4-3 幽霊屋敷?

「ユウさーん、起きてまーすかー?」


 早朝、何やらご機嫌そうな声で部屋のノックと共に声をかけてきたのは、リティさんだった。返事をしてみると、「入りまーす」と言いつつ部屋の戸を開けたまま中へと入ってきた。


「どうしたのさ、こんな朝早くに」

「今日、エルナさんと一緒に孤児院に行くって言ってたじゃないですかー」

「うん、そうだね。……日が昇って、ご飯食べてから、ね」


 窓をちらりと見れば、まだ外は暗い藍色の空。時間的には明け方に差し掛かろうかというところだったりする。この時間から孤児院なんて行こうものなら、まず間違いなく常識を疑われそうな気しかしないんだけども。


 まして、普段なら僕はまだこの時間に起きてすらいなかっただろう。

 さすがに僕だって毎日魔法陣を真夜中まで研究している訳じゃないし、昨日の夜は早めに寝たおかげで目が覚めていたのだけれど、僕が寝ていたらどうするつもりだったんだろうか。


「そういえばリティさん、朝っていつもエルナさんと訓練してたよね?」

「う……っ、な、なんの話でしょう……?」

「……孤児院に行くからって、エルナさんの訓練がなくなるとは思えないんだけど」

「――その通りです」


 リティさんの背後、戸が開いていたおかげか居場所を把握したのだろう。顔を覗かせてから入ってきていた――もっとも、リティさんがしらばっくれる辺りから立っていたのだけれど――エルナさんの肯定の声に、リティさんがビクッと身体を震わせた。


「え、エルナ、さん……? あの、今日は、お出かけするし、訓練は……」

「……訓練は、なんですか?」

「やりますっ! やらせていただきますっ!」

「よろしい。ではユウ様、朝食の準備が整うまで、しばらくお寛ぎください。失礼します」


 バタンと閉められた扉の隙間から見えたのは、なんだか半泣き状態のリティさんであった。


 ……今日ぐらいはサボれるとでも思ったんだろうなぁ。

 さすがポンコツエルフのリティさんである、そう簡単に変われないらしい。


《やれやれ、こんな時間に騒がしいな……》


 脳裏に響いてきた声は、すこぶる眠たげな声であった。


「邪神に朝とか夜とか関係あるの?」

《私にとって、寝起きは朝だ! ついでに言うと、今寝始めたから今の私にとっては深夜もいいところであろう!》

「うわぁ、何この引きこもりが言いそうなセリフ」

《っ!?》


 さらに騒がしいのが話しかけて、僕の朝が静寂に包まれたものとはかけ離れた瞬間であった。


 ラティクスで世界樹を介し、何故か僕との繋がりを得てしまった相手――邪神アビスノーツ。

 涼やかな口調で、僕らとほぼ同年代か、もしかしたらそれより下かと思わせるような声の持ち主なのだけれど、僕を操ろうとして失敗してからは、時折こうして話しかけてくる相手でしかなくなっている。


 なんかこう、暇潰しの相手にされているみたいであまりいい気分ではないのだけれど、それはお互い様な部分があったりする。


「そういえばさ、キミって普通の神とは違うんだよね?」

《ぬぬぬ……。この私に向かってキミだとか気易い口調だとか、言いたい事は山ほどあるが、何より神と一緒にされるのは最も我慢できんぞ》

「だって、僕は邪神の事なんてあんまりよく知らないし」


 実際、神が何かを司るように存在しているのは分かっているんだけれど、じゃあ邪神は一体何を司っているのか。何を目的としているのか、そもそも魔王アルヴィナ達が、どうやって邪神の力を宿した短剣なんてものを持っていたのかも分からないのだ。


 あまりそういう事を話す機会もなかったし、こうしてゆっくりと喋る機会はほぼなかったので、ちょうどいいからと訊ねてみたわけだ――けど、返ってきたのは、声色からしてそっぽを向いて口先を尖らせているような調子の声であった。


