5-8 『傀儡』のリンダール姉妹 Ⅰ

「――ふぅ……。やっぱりしんどいね、これは」


 魔王城の地下に設けられている訓練場。

 ウラヌスによって転写された魔法陣の中央で、だらだらと垂れ落ちる自分の汗を見送りながら四つん這いの状態で独りごちる。


 ――身体の奥底を、無理やりに何かを書き換えられるような奇妙な感覚を味わいながら耐える。

 当初はで済んでいたはずが、今ではかなりの苦痛を伴うものになっていた。


 乱れた呼吸と朦朧とする意識の中で、それでも確かに感じる明確な変化を実感しているような気がしていた。


《……ねぇ。お前、無茶しすぎだわ》


 どこか強張ってすらいるように聞こえてきた、アビスノーツの声。

 この数日は特に、アビスノーツの制止を振り切ってでもやっているだけに、その声色から感じられる声はいっそ呆れすら孕んでいるように聞こえる。


「そうかな?」

《カッコ付けなくたっていいわよ。十分解っているんでしょう? いくら力に馴染ませる為とは言え、短い期間に詰め込み過ぎているわ。だから、身体が拒否反応を起こしつつある。痛みはその証拠だわ》

「それでも、やるしかないんだよ。時間は有限なんだから」


 アビスノーツの力に触れて、今日で十日目。

 僕はあれから、ほぼ朝から夜までをこの場所で過ごしながら、ひたすらにアビスノーツの言う神力とやらを増幅させようと試みている。


 ――――魔族と人族の戦争は、今は膠着状態を生んでいる。


 アルヴィナはこれまで、『星の記憶』と〈管理者〉の存在をひた隠しにしていたそうだけれど、何名かに事実を打ち明け、リジスターク大陸から魔族を撤退させているのだ。


 リジスターク大陸での戦争はあくまでも『星の記憶』通りに物事を運びつつも、それを裏切る為に必要だった戦いだ。

 僕という、『星の記憶』すらも堂々と覆してしまっている存在が味方についた以上、リジスタークを攻めるという筋書きに乗っかり続ける必要はなくなった。


「もしも〈管理者〉が、『星の記憶』が動き出した時に、打てる手を打っておかなくて後悔するなんていう最悪の状況を迎える訳にはいかないからね」

《だからって……! お前が無茶をして倒れれば余計に手立てがなくなると考えているの?》

「その辺はキミがうまくコントロールしてくれてるって、信じてるからね」

《……バカ》


 ぼそっと呟くアビスノーツの声を聞くなり、ミミルが僕の目の前に飛んできて『デレ期到来の予感!?』と書かれたウィンドウを見せてくる。


 うん、ミミル。

 相変わらず細かい動きをしてくれるね……。


 デレ期も何も、アビスノーツにデレられてもどうしろって言うのか分からないんだけれども――なんて事を心の中で呟きつつ、僕はその場に仰向けに倒れ込むように寝そべった。


 少なからず――状況は好転している。


 とりあえず、エルナさん達やクラスのみんなに無事を報せてある。

 しばらく魔族が動かない事。無理に攻め込まないよう、なるべく周辺国に渡りをつけて欲しいという旨も伝えてあるし、これをジーク侯爵さんやアメリア女王様に伝えてもらえれば、この状況をうまく利用して、人族は復興作業に時間を充てられる。


 いくら『星の記憶』を遵守しようとしたとしても、人族が追い込まれていたのは事実だ。

 わざわざここを攻め込むよりも先に、リジスターク大陸以外の大陸の奪還から始めなければいけない以上、動き出してからだって衝突は回避していられる。


 問題は――魔族の中の強硬派。


 いくらアルヴィナが指示したからって、いきなり戦争を止めましょうだなんて、そう簡単に魔族の全てが納得する訳じゃない。

 まして、事の発端は人族側が攻め込んできたからこそ始まった戦争だ、人族などこのまま滅ぼしてしまえば良いと考える者達もいる、


 最近はそんな強硬派とも言えるような魔族の説得に、なかなかに面倒な状況になっている――と、同じ部屋じゃなくなったにも関わらずに毎晩僕の部屋にやって来ては、僕のベッドを占領するアルヴィナがぼやいていた。


