6-3 ラティクス

 世界樹を中心に守るようにして広がる、天然の森の要塞ラティクス。

 僕らが召喚された時代では国として成り立っていたはずだけれども、今はまだ〈森人族エルフ〉の里として知られているのみという話だ。


 竜斗の話や冒険者ギルドのお姉さんの話を聞いた限り、どうにもこの時代の〈森人族エルフ〉の人達はお世辞にも友好的ではないだろうとは思っていた。

 まぁ精々怪訝な目で見られたり、嫌味でも言われる程度で済むのだろうと思っていたのだけれども――――


「おのれ、人質とは! 卑怯な〈普人族ヒューマン〉め!」

「コーデックを離せ!」


 ――――現在、僕と竜斗は大勢の〈森人族エルフ〉から弓に番えた矢を向けられ包囲されていた。


「……竜斗、人質を取るなんて見損なったよ」

「お前が気絶させた張本人だろ!? というか、何さり気なく離れてやがる!」


 残念、逃げられなかった――とまぁ、冗談はさて置いて。


 どうやら僕が気絶させてしまった相手はそれなりに〈森人族エルフ〉の中でも信頼のある実力者だったようで、そんな人が捕まっている以上は迂闊に手を出せない、というのが〈森人族エルフ〉側の見解みたいだ。

 向けられた矢を前にいつでも動けるように警戒する竜斗と僕に対し、〈森人族エルフ〉達も隙を見せれば即座に攻撃しようという意思で身構えているせいで、お互いにどうにも身動きできない。


「ど、どうするんだよ、ユウ。さっきから事情を説明しようにも話を聞いてくれそうにねぇぞ!?」


 竜斗が何度も説明を試みているのだけれど、残念ながら〈森人族エルフ〉の皆さんは聞く耳を持ってくれていないらしい。


 こういう時は穏便に、素直に気絶したままの男性――コーデックさんを解放するのが正解なのだろうけれど……この勢いに負けてコーデックさんを解放しようものなら、そのまま殺されてしまうか、それとも牢獄にぶち込まれるかという二択しか訪れてくれそうにないんだよね。

 竜斗が背負っているコーデックさんを降ろそうともしないのは、きっと竜斗もそういった懸念を抱いているからだろう。


「だから話を聞いてくれよ! 俺は冒険者ギルドを通してここに――!」

「穢らわしい〈普人族ヒューマン〉が! 何を戯けた事を! 身の潔白を証明したいと言うのなら、コーデックを解放しろ!」

「解放するのは構わねぇけど、解放したらあんた達も武器を下ろしてくれんのか!?」

「そうはいかん! 神聖なる世界樹を狙っているやもしれぬ以上、疑いが晴れるまでは牢獄行きだ!」

「だーーっ! そうやってそっちが譲歩しねぇから、こっちも解放しにくいんだっつの!」


 ヒートアップする言い合いに発展しつつある中、僕は竜斗の肩に手を置いた。


「大変そうだね?」

「他人事みてぇに言ってんじゃねぇよ!? どうにかしろよ、この状況!」

「うーん、どうにかって言われてもねぇ……」


 何かをしようと動いてみても、矢が飛んでくるのは目に見えている。

 ともあれ、このままお互いに譲り合わない空気の中では話し合いもへったくれもあったものじゃないのは事実なので――とりあえず時間を止めてみる事にした。


 アビスノーツの力。

 時間と空間、要するに『時空』を操るアビスノーツの力はある程度扱えるようになっていたとは言っても、竜斗に会った時のように長時間の時間停止が使えたのは、この時代にやって来てからだ。

 エスティオの力とアビスノーツの力が馴染んでいると言うべきか。それとも、そもそも精霊のような存在である僕のような存在だからこそ、受け入れる事ができたおかげなのかは判らないけれども……それはともかく。


 時間が止まり、誰も動こうとしない中で――僕は〈森人族エルフ〉の人垣の向こう側に佇む世界樹に目を向けた。


「……それで、いつまでこの状況を楽しんでいるんですかね……――?」


 その名を口にした途端、変化は訪れた。

 世界樹が一瞬だけ眩い光を発したかと思えば、光が収束して人の形を象っていく。

 南アジアの民族衣装であるサリーを思わせる色鮮やかな赤を基調にした、さながら踊り子を思わせるような服に身を包む女性。淡い水色の髪を揺らし、金と翠のオッドアイで僕を見つめたままで小首を傾げている。


