4-5 ヨロズ屋、始動

 王城の敷地内に併設された、騎士団の詰め所。

 訓練場を裏手に構えた騎士団塔と呼ばれる塔の一室では、騎士団の副団長――コンラート・フォン・グレルマンが書類に目を通しながら、内心では諦念にも似た気分を抱きながら嘆息していた。

 彼の手には王都内で相次いだ器物破損事件について書かれた報告書が握られており、今現在この詰め所の地下に連行されたという孤児院にいる少年――パウロが行ったとされているが、未だ自白はしていないとして締め括られている。


「……まったく、頭が痛い」


 基本無口であり、無骨な武人を思わせる容姿のコンラート。見た目からは冷酷無比にも見えるような容貌をしているのだが、彼の性格は実際温厚で優しい男である。

 そんなコンラートは、今回の捕物が冤罪であるだろう事に気が付いていた。


 パウロを捕まえたと報告書を提出してきているのは、この騎士団の団長であるヴェルナー・エルバムの息がかかった、伯爵家の次男坊だ。その男にヴェルナーの、延いては公爵家が筆頭となる貴族家の意向に逆らえるはずもなく、いっそ役に立てる自分にどこかしら酔い痴れているような節さえある。

 自分が騎士団長であるならばまず即座に首を切るであろうの中の一人だとコンラートは考えている。


 コンラートの家――グレルマン家は伯爵家ではあるが、あくまでも中立派だ。

 レーヴェレンツ辺境伯を筆頭とした中立派は、国王派と貴族派のどちらにも与するつもりはないが、今の貴族派のやりたい放題ぶりにはほとほと困り果てており、心情的には国王派に寄っていると言っても良かった。


 ――――先王は突如として体調を崩してしまい、初夏を迎える頃に崩御された。


 アメリア元王女は先王の意思を継ぐ形で王位を継承した形となったのだが、当時貴族派は、「アメリアが先王に毒を盛り、王位を簒奪したのだ」と噂を流した。が、結果は見事なまでに失敗に終わった。

 悠の提案によって国王派であったジークらが動き、聖教会を味方につける形となったアメリアに対し、世情は肯定的な態度を一貫したのである。


 更に追い打ちをかけるように、ちょうど悠らがエキドナを討伐したという発表もあった。

 女神の意思を受けて異界から勇者を召喚した王女が、希望の象徴である王になるという筋書きは崩せるはずもなく、あくまでも侍女の噂話や民衆の間での与太話か、はたまた真実通りに貴族派が嫌がらせで流しているのだろう、としか受け止めてもらえなかったのだ。


 そうなってしまえば、当然ながら貴族派は口を噤むしかなかった。

 新女王であるアメリアによって国王派は勢いづき、貴族派とのパワーバランスは完全に国王派に傾いてしまったのだから。


 そこで中立派は国王派に流れるかと思われていたが、レーヴェレンツ辺境伯はこの状況で貴族派を完全に淘汰する事に異を唱えた。


 確かにこの状況ならば貴族派の力を封殺する事はできるが、そうして貴族派が消えてしまえば、今後の王国の未来を考えた際にあまりに危険過ぎる、と。

 敵とまではいかない異なる派閥が存在していれば、自らを律する抑止力にもなる上に、互いに襟を正す相手ともなる。

 今代のアメリアは女王としての素養や資質的には問題ないが、二代三代とそれが続く訳ではない。長期的に見て、短慮を起こしてしまえば愚王が生まれた際に国が傾きかねないのだ。

 そういった声もあって、貴族派はこの半年近く声を潜める形となりつつも、それでもしぶとく生き残っていたのだが――騎士団内は以前とそう変わりないというのが実情である。


 元々選民思想が強い貴族派の者達によって守られてきた騎士団は、ある意味では同族しか近寄らせない。青い血を持ち、貴族として相応しい出自の者だけを優遇する。なのに、同じ貴族であっても貴族派でなければ敵視する始末だ。そうして築かれてきた騎士団内は、はっきり言って貴族派そのものの縮図であるとさえ言える。


