5-3 世界の管理者 Ⅲ
微妙な空気に包まれた、テオドラの私室。
まぁ原因は、あっさりとノーを突き付けた僕にあるのは否めない。
僕の答えを反芻しつつ噛み砕いているらしいテオドラの視線は、相変わらず白黒している。
そんな視線を真正面から受け取りつつも、僕は僕で齎された情報を整理したり、それに付随して浮かび上がった疑問を頭の中でピックアップしていく。
僕が生み出したミミルとは異なる、もう一つの精霊――ウラヌス。
実体を持ち、喜怒哀楽のはっきりしているミミルとは違って、どちらかと言うと無機質で機械的と言うべきか。感情を抜きにして、徹底的に明快さを求めた僕の精霊であるウラヌスは、テオドラが告げた言葉を羅列させつつも重要そうな情報を整理してくれている。
今現在ウラヌスが表示している、虚空に浮かび上がった半透明の青白いウィンドウ。これらを可視化させる事もできるけれど、さすがに今は可視化させられる状況じゃなかったりもする。
『――告。魔王を討つ事のみで全てが片付くのなら、それを推奨します』なんていう物騒な言葉を映し出しているしね。
――――ともあれ、だ。
僕がテオドラが望む魔王アルヴィナの討伐による、『星の記憶』の改竄をあっさりと拒否したのには、当然ながらに理由がある。
それを口にするよりも先に、僕はテオドラから聞かされた情報にはなかった、幾つかの疑問をぶつける事にした。
「そもそも、人族が攻め込んだからこそ『星の記憶』は魔族を滅ぼす未来を選んだんですか?」
「……それは……」
「――それとも、人族が魔族を攻撃するようになったのは、『星の記憶』に従ったから、ですか?」
「――ッ!」
冷静沈着を装うテオドラも、さすがに先程から僕の言葉に揺さぶられてしまっているせいか、隠しきれなかったようだ。ピクリと彼女の眉が動いたのを、僕は見逃さなかった。
僕の問いかけにはただ順番を確認するだけの意味合いが含まれている訳ではない。
もしも後者であると言うのなら、その『星の記憶』を人族側に齎せたのは誰か、という話になる。そして当然ながら、『星の記憶』を伝えられる存在となれば、それが誰かは自ずとハッキリする。そう、〈星詠み〉だ。
今のテオドラの反応は、紛れもなく後者に対する肯定。
要するに、テオドラであったにせよそうではないにせよ、〈星詠み〉に告げられた『星の記憶』に従った人族が魔族を攻め、魔族は滅ぼされる未来を確定させられたのだろう。
痛いところを突かれたとでも言いたげに、テオドラは観念した様子で一つため息を漏らしてから、ようやくまともに口を開いた。
「……私達〈星詠み〉は、人族であろうが魔族であろうが、どちらかに肩入れするような立場にはありませんでした」
「あくまでも『星の記憶』に忠実で、中立な立場だった、と?」
「その通りです。我々は国にも属さぬ集落に棲まう一族でした。とは言え、魔族がどういった存在かを知るまでは、自分達は人族であるという事ぐらいは当然ながらに認識していましたが……特に人族に対して帰属意識があった訳でもありません」
なるほど。そもそも〈星詠み〉と呼ばれる者達は、どうにも世俗とは関わらない立場だったらしい。そんな在り方を覆したのは、やはり魔族の滅亡を確定させた『星の記憶』のせいなのだろう。
テオドラ達〈星詠み〉が予言したがために追いやられる魔族。
そこに罪の意識があったからこそ、〈星詠み〉は魔族を救う事を決意し、魔族側への助力を始めたようだ。
そこから『星の記憶』に従う事で、一時は魔族が人族側を追い込んだ。
けれど――僕というイレギュラーが『星の記憶』を尽く狂わせた。
神々にとってもイレギュラーであり、加護でさえなかなか与える事さえできない僕という存在は、どうやら〈管理者〉ですら『星の記憶』通りに物事を運べなくさせる存在であるのは、もはや疑うべくもない。
「じゃあ、話を戻しましょうか」
「はい……?」
「魔王アルヴィナを討つ以外に『星の記憶』を覆す方向について、です」
