飛び立つ砂、灰色の空、虚無の海

@Szzzzz

古びた門まで

――素敵な思い出から遠く離れて


砂は飛び立ち、空からは灰色の光が降り注ぎ、そして、向こうに見える海には何もない。俺が今見ている景色にはこの言葉が最も相応しいであろう。実際に、風に乗せられた砂がさっきから頬に当たってチクチクするし、ここはあまりにも静かすぎて色褪せて見える。海、はなんとなくその様に見えただけだ。本当はこの大海原の中には無限の美しい生命の営みがあるだろうし、賑やかに部族が暮らす島などもあるだろう。

 今は砂漠の果てにある海岸、そこに腰をかけて海を見渡していた。特に目的はない。俺はあらゆる世界の景色を見て、その中で色んな人と会っていくのが好きなだけのただの旅人だ。

だが何の信念も持たずに旅をしているわけではない。俺には誓いがあるのだ。そして、この旅はその誓いを果たすのを待つ時でもある。



――ほら、そう考えている内に早速その時がやってきた。誓いを果たす時が。


 後ろを振り向くと何者かが歩いている姿が見える。かなり遠くからだが、それでも彼の足取りが非常にふらついていたのは分かった。それも今でも倒れそうな。

 彼を助けるために俺はいち早く立ち上がり、彼のもとまで駆けつけた。距離が近づくに連れ、この人物が白衣を纏っていること、成人男性であること、体中が怪我だらけであること、段々と分かってきた。あと、正面から近付いている俺に全く気づいていないことも。

 彼がうつ伏せに倒れそうになった寸前にそれを支える。ぐったりとした体の重みが肩にのしかかる。

「大丈夫か」

 下から顔を覗くと、目を開けたまま口をぽかんと開けた、生気のない表情が見えた。その前から既に大丈夫ではないことは分かっていたが、あれ以外の言葉は思いつかなかった。

 やはり、誓いを果たす時が来たようだ。俺にはこの男の過去が分からない。でも、俺の永い年月による経験が知らせるのだ。彼の心が壊れたということを。

「いいか、まだ諦めるんじゃないぞ。気をしっかりと持て」

 俺は彼の体を担ぎ、砂漠から去っていった。彼の心を支えるために。

――足音は霧の中で響く。


 何かが揺れているような気がして私は目を醒ました。見えるのは自分の体、それと誰かの足。

 朦朧とした意識のまま、顔をゆっくりと上げる。見たところ、大柄な男のように見えるが、目がとてもぼやけていてそれ以上の様子が分からない。

数秒もの時間が経って、目の前にいるのが白い髪の若い男で、横を向いているというのが分かった。少なくとも私よりも歳下だ。しかし、その顔付きから感じさせる力強さや凛々しさはそうとは思えない。

 ここでもう一つだけあることに気付く。僕は何かに乗せられている様だった。馬車である。そう、馬が車を引いてゆっくりと進んでいく、あの馬車である。この荒れた砂漠でさえも、捨てられた車の部品をかき集めたものが移動手段となっているのに、今時こんなものを見るなんてほとんど無いだろうと思っていた。今まで資料でしか見たこと無い。

 しかし、そこで何かがおかしいことに気付く、どうやら私が進んでいるのは木々に囲まれた――

「気分はどうだ」

 あの人が話しかける。不意に話しかけてきたので、慌てて「大丈夫です」と答えた。

「砂漠の中を彷徨うのはさぞ辛かっただろうな」

 やっぱりだ。違和感は正しく機能していた。

 私は荒れた砂漠の中にある研究所の所長を務めていた。長い間、調査の一環としてあの辺りを探索している中で、明らかにこのように緑で生い茂っている場所がこの場所にあるわけないというのを知っていた。ということは、私はどこか遠い場所へ連れて行かれたということだろう。

「私は今どこに」

「『古びた街』という静かで平和なところに向かっている。俺が言うのも何だがとても良い所だぞ。それにあなたはひどく疲れていたようだったからな。だから、身も心も休める場所としてここを選ばせてもらった」

 男の言っていることの意味は掴みきれなかったが、私の最悪の過ちを思い出させるには十分であった。

 ああ、そうだ。あの様な事をするべきではなかったんだ。でも、私には我が娘にあんなに仲良くしてくれたあの娘の本性があんな風だとは思わなかったのだ。それで私は、我が娘に

「大丈夫か」

 気が付いたら、白い髪の男に肩を掴まれていた。どうやら、ひどく体がよろめいてしまっていたらしい。

「申し訳ない、嫌なことを思い出させてしまったな」

 私はこれからどうすれば良いのだろうか。なんとなく、目の前に居るこの男が私に対して何かをしようとしているのは察した。でも、それがどんな罰だったとしても足りる気はしないし、どんな慈悲だったとしても救われる気はしない。私は許されるべきではないのだ。