《……教えてやらぬ》

「は?」

《教えてやらぬ。少なくとも、神の因子を持つ貴様には、な》

「……ケチだね」

《ふんっ、ケチと言われても教えてやらぬ。貴様は、どうせいつか……》

「……何さ?」


 何かを言いかけておきながら、アビスノーツはそのまま沈黙を貫いてしまった。

 上級神見習いっていう立場にいる以上、確かに邪神である彼女とはあまりよろしくない立ち位置にいる訳なのだけれど、なんとなく――まるで、未来の僕ならば今言わずとも分かるようになるとでも言いたげな、そんな物言いであった。




 その後はミミルとウラヌスと一緒に王都に設置する結界を幾つかのパターンで描いたりもしている内に、朝食の時間がきた。

 朝食の間、それぞれの行き先をお互いに確認してみると、やはりみんなは買い物であったり屋敷の見学であったりと、昨夜の間に何やら色々と予定を立てていた。


「一応、こっちでも町中の悪戯について何か聞いておくぞ」

「そうね、私達の方でも確認してみるわ。それらしい犯人の姿を見ている人だっているかもしれないし」

「うん、分かった。あまり深入りして、面倒な連中に目をつけられない程度でお願い」


 赤崎くんや佐野さんが行く場所は、それぞれ趣向がだいぶ違う。そういう意味では色々な人から話を聞けそうだったので、ここは素直にお願いしておく。


「エルナさんがお世話になっていたっていう孤児院には、僕とリティさん、それにエルナさんと細野さんで行くとして。橘さんはアシュリーさんと一緒に今度の会場の下見、だっけ?」

「うん、そーだよ! 練習もそこでやってるから、暇になったら来てね!」


 今回橘さんが使うのは王都内にある劇場で、この国でもかなり有名であったり実力が認められたりな人じゃないと使えないという、由緒ある会場だそうだ。一応、小島さんと佐々木さんがそっちの護衛と見学で一緒に行くみたいだ。


 その後は屋敷をどうするかという話題に映ったりもしたけれど、それなりに時間も経って、僕らはそれぞれに予定通りに出かける事にした。







 貴族街を抜けて王都内へと繰り出せば、行商人達が行き交っている。

 魔導車に載せた食材や布、あるいは工芸品であったりを運ぶ行商人達が出している露店を冷やかしながら歩いていると、やはり魔族との戦いがこのリジスターク大陸の北東部で起こっているせいか、前線となる北東部でしか買えないような品はどれも高騰しているようだ。

 エルナさんと細野さんが相場に詳しいらしく、そんな説明をしてくれた。


 そうして王都の中を練り歩いている内に、町の外れとも言えるような場所に佇んでいる屋敷を見つけた。


「あれが私が勤めていた孤児院です」

「わー……? う、うーん、なんていうか……」

「……廃墟、って訳でもなさそうだけれども」


 リティさんに続いて僕の口から思わずぽつりと零れた言葉に、エルナさんが苦笑を浮かべた。


「外観を修理するのなら中を、というのがあそこの院長であるオフェリア様の考えですので。周りの大人達が修復を手伝ってくれると言われても、外観に拘りはないと」

「それにしても、ね……」

「何かが出ても驚かない程度にぼろい」


 細野さんの容赦ない一言が現実を表している。


 一応、隙間風が入らないようにだろう。

 窓は割れているものの、簡単に塞がれていたり。一部何かで崩れたらしいけれど、それも板を打ち付けたりして無理矢理に修復しているらしく……やっぱり廃墟っぽさが拭えない。


 それに何より……。


「なんだか凄くドス黒い魔力を感じます……っ」

《お、おう……。お嬢、決して離れねぇでくだせぇ……》


 魔力に対して敏感なリティさんと、その契約精霊であるクーリル曰く、屋敷からは随分とドス黒い魔力が流れているとか。


 ファンタジーよろしく幽霊屋敷とか、そういう類……?