「下手に動く訳にはいかぬな……」


 コンラートもまた、パウロという少年をどうにか助けてやれないものかと思わずにはいられない。

 当然ながら、コンラートが強権を発揮してしまうのも不可能ではない。ないが、極力貴族派と決別するような事態は避けなくてはならないのだ。貴族派の内情を知るには、ある意味この騎士団の副団長という立場は都合が良い。

 たった一人の少年の命と天秤にかけた時、例え不本意であるとは言え、この立場を捨て去ってでも助けられるかと問われれば頭を横に振らざるを得ない。




 ――――そんなコンラートのもとに、予期せぬ来訪者がやってきたのはその時であった。




「ちわーっす、ミカサ屋でーす」

「……誰だ?」


 ノックをしたかと思いきや、返事もなく扉が開かれた。入ってくるなり軽妙な声色で、さも親しい顔見知りかのような挨拶をしてきたのは、何やら見慣れないまだ若い青年であった。

 錆色の髪に同じく赤茶色の瞳、それにどこか薄い顔立ちであるその青年は、特に気後れするような素振りも見せずに執務室内へと入り込むと、後ろ手に扉を閉めた。


「えーっと、コンラート・フォン・グレルマン様でお間違いないッスかね?」

「何者だ?」

「ミカサ屋ッス」

「……だから、それが何かと訊いているのだが?」

「あっれー? この掛け声にこのフレーズって、誰しもが一度は聞いた事あるはずなんッスけどねー。ちなみに俺っちの名前はジロちゃんッス。三じゃなくてニなんで、そこんとこよろしくッス」

「……何を言っているのだ、貴様は……」


 当然ながらコンラートには何が言いたいのかなど分かるはずもなく、この世界ではまず通じないであろうネタである。この世界にテレビもなければ、日曜日の夜に誰もが一度は通ったであろう、某国民的テレビアニメを観て休日の終わりを実感するような事があるはずなどないのだから。


 しかし、それを男がいちいち気にするはずもない。

 自らを「ジロちゃん」と名乗る男は、一枚の手紙を手に取った。


「今日の商品は、『手を出したいのに出せない、そんなあなただからこそできる、たった一つの方法』ッス」

「……なッ!?」

「おっと、他言は無用ッスよ? そちらさんの事情は筒抜けッスから」


 思わず、コンラートは机の横に立てかけておいた己の剣をちらりと一瞥してから視線を戻し――次の瞬間には凍りついた。


 いつの間にやら取り出された、組み立て式の槍を手に取っていたジロちゃんと名乗る男の目からは冷たい光が向けられており、もしも剣へと手を伸ばせば、即座に自分の喉元を貫かれるような、そんな気がしたのだ。


「下手な真似はしない方がいいッスよ、コンラートさん。何もこっちも、おたくと争いたいって訳じゃあないッス」

「……その槍の技量。貴様――いや、貴殿は、まさか……」

「さて、なんの事ッスかね? 今の俺っちはミカサ屋のジロちゃんッスから。他の何者でもないッスよ」


 ――それ以上詮索しようものなら、どうなるか分かっているな?

 言下にそう告げられたような気がして、コンラートは部屋を出て行く男を見送るまで一切の言葉も発せず、やがて力なく椅子の背もたれに身体を預けた。


 圧倒的な力量差。

 レベルだけではなく、潜り抜けた修羅場の数そのものが遠く及ばないような、そんな感覚を味わったのはいつ以来だったか。ぐっしょりと冷や汗に濡れた身体は今もまだ極度の緊張に支配された重みから脱しきれていないようで、まるで疲れ果てるまで長い長い距離を駆け抜けた後のように、身体にはうまく力が入らなかった。


 それでもコンラートにも矜持というものがある。

 このまま暫く動きたくないような気さえしたが、それでも意を決して身体を起こし、男が置いていった一枚の手紙を、震えそうになりながらも指先に力を込めて手に取った。


「……これは……」


 手紙と思われていた封筒の中身は、備品搬入の許可申請であった。

 実際、備品搬入の許可申請はコンラートの元へと届き、いつもコンラートが許可を与えている。恐らく男はその経緯を知っていて自分に接触してきたのだろう、とコンラートは確信を抱かされた。


