5-6 『神の卵』にできる事 Ⅲ

 ――僕が持つ〈加護〉は二つある。


 一つは、迷宮都市アルヴァリッドにある図書塔で、『叡智』を司る神であるルファトス様からもらった〈加護〉。ミミルを生み出せたのも、僕が魔導具作りをするようになったのも、この〈加護〉のおかげだ。


 もう一つは世界樹で、上級神と呼ばれる『精霊神』アーシャル様から。

 おかげでウラヌスが生み出せるようになって、【精霊化アストラル】を使う事でレベルが上がらない僕でも大きな魔力を使えるようになった。


 さて、そんな風にニ柱の神様から〈加護〉を与えてもらえた訳なんだけれども、それもあっさりとできた訳じゃない。

 何せ僕が持つ【スルー】は、そんな〈加護〉でさえもスルーしてしまうという徹底ぶりを発揮してくれたのだから。


 ともあれ、そんな神様相手にさえ発揮してしまう【スルー】というスキルだけれど、これまで〈加護〉を受け入れた経緯で気が付いた点がある。


 どうやら【スルー】は、僕が意識的に受け入れようと思えば効果は少し和らぐらしいのだ。


 もっとも、これは何もかもに対して使える訳じゃない。

 あくまでも〈加護〉を受け入れる際には、という条件がついているからね。

 それに存在力――所謂経験値に当たるものに関しては一切それができないというのだから、皮肉なものではあるんだけれど。




 さて、なんでこんな事を今更ながらに思い返しているのかと言うと。





 ――――場所は、魔王城の地下訓練場。


 魔族の上層部には存在が知られている訳だけれども、あくまでも全体に公表した訳じゃない僕の存在。

 そんなものが外に出て魔族と出会おうものなら、僕は間違いなく人族の斥候か何かだと勘違いされて、殺されかねないような状況だ。


 そういう訳で、外に出る訳にはいかない僕は、護衛に安倍くんと小林くんが部屋の外に待機している状態で、石造りの広い室内の中央に座り込んでいた。


「――僕を利用するつもりはないんだね?」

《フン。以前はともかく、今は利害関係が一致している。おかしな真似をするつもりはないわ》


 相変わらずどこか傲慢な物言いで、アビスノーツはかつてとは状況が違うのだと続けた。


 これから僕は、”邪神”と呼ばれるアビスノーツの力を受け入れる。

 それはこれまで与えられてきた〈加護〉とは少し違っていて、アビスノーツの力そのものを受け継ぐような形、とでも言うべきだろうか。


 僕が標的に定めた、〈管理者〉。

 世界の終焉なんていうフザけた目的を修正させる為に、僕は今以上の力を。純粋な戦闘力なんかはどうでもいいとして、そこに対応できるだけの力を手に入れる必要があるのだ。


 これまで意図的に、意識的にアビスノーツとの接触を最低限な範囲に留めていた僕だけれども、事ここに至っては手段を選んでいる場合じゃなかった。

 他の神様達からも〈加護〉を与えてもらえば良いのかもしれないけれど、神々が〈管理者〉に表立って逆らえないという可能性がある以上、それは難しい。


 だったら、”邪神”という物騒な名こそ持っているものの、どうやら元は普通の――と言っていいのか分からないけれど、神であり、僕と繋がっている彼女の力を得るのが一番だと、そういう結論に至ったという訳だ。


 その為に、お互いの意思疎通を図っている最中だった。


「ま、そういう事なら僕も言う事ないよ」

《へぇ……簡単に信じるのね》

「キミが言う通り、僕とキミは利害関係が一致してるからね。僕は〈管理者〉に立ち向かう為に力が欲しくて、キミは〈管理者〉に抗いたい。一応確認する意味で訊ねはしたけど、疑ってないよ」