 いやいや、ここは孤児院だったはずだけど……。


「えっと……、ユウ様。そうジト目で見なくとも、ここが孤児院なのは事実ですが……」

「あぁ、うん。信じてる、よ?」

「……なんだか信じているようには見えないのですが……」


 おかしいな。ちゃんと信じているのに、一応は。


 疑いの眼差しを向けつつも、エルナさんも特に言及するつもりはないらしく、僕らはエルナさんの先導について行き、孤児院の敷地内へと足を踏み入れた。


「ドス黒い魔力が子供達のいる場所を避けてます……」

「おそらく、オフェリア様の魔力なのでしょう。あの方は無意識下でも子供達を守れる御方ですから」

「それって、つまり無意識下で放っている魔力がリティさんとクーリルの言うドス黒い魔力って事だよね」

「……今回の件で、逆鱗に触れてしまっているのかもしれません」


 エルナさんの一言で僕の中の危険度指数がぐんと跳ね上がっている気がするんだけど、どういう事だろうか。


 そんな事を思いつつ、ふと周りを見ていると、一人の少女と目が合った。


「……あの、何か御用、ですか?」

「あぁ、ここの子かな? ちょっとここの院長さんに――」

「失礼、ユウ様。ここは私が……っと、もしやユリアーネではないですか?」

「……? あっ、エル姉さん!」


 ……なんとなくだけど、エルナさんが僕と子供の接触を避けるような形で割って入ってきたのは気のせい、だよね? 僕、小さい子供は嫌いじゃないし、小さい子供を怖がらせるような真似をした記憶はないけども。


 ともあれ、エルナさんが僕の代わりに声をかけようとしたところで、どうも少女と面識があったようだ。ユリアーネと呼ばれた暗い紫色の髪をした少女は、エルナさんだと気が付くなり、エルナさんに駆け寄った。


「お久しぶりですね、ユリアーネ。すっかり大きくなって」

「えへへ……。エル姉さんも相変わらず、キレイ」

「ふふふ、ありがとうございます。ところで、オフェリア様はいらっしゃいますか?」

「オフェリア母さんなら、いつもの部屋にいる、と思う。呼ぶ?」

「そうですね。応接室でお待ちしております、と伝えていただけますか?」

「わかった!」


 エルナさんとユリアーネちゃんの会話は、エルナさんは相変わらずの敬語ではあるのだけれど、親しげなものだった。駆けていくユリアーネちゃんを見送って、僕らは屋敷の中へと足を踏み入れた。

 途中、エルナさんを知っていたらしい少年少女が何やら嬉しそうにエルナさんに駆け寄って声をかけたりしていたのだけれど、何より僕には細野さんのリアクションがおかしくってしょうがなかった。


「…………」

「……えっと」

「………………」

「……………………悠」


 どうやら細野さんは小さな子供を相手にするのが苦手なようで、じっと見上げてくる小さな女の子を前に、無表情ながらにあたふたとした様子で視線を泳がせたり、僕に助けを求めるかのように服の袖を引っ張ってきたのだ。


 だが――忘れないでほしい。


 僕のステータスはレベル一であり、ここの子供達が子供特有の思い切りの良さで体当たりでもしてこようものなら、僕にはちょっとした事故になりかねない程のステータス差がある訳で。

 そんな僕が、細野さんのさりげなく本気で助けを求めて引っ張ってくる力は、危うく僕の肩が外れそうな勢いだという事を。


「ねぇ、細野さん。さりげなく肩が外れそうな勢いで引っ張られた気がするんだけど」

「気のせい。それより悠、助けて」

「結構本気で必死だね……。それで、どうしたのかな?」


 僕が少女に向かって声をかけると、少女はちらりと僕を一瞥したかと思いきや、突然、僕を指差しながら細野さんを見上げた。


「おねーさん、こっちのおにーさんの恋人?」

「っ!?」


 それは子供特有の、男女が並んでいれば恋人という不可解な方程式よろしく投げかけられた質問であった。


 なんていうか、この手の質問は適当に否定しておくのが一番無難なのだと僕は思っている。例えばここで必死になって否定しようものなら、恐らくは子供の野次や冷やかしめいた声が飛ぶだろう。

