Ⅵ 初代勇者と傍観者

6-0 Prologue

 穏やかな陽気に包まれた草原。

 冬の厳しい寒さも徐々に鳴りを潜め、ようやく過ごしやすい暖かな風が流れ、草花を揺らしている。

 実に平和で穏やかな、緩やかな時の流れるその場所に、遠くから聞こえてくる一人の男の悲鳴が響き渡ってきた。


 それは草原の奥。

 生い茂る木々が連なる森の中から漏れ出てきた声のようで、森の木々で羽を休めていた鳥達がけたたましく空へと飛び立つ。


 渦中の森の中――そこでは今、一人の青年が必死の形相で駆けていた。


「――どわああぁぁぁッ! シャレに、ならんって!」


 黒い髪に黒い瞳、特徴の薄い平たい顔。

 現代日本の町中を歩いていれば、十人中一人か二人程度は振り返るかもしれないと言った程度の平々凡々な顔立ちの、日本人らしい特徴の薄い顔。

 年の頃は十代中盤といったところであろう青年の表情は、まさに必死の形相と形容するに相応しい。

 懸命に足をもつれさせながらも、それでもなお態勢を整えて再び駆けていた。


 そんな彼の駆ける後方から、幾つもの足音。


 器用に回り込みながら男の逃げ道を塞ぐように駆ける。

 周囲から獲物を挟み込むように男の後を追う何者か。それらは、狼型の魔物であった。

 緑がかった黒い体毛を持ち、体長にして二メートル程はある体躯を持ったそれらは、森の狩人――フォレストガルムと呼ばれる魔物の群れである。


 黒髪の男とて、何も戦えない訳ではない。

 強力な魔法を使う事もできる上に、彼が持つ【固有術技オリジナルスキル】は強力無比にして戦闘向けな代物だ。


 しかし、場所と相手が悪すぎた。

 一対一であり、見晴らしの良い場所であったのなら間違いなく勝てるだろう。

 そう言い切れる程度に、彼の得たスキルは凄まじい。


 ――とは言え、である。


 彼がこの世界にやって来たのは、ほんの一ヶ月程前の話だ。

 元々は地球の、日本と言うアジアの小国で、ただただ平穏な学生生活を過ごしていただけに過ぎなかった子供。

 そんな子供を相手に、たとえば「力を与えるから命懸けで戦え、死んでも知らん」とでも言おうものなら、大多数の少年少女は困惑し、当然ながらに命懸けの戦いに身を投じられるはずもなかった。


 付け加えるのなら、如何せんここは森の中であり、しかも複数を相手にする程には男も戦い慣れていない。さらに、相手はこの森を縄張り――否、狩場として生きる森狼の群れだ。

 お世辞にも「恵まれている」などとは言えない状況である。


 そんな状況であっても、実のところ男は納得してこの場所へ、自らの意思でやって来たのだが――それはさて置き。


 ともあれ、男もこの世界での恩恵を得た身だ。

 本来ならば狼から逃げられる程のスピードで駆けるなど不可能だが、男の駆ける速度はフォレストガルムと一進一退といった程度には張り合えている。


 そうしてようやく、森の切れ目が見えた。

 助かった――と安堵の息を漏らしかけて、しかし男は目の前の光景に愕然とした。


「……なんだ、こりゃ……」


 森の切れ目はどうやら、クレーターを思わせるように何かが大地を抉ったおかげで生まれたものであるらしかった。

 円錐状に深くなっていくその場所――中心地には、一人の少年が倒れているのが見えた。


 森の中で何かが起こっている、という事については男も知っていた。

 何せ男がこの森へやって来たのは、旅の路銀を稼ぐべく立ち寄った冒険者ギルドで、森の調査を行うという依頼を受けたからこそこの場所へとやって来たのだから。


 要領を得ない証言――曰く、光の柱が上っただとか、激しい爆発が起こったような音が聞こえただのと騒がれていたのだが、実態は未だに掴めていなかったのだ。


 ――まさか、これの事か?

 フォレストガルムに追われている事も忘れて思わず足を止めた男であったが、しかしそんな男の動揺など無視して、次々にフォレストガルムの足音が迫ってきた。


「――チィッ、かかってきやがれ!」


 視界の悪い森の中に比べれば、この場所は比較的戦いやすい。

 剣を抜いた男がフォレストガルムに向かって剣を抜き、いざ戦おうと振り返って啖呵を切ったところで――突如、フォレストガルム達が何かに気が付いたかのようにピタリと動きを止めて、後退り始めた。