《……フン。まぁいいわ、さっさと始めるわよ》


 話してみれば、アビスノーツは決して”邪神”の呼び名が相応しいような、そんな危険な存在とは到底思えない。


 むしろこれは、アイゼンよりもツンデレの可能性があるんじゃないだろうか。

 ちょっとだけ声が上ずっている事に、どうも本人は気が付いていないらしい。


 ――そんなくだらない事を考えてから、僕は改めて立ち上がった。


「ミミル、ウラヌス」


 呼びかけに応じるかのように虚空に浮かび上がったウィンドウと、それを操作するような操作パネルもどきを目の前に構えたミミル。

 頭の上には『粒子砲装填、カウントダウン!』とウィンドウを浮かべつつも数字を動かしているというミミルの芸の細かさを発揮している。


 いや、粒子砲なんて装填しなくていいし、全くこれっぽっちもそんなものは関係ないんだけれど。


 ミミルには今回、僕の常時発動状態の【スルー】を抑える為に、僕の力に干渉してもらう予定だ。僕が生み出した精霊であるミミルには、多少なりとも僕に対して干渉できるらしいからね。


 僕の足元に、ウラヌスが魔法陣をウィンドウ上で展開――地面に転写する。


 魔法陣として大地に描かれたそれに魔力を注げば、魔法系統のスキルがなくとも発動する事ができるのは、魔導具の魔導陣を使っている時と同じ原理だ。

 もっとも、今回使う魔法陣は、アビスノーツに指示されて描いたものだから、僕も見た事がない記号や文字が多く使われている。


 これはアビスノーツが得意とする魔法を増幅させるものだそうで、攻撃や防御に使うような類ではないらしい。


 ……それにしても、なんだか赤黒くて不気味な色合いなんだけれど。

 これ、呪いとかそういう類に見える僕は至って普通な感覚だと思うんだ。


《集中しなさい、雑念が邪魔よ》


 アビスノーツにツッコミを入れられ、一つ深呼吸。

 改めて、僕は一歩ずつ赤黒い魔法陣の中央へと向かって歩いて行く。


 ――『神の卵』。


 未完成な『僕』は、神の力を受け取りながら自分を補完して完成させていかなくては、消滅すらしてしまいかねない。加えて、〈管理者〉と対峙する為に、少なくとも普通ではいられない。


 僕が目指すのは、普通のレベル上げじゃ辿り着けないような場所。世界に適用されている、最初から〈管理者〉に定められている法則――レベルやステータスという概念の外側だ。


「さぁ、始めるよ」


 目を閉じて、意識的に【スルー】をどうにか押さえ込む。

 途端、僕は思わず眉間に皺を寄せて、歯を食い縛る事になった。


 以前『叡智の神』ルファトス様から〈加護〉をもらった時も、『精霊神』アーシャル様から〈加護〉を受け取った時も、こんな風に身体の中に何かがじわじわと広がっていくような、それこそ毒が回っているような感覚はなかった。


 不気味な感覚に思わず身体を強張らせかけて、それでも【スルー】の制御だけに意識を割いていく。


 ――疑わないのか、と。

 アビスノーツは何も言わないけれど、そんな空気を醸し出しているように思えた。

 目を閉じているから判然とはしないけれど、心なしかミミルまでもが心配そうに僕を見つめているような気がしている。


 だから僕は――大丈夫だと言葉にする代わりに、口角をつり上げてみせた。


 僕はアビスノーツを信頼している。

 この不快な感覚が一体何を意味しているのかは判らないけれど、それでも今の僕をどうこうしようとしているとは、到底思えない。

 僕とアビスノーツの間には、下手な信頼関係とは違う明確な利害関係の一致がある。だから、いちいち疑う必要なんてないのだと判断している僕は、間違っていないはずだ。


 自分の中にある確信を糧に歯を食い縛り続けている内に、身体の中を蝕むように広がっている何かは、スポンジが水を吸収するかのように徐々に深く深く染み込んでいく感じがする。


《――そこまでよ》


 アビスノーツの声が聞こえて、ウラヌスとミミルが僕の【スルー】を抑え込む作業を停止した。途端、僕の身体からは力が抜けて、思わずその場に倒れ込んでしまった。

 魔法陣が放っていた赤黒い不気味な光は消え去って、ゆらゆらと揺れる燭台に灯された炎の明滅だけが、薄暗い地下室内を照らしていた。


《とりあえず〈刻印〉を与える事には成功したわ》

「……何、これ……?」


 アビスノーツの言葉とほぼ同時、ちょうど立ち上がるべく目の前に手をついた右手。捲られた袖から覗いた腕には、魔導言語を思わせるような文字が刻まれた黒い魔法陣が描かれていた。


