3-14 ラティクスの死闘 Ⅳ






 ――――お母さんに言われて私が思い出したのは、たった二日前の夜の事だった。






「ユウさん、飽きないんですかぁ?」

「うん。面白いよ、色々作ってみるっていうのもね」


 同じ部屋で暮らすようになって数日。

 この国の〈古代魔装具アーティファクト〉の修理を頼んでやってきてくれた、『異界の勇者』ことユウさんは、夜になると空中にステータスウィンドウと同じような画面を幾つも、それも大きさもバラバラに浮かべながら魔法陣をいじっている。

 ユウさんが連れているミミルちゃんは可愛くて、クーリルみたいに喋ったりはできないけれど、ユウさんに何かを見せて話をしているらしい。あの子の仕草は可愛いから見ていて飽きないなー。

 いつもなら先に寝ちゃったり、私もお母さんから借りた本を読んだりするんだけど、今日はあまり眠くない。今日はユウさんが〈エスティオの結界〉を調べている間、気が付いたら寝ちゃってたからね。


「リティさん、また服乱れてるよ」

「あ、ごめんなさい……」

「謝るのもなんか違う気がするども」


 乱れた浴衣を見ても、ユウさんはああやって苦笑するだけ。

 お母さんが言うような視線を向けてこない。

 それはそれで向けられたら嫌な気分になったりもするんだけど、大人の女の子を前に何も反応しないっていうのも、なんかちょっと悔しい気もする。


 なんていうかユウさんの場合、ちらっと視界に入ったから指摘する、みたいな。お母さんと同じように注意するだけなんだよね。


 私とユウさんが一緒の部屋になったのは、護衛のためだ。

 だけど、本音を言ったら私だって、いきなり異性の人と同じ部屋で寝泊まりするのは絶対イヤ。だけどユウさんは信用してるから大丈夫。


 私のお願いを聞いて、わざわざ来てくれた。

 野営の時も、先に寝ちゃう私より後に寝てて、眠った私に薄い毛布をかけてくれたりしていて、起きたら私より先に起きて何かをしていたり。 


 うーんと、なんていうか異性の人っていうか、私にお兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかなって気がしてる。


 あれ? 私の方が年上だったような気がする。

 私の方がお姉さんなんだよね。

 ……なんか釈然としない。


 そもそも私って、一応女として見られてる、よね?

 服装を指摘されてるんだもん、多分そうだと思う。アルヴァリッドに着いた時に声をかけてきた男の人達が向けるような視線は、こう、いかにもって感じだったし。

 でも、やっぱりユウさんは興味ないって感じだ。


 そういえば、アリージア様が勇者様と仲良くなった時に教わった方法があるって聞いた事がある。

 アリージア様はいつも勇者様に妹みたいに扱われていたらしくて、当時の年齢は私よりもまだ幼かったらしい。そんな時、いつも子供扱いされていた仕返しに、女としての威厳を刻みつけてやった、って満足気に言ってた。どうにもアリージア様が言うには、女は女として見られてなくちゃいけないらしい。


 私も成人なんだから、アリージア様の真似をすればいいのかな。


 んーと、何をしたんだっけ……?

 あ……ああぁぁぁっ、思い出したっ!

 そうだ、「男は肌を触れれば女を意識せざるを得ないのじゃ!」って言ってた、よね。抱きついたり、膝の上に座ったり、色々やったって言ってたもん。


 私も、やる……?


 え、なんかすっごく顔が熱い。耳まで熱くなってきた気がする。

 や、やっぱりやらなくていいっかなーって思ってちらりと視線を移したら、クーリルとミミルちゃんがこっちを見て……なんか笑ってるっ!?


《お嬢、今がチャンスですぜっ!》


 脳内に直接聞こえるようなクーリルの声に、引っ込みがつかなくなった事を知らされた気がする。ミミルちゃんも爛々と目を輝かせちゃってるし。


 や、やっぱやめたーって……あれ、ダメ? ダメなの?