「……んー? キミ、なんでの力を持っているんだい?」

「クロノスフィア……? 僕のこの力はアビスノーツの力ですよ」

「……アビスノーツ、だって……? どうしてキミが『奈落に落とされし者』に与えられる名を知っているのかな?」


 アーシャル様が纏う気配が、唐突に色濃くどろりとした沼のような重みを纏った。

 僕が知る限り、アーシャル様はどちらかと言えば飄々とした掴みどころのない性格ではあるはずなんだけど……どうも『奈落に落とされし者アビスノーツ』とやらは、彼女にとっても聞き捨てならないものであったらしい。


「アビスノーツが名前ではない、という事ですか?」

「その呼び名は神々にとって、禁忌を犯した者の総称。不名誉なものだよ。知っていて口にしたんじゃないの、かな?」

「いえ、知りませんでした。アビスノーツが名前だとばかり思っていたので」

「……名前だと思っていた……? クロノスフィアが『奈落に落とされし者アビスノーツ』だと名乗ったという意味、だね?」

「そうですね」


 ステータス画面に出てくる表示も、確かにアビスノーツという名だったのだから間違いはない。

 ただアーシャル様の言葉や態度を見る限り、僕が知るアビスノーツの本名というか、ちゃんとした名はクロノスフィアである、と考えるのが妥当かな。恐らくはアビスノーツという名は〈管理者〉に逆らい、封印された後につけられた罪人の烙印といったところだろうか。


 ……そういう情報ぐらい、教えておいてほしかったよ。


 どう説明したものかと思案しつつ溜息を吐いてから……僕はふと一つのスキルを思い出した。


「――【精霊化アストラル】」


 僕が僕という存在を知り、アーシャル様に与えられた加護によって得たスキル。

 魔力と思念といったもので象られて生まれた、精霊とも言える僕だからこそ覚える事ができたこのスキルを見るなり、アーシャル様は一瞬だけ目を見開いてから、瞑目して思考を整理すべく黙考した。


「――……なるほどね。クロノスフィアの力を持ち、彼女を『奈落に落とされし者アビスノーツ』と呼ぶ。それにその力からはボクの力の片鱗が感じられる。という事は、キミはボクに出会い、加護を与えられた存在のはず。ここにボクがいる事を見抜いていた事からも、面識があると考えた方が妥当だね。でも、ボクにキミの記憶はない。……ん、キミ、未来から来たんだね?」


 今度はこちらが目を見開く番であった。まさか答えをあっさりと見抜いて納得するなんて。

 満足気に微笑んでから、ふと寂しげな表情を浮かべたアーシャル様は独り言のように続ける。


「やっぱり彼女は、〈管理者〉の意見に最後まで反対したって訳だね。彼女らしいと言えば彼女らしいけど……」

「〈管理者〉はすでに世界の放棄をあなた達に提案しているんですね」

「……そう。キミはそれを止める為に、わざわざ未来からこの時代に来たんだね?」

「それはそうなんですけどね。正直に言うと、いまいち事態が飲み込めていないんですよね」

「んー、どういう意味?」


 神の上位者である〈管理者〉に対抗するべく未来からやって来た。その事実に気が付きながらも、アーシャル様に先程のような敵対心は感じられない。これなら全てを包み隠さず話してしまい、仲間に引き入れる事ができるのなら一番だけど……さて、どこから話せばいいものかな。

 逡巡する僕とは対照的に、ふわりと空から舞い降りてきたアーシャル様が僕の目の前に佇んだ。


「少し、読ませてもらうよ?」

「へ? あぁ、どうぞ」


 握手を求めるように差し出された手を握り返すと、アーシャル様はしばらく俯いたまま瞑目してから、やがてゆっくりと顔をあげた。


「……えっと、大体の事情は?」

「んー、なんとなくは、だね。キミ、どうも複数の神の力を得ているみたいだから、全部は読めないね。けれど、キミが世界樹や里に悪意や害意を持っている訳ではないという事と、キミが強い存在であるという事は解ったよ」

「強い、ですか?」


 あまり僕には似つかわしくない言葉ではないだろうか。

 ステータスなんていう僕から見れば反則としか言いようがない力も持っていない、この世界では幼女にも駆けっこで負ける僕が、強い?


