第2幕 ニイン・ネウ

「……は?」


 アリスの、驚愕というよりは、脳が理解できていない、といった表情。

 ブランコから思わず落っこちそうになり、慌てて座り直す。


 僕は彼女に一歩近づいて、上腕をお腹に当て一礼する。

 相手に敬意を払う時の、正式的な礼の仕方だ。



「改めて初めまして、コイン・アリス。僕はニイン・ユウと言う。父はコイン・ガーク、母はニイン・ネウ。君の――腹違いの、姉弟だ」


 ずっと、会ってみたかった。



 そう言って、もう一歩足を進める。

 アリスは硬直したままで、拒否することはなかった。


「……確か、誕生日は君の方が早かったよね? まあ、お姉ちゃん、と呼ぶには年が近すぎるけれども。しかしまあ――」


「待って待って待って」


 淡々と台詞を続ける僕に、アリスからストップが入る。


「え……ちょっと、待って、わかんない、だって、お父様は、いや、でも」


 頭を抱える彼女に、僕は最後の一歩を踏み出した。膝をつき、同じ目線に立つ。しっかりと、彼女と目が合った。


 びくり、とアリスの方が震える。


「……うん。混乱するのも、無理はないと思う。僕も聞かされた時、そうだったから」


 僕は頬を掻いて、少しずつ、話し始める。


 





 元々僕の家に、父親という人物は存在していなかった。

 母と僕と、それから近所の人たちだけで、世界は成り立っていた。

 

 母は外での職業を持っていなかった――毎日掃除や洗濯、食事の用意と言った、生き延びるために必要な仕事を終えた後は、ずうっと椅子に腰かけて宙を見つめていた。


 「生き延びる」ための行動をしているときの母は、それなりに元気があった。


 皿洗いの途中で問いかければ応えてくれるし、笑顔だって見せてくれる。悪いことをすれば、叱ってくれた。

 僕を育てる、ということも彼女の「仕事」らしかったから、僕自身が困るということはなかった。


 恐らく、そういう意味において、母は一般家庭での「母親」そのものだっただろう。


 でも、それ以外の時間、つまり「彼女自身の時間」の時、母はぷつん、と自分を操っていた糸が切れてしまったような状態になる。

 何をしていいのか分からない、という風には見えなかった。ただ、そこに「在る」だけだった。


 そういう人だったんだ。


 或る何でもない日、洗濯物を畳んでいる彼女に、僕はこの家の収入について尋ねた。

 正直、自分でもどうかと思うけれど、確か近所の人のヒソヒソ声が耳に入ったとか、そういう理由だったと思う。

 確かに、他の家では父や母、あるいは両方がどこかしら会社に行っていて、そこでお金を稼いでいるはずなのに、うちはそれがない。子どもながらに、不思議に思っていたのも、事実だった。


 母は答えた。


『あなたには立派なお父様がいらっしゃるの。彼の力で、私達は生きているのよ』

と。


 僕は不義の子だった。


 どうやって二人が知り合ったのかは、流石に聞くことができなかった。後に、母は昔街の夜の店で働いていたらしい、と噂で聞いたから、恐らくはその系統だったのだろう。


 この国では、子どもをおろすことは宗教的に禁止されている。

 身ごもってしまった母と、それからお腹にいた僕を隠すために、父は全力を尽くした。遠くの国境にすら近い町に追いやり、僕が生まれた後は口止め料として毎月多額の支援金を振り込んでいたんだ。


 母は本気で父を愛していたようで、父の言ったことをすべて守った。

「なるべく家から出ないこと」

「近所づきあいは最低限度を保ちつつも、怪しまれないようにすること」

「騒ぎを起こさないこと」

「生き延びること」


 ……他にもこまごまとした、本当に小さなことまで父は母に指令を出した。そこに自由、なんていう優しい言葉は存在しちゃいなかった。

 そうして、気が付いた時には、母は壊れてしまっていた。


 それでも、父との約束を果たしているとき――彼女の「仕事」をしているとき、母はとても生き生きとしていた。


 僕のTシャツの袖を折りながら、母はずっと父の良いところばかりを話していた。

 厳格でルールをきちんと守る、だとか。

 それでも自分を愛してくれたのだ、とか。

 そのせいで悩んでいたけれど、その姿も素敵だった、とか。

 なかなかに無茶苦茶だ、と思うけれど、実際その通りだったのだろう。


 《転生者》に母が殺されて、一人になった僕は父に会いに行った。家は分からなかったから、会社に押し掛けた。「ニイン・ユウがコイン・ガークさんに会いたいと言っています」と伝えてください、と言ったら、すぐに通してもらえた。

 それが、今年の冬のこと。

 僕は初めて出会った父親と会って、僕が成人するまでは支援を続けてもらうこと、「騒ぎ」を起こしてしまったのでキインの街にはいられないこと、「上級室」の試験に挑戦し、その寮に入るのがお互い良いのではないか――ということなどを伝えた。



「結果として、僕の案は受け入れられた。いろいろと条件はついたけどね。――そうして、僕はここにいる」


 君の、前に居るんだ。





 僕はそう言うと、言葉を区切った。

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アイン・ロウの花束を。 桜枝 巧 @ouetakumi

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