 うん。ほら、うん。

 これはあれだよ。私は女としての尊厳を刻みつけるためであって、別にユウさんにどうとか、そういう感情があるわけじゃないんだよ。あ、でも、女としての威厳を刻みつけるからって、知り合いのエルフの人とかに同じ事なんてできないけど、ユウさんなら別にいい、けど……。


 な、なんだろう、すっごくドキドキしてきた……。

 乱れた服を直そうとした時、さりげなく背中を向けてくれてるユウさんにこっそりと近づいていく。


 ゆっくりと手を伸ばしていって……ひゃああぁぁ、心臓がうるさいっ!


 でも、あとちょっとで――あれっ、いない!?


 と思ったら、横で立ってじとっとした目で見られてました。


「……」

「……あ、あはは……」

「……なんか後ろでもぞもぞやってると思ってたけど、何してんのさ?」

「い、いやぁ、女としてのってゆーものを、ユウさんに味あわせよーかなって……ふきゃっ」


 デコピンされました……。


「ミミルもクーリルも、この子に変なこと吹き込まないようにね」

『男子として相手から抱きつかれそうなのに避けちゃうって、それはどうなのっ!?』

《お嬢の意思を応援してやるのが、あっしの務めってもんでさぁ、ユウの旦那》

「……はぁ……」


 ユウさんの説教はどうやら届かなかったらしくて、深いため息を吐いていた。

 どうしてこうなったのかと説明を求められて、アリージア様から聞かされた話をそのまま伝えると、ユウさんがさっきよりも深いため息を吐いた。


「えっと、ごめんなさい……。嫌、でした……?」

「嫌ってわけじゃないけど、リティさんは僕の事が好きってわけじゃないでしょ?」

「ふぇっ!? す、すすす、好きって、そ、そんな……!」

「好きじゃない相手に抱きつくのはやめといた方がいいよ。というか、そういう事はルシェルティカさんとかからも言われてるでしょ……って、あぁ……。あの人はダメだったね……」


 突然お母さんの名前を出したかと思ったら、ユウさんが疲れ切ったような目をして呟いた。お母さんと何か話したのかなぁ?


「えっと、ユウさんは今何を作ってるんですか? 服ももう完成したって言ってましたし、〈エスティオの結界〉の代わりは確か、もうすぐ完成するって言ってましたよね?」

「あぁ、うん。これはちょっと違うんだけど、備えあれば憂いなしって言うか、そういう魔導具なんだよね」


 いまいち何が言いたいのか分からない私に、ユウさんはしばらく考え込むような素振りをしてから、私と向かい合うように腰を下ろした。


「リティさんは、将来この国でルシェルティカさんの跡を継ぐんだっけ?」

「えっと、まだまだ先の話ですけど、その予定ですね」

「なら、知ってもらってもいいかな」

「知るって、何をです……?」

「魔王や魔族が世界樹を狙う、その本当の意味。いずれリティさんも聞くだろうから、僕から話しておこうと思う」


 そう端を発してユウさんが語ったのは、私が知らない真実の話だった。


 精霊界、世界樹の「門」としての役割。

 精霊神アーシャル様に出会って、そこで細かい話を聞いた、と。

 突然告げられた言葉の内容もそうだけれど、何より精霊神様と会ったっていうユウさんにビックリした。


 驚き過ぎて目を丸くしていた私に、ユウさんは「今のを前提にして聞いてほしいんだけど」と前置きして、再び口を開いた。


 神々とは異なり、この世界が作られた後に生み出された邪神の存在。

 その眷属が魔王であり、魔族。魔族が世界樹を狙う理由は、〈門〉の役割を果たす世界樹を利用する事にある可能性が高い、らしい。

 もっとも、それが世界樹を枯らせて精霊達の動きを封じるためっていう可能性も否定できなかったみたいだけれど。


 ……なんか、すごい事を聞かされちゃってるような……。


「――まぁ、今話した内容の全部をしっかりと憶えていなくても、いつかルシェルティカさんやアリージアさんから聞かされる事になると思うんだけどね。ともあれ、外から襲いかかってくる可能性が高いのは魔族なんだ。僕が今作っているのは、最悪の事態を防ぐための魔導具だよ」