 ともあれ、事情が筒抜けだと言うのなら、己の信念を曲げずに済むと言うのなら、この手に乗らない訳にはいかなかった。


 コンラートは机の上に置かれた、いつも以上に重く感じられて仕方がない承認印を押すと、自らの正義を自らの手で裏切らなければならないという一つ重圧から解放されたような気がして、思わず口元を緩めるのであった。










 ガラガラガラと音を立てながら進む荷車。それを牽いているのは、まだ若い青年の二人組であった。

 二人と共に荷車の上に乗っている一人の少年も、その横にいる〈森人族エルフ〉も、さらには荷車に付き添って歩く二人の女性もまた同年代といったところだろう。


 六名の男女。

 その服装を見た王城の門番は、「あれは制服の一種なのだろう」と納得した。

 全員が全員、下半身から上半身まで覆える服――所謂ツナギとでも言うべき服装――に身を包んでおり、背中には見知らぬ模様――「¥」のマーク――が丸の中に描かれている。


「どーもー、ヨロズ屋でーす」


 荷台に乗った銀色の髪に青い瞳をした中性的な顔立ちの少年が、門番に向かって声をかけつつ、荷車から飛び降りた。


「えぇっと、ヨロズ屋?」

「えぇ、そうなんですよ。色々な商品を取り扱っております、我らがヨロズ屋どうぞご贔屓に――って事で、はいこれ」


 ちゃっかりと店の宣伝をしつつ、銀髪の少年はにっこりと笑いながら一枚の紙を手渡した。


「どれどれ……。あぁ、通達は受けてるよ。騎士団塔への納品だな?」

「そうなんですよー。あっ、門番さんも試してみます?」

「試すって、何をだ? 今回の納品は備品としか聞いてないが」

「えぇ、えぇ。備品と言えば備品でしょうねぇ。なんせ、色々と使い道がありますからねぇ」


 ニヤリ、というよりも、いっそニタリと笑って銀髪の少年は門番に耳を貸すようにちょいちょいと手招きする。

 好奇心を煽るような少年のやり口に、門番も普段ならば特に気にしたりはしないものだが、なんとなく乗せられるような形で背の低い少年の口元に耳を寄せた。


「実はですねぇ、あそこの荷台に載ってる品々は、ちょいと変わり種でしてね?」

「ほう?」

「遠い国では、大人のアレな事情で使われたりする道具でもありましてね? いやいや、まさかこの王国の王城で、あのような使い方はしないって事ぐらいは分かっちゃいるんですがねぇ。ただ、ちょいとが好きな方には堪らない一品なんかもありまして」


 くつくつと笑いながら言われた商品の説明に、門番は僅かに顔を顰めた。

 大体のところ、少年の言わんとするところは理解できたのだろう。要するに大人の情事で、少々危険というか特殊というか、そういったものが好きな者に使う道具。それでありながら、なかなかに貴族派の黒い噂が絶えない騎士団塔に納品される備品となれば、なんとなく想像がついたのだ。


 要するに、この連中が運んできた道具とはつまり、拷問用の器具だろう、と。


「悪いが、俺はそういう商品には興味ないな」

「ほうほう、門番さんはかなりな御方のようで」

「……そういうお前は、見た目とは裏腹にずいぶんと腹黒いようだな。もういい、さっさと行け」


 ジロリとまるで汚いものでも見るかのような目を向けられて、銀髪の少年は肩を竦めてみせた。


「おやおや、嫌われてしまいましたかね? まま、ご入用でしたらいつでもヨロズ屋までお越しくださいな」

「さっさと行けっ!」


 門番の男としても、この見た目とは裏腹に若い商人達がまさかそんな品を用意してきたというのも意外であったが、何よりこの少年の得体の知れない薄気味悪さのようなものを感じ取ったようだ。

