Ⅳ 信じる少年、信じた少年

4-0 Prologue




 ファルム王国王都フォーニア――町の中心部からは外れた場所に位置している、聖教会によって運営される孤児院。その外では、寒空の下であっても相変わらず、今日も少年少女の元気な声が響き渡っていた。

 元気な子供達の面倒を見るべく聖教会から派遣された修道女は、そろそろ初老を迎えようというにも関わらず背も曲がっておらず、見た目とは裏腹に若々しさに溢れている女性だった。

 その見た目の秘訣を訊ねれば「少年少女達の元気を分けてもらっているのだ」と度々口にしているが、確かに彼女――オフェリアは元気な女性である。


 そんな彼女が、今は般若を思わせるような怒りの形相で顔を歪め、孤児院の敷地内にある庭へと姿を見せた。


 一通り周囲を見やると、一人の少年に視線を固定――直後、怒りを爆発させるかのように声をあげた。


「パウロッ! ちょいと待ちな!」

「げっ、鬼婆!」

「だーれが鬼婆だい! このバカタレッ!」

「いってぇッ!?」


 パウロと呼ばれた、錆色の髪色をした快活な少年の頭にオフェリアの拳骨が落ちた。

 ゴチン、と鈍い音を奏でた一撃がオフェリアから繰り出される姿に、周りの少年達は「あぁ、またか」とでも言いたげに冷めた目を向け、少女達は「うわぁ、痛そう」と、あの一撃の痛みを思い出してしまったのか、思わず身体を竦ませていた。


「~~~~ッ、痛ってぇな! 何すんだよ、クソババア!」

「この悪戯小僧が! バレてないとでも思ってるのかい! あたしの部屋に沼蛙を投げ込んだのはアンタだろう!」

「げぇっ、なんでバレてんだよ!?」

「アンタぐらいなもんさ、あんなくだらない真似すんのはね!」

「いってぇッ!?」


 本日二度目の拳骨は、先程と寸分違わず同じ場所へと落ちたようだ。さすがの悪戯小僧ことパウロも、二発目をもらっては立ち上がって文句を言うだけの気持ちを削がれたのか、頭を押さえたままその場にしゃがみ込む。

 だが、オフェリアは未だ許すつもりはないのか、堂々とその前に佇み、深い紺色の修道服に身を包んだ白髪の、初老を迎えるとは思えない彼女は、その前で腰に手を当てて仁王立ちしている。


「まったく……、この悪ガキ。いい加減にしな」

「くぅぅ……。ババアだって、修道女のクセに人のこと殴っていいのかよ……」

「殴るなってのかい? ハッ、神様だって喧嘩ぐらいすりゃ、命懸けで争う事だってあるのさ。殴るぐらい、可愛いもんじゃないか」

「おーおー、言ったな!? じゃあオレが殴っても文句言う――いってぇッ!?」

「罰だから殴ってんじゃないか、バカタレ。理由なく殴るバカがどこにいるんだい。孤児院の全トイレ掃除、十日!」

「ぐぉぉ~~……、理不尽だぁ……」

「難しい言葉遣ってるつもりだろうけどね、こういうのは因果応報ってんだよ、バカパウロ」


 ふんすと鼻息荒く歩き去っていくオフェリアに、涙目になりながらも舌を出してみせるパウロ。しかしそんな真似をするのも予想していたのだろう、オフェリアは「十五日に延長だよ、バカタレ」と一言だけ付け加え、パウロにトドメを刺した。

 呆然とするパウロの視線の先では、オフェリアへと他の少女が駆け寄り、何かを言付けされたのか、少し慌てた様子で孤児院の中へと小走りに駆けて行った。


「パウロくん、大丈夫……?」

「あん?」


 おどおどとした所在なさげな少女の声にパウロが顔をあげる。そこに立っていたのは、暗い紫色の髪を肩まで伸ばし、同系色の瞳を涙に揺らした十歳にも満たない少女――ユリアーネであった。


「オフェリア母さん、怒らせちゃだめ、だよ……」

「うるせーなー。別にお前に関係ないだろー」

「そ、そんな事ばっかりしてたら、追い出されちゃう……」

「へへっ、そんな事するかよ、あのババアがさ」


 ユリアーネに対して答えた、パウロの嬉しそうな言葉。それはオフェリアを信用しているからこそ紡がれる、信頼の証であった。


 パウロは本当の両親がどんな人間であったかを知っている。

 人を人として扱おうともせず、まるで使い勝手の良い便利な道具のように扱い、いらなくなったら捨てるような、そんな人間であった。

 だからこそ、オフェリアはそんな真似をしないと心のどこかで確信している。それを確認するかのように悪戯を続けてしまうのだ。

 実に心に傷を持った少年らしい態度であり、オフェリアにはそれを十分知られているからこそ、こうして愛の鉄槌とでも言うような拳骨を浴びせたりもしているのだが、パウロ本人は自分の気持ちには気付いていなかった。