「最悪の事態、ですか?」

「そう。もしも僕らが魔族を食い止められなかった時に使う、対魔族用の、ね」


 ――もしも魔族を食い止められなかったら。

 その言葉が指すところの意味を理解して、私は急に怖くなった。


 だってその時は、ラティクスが魔族に襲われて……――と、そこまで考えた時に、ユウさんに頭をポンと叩かれた。


「最悪の事態を想定するのは、やるべき事なんだ。もちろん、そんな事態が来るのを未然に防ぐのが一番いいんだけど、視線を逸らして見ないフリをする方がよっぽど危険だからね。だから、そんなに不安にならなくても、これはあくまでも予備でしかないから、心配しなくていいよ」


 ――すごいなぁ。

 そんな事を思って、私は子供を諭すように小さく笑うユウさんを見て、しばらくぽかんとしたまま動けなくなった。


 これだ。これがなんだか、お兄ちゃんみたいな感じがする。

 色々な事を考えていて、それを教えてくれて。

 その姿を見ていると、なんだか無条件に甘えても受け入れてくれるような気がして、離れたくなくなる。


 気が付いたらユウさんに向かって手を伸ばそうとしてしまっていて、小首を傾げたユウさんと目が合って、思わず顔が熱くなった。


「あっ、うぅ、今のは、その……!」

「……?」

「そ、そうです、ユウさんっ! これ、もう完成するんですかっ!?」


 慌ててユウさんから顔が見えないように真横に逃げて、浮かんでいるウィンドウを指差しながら視線を誤魔化した。


 うぅぅ~、顔が熱い……っ!

 って、ひゃあぁ! 肩当たっちゃってる!

 で、でも今動いたら顔見られちゃうし……っ!


 ……って、考えてる私を他所に、ユウさんはウィンドウを見たまま何も感じていないかのような真剣な顔のまま、説明を始めた。

 顔を見られてないのは良かったけど、これはこれでちょっと釈然としないです……!


「一応、〈エスティオの結界〉の代用になる魔導陣は完成してるんだけどね。そっちを使うにはかなり上質な魔石が数十個か、もしくは巨大な魔石が必要になるんだ。それこそ、〈エスティオの結界〉に使われてるぐらいの大きさがね」

「で、でも、あの大きさの魔石ってそう簡単に手に入らないんです、よね?」

「うん、そうだね。で、今作ってるこれは〈エスティオの結界〉に手を加えてそのまま再利用するものなんだよ。これと僕が作ってる結界が二つ作動すれば、〈エスティオの結界〉以上のものができる」

「へ、へぇ……。凄い、んですね?」

「あぁ、うん。分からないなら無理に分かったフリしなくていいよ」


 うぅ、ユウさんのフォローが痛い……。


「まぁ、そう難しく考えなくてもいいよ。ルウさんとミミルのおかげで、これの設置についてはあと少しで完成する。〈エスティオの結界〉の核として刻まれた魔法陣にそのまま三箇所――こことここと、あとこっちを繋ぐように刻印さえしちゃえば転用できるんだ」


 そう言いながら、ユウさんが指で魔法陣の刻印の場所を教えてくれた。


「とは言っても、今はまだ〈エスティオの結界〉が作動しちゃってるし、手出ししたら大変だけど」

「もし、止めずに刻印っていうのをやろうとしたら、どうなっちゃうんです?」

「試した事はないけど、魔法陣が作動しちゃってる以上、魔力の逆流を浴びるらしいよ。全身が雷に打たれるような痛みに襲われて、最悪死に至る」

「死……っ!?」

「そう怖がらなくても大丈夫だよ。作動中の魔石は淡く光を放って輝いているし、作動しているかどうかは一目瞭然だからね。それさえ気をつければ、そんな痛い目に遭わなくて済むからね」


 わ、私は絶対に魔導具に使われてる魔石なんて触りたくないよ……!