 ……いや、ちょっと待とうか。


 僕別にこういうのに憧れるタイプじゃないんだ。

 こういうのは今も外にいる安倍くんとか小林くんとか、そういうタイプが欲しがるような代物なんじゃないかな。


《私の力をそのままあなたに与える為の、契約の証とでも言うべきかしら。それを通してあなたに干渉する為に作ったわ》

「なんとなくは分かったけれど……」


 だからって腕に紋章とかは勘弁してほしい。

 マジックペンで書いてる黒歴史とか、そういう類にしか見えないんだけれども。


《聞きなさい。今私がお前に与えた力は、〈管理者〉が私を世界の狭間へと堕とした理由になった力。それがあるからこそ、〈管理者〉も私を無視する事はできなかったのよ。幸いにして、あなたの【スルー】とかいうフザけたスキルは私の能力との相性が随分と良かったみたいね》

「相性、ね……。一体なんの能力なのさ?」

《……私は元『時空神』。時と空間の法則を司る神よ。もっとも、〈管理者〉が『時空神』という存在そのものを危惧した以上、私の後釜には全く異なる、新たな上級神が収まっているはず。今では誰も『時空神』を司る者はいないでしょうね》


 どこか悲しげに、アビスノーツはそう付け足した。


 なるほど、確かに時と空間――いや、時を司る神なんて存在が〈管理者〉の意向に背くのは厄介なのだろう。せっかく定めた『星の記憶』さえ、時を操って未来を変えようものなら意味がなくなってしまうのだから。


 ともあれ、そういう意味なら確かに僕との相性も悪くはないのだろう。


 僕の【スルー】が持つ能力は、若者の造語としてされる「無視する」とか、そういった意味を持っている。

 それに加えて、【突き破る一撃】の”突き破る”というのは英単語の”through”が持つ意味から派生している。”すり抜ける”とか、そういう意味も持っているのだから、時間や空間を司る力は僕の【スルー】に近い性質だと解釈できる。


 あれ?

 もしかしなくても、これって実は凄いんじゃないかな?


《とは言っても、時間を遡って過去の世界に行くのは、あなたの力じゃまだまだ不可能よ。自力でそれをやろうって言うのなら、それこそ他の上級神からの加護を幾つも得て、『神の卵』から孵化でもしない限りはね》

「そっか。じゃあ、空間の転移とかはどうかな?」

《それもたかが知れているでしょうね。試してみたらどう?》

「どうやればいいの?」

《〈刻印〉に力を込めて。基本的にはスキルを発動するのと同じ要領だと思えばいいわ》


 なるほど。

 

 早速とばかりに改めて立ち上がり、目を閉じて――深呼吸してみる。




 ふ、ふふふふ。

 これで僕がそんな能力を得てしまったりしたら、もしかして役立たず最弱っぷりを卒業できたりしちゃうんじゃないかな……!


 もしかしたら、ようやく僕だって魔宝石ジェムとかそういうのを使ったりしなくても魔物を倒したりとか、そういう冒険者っぽいファンタジーっぽい事ができるようになったりするんじゃないだろうか。


