ため息をつく少年。正確には、呆れるにちかいが正しい。

「かわいそうに」

 私は心からそう思った。

「かわいそうだって? 嘘をつけ。本当は嬉しいだろうよ。俺がこんな姿になって。さぞ嬉しいだろう」

 少年が、矢継ぎ早に喋る。

「レイ。俺の人生は、なんだった! 教えてくれよ。お前に何もしてやれなかった事を後悔している。恨んでも憎んでも、軽蔑してもいいんだぞ。その権利がある」

 少年はどこか苦しそうに見えた。

「俺はひどい事ばっかりしてきた。最低でろくでなし男だ。もういっそ罵ってくれ。そうすれば俺だって」

 矢継ぎ早に喋った少年は、ぜぇぜぇと息をつまらせた。むせるので休憩をとった。

 それを見計らって私は、言った。

「いいのよ。ザック。あなたに何もあげられない。私には何も残っていない。今の私は林檎の木じゃない。ただの切り株。あなたに何かしてくれって頼んだ覚えはないわ。罵りもしない。大好きな少年にそんな事できない」

「……っ」

 少年は、嗚咽をかみ殺し静かに泣いていた。

「俺はもう、とくに何も必要とはしない」

 鼻声の少年。

 私は、少年の話をただじっと聞いた。

「腰をおろして休める。静かな場所さえあれば、それでいい。何だか随分と疲れてしまった」

 メガネを外す少年。目頭をつよく押さえている。

 私の答えは決まっていた。

 出来るだけしっかりとし、体をのばした私。

「それなら、古い切り株があるわ。腰をおろして休むピッタリな場所。ザック。どうぞ座って。ゆっくりおやすみなさい」

 少年は、そこに腰をおろした。

 私の周りに仲間はいない。

 あるのは私とザックだけ。

 私は彼にとっての幸せだったのか、分からない。

 でも一つだけ言わせてほしい。

 それでも私は幸せです。


                                     END




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

林檎の木とザック少年 久崎マミ @ru12_z

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