「でも、それなら〈エスティオの結界〉に手を出した人も、怪我をしたんじゃ……? あ、魔法とかで離れたところから傷つけた、とか?」

「あー、リティさんが言うような離れた位置からの魔法だけど、これは作動中の魔石には届かずに消えちゃうね」

「そうなんですか?」

「うん。魔力を介したものはそのまま魔石に吸収されるように消えちゃうんだ。だから、直接手を加えてるのは間違いないね。それで、〈エスティオの結界〉に刻まれた傷の方だけど、あれはあくまでも魔導陣の機能そのものを破壊するような大きさでもなかったし、場所がしっかりと選定されていたんだ。だから、よっぽど魔法陣に詳しい人物が背後にいるって判ったんだけど、犯人は怪我なんて負ってないだろうね」


 ――いずれにしても、作動中の魔石には下手に触れない方がいいよ。

 そう付け加えたユウさんに、私はそれを誓うようにこくこくと慌てて頷いた。









 ――――あの日、ユウさんが教えてくれた刻印。

 対魔族用に何かをするって言ってた魔導具が完成さえすれば、この状況を打破できるかもしれない。


 さっきお母さんは、〈エスティオの結界〉が完全に止まってしまったって言ってたし、きっと今ならそれができるはず。もしそれが完成してるなら、魔族だってどうにかできているはずだし、お母さんが言うように魔物は統率が乱されて、きっと流れは変わる。


 でも――ふと過ぎった嫌な予感。

 ユウさんはさっきまであの場所にいたはずなのに、それができていなかったって事は、まさか……。


《――お嬢、今はやるべき事をやる時ですぜ》


 私の不安を感じ取ったのか、クーリルが力強く言い切った。

 子供の頃に偶然森の中で出会った、風の大精霊。

 彼女に預けられたクーリルは、私の大切なパートナーで、不甲斐ない私をいつも支えてくれる。


「……うん、分かってる。クーリル、急ぐよ!」

《応ッ!》


 クーリルが生んだ風に乗って、私は再び〈エスティオの結界〉がある王宮の奥地へと向かった。

 そのまま走り続けて、ようやく〈エスティオの結界〉の前に着いた時、私はその場で見た光景に言葉を失った。


「これ……」

《……ユウの旦那の魔力を感じやす。それに、魔族の嫌な匂いも》


 抉れた地面、森の中にぽっかりと空いたこの場所で佇む〈エスティオの結界〉の周囲を囲む木々は焼け焦げていて、焼かれたような独特な匂いが漂っていた。

 激しい戦闘が起こったのだと物語るような光景に足を止めてしまう。


 ふと〈エスティオの結界〉を見れば、その近くには見慣れた人が倒れている姿が目に映った。


「――オルトネラさん……!」

《お嬢、いけねぇ!》


 慌てて駆け寄ろうとした私の前に飛び出したクーリルが、ゆっくりと私に背を向けたまま短い手を横に伸ばして私を止めた。


《こんなトコに一人で倒れてるってこたぁ、裏切り者の可能性が高い》

「……オルトネラさんが……? でも、お母さんもアリージア様も、それはないって……!」

《警備隊長のオルトネラの旦那が、こんなトコにたった一人で来る理由がねぇ。ユウの旦那がわざわざオルトネラの旦那について訊いた時も、恐らくはオルトネラの旦那が怪しいと思っていたからこそと考えりゃ、この状況、辻褄が合うってもんでさぁ》


 クーリルに言われて、頭が冷える。

 そう言えば、ユウさんがオルトネラさんの事をわざわざ指摘したから、アリージア様もお母さんもそれに答えたんだった。

 それに、確かにクーリルが言う通り、ここにオルトネラさんが一人でいるのもおかしい。魔族を追って戦いに来たとも考えられるけれど、それにしては身体に怪我らしい怪我をしているようにも見えない。


《真相はともかく……お嬢。オルトネラの旦那はあっしが見てやす。今はやるべき事を優先する時ですぜ》

「……うん、分かったっ!」


 クーリルの言う通りだ。

 今私がやるべき事は、ユウさんが言っていた〈エスティオの結界〉の魔石に刻まれている刻印に、少しだけ手を加えること。ユウさんの話を聞く限り、それだけで、このラティクス内のどこかにいる魔族や襲ってきている魔物に対抗できるはず。