 僕がぼやきたいのは、どうしてそうも毎晩部屋にやって来るのかという点についてなのだけれど。


 ともあれ、あまり時間がないのは事実だ。


 今はまだアルヴィナの指示に従ってくれているけれど、これが続くとなるとさすがに抑えきれない部分。そこを〈管理者〉が突いてくる可能性もある以上、僕らに残されている時間はあってないようなものだろう。


 ――そんな事をつらつらと頭の中で纏めてぼーっとしていると、唐突にノックの音すらなく訓練場の扉が開かれた。


 ちらりと見えたのは、迫ってくる影。

 その向こうには、安倍くんと小林くんがを追いかけて駆けてくるのが見えた。


 身体の内側を走るような、強烈な悪寒。

 これは何度か味わった事のある――そう、殺気とも呼べるような代物。


 それらを感じ取ったとほぼ同時に、僕は体内の神力を無理やり動かし、空間転移によってニメートル程離れた位置へと移動。


 同時に、僕が今しがた眠っていたその場所に突き立てられた、鋭い刃。

 鉤爪――いや、鉈を思わせる、先端だけが異様に飛び出た肉厚な「L」字型の刃が足元の石畳を砕き、その場に突き立てられている。


 確実に生命を絶とうとした、唐突な闖入者。

 どうにか空間転移が間に合った事に安堵しながらそちらを見やると、安倍くんと小林くん以外に二人――見た事のない少女がそこには立っていた。


「困ったわ、エミリ。せっかくエミリを出し抜いたのに、仕留め損なうなんて」

「ズルいわ、エメリ。せっかくエメリに情報をあげたのに、勝手にやろうとするなんて」


 左右対称の色を持った長い髪を真ん中で分けている少女二人。

 頭頂部から右側が黒く、左側が白い髪の少女。瞳は紫色で、どこか眠たげな印象を受けるような目つきをしているエメリと呼ばれた彼女こそが、僕の眠っていたその場所に攻撃を仕掛けた張本人のようだ。

 僕がいた所で小首を傾げながら凶悪な鉈を抜き取り、こちらを見ている。


 その斜め後ろに佇む、右が白く左側が黒い髪の少女――エミリ。

 彼女はどうやらエメリとは真逆で、左側が黒髪で右側が白髪のようで、瞳は同じ色をしているらしい。


 どちらも白い髪のある方に、羊を思わせるような角が一本生えていて、それ以外はまったく変わらない顔立ち。左右対象に誂えられたような、ゴスロリを思わせる黒を基調にした白いフリルが特徴的な、ふわりとしたドレスを身に纏っていた。