「くっそー、頭いてぇ~……。よぉし、こうなったら今からでも仕返ししてやる」

「え、えぇっ!? 怒られたばっかりなのにっ!」

「うるせー、男には負けっぱなしじゃいけねー事があんの!」

「待って、わたしもいく!」


 駆け出すなりオフェリアの後を追うように孤児院の中へと入って行くパウロと、それを追うようにユリアーネが一生懸命に走る。


 この孤児院は、元々は豪商が持っていた別邸であり、それなりの広さを有した屋敷である。だが、資金面では教会側から出せる金額も、あちこちに存在している孤児院の経営上、その日を食べる為だけに使われる程度が限度であるため、屋敷自体にはかなりの罅割れや傷が目立つ。

 それでも、冷たい風や雨を凌げる上に、部屋数も多いというのはやはり好条件な物件であり、そこら中に素人が補強を施したような跡が目立っていた。


 そうして一室、比較的に綺麗な応接室で客人と会っているという話を他の少年から聞いたパウロは、客人がいようとお構いなしに驚かしてやろうと、忍び笑いを浮かべながら扉へと近づき、そっとドアノブへと手を伸ばした――その時だった。


「――パウロという少年を出してもらおうか」


 部屋の中から聞こえてきた、男性の声。聞き覚えはないが、明らかに険がある物言いで呼ばれた自分の名。

 パウロは思わず動きを止めて、どうにか追いついてきたユリアーネが制止しようとするのも振り切って、静かに物音を立てないよう、扉に耳を当てた。


「お言葉ですが、騎士様。パウロは確かにこの孤児院で預かる子です。貴方様の仰る錆色の髪色や特徴、それに名前は人違いではないでしょう。ですが、あの子は人様に迷惑をかけるような悪戯をする子ではありません」

「いいから出せと言っている! あの小僧がやったと誰もが口を揃えて言っているのだ!」


 内容は当然、断片的過ぎて何か判るはずもなかった。

 ただ、自分を信じてくれているらしいオフェリアが、自分の事で騎士様とやらに怒られている、という状況に気が付いたパウロは、次の瞬間には勢い良く扉のドアノブに手をかけ、乱暴に中へと突入していた。


「パウロ!?」

「オレになんか用かよ、おっさん」

「こら、パウロッ! アンタは下がってな!」

「そっちのおっさんはオレに話があんだろ!? だったらオレが直接聞いてやるよ!」


 オフェリアに向かって叫ぶような大人は、パウロにとって敵なのだ。

 オフェリアにさえ乱暴な口調で告げるパウロであったが、すでにパウロにとって、オフェリアと向かい合うように座っている二十代中盤程の騎士は、敵としてしか見えていないのか、表情には目に見えて敵意が表れていた。


「フン、下賤な。その態度、間違いあるまい」

「ですから騎士様! パウロはそのような真似はしないと申し上げているではありませんか!」

「くどい! パウロ、貴様を王都内の器物損壊罪で連行する」

「はぁ? キブツソンカイってなんだってんだよ!」

「しらばっくれるな。とにかく、詰め所まで連行させてもらう」

「騎士様!」

「これ以上邪魔立てすると言うのなら、貴殿も共犯と見做して連行させてもらう事になるぞ、オフェリア殿」


 そうまで言われてしまっては、オフェリアも下手な事を口にする事はできなかった。自分がいなくなってしまっては、この孤児院に預かる全ての子供が路頭に迷いかねないのだ。

 悔しげに歯噛みするオフェリアが握った拳を見て、パウロがキッと目つきを真剣なものにしたまま騎士へと一歩、踏み出した。


「ババアはカンケーねーだろ! 行くっつーならオレだけ連れて行けよ!」

「フン、なら大人しくついて来い。下手に逃げようとしたなら、この孤児院に責任がかかると知れ」

「うるっせーな! 行くっつってんだろ!」


 反抗的な態度のパウロに苛立つ騎士であったが、さすがに人前で手を上げる訳にはいかず、小さく舌打ちしてパウロを伴い孤児院を出て行った。


「オフェリア母さん……」

「……あぁ、ユリアーネかい」

「あの、パウロくんは、どうして……?」


 何もできない無力感に打ちひしがれそうになっていたオフェリアであったが、ユリアーネがいたおかげとでも言うべきだろう。一度瞑目してから、気持ちをしっかりと持ち直すように一つ溜息を吐き、ユリアーネへと歩み寄って膝を折ると、微笑みを湛えながらユリアーネの頭を撫でた。


「何かの間違いさ。パウロは騎士様に連れて行かれるようなバカな真似をする子じゃないよ。とにかく、この事は他の子に話しちゃダメだよ。ユリアーネみたいに不安な気持ちになっちゃうからね」