「……は?」


 男が呆けた声を出したのも無理はない。

 先程まで己を餌にしようと息巻き、フォレストガルム達の身体から漏れ出てきていた殺気は消え去り、文字通りに尻尾を巻いて逃げ出していくではないか。


 呆気に取られ、そのままフォレストガルムが立ち去っていく姿を見送ったところで、男はようやく気が付いた。


 ――爆心地と思しき中心で倒れていた少年が、いつの間にやら上体を起こして自分を見つめていた事に。


「……おはよう」

「唐突なおはよう!?」


 男の声が森の中に響き渡ったのであった。


 声をかけてきた少年は、先程までフォレストガルムから逃げていた男と似たような、それこそ日本人らしい顔つきをしていた。

 黒い髪に黒い瞳、どこか目つきが悪く、中性的な顔立ちではあるものの目に光がないというべきか、死んでいるというべきか。


 男は改めて、少年に向かって声をかけた。


「俺は夏目竜斗だ。アンタは?」

「…………」

「おい、聞いてんのか?」


 聞こえてはいるだろう、と男――竜斗は思う。

 何やら考え込むような素振りをしている――と思われるのだが、虚空に目を向けて動きを止めているだけだ――らしい少年であったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「――僕はユウだよ」

「ゆう……? お前……、まさか日本人なのか? 苗字は!?」

「ニホンジン? 何それ、種族の名前かな?」

「……そう、だよな……。ワリィ、なんでもない」


 竜斗は目の前の、ユウと名乗った少年の反応に思わず表情に影を落とした。


 こちらの世界に唐突にやって来る事になって以来、同郷の――地球の、日本という国からやって来た人間を見た事はない。

 日本人らしいというか、黒い髪や黒い瞳に欧米人などに比べて平坦な顔とも言える顔つきの者達もいるのだが、彼らとて決して日本からやって来た訳ではないのだ。


 期待に落胆しつつも、しかし竜斗は気持ちを切り替えるようにユウと名乗る少年の手前、気持ちを切り替えた。


「んで、なんであんなトコに倒れてたんだ?」

「あぁ、うん。なんでだろうね? 僕もちょっと何がどうなって初代ゆ――いや、キミと遭遇しているのか、いまいち分からないんだよね」

「はぁ? ダンジョンの転移系トラップにでも引っかかったのか?」

「トラップと言えばトラップだけど……うん、まぁそんな感じなのかな?」


 ユウと名乗った少年が困ったように肩をすくめて笑う姿は、本当に困っているようには見えない。ただ、困惑しているらしいのは確かなようで、竜斗はユウの言葉を一度信じる事にした。


「そっか……。お前、戦えるのか?」

「あー……うん、そうだね。“魔法なら使える”かな」

「よし、じゃあ早いトコここから離れようぜ。魔物もいるからな、町まで案内してやるよ」


 竜斗の言葉に、ユウはしばし悩んだ後で頷いて返した。








 ◆ ◆ ◆








「――ちょっと〈管理者〉をぶっ潰してもらおうと思ってるんだよね」


 そんな言葉を、まるで近くのコンビニに買い物でも頼むかのような気軽さで提案してきた、僕――高槻悠という存在のオリジナルとも言える存在であり、“今の僕”が形成される基となった、この世界の魔族エスティオ。