「ん? どうしたの?」

「いえ、お世辞にも僕は強いとは言えそうにないんじゃないかなって」

「んー……、あぁ、そういうこと。ううん、ボクの言う強さは肉体的な強さなんかじゃないよ? 自分の大切なものの為なら行動を起こす事を厭わない、心の強さがキミにはある。たとえ力がなくたって、自分じゃ何もできっこないって不貞腐れずに立ち上がる強さがある。それはただ力や魔力が強いだけじゃ得られない、本当の強さだよ」


 ……なんだかむず痒い気分になる。

 一切のからかう意思もなく、ただただ単純に、純粋に僕を褒めてくれているつもりらしいけれども、それがかえって気恥ずかしい。


「じゃあ、クロノスフィアの力を解いてくれるかな? 〈森人族エルフ〉はボクが説得してあげるよ」

「いいんですか?」

「リュートを呼ぶように伝えたのはボクだし、最初からそのつもりだったんだよ。でも、キミっていう存在が一緒にいたからね。少し様子見していたんだ。なんだか変わった存在が一緒にいるな、ってね」


 やっぱり、考えていた通りアーシャル様自身が竜斗を呼び出した張本人であったらしい。


「幾つか訊きたい事があるんですけど」

「それは落ち着いてからでいいんじゃないかな? 話せば長くなると思うし」

「……それもそうですね」


 以前……というか、この時代から見れば未来になるんだけど、結界を修復しなくちゃいけないとかっていう、差し迫った危険がある訳でもない。

 まぁ、僕が自由に時間を行き来できる訳じゃない以上、時間的猶予がどれぐらいあるのかとか、そもそも僕はあの時代に帰る事ができるのかとか、そういう不安がない訳ではないけれども。


 ともあれ、今はアーシャル様に任せるのが最善手だろう。

 ふっと身体から力を抜くように息を吐き出すと同時に、止まっていた時間が流れ――同時に、僕の目の前に立っていたアーシャル様から神威とでも呼ぶような力の波が周囲へと広がった。


「――静まれ、〈森人族エルフ〉の民よ」


 先程までのどこか飄々とした空気は一切ない。

 重圧とは違った、けれど頭を垂れてしまいたくなる程の圧倒的な気配を持った神という存在である事が本能に直接叩き込まれるような気分だろう。

 生憎、僕は何柱かの神から力を得ている状態なので、あまりそこに違和感を覚えたり畏まるような気にはなれないけれども。


 竜斗と僕を警戒していたはずの〈森人族エルフ〉達や竜斗から見れば、突如として現れたようにも見えるアーシャル様の登場に、少しぐらいは動揺したりざわめいたりもするかと思えば、意外な事に〈森人族エルフ〉の全員が即座に武器を下ろし、その場に跪いて深く頭を下げていた。


「この二人は私――『精霊神』が招いた客人だ。余計な詮索も諍いも無用」


 アーシャル様の登場に驚いているのは竜斗も同じだったようだ。背中に背負っていたコーデックさんが呆然とする竜斗の背からずり落ちて、蛙が潰れるような声が聞こえてきた。


「……はっ!? 貴様ら……! ここは――『精霊神』様!?」


 背中から落とされた衝撃で目が覚めたらしいコーデックさんが、激しく変化した状況に対応しきれず、慌てて頭を下げた。なんだか忙しそうだ。

 まぁ、目が覚めたら自分が守ろうとしていた場所で、しかも僕らが堂々と侵入していて、更にアーシャル様まで目の前にいるんだから、忙しくなるのも分からなくはない。


 なんとなく同情の視線を送っていると、僕らを取り囲む〈森人族エルフ〉達の方から小さなどよめきが聞こえてきて、ゆっくりと道が作られた。


 その道を進んでくるのは……あれ、アリージアさん、かな?

 見覚えのある「のじゃロリ」だった彼女だけれど……それにしては表情が乏しいというか、無感情な人形のように見えるせいで、どうにも別人っぽく見える。


「『精霊神』様、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」

「良い。少々もあった。お前の落ち度ではない、アリージア」

「……寛大なお心に感謝致します」


 その予定外って僕の事ですよね、わかります。

 そんなツッコミを入れるよりも、圧倒的に早く――僕は思わず噴き出していた。


「ぷふっ、くくくっ。似合わないなぁ、アリージアさん」


 ぼそりと呟いた僕の一言は思ったよりも響いてしまったようで、その場の空気が固まってしまったのは不幸な事故だったと思いたい。

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