 双子なのかな――って、いやいや。それどころじゃないよ。

 もしも今のを避けなかったら、間違いなく僕はそこで物言わぬ屍と化していたに違いない。


 何者かと誰何しようと口を開きかけ――そんな僕からあっさりと目を逸らして、エメリと呼ばれた少女はエミリを見つめて小首を傾げた。


「どうしましょう、エミリ。やっぱりもう一度私がやっていいかしら?」

「それはダメよ、エメリ。私だってやりたいのよ?」


 どうしようって、それはむしろ僕のセリフである。

 いきなり生命を狙われて、今更ながらに責め立てるような気勢を削がれたというか、何かを言う隙がないというか。

 というより、二人揃って僕をりたいと言っている辺り、救いがなさ過ぎるんじゃないかな……。


 ちらりと助けを求めるかのように、この二人を追いかけるように入ってきた安倍くんと小林くんに視線を剥ける。

 どうやら、なんとか止めようとしているらしいけれども、声をかけるのすら憚られる相手なのか、後ろでオドオドしてるだけだし。


 ……護衛としてクビでいいよね、これ。

 後でゼフさんに少し相談してみよう、うん。


「困ったわ、エミリ。だったら、本人に訊いてみてはどうかしら?」

「名案だわ、エメリ。どうせなら、本人に訊いてみる事にしましょう?」

「どっちも願い下げですけど」


 視線を向けられたので、とりあえずあっさりと答えてみせた僕。

 二人の少女は少しばかり目を瞠って――とは言っても、相変わらずまだ眠たげではあるけれど――お互いに顔を寄せ合った。


「どうしましょう、エミリ。どっちもお断りされてしまったわ」

「どうしましょう、エメリ。私もエメリもお断りされてしまったのね」

「――そこまでだ、リンダール姉妹よ」


 いつまで経っても終わりそうにない二人の話し合いを制したのは、さらなる闖入者。


 やって来たのは、一人の若いイケメン。

 綺麗な白髪に端正な顔立ちで、こめかみ辺りから「L」の字を思わせるような黒い角を生やした、執事服そのままといった服装の男の魔族。


 彼の名はヴィヘム。

 魔王軍の最高幹部であり、〈十魔将〉の長である。

 同時に、アルヴィナの右腕とすら呼ばれている男だった。


「あら、ヴィヘム。ご機嫌いかが?」

「あら、ヴィヘム。なんだか不機嫌そうね?」

「……この男は陛下の客人としてやって来ている。貴様ら姉妹の標的ではない」

「それはおかしいわ、ヴィヘム。私達の標的は人族よ?」

「その通りだわ、ヴィヘム。そっちのゼフの弟子は特別に許したけれど、そこの男は人族なのよ?」

「殺してしまった方がいっそ清々するというのは私も同意するが、陛下がそれを望まれておらぬ。陛下が望まぬ事をするというのなら――私が相手するぞ、リンダール姉妹」


 重苦しい程の殺気を放つヴィヘムと、それを受け止めながらも悠然と佇んだまま睨み合ってみせる、リンダール姉妹と呼ばれるエメリとエミリ。


 まさしく一触即発。

 危険極まりない二人組の少女と、〈十魔将〉最強の男。


 睨み合う三人が放つ、重苦しい空気がその場を包んだ。




 ――――その横をすり抜け、僕は安倍くんと小林くんのもとへと歩み寄り、にっこりと微笑んだ。


「二人とも、ゼフさんに鍛え直してもらおうね?」

「ちょっ、おまっ、この状況で堂々とこっち来て言うセリフがそれって!」

「無茶だって……! あの姉妹、〈十魔将〉の一角――『傀儡マリオネット』のリンダール姉妹だぞ……!? しかも極度の人族嫌いで、俺達なんかが声をかけたら殺されちまうって……!」

「あはは、大変だね。頑張ってね」

「前門の虎、後門の狼とはこの事だった……!」

「悠に護衛なんていらねぇんじゃねーかな……!」


 未だに睨み合う三人の魔族と、悶絶する二人。








 とりあえず――僕はそのまま触らぬ神に祟りなしという事で、自室へと戻る事にした。








「……えっと、何か用ですかね?」

「貴様があのタイミングでいなくなるからであろうが……! いや、今日という今日は言わせてもらうぞ――」


 部屋に戻った僕を追いかけるようにやってきた、ヴィヘム。

 心なしか疲れた表情を浮かべているようだけれど……まぁ、だからと言って僕も正面から対峙する気はない。


 ベッドの上でウラヌスを使って多数のウィンドウを展開していた僕は、僕を追いかけてやって来たらしいヴィヘムへと向き直り――もせず、ちらりと一瞥するだけで話を聞き流すつもりだった。


