5-10 アルヴィナの頼み事

 ――夜。

 予想通りにと言うべきか、やっぱり部屋まで登場したアルヴィナ。

 彼女に今日の一件、つまりリンダール姉妹というあの不思議で物騒な女の子たちの件を訊いてみれば、やはり魔王であるアルヴィナの指示で僕を狙うように仕向けられたらしかった。

 アルヴィナは僕のジト目を受けても、一切悪びれる様子も見せずにあっさりと認めた。


「旦那様を守るって、一応はあの青髪の小娘とも約束したもの。下手を打つつもりなんてないわよ」


 青髪の小娘って……エルナさんの事、かな?


「あれ、エルナさんと面識なんてありましたっけ?」

「あら、言ってなかったかしら? 旦那様を助けに来たみたいだったけれど、目の前で無力さを嘲笑いながら攫ってきたのよ?」

「なんで得意気なのか分からないんですけど」


 どうやら僕がディートフリート劇場の地下で気を失った後、エルナさんもやって来ていたようだ。


 そう考えると、エルナさんにはさぞ心配をかけたんだろうなぁ。

 エルナさんは僕が酷い怪我をしたり無茶したりすると、結構怒るし……。そういえば魔王軍の現状については手紙を送れた訳だけど、まだ返信もらってないや。


 そんな事をぼんやりと思っていると、アルヴィナがむっと頬を膨らませて僕の顔を覗き込んできた。


「――そんな表情かお、するのね」

「なんですか、いきなり。近いんですけど」

「ふんっ。旦那様ってば、私というものがありながら、あんな小娘の話をした途端に顔色変えちゃって……。なんか悔しいわ」

「なんだか僕とあなたが特別な関係みたいな言い方される意味が分からないんですが」

「あら、特別でしょう?」


 まるで恋人の前で他の女の人を思い浮かべたかのような物言いだよね、それ。

 そもそも僕とアルヴィナの関係は、なんとも言い難い関係性であって、そんな甘酸っぱさのある代物ではないし。


「もうっ。もう少しぐらい、靡いてくれたっていいと思うのだけれど」


 ずいっと寄せてきていた顔を離してから、少しだけ責めるような色を大きな瞳に乗せながら告げるアルヴィナ。


 そんな彼女の言葉に、僕は思わず小首を傾げた。


「靡くも何も、僕らの協力関係はもう出来上がってますし、そういう感情は必要ないんじゃ? ……って、なんでさっきよりキツい目で睨んでくるんですかね」

「……はぁ。旦那様ってば、女心に疎いのね」

「女性は理解するより、漠然とそういう存在だって遠巻きに眺めてる方が平和ですから」

「……それ、遠回しに理解できないって言ってない?」

「あはは、気のせいじゃないですかね」


 同じ性別であっても理解できない人だっているからね。

 それがさらに性別も違うってなったら、考え方というより主軸に何を置いているかさえ違ってくるだろうし、僕には理解できないよ。


「それで、旦那様に一つ訊きたい事があるのだけれど……」

「なんです?」

「えっとね。エキドナから聞いたんだけど、旦那様の能力って精神操作やそういった類を全て無効化するのよね?」

「うーん、まぁそんな感じですね」


 若者言葉の意味合いを持つ【スルー】ってスキルについて説明しようとしても、そもそもそういった状況に馴染みのないアルヴィナに話すのは骨が折れそうだった。

 よく使われるような、『スルーする』とかそういった意味を知らないんじゃ理解しにくい部分があるからね。


 そんな考えの下で濁した僕の答えを聞くなり、アルヴィナは一瞬逡巡したかのような素振りを見せた後で、申し訳なさそうな表情を浮かべて僕を見つめてきた。


「その……。旦那様のその能力を見込んで、一つお願いしたい事があるの」

「なんだか歯切れが悪いですね」

「それはそうよ。いくら旦那様のスキルがそういった類を無効化できるって言っても、このお願いをして無事かどうかなんて判らないんだもの。一応私の魔法に抗える事ができるぐらいなら信用はできるんだけど……テストさせてもらってもいいかしら?」