 彼は僕の中に力の欠片とやらを入れていた魔神――正確には元『時空』を司る神であったアビスノーツと何やら共謀した結果、唐突に僕を“今の状況”に放り出した。


 僕の目の前を歩く青年――夏目竜斗。

 まさに黒い髪に黒い瞳、日本人らしい見慣れた顔立ちの彼こそ、初代勇者――リュート・ナツメその人だろう。


 この状況に対する僕の正直な感想は――どうしてこうなった、の一言に尽きる。


 だって僕、光に包まれた次の瞬間には今の状況に陥っていたし、何がどうなっているのかすら聞かされていないのだから。


 ――いや、そう言えば一つだけ何かを言われていた気もする。


「――いいかい、悠。キミはキミのままに、自由に行動してくれて構わない。ただそれだけで、キミという存在がいるだけで、色々な物事が変化するはずだ」


 光に包まれる中でエスティオに告げられた、唯一のヒントと言えばこれぐらいだ。


 魔王アルヴィナに捕らえられて、そのまま魔王城で生活して。

 ついでとばかりに仕事を請け負ってみたら、僕のオリジナルとも言える存在と出会って、挙句の果てには今の状況――恐らくは“過去に飛ばされた”らしいこの状況。


 ……我ながら目が回りそうな状況変化だと思えてならないよ、まったく。


「――でさ、気が付いたらこの世界にいた訳なんだよなぁ。俺は元々普通の学生だったってのに、いきなりこの世界に来て勇者様だぜ? 何がどうなってんだよって話だよ」


 さっきから身の上話を語り続ける初代勇者。

 別に訊いた訳でもないのに、なんだか嬉々として話してくるので適当に相槌を打っているのだけれど、それでも竜斗の話は終わらない。


「じゃあ、キミはこの世界とは違う世界から来たんだね」

「そうなんだよ。って言っても、こんな話、信じられるか?」

「そういう事もあるんじゃないかな。知らない事は知らないけれど、知らないからって否定するつもりもないよ」


 お互い親しげに話してはいるけれど、僕らは初対面だ。

 最初は竜斗さんって呼んでたんだけど、年齢を聞かれて答えたらタメ口を強要されて、しかも名前を呼び捨てるように言われたのだ。


 普通、初対面の相手に馴れ馴れしく話しかけられた不快さを感じるものだけれど、彼はそういった嫌悪感を与えずに懐に入ってくる。


 コミュ力お化けだね、うん。そう呼ぼう。


「――止まれ、ユウ」

「……魔物だね」


 腰から提げた剣を手に構える竜斗。

 さっきまで魔物に追われていたみたいだし、竜斗は竜斗で魔物の気配に敏感らしく、腰を落として周囲を警戒する。


 木々に囲まれた獣道を歩いている僕らの視界は、お世辞にも視界が良好とは言い難い。


「竜斗、キミの戦い方は近接戦闘が主体だと考えていいのかな?」

「あぁ。魔法も使えんだけどな、細かい調節は苦手なんだ」

「だったら、ここは僕に任せてくれればいいよ」

「へ?」


 驚くリュートを尻目に、僕はスタスタと数歩ばかり先行して歩き出す。

 刹那――木々の合間を縫うように駆けてきた魔物が、いざ獲物へと喰らい付こうと牙を剥いて飛びかかってきた。


 けれど――遅いんだ。


「――咲き誇れ、【氷華】」


 魔物の足下に突如として浮かび上がった、青く輝く魔法陣。

 その光に呼応するかのように瞬時に氷の花が急速に成長して、襲いかかってきた魔物の身体を貫いていく。

 氷の花が完成する頃には――狼型の魔物の身体からは棘の生えた氷の植物に絡め取られ、その生命を断っていた。


「な……、なんだ、そりゃ……!?」


 驚きの声をあげる竜斗。

 たった一節の詠唱によって発動する魔法としては、あまりにも強すぎるし、何よりも高度な魔法である事は竜斗にも理解できたのだろう。


 そんな彼に背を向けたまま、僕は――疲れてため息を吐いていた。


「あの一瞬で魔法を構築したってのかよ……。しかも、あんなに正確で、綺麗な魔法を……」


 呆然と呟く竜斗の声を聞きながら、僕は思う。

 まぁ、そりゃあんだから、驚いてもらわなきゃ困る、と。


 いくら過去に来たからって、僕が魔法を使えるようになるとか、強くなれる――なんて、都合のいい展開はないのだ。


 種を明かせば、今僕はアビスノーツの力を使って、魔法を使ったかのように見せかける為に魔宝石ジェムを利用して魔法陣を演出。

 魔物の身体を貫いた魔法の花は、そもそも魔王城で手に入れた素材を使って作った魔道具で、魔力を注ぎ込むと周囲のものを貫いてでも急速に成長するという、危険極まりない失敗作だった。


 要するに、僕は魔法を使ったのではなく、なのだ。


 もちろん、こんな面倒な真似をしたのにも理由がある。




 ――――ここが過去だというのは、十中八九間違っていない。


 けれど、夏目竜斗が僕の顔を見て、知人の存在と勘違いすらしなかった。

 これはつまり、過去であると同時に、“まだ夏目竜斗とエスティオが出会っていない”という可能性を示唆している。


 エスティオの話や〈森人族エルフ〉の国にあった『エスティオの結界』を鑑みれば、初代勇者である夏目竜斗とエスティオは確実に親しい仲になる。


 僕という、本来ならこの時代には存在していないであろうイレギュラーな存在であり、同時に後に出会うであろうエスティオと同じ顔をしている僕という存在を見た夏目竜斗。


 どうやってエスティオと夏目竜斗が共に行動する事になるのかは分からないけれど、エスティオと夏目竜斗が本当に意味で初めて出会った時、“訳あって初対面のフリをしている”と夏目竜斗が勘違いしてくれる方が望ましい。

 イレギュラーである僕という存在を忘れさせる為にも、敢えて勘違いしたままでいてくれる方が、面倒事も少なく済んでくれるのではないだろうかという打算がある。


 ――バタフライ効果、というものがある。

 ちょっとした変化が、後々の出来事に大きな影響を与えてしまったりというアレだ

 イレギュラーな僕という存在をなるべく消し去る為に、敢えてエスティオのフリをする事で影響を抑えられれば――なんていう、希望的観測に基づいた行動ではあるのだけれども、なんとなくそうするべきだと考えていた。


 だからこそ、魔法を使えるという嘘をついたのだ。

 幸い、アビスノーツの力のおかげで時間を止められるし、僕の武器とも言える魔宝石ジェムも、どういう訳か今まで通りに取り出せているしね。

 恐らく、この辺りもアビスノーツとエスティオがなんらかの細工を施してくれたのだろうけれど……まぁ便利だし、気にしない。




「――まぁ、この程度の自衛ぐらいならできるんだ」


 あくまでもシラを切って、まるで造作もないとでも言わんばかりに告げてみせる。

 もはや魔法というよりも、タネも仕掛けもあるマジックをしている気分でしかないのだけれど、その辺りを誤魔化すように微笑んで告げてみせれば、竜斗は目を輝かせながら「スゲェな!」と純粋に賞賛してきてくれた。


 ……チートらしいチートを持っているキミに賞賛されても、なんだか素直に喜べないんだけれども。

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