 慈母を思わせるオフェリアの柔らかな口調に、ユリアーネも困惑から立ち直ったのか、ゆっくりと頷いた。




 一方その頃、騎士によって連れられていたパウロは、前を歩く騎士の後ろを頭の後ろで両手の指を絡ませる組んだまま、特に悪びれる様子もなければ、連行されている一切の気配もないままに歩いていた。 


「なー、オレが何したって言ってるわけ? キブンソーカイだっけ?」

「器物損壊だ。気分爽快になるような出来事をしているのなら、わざわざこんな真似をする訳がなかろう、バカめ」

「だから、それ何よ? 別に騎士サマにお世話になるよーな事、したことねーけど」

「いい気になるなよ、ガキ。悪戯も度を過ぎれば犯罪になるという事を、身を以て知るのだな」

「だーかーらー、オレは別におかしな悪戯なんてしてねーっての」

「犯罪者は皆そう言うものだ。黙ってついて来い」


 一体何が理由で自分が連れて行かれるのか、全くと言って良い程に心当たりがないパウロとは裏腹に、連行している騎士はパウロを犯人として決め付けているようであった。それでも素直にパウロが付いていくのは、ひとえに自分は何もやっていないという自負があるからだ。

 確かに、悪童として知られている程度には頻繁に悪戯を仕掛けもするが、それはあくまでも大人を怒らせたり困らせる程度のものばかりであり、騎士に連行されるような犯罪らしい犯罪なんて真似はしない。その一線をパウロはしっかりと弁えている。


 確かに学はないが、それでも悪知恵が回るパウロ。

 それこそ、悪童たる所以なのである。


「なーなー! そのキブツソンカイってなんなのさー? 教えてくれたって――がッ!?」


 タイミングが悪かったとでも言うべきなのだろう。周りは孤児院から少し離れ、周囲には人影のない路地を抜けて大通りへと向かっている最中だった。相も変わらず減らず口を叩くパウロの腹に、爪先に鉄板が仕込まれている騎士用の靴がめり込んだ。

 オフェリアの拳骨で痛みに慣れているとは言え、パウロにとっても予想外なタイミングで訪れた一撃。更には大の大人による蹴りは、華奢なパウロの鳩尾あたりにめり込まれ、思わず蹲ったまま吐瀉物を撒き散らした。

 そんなパウロを一瞥して鼻を鳴らした騎士は、パウロの髪を掴むと強引に顔を上げさせた。


「いいか、クソガキ。教えておいてやろう。貴様がやっていようがいなかろうが、貴様は犯人として仕立てられるんだ」

「な……んだよ、それ……」

「上の人間がすでに痺れを切らしている以上、目に見える結果が必要なのだ。例え貴様が捕まった後も同様の件が続こうが、最初の犯人さえ捕まってしまえばそれは模倣犯だと言い切れる」

「だ、から、オレは、何もやっちゃいねぇ……!」

「貴様の悪童ぶりは有名だ。誰も孤児の、それも貴様のようなクソガキの言い分など信じてくれるものか。大人しく、これ以上は無駄口を叩かずに黙ってついて来ることだな」


 未だ痛みは引いていないが、強引に立たされる形となったパウロは、かつての親を思い出していた。


 ――大人は、汚い。

 不都合があればすぐに力がない者へと擦り付けるような手口は、かつての親のそれと同じだ。

 このまま自分は、謂れもない罪を着せられて、犯人に仕立てられて、死ぬまで鉱山で働かされたり、もしくは斬首刑に処されたりと、いずれにせよ碌な未来は待っていないのだろう、と。


 世の不条理に、ようやく救われたはずなのに再び襲いかかってきた理不尽に。

 世界に絶望しかけたパウロの心。


 しかし――――パウロの脳裏には、親代わりに今日まで育て、愛してくれたオフェリアの笑顔が浮かぶ。


 絶望に染まりかけて傾いだ心をぐっと堪えるかのように、拳を握り、その瞳に再び光を取り戻した。


「……オレは、負けないからな……ッ!」


 下手にこれ以上を言えば、再び先程と同じような攻撃が襲ってくるだろう事を悟ったパウロの口から、静かに、しかし誓うように紡がれた力強い言葉はフォーニアの路地裏で誰にも届かないまま響き渡った。







 パウロがもし、この時に心が折れてしまっていたなら。

 或いは、悪童と称される通りに、普通の気弱な子供とは違って肝が座っておらず、度重なる強引な取り調べに屈していたのなら。








 ――――後に起こる事件は、王都を壊滅させるどころか、彼らの住まうリジスターク大陸全土を危機に陥らせていた。






 そう、勇者の一人であり、最も勇者らしくない少年――高槻 悠は、後に語る事になる。

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