「え……? で、でも、先程、そういう重いのはパスだと……」
「そういう方向の答えをパスしてるだけですよ。僕だって、クラスのみんなやこの世界の人達を見殺すつもりはないですし、そもそも何かしなくちゃ僕だって死んじゃうじゃないですか」
せっかくこうして得た、第二の人生とでも言うべきか――厳密に言えばそれも少し違うけれど――今生だ。思い通りに物事が運ばないから消すなんて、そんな子供の癇癪みたいな真似をされるのは僕だって御免被りたい。
「『星の記憶』を覆す方法はあります」
「あるんですかっ!?」
「単純な話ですよ。そもそも戦争を終わらせてしまえば――アルヴィナが戦うような状況には陥らないんです。世界の終焉がアルヴィナの暴走がきっかけだとするなら、その理由を取り除いてしまえばいい」
「それはそうかもしれませんが……。ですが、そうなればきっと、戦わずとも陛下の暴走が始まる可能性が……」
「でしょうね。そもそも戦争を終わらせるのだって簡単じゃないですけど」
すでに人族と魔族の溝は深く、そう簡単に収まる問題じゃない。
それぐらい僕だって承知している。
よしんば戦争を終結させたとしても、テオドラが言う通り〈管理者〉が『星の記憶』を修正し、アルヴィナを暴走させてくる可能性だってあるんだし、そう簡単にはいかないだろう。
明らかに落胆してみせたテオドラに対して、まだ話が終わっていないんだけれどもと思いつつ苦笑を浮かべ、僕は続けた。
「まぁ落ち着いてください。恐らくですけど、〈管理者〉にとって一番厄介な相手は、これまで『星の記憶』をスルーし続けてきている存在――僕自身です。きっとこれから、『星の記憶』を修正するより先に僕を処分する事を優先してくるはずです」
いざという時、〈管理者〉がシナリオ通りにアルヴィナを暴走させようとしたとしても、その近くに僕がいる。これまで『星の記憶』を狂わせてきた存在が、世界の終焉とやらの一手に用意したアルヴィナのすぐ傍に。
せっかく用意した詰めの一手とも言えるような存在の横に、不確定要素を多分に含んでいる僕という存在がいるのでは、〈管理者〉とやらとて動けないんじゃないだろうか。
あくまでも〈管理者〉とやらが常識的に行動すると仮定して、だけれども、可能性としては僕の排除を優先する確率の方が高い。
「つまり、僕がアルヴィナの近くにいる限りは時間が稼げるんです。その間に打てる手を打ってみればいい」
「打てる手……?」
「人族との争いの規模を縮小させ、膠着状態を生み出します」
「膠着状態、ですか?」
「えぇ。手始めにリジスターク大陸から手を引きます」
すでに魔族はかなりの大陸を支配している。
ファルム王国のあるリジスターク大陸は、エルナさんから教わった知識によれば人族の生息圏で残された大陸の中でも大きく、人族にとっては最後の砦と言っても過言ではない。
このまま攻め続けたりしようものなら、〈管理者〉が動かずとも神様達が動き始める可能性だってあるだろう。
個人的にも、エルナさんやクラスのみんながいるリジスターク大陸をこのまま攻められては、僕だって落ち着かないからね。
この世界の航海技術は、地球で言うところの中世から後世ヨーロッパ程度。海を渡るのはそう簡単にできる事じゃない。魔族がリジスターク大陸から手を引いたところで、リスクを背負ってまで追撃してくるとは思えないし、リジスターク大陸の復興を優先するはずだ。
まぁこの辺りは僕が『冒険者カード』を使ってエルナさん達に手紙を転送して、アメリア女王様達にも復興を優先する事と、魔族がしばらくは攻め込まない旨を伝えてしまえばいいと思うしね。
そういえば無事だとか、そういう伝言もまだ送ってないんだった。
……僕が悪い訳じゃないけれど、怒られそうな気がする。
「その間に、人族との停戦交渉を進めます」
「停戦? 終戦ではないのですか?」
「さっきも言った通り、いきなり終戦しようとしても抵抗は大きいでしょうし、お互いに心情的な溝も深いですから。もっとも、一度停戦してしまえば開戦しようとは思いにくくもなるでしょうけど」