 多分、この手の質問で一番面白い矛盾を生み出しかねないのは、橘さんだろう。ある意味、彼女がもっとも分かりやすい性格をしているし、愛嬌のある性格をしているから、子供達も親近感を抱いて接しやすく、からかったりもできるだろう。


 けれど、今回ばかりは訊ねた相手が悪い。

 細野さんは容赦ない一言で、あっさりと否定するタイプなのだから、子供達には悪いが盛り上がりに欠ける流れとなるのは必至。


 そんな事を考えつつ細野さんの反応を待っていたら、なんだか細野さんの顔――というより、耳まで一気に真っ赤になって、そのまま固まっている。


 ……うん?

 これはあまり予想していなかった展開、なんだけども。


「えっと――」

「ばーか! あんな髪の色と目の色なんだから、キョーダイに決まってんだろー? 顔だって似た感じじゃん!」

「むー! バカって言う方がバカなんだからねー!」

「へっ、見たら分かるんだから、オマエの方がバカだよーだ!」

「なによー!」

「うわっ、シーが怒った! へっへー、捕まえられるもんなら捕まえてみろよ!」


 ドタバタと子供達が駆けずり回り始め、誰も答えないままに終わってしまって有耶無耶になった質問。

 ほっと安堵の息を吐く細野さんに気付かないフリをして視線を動かすと、何やらリティさんとエルナさんからじとりとした目を向けられている事に気が付いた。


「……何かな?」

「まぁ、ユウさんですし」

「えぇ、ユウ様ですからね」


 何か妙な納得のされ方をしているらしいけれど、特に何かを言い募る訳にもいかず、とりあえず僕も何もないような顔をしておく。


 ――なんとなく、だけど。


 これは自画自賛でもなければ、ただの自意識過剰だとも言える訳でもなく、日頃の態度というか、距離というか。まぁ、そういうのを見ていると、いくらなんでもなんとなくは気付かされるもので。


 ――僕の状況は、他のみんな以上に複雑過ぎるのだ。


 そもそも神によって生み出された訳じゃなく、赤崎くん達の思念とでも言うべき想いと、神々の力の残滓によって生み出されたイレギュラーな存在であり、同時に上級神見習いなどという意味の分からない立場に置かれている。

 さらに付け加えるのなら、魔王に狙われている現状。それに今朝話した相手――邪神アビスノーツとの繋がりを考えると、僕は上級神見習いから一転、そのまま神の敵側に認定されかねない状況にあったりもする。


 要するに今の僕は、恋愛云々に答えていられる状況にはいない、という事だ。


 以前、ちょっとした時に西川さんに言及されかけた事があるけれど、例えなんとなく寄せられているであろう好意に気付いていても、気付いていないフリをしながらはぐらかしている、とでも言うべきかもしれない。

 僕自身、今は誰かを好きとか考えられる状況でもなければ、誰かに好意を寄せればそれが重荷になりかねない状況だという考えが強い。


 ――子供達の話題が逸れた事に誰よりもほっと安堵したのは、もしかしたら僕なのかもしれなかった。


「エルナ」


 ふと、周りに気付かれないようにそっと溜息を漏らしていたら、気が付けば子供達の喧騒は止んでいて、大人の、少しだけ低くなった声が聞こえてきた。


「オフェリア様、ご無沙汰……して…………」


 深々と頭を下げて挨拶していたエルナさんが、顔をあげると同時に何やら言葉に詰まっていく。

 それはそうだ。何せオフェリアと呼ばれたその女性は――かつてのアイリス以上に闘志とでもいうか、それとも殺気とでも言うか、何やら危険な空気を発しているのだから。


「今すぐ、戦の準備をしな。騎士団を潰しに行くよ」

「行かないでくださいっ!?」


 エルナさんが慌てて声をあげるハメになる程度に、オフェリアと呼ばれた女性は怒りを露わにして登場したのであった。

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