 いずれにせよ、備品の搬入許可は正規のものである以上、個人的感情では蹴っ飛ばして帰らせてやりたいところではあるのだが、それをすれば騎士団側に何を言われたものか分かったものではないし、さっさと行かせる事にしたのである。


 再び少年を荷台に載せて、荷車を牽いた男達が何も言わずに歩き出す。とは言え、去り際にも少年だけは相変わらず腹黒い笑みを門番の男に向けてニタリと笑っていたのだが、門番の男はその笑みと目を合わせるのも懲り懲りだとでも言わんばかりに、しっしと手を振って顔を逸らしていた。


 しばし無言で進んでいた荷車であったが、ゆっくりと速度を落として周囲に誰もいない事を確認すると、荷車の横を歩いていた金色の髪に淡い緑色の瞳をした一人の女性が、荷車の上にいる少年へと目を向けた。


「……ユウ様、いくらなんでもあれは……」

「あれぐらいやっておけば、僕らの顔をしっかりと見たくもなくなるだろうし、僕以外の顔なんて気にしなくなるだろうと思ってね。予想通り、あの門番の人、最後には僕らを視界にすら入れないようにしてたじゃない」

「悠の演技、黒い」

「だな。俺なんて顔見られただけでバレるかと思ってビクビクしてたってのによ」

「ユウさん、悪人感に磨きがかかりましたねっ」

「……スキル無しであの演技力は見習いたい……」


 何やら自由な感想を口にする面々に、銀髪の少年――悠はにっこりと笑みを浮かべた。


「みんなが思ってた以上に緊張してたからね。ちょっとやり過ぎなぐらいがちょうど良かったんだよ」

「そりゃ緊張するだろうよ。だって、俺ら、なんだし」


 そう、この一行は勇者一行――真治に昌平、咲良にリティ、そしてエルナと悠である。


 ――――事の発端は、昨日の――孤児院でのオフェリアとの話し合いであった。


 悠が口にした強引な手口を行うため、屋敷へと帰った後、エルナがジークを通じてアメリアに事の発端を説明。騎士団の状況に手を打てるのならと賛成した二人の後押しもあり、昌平があらかじめ騎士団の良心とでも言うようなコンラートに接触。同時に、悠が魔導具を用意して、本日は敢行に及ぶという、まさに電光石火のような一連の動きによって、この状況が作り上げられたのだ。


「目と髪の色っていうのは、かなり印象が強いからね。それを変えただけで顔にピンと来ない人は多いんだよ」


 髪の色と瞳の色が変わった正体は、祐奈による手作り錬金薬のおかげだ。

 現代日本であれば、カラーリングやカラーコンタクトレンズといった道具が一般的で、それを使っていくらでも変えられるのが当然であったが、この世界にはそのような品は存在していなかったのだ。

 つまり、「人の髪や瞳の色が変わるはずがない」という固定観念に捕らわれているため、髪や瞳の色が違うだけで赤の他人に見えてしまうのである。


 まして、勇者一行として顔が知られている者達は、揃って黒髪黒眼であり、この世界の人達に比べればという注釈はつくが、顔が薄く印象に残りにくい顔をしている。


 ちなみに、ここに来る数時間前にコンラートの前に姿を見せた、自称「ジロちゃん」とは、今しがた悠の演技に感心していた男――加藤 昌平その人であった。

 彼が持つ〈原初オリジン〉である【嘘吐き】から派生したオリジナルスキル――【仮面被り】という演技に秀でたスキルを使用していたため、「ジロちゃん」に成り切り、ああして接触を果たしたのである。

 以前から一人称を「拙者」にしたりと色々と考えていたのは、決して自分のキャラを確立させようという涙ぐましい努力ではなく、この【仮面被り】というスキルをうまく使いこなす為の練習であったのだ。


 もちろん、悠らにはなかなか理解されていなかったというのが実情ではあるのだが。


 ともあれ――悠はほくそ笑む。


「さぁ、無実の証明といこう」


 正面に見えてきた目的地に向かって宣言するかのような一言が、冬の寒空を表すような曇天を切り裂いて降り注いだ陽光の下、風に溶けた。

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