 そう思いながら〈エスティオの結界〉に近づいた私は、巨大な魔石の姿を見て、思わず目を剥いた。


「……うそ……。まだ、〈エスティオの結界〉が作動して、る……?」

《――ッ、そいつぁ本当ですかい、お嬢!?》


 光が反射しているわけではなく、淡く揺らめくような光。

 その光は〈エスティオの結界〉が今もなお作動しているという意味を指していた。


「どうして……」


 力なく漏れる私の声は、きっと震えていた。


 魔物が入り込んできているから、てっきり私は〈エスティオの結界〉が止まっているものだと思い込んでいた。だから、ユウさんが言っていた刻印をつけさえすれば、それがこのラティクスを救う一手になるのだと思って、ここまでやってきた。

 なのに、〈エスティオの結界〉は今もまだ沈黙していない。


《ユウの旦那がお嬢に託したのは、これじゃなかったってぇ事ですかい……?》


 確かにそれも否定できないけれど、違うと思う。

 私がどれだけ思い出そうとしても、他に何か特別な事を話したり、教えてもらった記憶はないもの。


 そう思いながら刻まれた魔法陣を見つめていた私は、ようやくの存在に気が付いた。


「これ……、刻印が一つ増えてる……」


 ユウさんが教えてくれた刻印の一つが、すでにその場所には刻まれていた。

 見間違いなんかじゃない。

 これは多分、ユウさんがつけたんだと思う。


 だとしたら、考えられるのは一つだけ。


「――クーリル、離れて」

《まさか、やる気ですかい……?》

「うん。これ、ユウさんが一箇所繋いでる。って事は、多分あとの二箇所を刻む前に何者かに邪魔されたか、ここを離れなきゃいけなくなったんだと思う。残るはたった二箇所……。たった二箇所刻印するだけで今の状況を変えられるなら、耐えてみせる」

《思い直してくだせぇ、お嬢! ユウの旦那が言うには、まず間違いなく無事じゃ済まねぇって話ですぜ!?》

「このまま魔物に攻められてたら、どっちにしてもラティクスはもちろん、私だって無事じゃ済まない。私はみんなみたいに強くもない。魔族と戦っても私じゃ勝てないと思う。だけど、これだけは違う。ユウさんがいない今、私にしかできない私の戦いがあるとしたら、これだと思うの」


 腰につけた短剣を引き抜いて、ユウさんに教えてもらった残りの二箇所を頭の中で思い浮かべて目を閉じた後、ゆっくりと深呼吸しながら目を開けて、未だに淡く光る魔石に刻まれた魔導陣を睨みつけた。

 大丈夫。ユウさんが教えてくれたあの時の刻印の場所は、決して複雑じゃないし、しっかりと覚えてる。


《……分かりやした。ならお嬢、あっしが逆流する魔力とやらをなるべく抑えてみせやす》

「危険だからクーリルは離れていて」

《そいつぁ無理な相談ってヤツですぜ。命を懸けるってお嬢が決めた。そいつをあっしだけが無事に見ているだけってのは、なけなしの矜持が許さねぇ》

「クーリル……」

《フッ、そう悲観しねぇでくだせぇ。あっしは嬉しいんですぜ、お嬢》

「嬉しい……?」


 クーリルがじっと私を見上げて、目を細めた。


《いつまでも子供と思っていたお嬢が、こうして腹ぁ括ったんだ。こいつぁ、その一歩となる最初の戦いだ。なら、あっしはそれに応えてみせるってなもんですぜ。やってやりやしょう、お嬢》

「……うん。ありがと、クーリル」


 今まで守ってもらってばかりで、頼りなく不甲斐ない私を見捨てたりもせずに、優しく一緒にいてくれたクーリル。ユウさんと別れて、そんなクーリルと初めて肩を並べて戦えるような感覚が、ここにきて更に強くなった気がする。


 ――うん。今の私なら、きっとできる。


「やるよ、クーリル!」

《応よッ》


 握りしめた短剣に力を込めて魔石へと切っ先を当てる。

 細かく刻むには専用の道具があるらしいけれど、まっすぐ三つの線を刻んで繋ぐだけなら、短剣で直接刻みつけるだけでいい。

 襲いかかってくるだろう魔力の逆流に身構えつつ、ぐっと短剣の先端を押し付けると――バリバリと耳障りな音を立てながら、激しい光が周囲を照らした。


「ぐぅ……ッ! うううぅぅ……ッ!」


 身体の中で暴れる激しい激痛による叫び声が、歯を食い縛った口から漏れる。

 身体が内側から破られそうな、さながら皮膚の内側から鋭利な刃物を突き立てられるような激痛が、私の身体中を襲う。


「ぐッ、あああぁぁぁぁッ!」


 叫び声を力に変えて、どうにか短剣を振り抜いて一箇所の刻印に成功して、その場に膝をついた。

 身体から立ち上る煙。腕や身体が裂けてしまったのか、皮膚から赤い血が流れていく。朦朧とした意識の中でクーリルを見ると、クーリルも倒れ込んだまま身体を懸命に起こそうとしている。