「別に構いませんけど、神様相手でも発揮する効力ですよ」

「へ?」


 何かを試そうとそっと人差し指の先を僕の額に当てたところで、アルヴィナの表情が引き攣った。


「……あれ? 言ってませんでしたっけ?」

「な、何を?」

「僕の【スルー】っていうスキルは、精神干渉どころか色々なものを”素通りさせる”ような意味を持つスキルなんです。〈管理者〉が設定した『星の記憶』はもちろん、神様の加護でさえ、相当意識してないと受け入れる事すらできないような代物ですよ」

「……何、それ……」


 ん……? あぁ、そうか。

 そもそもアルヴィナ達は、僕が持っている【スルー】という【原初術技オリジンスキル】を知らない。ただ僕という存在が『星の記憶』を覆す存在、としてしか認識していなかったんだった。


 ――『【催眠魔法ヒュプノシス】をスルーしました』。


 ログを見せてドヤ顔するミミル。

 ウラヌスのおかげで、僕以外にも可視化できるようになったウィンドウを目の前に突き付けられたアルヴィナが、目を丸くしたまま固まった。


「……えっと。確かに発動したし、手応えはあったんだけど……。無効化されたり弾かれた感触もなかったわよ……?」

「無効化とかそういうスキルじゃないですし」


 だって、『スルーする』っていうのは、何かを弾くとか無効化するとか、そういう代物じゃない。

 ルファトス様やらアーシャル様曰く、僕の【スルー】は「事象そのものを徹底的に無視した代物」らしいから、抵抗するとかそういった類じゃないからね。


「……何それずるい」


 しばらく動きを止めていたアルヴィナだったけれど、ようやく我に返ったのか手を離してジト目で文句を言ってくる。

 そんな顔されても、僕が意図的にこの【スルー】を手に入れた訳じゃないんだけどね。


「……まぁいいわ。むしろ好都合だもの、うん。悪い事なんかじゃないわ」


 頭痛がするとでも言いたげにこめかみ辺りに手を当てながら呟いていたかと思えば、アルヴィナは僅かに首を振って僕を見つめた。


「それで、さっきのお願いなんだけど――旦那様に、この魔界にある〈門〉を調べてほしいの」

「〈門〉、ですか?」

「えぇ、そうよ。私達が世界樹に開かれた〈門〉を使って向こうに行ったのは、旦那様だって覚えているでしょう?」

「あぁ……、世界樹をダメにしたアレですね」

「……えぇ、そうね」


 ちくりと刺すように言ってみれば、アルヴィナは表情に影を落として視線を逸らした。


「意外ですね。必要な事だと割り切っていると思ってましたけど?」

「必要な事だったわ。――ね」

「神の動き……? あぁ、そういう事ですか」


 世界と世界を繋ぐとされる〈門〉の存在。

 魔族と対峙していた僕らにとっては、この魔界との繋がりを危険視していただけだった。けれど、『星の記憶』を遵守する神々もまた、〈門〉を使えば渡ってこれるという意味を持っている。


 万が一にも神様が動いてくれば、アルヴィナは魔族を守る為に前線に出るつもりだ。自分の身を、世界を守る為に自分だけが匿われる事を良しとするような性格をしていない。


 そういう意味で、〈門〉を破壊するというのは、神様の動きを封じる為には必要だった、という訳だ。


 ――もっとも、僕にはまだ判らない。

 神々が本当に魔族を叩き潰すつもりでいるのか、それとも――〈管理者〉に対して抗おうとしているのか。


 唯一コンタクトを取れるのは、僕と直接的な繋がりがあるアビスノーツだけ。彼女はそもそも〈管理者〉と敵対関係にあるけれど、他の神様はどう考えているのか。


 神様なんて相手にするのは御免被りたいところだけれど、〈管理者〉なんていう神様でさえ世界の付属品扱いするような存在が相手だ。敵だったら厄介だけれど、味方は確実に多い方がいい。

 世界を見守るような存在である神様が、果たして言われるままに世界が壊れる事を良しとするのか。僕にはとてもそうとは思えないし、味方であってくれる可能性はまだ棄ててない。


 ――ん?