 だって、どうせ――――


「貴様。アルヴィナ様の美貌を前にして正気をどうやって保っていたのか、即刻私に教えろください」


 ――――……この通りなのだから。


 どうやらこの男、アルヴィナに憧憬と崇拝、それに恋心を併せ持っているらしく、毎回毎回僕の所に来るなり、こんな質問を投げかけてくるのだ。


 もっとも、質問に入るまでの流れが命令口調。


 人族の事は毛嫌いしているため、僕に向かって頭を下げたくない。

 けれど、アルヴィナに自分を見て欲しいという願望はどうにも棄てきれないらしく、プライドすら捨て去ってでも訊ねてくる。


 ……要するに、面倒臭い性格をしているのだ。


「大体貴様、下等なる人族の分際で偉大なるアルヴィナ様の寵愛を受けるなど、羨ま――言語道断。その栄誉ある身分を私に譲――身の程を知るがいいのだ」


 お分かりいただけただろうか。

 この人、いちいち言葉が面倒臭いのだ。

 話半分に聞いていないと、結局どっちなのさと素直にツッコミを入れなくちゃいけなくなる。


「素直に告白でもすればいいんじゃないですかね」

「バカを言うな。陛下に抱いているこの想いは、ただの恋心などという単純なものではない。もちろん愛して頂けると言うのであれば、私としても当然ながらに満を持して迎え入れる所存ではあるのだが。しかし私が抱いた想いは、そのような下賤な想いなどとは違う、もっとこう筆舌に尽くしがたいような――」

「どうでもいいんで、黙っててもらえますかね」

「……おのれ人族め」


 いや、人族とかどうのこうの以前に、ただただ単純にうるさいんです。

 そもそも僕、この世界のヒューマンですらないし、更に言えば人ですらないので、人族には当てはまらないよ。


 せっかく魔導具のロボット化計画なんていう、男の子の夢とロマンが詰まった兵器を作ろうとウラヌスとミミルと共に試行錯誤している最中だと言うのに、こんな風に面倒臭い喋り方で話しかけられ続けるのも、正直言って邪魔でしかない。


 仕方なく相手する事にして、僕はウラヌスに表示してもらったウィンドウを非表示の待機状態にしたまま、ヴィヘムへと視線を向けた。


「で、何が言いたいんです?」

「……ふむ。つまりだな、私がアルヴィナ様に振り向いて欲しくない訳ではないのは確かだが、それを貴様のような薄汚い人族風情に教えなどを――請うてたまるかッ!」

「もう一昨日来てください」

「フ、何を言っているのだ。過ぎた時間に来られる訳がなかろう?」

「そうですね。だから二度と来るな、と言ってるんですけど」

「……貴様、ずいぶんと面倒な物言いをするではないか。礼儀というものが分かっていないようだな」


 ……あなたに言われたくないですけどね。

 礼儀も何も、失礼極まりないのはむしろそっちなんだから。


「……しかし、まったく。よりにもよってリンダールに目を付けられるとは、貴様も面倒な事になったものだな」

「リンダール? さっきの双子の子ですか?」

「そうだ。〈十魔将〉の一角、『傀儡マリオネット』のリンダール姉妹。奴らは我ら魔族の中でも特異な存在だ。その実力も然ることながら、誰よりも人族を恨んでいる。それこそ、見かけるだけでも当然ながら、近くにいると聞けば殺しに行く程度には」


 だから、僕という存在を嗅ぎ付けて殺しに来た、という訳かな。


 あの二人の眠たげな瞳に宿る、仄暗い感情。

 見た目には似つかわしくない濃密な殺気とでも言うべきそれは、エキドナのようにじわじわと弄ぶ事を愉しむものとは違う、鋭利で、研ぎ澄まされたものだった。


 もしも僕がいつも通りにあの場で下手に挑発しようものなら、それだけで襲いかかってくるだろう事が判る程度には、二人はどこかおかしかった。


「これからはしばらく、私がなるべく貴様の傍についてやろう。さすれば、あわよくば陛下とも会える――光栄に思う」

「後半言い直した割に本音がダダ漏れてるだけなんですが」


 まぁ、僕にとっては好都合かもしれない。

 安倍くんと小林くんが手出しできない存在となると、僕には何もできないし。


 ……ただ、毎日のようにこのお小言ばっかり聞くのはちょっと……いや、凄く疲れそうな気がしないでもないけれども。



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