「もうしばらくだけ我慢してくれ。『古びた街』はあなたにとっての支えになるだろうから」

 馬車は霧に包まれた道を進んでいく。


――目の前にそびえ立つ壁はとても高く見えた。


 馬車が揺れ動く中、古びた街の外壁を見上げる。壁を超えたところから漏れている太陽の光は眩しかったが、その光景はとても神々しく、いつまでも見とれそうになっていた。そして、所々に植物が根を張っていたり、壁を形作る煉瓦の中にはひどくヒビが入っている部分もあったりするところから、やはりこの街は名前通りに古びているのだとも思った。

 馬車が門のすぐ目の前まで辿り着いた時に二人の門番らしき人物が向かってきた。一人はばっちりと開いた瞳を持った十代真ん中辺りの女の子で、もう一人は顎から髭を生やした飄々とした印象の男であった。腰の方を見てみると、剣のようなものが見えた。まるで中世にタイムスリップしたかのようだ。

「アラン様! おかえりなさい!」

 ここでやっと、この白い髪の男の名前がアランだということが分かった。

門番の女の子がとても元気の良い声で出迎えると、彼は「ただいま、ライラ」と言いながら、静けさと温かさを併せ持った笑顔で返事を返した。ということは、この人懐っこい感じの女の子の名前がライラになる。

「そうか、君は門番になったんだな」

「はい! この街の皆を少しでも戦いの神から守るため、こうして門番の務めを国王様から与えられました! そして、今ではこちらに居るドミニク先輩と一緒にここをずっと監視しております! ほら、先輩! アラン様に挨拶をしないとダメですよ!」

 ドミニクと呼ばれたもう一人の男は少しだけ気だるそうにしながらも、「はいはい」と言いながらこちらの方に向かっていった。

「お久しゅうございます。アラン様」

 言葉だけ聞くと丁寧なように聞こえるが、その口調はとても馴れ馴れしい感じだった。まるで友人に対しての話し方のような。

「ああ、お前も久しぶりだな。最近の調子はどうだ」

「いいや、正直言うとまだ全然だね。やっぱり気分良くなる訳なんかねぇんだ」

 ドミニクは愛想笑いのようなものを浮かべながら首を横に振る。急に言葉遣いまで馴れ馴れしくなったものだから驚いた。しかし、アランの温かい微笑みはそのままである。恐らくはいつもの話し方がこんな感じなのだろう。

「そう言うが、前よりも笑顔でいられているんじゃないか?」

「おおっと、マジか。そいつは気付かなかった」

 彼が静かに笑っている中で、門番の女の子ライラはむっとした表情しながらそちらの方を向いた。

「ちょっと! ドミニク先輩! アラン様に馴れ馴れしい言葉遣いはダメですよ! この方は古びた街の神様なんですから!」

「はいはい、すいませんでしたよっと」

 神様、唐突なこの言葉の登場に混乱してしまった。今思えば、確かにさっきもそれらしい単語はでていたが。

目の前に居るこの白い髪の男が、この古びた街において何らかの高い地位を持っている男なのは分かった。でも、さっきの神という言葉は何かの比喩だろうか。

「中に入る前に」

 アランのこの一言によって二人のやり取りは終わった。

「この街で何か変わったことは起きていないか?」

「中は特に何も変わっておりません! でも、外壁の中にアラン様の方で直さないと修復できない傷があるそうです!」

「そうか、それは今すぐ直さないとだな」

 そう言いながら、アランは馬車から降りた。後ろから見た時、彼がひどく錆びた大剣を背負っているのが見えた。そう、武器としての価値を疑うくらいに錆びた大剣である。

「そこまで案内してもらえるかな」

「はい! もちろんです!」

 ライラは目をキラキラさせ、意気揚々とアランを先導していった。彼は向かう間際に「先にこの人を休める所まで連れて行ってくれ」と馬子に伝える。

「さぁて、一緒になっちまったなぁ」

 ドミニクは以前と同じ態度のまま、気さくに話しかけた。

「あんたも彼に招かれたんだな? 行くあてもない旅をしている中、そこら辺を適当にほっつき歩いていたらアランに連れて行かれたんだろう」

 間違いなかった。あれから先のことは時間もそれ以外の感覚も何もかもがぼやけていたが、砂漠の中を彷徨っていたのは確かだった。でも、どうして連れて行かれたのかは分からない。

「その様子だと、やっぱりあんたもそうだな。そう、だったら俺と同類ってことだ」

 そこから一つの間が空く。

「ようこそ、『古びた街』へ。この世界はボロボロになった旅人の心を支えるために、お人好しの太陽神アランが作った街さ」

 彼はそう言い残した後に門を開けに向かうが、その途中で「そうだ」と、何かを思い出したかのように歩みを止めた。

「ところであんた、名前は?」

「ケンゴだ。ケンゴ オオツカという」

 彼に合わせて名前を名乗る。

「ケンゴ? この街にも似たような響きのヤツが居るかな……。まぁ、いっか。俺の名前はさっき聞いた通り、ドミニクだ。多分これからも会うことになるだろうからよろしくな」

 改めてドミニクは門を開けに向かう。

 心を支える――。どうして? 私にはこれから罰を受ける資格しか無いというのに。

 『古びた街』の景色が眼前に広がるのを、ただ呆然として見ていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

飛び立つ砂、灰色の空、虚無の海 @Szzzzz

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