 神様のいる世界――要するに神界にも〈門〉が繋がってるなら、どうにかコンタクトを取れる可能性もあるのかな。


「ちょっと気になったんですけど、〈門〉を壊す為の短剣は確か、アビスノーツの力が宿ったものでしたよね? それって、どうやって手に入れたんです?」


 元『時空神』にして、現在は邪神と呼ばれる彼女の力を宿した短剣。

 邪神らしく、黒々とした力を宿していた短剣だった訳だけれど、どうにもアビスノーツらしからぬ力のように思えた。

 彼女の力はあくまでも『時空』という要素が強いのだから、そういった力の片鱗があるのなら分かるんだけども、ちょっと違うモノなんじゃないかな。


 ――もしかして、アビスノーツ以外に魔族に秘密裏に協力した神様ってのもいるのかもしれない。


 そんな考えを口にしながら訊ねた僕の言葉に、アルヴィナは我が意を得たりと言わんばかりに得意気な表情で微笑んだ。


「それを手に入れた場所、興味あるでしょう?」

「そのドヤ顔で興味が失せました」

「ひどっ!? もうっ、ここは興味あるって答えてくれてもいいじゃないっ!」


 僕にそういうノリを求めるのはちょっと間違っていると思うんだ。

 まぁ、興味ないと言えば嘘にはなるんだけど。


「つまりそれが、この魔界にあるという〈門〉という訳ですね」

「えー……、つまんなーい。なんでそんなあっさりと答え出しちゃうのよー」

「話の流れからして、それしかなさそうだったので。それで、僕がそこに行くとして、何をすればいいんです?」


 口を尖らせて零すアルヴィナに、こんな人だったっけなと思いつつも問いかけてみると、アルヴィナは一つ嘆息して気持ちを切り替えた。


「魔界と人界は、〈門〉の中でも比較的あっさりと行き来できる程度に”鍵”が緩んでいるの。世界と世界を繋いだままになってしまった『大洞穴アビスホール』の存在によって、そうなってしまったと考えられるわ。でも、他の世界――つまり神界なんかに行き来する事はできない状態なの」

「『大洞穴アビスホール』ですか」

「えぇ、そうよ。もっとも、その辺りは私達魔族が人界側の出入り口を厳重に見張っているし、そう簡単に行き来できないけどね」


 迷宮都市アルヴァリッドで、この世界を調べた時にも『大洞穴アビスホール』とかいう存在の名前はちらりと出ていた。


 初代勇者リュート・ナツメが、当時の魔王を討伐する際に通ったとされる道が『大洞穴アビスホール』だったとされていて、見た目は本当に底が見えないような大穴だったらしい。


 どうやってそれを降りたのかと言えば、竜の力を借りたのだとか。

 テンプレ勇者よろしく、そういった存在にも知己を得るあたり、本当に妬まし……羨ましい能力に溢れていたんだね。


「えっと、どうしたの? 急になんか不敵な笑みを浮かべて、怖いんだけども……」

「あぁ、気にしないでください」

「そ、そう……? ――ともかく、旦那様には〈門〉の状況を調べてきてほしいの。もちろん護衛役はつけるし、安全は保証するから」

「まぁそれなら断る理由もないですけど、調べるって言っても何を調べればいいんです?」

「目に見えて異常が起こっていたりしたら報告するだけでも構わないわ。でも、魔法陣とか魔力の解析とか、そういったものは旦那様の方が得意、でしょう?」


 まぁ魔導具作りに励んだりもしているし、確かにそういったものは僕の得意とする所ではあるのだけれど……。


「調べるのは構いませんけど、それ用の魔導具を創ったりっていうのに素材が心許ないんですよね。それに、僕もまだアビスノーツの力を使い切れていないので、あまり時間に余裕もないんですけど……」

「それなら必要な材料はいくらでも言ってくれて構わないわ。幸い、魔力に親和性の高い素材とかは魔界の方が人界なんかよりもよっぽど多い――」

「なるほど。〈門〉を調べるのは急務という事ですね、分かりました。色々と時間がないのは確かですけど、それは放っておいていい問題ではありませんよね。えぇ、そうですとも。そういう訳だから手伝うので素材をください」

「…………ねぇ。もしかして素材に目が眩んだとか……」

「あはは、やだなぁ。僕にしかできない事なら、僕がやるしかないですし、やらないまま後悔するのは性に合わないだけですよ?」


 ニッコリと微笑みながら告げてみせると、アルヴィナはなんだか引き攣った表情を浮かべながら、素材の手配を約束してくれた。


 ……別に構想していたロボット系魔導具を作るのに準備ができたとか、それが楽しみで心が踊っているとか、そういう訳じゃないんだよ?



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