いつの時代も、戦争なんてものを喜んでやりたがるのは利益を得られる人達だけだ。村や町で暮らしている平民にとっては、何よりも平和がいいに決まっている。ファルム王国の人達はそういう類の考え方はしていないだろうし、そういう意味では信頼できる。
「その間に、人族との間に確かなパイプを作る必要があるでしょうね」
「……確かにそれをすれば、再戦は難しくなるでしょう。ですが、それは不可能です」
「不可能?」
訊ね返す僕に、テオドラは神妙な面持ちで頷いた。
「我々魔族は、神々によって敵対すべき存在であると人族側に周知されています。神々の決定に逆らってまで、人族側が我々と手を組むとは考えられません」
「神様が?」
確かに、もしもテオドラが言う通りだとするならばそれは厄介な問題だろう。
けれど……それはちょっとおかしい気がする。
そもそも神にとって魔族が本当に滅ぼすべき存在だったのなら、召喚された僕らがこうも戦闘能力のない構成になったりなんていう状況を許すのかな。むしろ僕が神の立場で、本当に魔族を滅ぼすべきだと考えているのなら、僕らのスキル構成を戦いに特化したものに変えるだろう。
それができないのなら、後方支援なんていう役に立つかどうかも分からないような召喚をさせるぐらいなら、もっと戦闘に特化した人達を召喚させればいい。
そうしない理由があったのか、それともそれができない理由があったのか。
こればかりは憶測の域を出ない気がしなくもないけれど。
――だったら、別に憶測ばかりで考えなくたって、聞いてしまえばいい。
「……話を聞かせてもらえるかな」
「はい?」
「あぁ、あなたじゃなくて――アビスノーツ。聞いてるんでしょう?」
僕と繋がっているとされる、邪神。
彼女が例え沈黙を守っていたとしても、僕らの話を聞いている事ぐらいは僕にも判った。
◆ ◆ ◆
私が旦那様を、ユウという勇者を知ったのは、テオの一言のおかげだった。
半ば自棄になりかけていた私に、「『星の記憶』に抗える者が見つかりました」と彼女にしては珍しく興奮冷めやらぬ状態で声をかけてきてくれたのは、私の力に心酔していたエキドナが倒された日の事だった。
この世界を牛耳るのは、人族でも魔族でもなく、ましてや神ですらない。
それは、『星の記憶』を操る〈管理者〉。
神を含めて、私達はさしずめ〈管理者〉が眺める盤上の駒でしかない。
そんな事実を受け止めながらも、守るべき魔族の滅亡の未来を変えようと動き、けれどその度に魔族の滅亡を突き付けられていた私の心は、半ば諦念に埋め尽くされようとしていた。
そんな私が再び前を向いて歩き出せたのは、旦那様の存在があったからだという事を、きっと旦那様は知らないだろう。
……知らなくて、いい。
知られてしまって、もしも同情で寄り添わせてしまうようなら。
旦那様の足枷になってしまうような無様を晒したくはない。
私が消える事で皆を守れるというのなら、私は甘んじてそれを受け入れるつもりだ。
本当なら憎まれて、そのまま殺してくれた方が良かったけれど。
そんなの悲しすぎるから、だから私は愛する事にした。
一方的で利己的で、あまりにも自分勝手な愛情を注ぐ事を決めた。
――希わくは、旦那様が魔族のみんなを私がいなくなった後に守ってくれないかと、そんな淡い期待を抱きながら。
なのに、ね。
――「そうですか、行ってらっしゃい」。
敬語のようでまったく敬って聞こえないというのも、なんだかおかしな気分ではあったけれど……私にしては珍しくも、ついつい感傷に浸らずにはいられなかった。
耳朶を打った旦那様の言葉は、今も私の胸の中を温かな気持ちで満たしてくれていた。
――――魔王。
絶対的なその立場に位置する私に対して、そんな簡単な言葉を当たり前のようにかけてくれる存在がいない事を、旦那様は知らない。