 うん、ちょっと心が踊るね。

 何せ僕の最弱っぷりは幼女に負けるレベルだけれど、もしかしたら普通の冒険者以上に強くなっちゃうかもしれないしね。





「――いくよ……!」


 どうにも発動条件が掴みにくいけれど、それは慣れれば問題ないはず。








 そうして――僅かな浮遊感に襲われて。

 僕は成功を確信してゆっくりと目を開けた。








「……あれ? できなかった?」


 目を開けて辺りを見回してみたけれど、どうにもあまり動いているようには思えなかった。


 そんな僕と目が合ったミミルが、なんだか酷く申し訳なさそうな顔をしながらウィンドウを展開した。


『一瞬消えて動いたよ、多分五センチぐらいだけど』


 …………まぁ、そんなもんだと思ったよ。


《くっくくくく……!》

「何笑ってんのさ。今のは距離の指定が間違ってたからあまり動いてないだけかもしれないじゃない」

《いいや、違うな。お前が設定していた座標は間違いなく部屋の隅だろう。要するに、その距離が限界という訳で……ぶふっ、くくくく……!》

「……なんだろう。イラッとするよりも、むしろ予想通りだったりする自分が悲しいよ」


 なんだか凄い能力っぽいものを手に入れる度に、そういう希望がことごとく粉砕されてるような気がしてるからね……。


《まぁ、そもそも今のお前じゃ扱いきれぬ代物よ》

「その割には随分と楽しそうに笑ってたけどね」

《ふふふ、予想はしていたけど予想以上に使えなかったんだもの。しょうがないでしょう? そもそも、お前にはまだまだ神力が足りないもの》

「しんりょく?」

《神の力よ。『神の卵』であるお前には発動こそできても、まだまだ不十分ってところね。もっとも、この調子でお前に私の力を与え続けて慣れるか、お前の身体が壊れても構わないぐらいの力を流し込めば、或いはそれなりの効果は期待できるかもしれないけれど》

「うん、気長にいくよ……。どれぐらいで使い勝手が良くなるものなのかな?」

《さぁね。相性も悪くないのだから、数年もかからない程度ではないかしら》


 数年もかからないって、一年ぐらいはかかるみたいな裏があるような気がしてならないんだけれども。


《焦っても意味がないわ。時間をかけて神として完成させる以外に方法はないのだから》

「そうは言っても、〈管理者〉が動き出しかねない以上、あまり時間をかけるのはどうかと思うんだけど」

《そうでもないわよ。戦争で膠着状態を生み出せば、必然的に時間は生まれるもの》

「でも、それを知った〈管理者〉が手を打ってきたら?」

《いいえ、それは無理よ。そもそも、人にとっての時間と神や〈管理者〉にとっての時間は、全く違う。『星の記憶』があなたの行動によって阻害されて変更していると言っても、それは〈管理者〉が直接『星の記憶』を改竄している訳ではないのよ》

「ん……? どういう事?」

《『星の記憶』はあくまでも、〈管理者〉が定めたルールに則って自動で動くようになっているのよ。わざわざ〈管理者〉が直接動いたどころか、そもそも〈管理者〉はこの状況に気付いていない可能性すらあるのよ》


 なるほど。

 もしも『星の記憶』が独断で自動的に答えを導いているのだとすれば、そこに〈管理者〉が関与しなくても『星の記憶』は変わるという事だ。

 もしかしたら、アビスノーツが言う通り、〈管理者〉がまだ改竄された『星の記憶』に気が付いていない可能性もあるというのも理解できる。


 そんな可能性を口にしている割に、アビスノーツの物言いはどこか投げやりというか、悔しさを滲ませているかのようで、なんだか違和感が拭えない。


 訊ねるべきかどうか逡巡している僕の気持ちを察したのか、アビスノーツは一つため息を吐いてから改めて続けた。


《一つ教えておいてあげるわ。〈管理者〉は絶望を突き付けて楽しむタイプなんかじゃないわ。むしろ絶望という名の刺激を与えて、それでも抗い続けるような姿を見る事に愉しみを抱く、そんな存在よ》


 ――だから、私はのだ。

 そう付け加えたアビスノーツの言葉は、自嘲めいたものすら含んでいた。


 時間と空間を操るというアビスノーツは、『星の記憶』に対抗する手立ての一つだったはずだ。その唯一の手段を、『消さずに隠した』というのが〈管理者〉の厭らしいやり口だったという事かな。


 表向きには〈管理者〉に逆らえない神。

 何も知らないまま、欲望を後押しされて攻めてくる人族。

 このまま戦えば死が、破滅が待っていると知りながら抗う魔族。


 そんな悲劇を、〈管理者〉は愉しんでいるという訳だね。


「……さて、続きをやろうか」

《無理しても意味がないって言ったはずよ?》

「無理をするも何も、どこまでが無理なのか分かってないからね。もしかしたら、もっと早く神力とやらを手に入れられるかもしれないんでしょ?」

《……分かったわ。但し、私の判断で止めさせてもらうわよ》


 そもそも気に喰わない存在だったけれど、この話を聞いて確信したよ。


 もはや大義名分も要らない。

 単純に、明快に。


 どうにも〈管理者〉は、僕が大嫌いなタイプみたいだ、と。


「『神の卵』にできる事が限られてるっていうなら、さっさと殻を破ってみせなくちゃね」


 ――この力が、きっと切り札になる。

 そんな確信めいたものを胸にしながら、僕とアビスノーツのやり取りは続いた。




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