「……あと、一つ……。クーリル、いける……?」

《……ヘッ、余裕ってもんでさぁ。そういうお嬢は、大丈夫ですかい……?》

「……ふふっ、余裕だよ」


 震える身体を立たせながら軽口を叩き合って、ぐらぐらと揺れる視界の中で短剣を最後の一つを刻むその場所へと突き立てた。


 再びの激痛。

 激しい光の中で、身体に力が入らなくなっていく。

 段々と意識が遠くなっていく気がして、もう崩れ落ちてしまいそうになりながら、それでもこの最後の一箇所を繋ごうと、手を離すまいと力を込める。





 けれど――――





「――え……?」





 ――――がくん、と膝が折れて、私の身体は情けなくその場で倒れた。





「そ、んな……、あと、少し……なのに……」


 倒れ込んだ私の向こう側で、クーリルも気を失ってしまったのか、ぴくりとも動かない。

 私の身体も、もう指一本さえ動かなくて、視界が涙で滲んでいく。


 ――あと少し。

 ほんの少し頑張ればいいだけなのに、身体が言うことを聞いてくれない。

 ぼろぼろと涙が零れていく。


「うご、いて……! おね、がい、動いてよ……ッ!」


 あと半分だけで、きっとみんな助かるはず。

 なのにその半分が、どうしようもなく遠い。


 身動ぎ一つ取れない身体は、まるで消えてなくなってしまったかのようにさえ思えるぐらい、すでに私の意識は失われつつあった。


 ――悔しい。

 もし、普段から私がしっかりと身体を鍛えていたら、その半分を耐え切れたのかもしれないというのに。

 無力な自分は、たったこれだけの事さえできないのかと思うと、涙が止まらない。


「動い、て……! おね、がい、私の身体……動いて……!」


 無理矢理力を込めて、ようやくぴくりと視界の隅にあった手が動き始めた。

 落ちている短剣まで、いつもなら何も考えずに届くような距離。なのにそれが、どうしようもなく遠く思える。




 それでもゆっくりと、歯を食い縛る私に応えるように手が伸びて行って――その時、何かの足音が聞こえてきて、私の短剣を誰かの手が拾った。




「……オル、トネラ、さん……?」

「そこの傷を繋げればいいのだな、アルシェリティア」

「……ど、して……」


 私の短剣を握り締めたオルトネラさんは、私の問いかけに応えずに〈エスティオの結界〉に歩み寄って、短剣を突き立てた。


「ぐぅ……ッ!」


 激しい光が視界の隅で暴れ回る中、オルトネラさんが痛みに歯を食い縛る声が聞こえてくる。


 視界を向ける事さえままならない私には、何が起こっているのか判らない。

 オルトネラさんは裏切り者だったはず。

 なら、もしかしたら、オルトネラさんがまったく違う所に刻印を刻んでいるのかもしれないと考えて、なんとか身体を起こそうと力を込めていく。少しだけ休んだおかげなのか、身体はゆっくりと動いてくれて、震えながらもようやく顔をあげる。


 ちょうどその瞬間、オルトネラさんも短剣を落として、身体から煙を上げながら膝をつくようにその場に崩れた。


「……あ……」


 オルトネラさんの背中越しに見えた、〈エスティオの結界〉。

 そこにはユウさんが教えてくれた通りの、三つの刻印が刻まれていた。


 刹那、真っ白な魔法陣が〈エスティオの結界〉の目の前に浮かび上がり、放たれた光の帯が森のあちこちへと伸びていった。


「……へへっ。やったよ、ユウさん……」


 その光景を目にしながら、私の意識は深い闇の中へと落ちていった。

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