立場や環境が違えば、誰かにとっての当たり前が当たり前じゃないなんて事はいくらでもあるけれど、私はそんな旦那様の当たり前が、温かくて嬉しかったのだ。
緩む頬、弾む足取り。
これから大事な会議が待っていると言うのにこんなにも心が軽やかな気分になるのは、もしかしたら私にとっても初めてかもしれなかった。
もしかしたら、私は自分で思っている以上に旦那様に惹かれているのかもしれない。
そんな益体もなく、だからと言って決して口にできない想いを押し殺しつつ、私は扉を潜った。
「――待たせたわね」
一室に集まった、私が信頼する部下達。
部屋の中へと入ってきた私を見て頭を下げるものの、やはりと言うべきか、私の右腕である若き実力者――ヴィヘムは、どうにも腑に落ちないといった表情を浮かべているらしい。
いや、どうもよくよく見てみれば、他の皆も似たようなものだ。
……まぁ、私だってさすがに今回ばかりは、こんな顔をされてしまうのも仕方がないかなとは思うけれども。
……やれやれ。
一つため息を吐いてから、私はヴィヘムへと視線を向けた。
「何か言いたい事があるのなら、言ってもいいのよ?」
「……では言わせてもらいましょうか、陛下」
「別に遠慮して言わずに呑み込んでくれた方が、私は嬉しいけれど?」
「いいえ、言わせてもらいます。突然この場所を離れたかと思いきや、よりにもよって我々魔族にとっての最重要危険人物である『異界の勇者』を――それも、『星の記憶』を狂わせている張本人であるユウ・タカツキをこの魔王城に連れて来るなど、何をお考えなのですかっ! だいたい陛下は――」
あーあー、きーこーえーなーいー。
そんな風に耳を塞いでしまえれば気楽なのだけれど、そんな真似をしたらヴィヘムは烈火の如く怒り狂うに違いない。
長年の付き合いがあるヴィヘムの小言の長さに辟易としつつ、私は話を聞いているフリをしながら腕を組み、目を閉じていた。
いや、確かにヴィヘムの言う通りだとは思うのよ。
今回の私の行動――即ち、旦那様をフォーニアへと迎えに行ったのは、誰にも知らせずに動いた、私の勝手かつ突発的な行動だったもの。
テオに教わった『星の記憶』に従い、フォーニアに繋いだ〈門〉。
しかし旦那様の力によって〈門〉は崩壊しかけ、あのまま放っておけば旦那様に会う事すら叶わずに〈門〉は閉じられていただろうし、それについては特に後悔なんてしていない。
だって、せっかく旦那様に会えそうだったんだもの。
あのチャンスを逃したら、次に会えるのはいつになるか判らなかったんだから、それなら動いてしまった方がいいじゃない。
――なんて、そんな事を口にしようものなら、また魔王としての自覚が足りないとかお小言が増えそうだから言えないけど。
でも、まさかあんな怪我をして倒れてるなんて思わなかった。
あのゴミを殺してやろうかと思ったけれど……旦那様は、思っていた以上に弱くて、あのままじゃ死んでしまってもおかしくなかったし、それどころじゃなかったのが悔やまれる。
そして――恐らくは旦那様の仲間であろう、あの時会った青髪の小娘。
私はあの小娘に、きっとだけれど嫉妬した。
旦那様の近くにいながら、旦那様が傷つくような事態を見過ごしてしまうなんて、と。
あれは旦那様を守るには、力が足りない。
いつか必ず、〈管理者〉は私と旦那様を狙ってくるはず。
力が足りない者は、足手まといにしかならない。
「――聞いてますか、陛下?」
「うん、聞いてなかったわ」
「…………はぁ」
ヴィヘムのお小言は終わったらしく、私も思考を止めて意識を戻した。
「さて、ヴィヘムのお小言も終わった事だし、そろそろ始めましょうか」
「――その前に一ついいか?」
私の言葉を遮るように声をあげた男――筋骨隆々の肉体を持ち、子女の身体ぐらいはあろうかという大剣を扱う、豪剣の使い手。
彼は――ゼフは、私をまっすぐ見つめて口を開いた。
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