3-13 ラティクスの死闘 Ⅲ

「――来おったか」


 ラティクス内から響いてきた爆発音。

 王宮にいたアリージアは、突如として鳴り響いたその開戦の報せとでも言うべき音を耳にするなり、深いため息と共に呟いた。

 ラティクスを護る〈エスティオの結界〉に仕掛けを施されている以上、悠という魔導技師の登場によって裏切り者が動く事はもはや自明の理であったのだ。今更驚くような事でもない。


「どうやら、南側の結界が破れ、魔物が殺到しているようです。魔物を集結させるこの方法、恐らくは……」

「うむ、もはやこの場所にいても感じられるわい。この禍々しい不浄の気――魔族じゃな。それもかなり高位の、それこそ〈十魔将〉の一角であろう。いや、二人おるのであれば二角とでも言うべきかの?」


 まるで切迫した状況には似つかわしくない、どこかまだ余裕を持ったアリージアの物言いに、ルシェルティカは思わず目を丸くして、一つ深く息を吐いた。

 アリージアの態度を見て、柄にもなく自分も焦燥に駆られていたのだと気が付いたのだ。


「いかがなさいますか?」

「今更役割を変える必要もあるまい。妾はすぐに〈界〉へと渡る。おぬしにはいつも通り頼む、即座に動くのじゃ」

「はっ」


 短く返事をした後で、ルシェルティカはふと動きを止めた。

 虚空を見つめて立ち止まる姿に、アリージアが苦笑する。


「娘が心配かの?」

「……心配ではない親などいようものでしょうか」

「で、あろうな。じゃが、ユウ殿と共にいるのであれば心配あるまい」


 堂々と、微塵も疑った様子もなく言い切ってみせる主の姿に、アリージアが小首を傾げた。


「ずいぶんと買っていらっしゃるのですね?」

「あの発想はもとより、力がなくとも戦う事から決して逃げようともせぬ度胸は、中途半端に力を持つ者よりも余程備わっておるからの。リュートとは真逆な男じゃが、信念を宿した目はどこか似ておる」


 アリージアの記憶に今も鮮明に残る初代勇者リュート・ナツメ。

 圧倒的な力を持ち、才能の塊と言えるような者ではあるものの、普段はただの煩悩の塊のような男であった。ハーレムを築き、すぐに手を出すような男だったのだ、そう思うのも無理はない。しかし、いざという時に立ち向かえる強さがあった。

 絶対に成し遂げてやろうという強い炎を宿すような目つきは、真逆な性格をしていると言ってもいい悠のそれと酷似している。


「アルシェリティアはかつての妾と似ておるよ」

「そう、なのですか?」

「うむ。あやつはまだ、醜い争いも命を賭ける戦いも、どこか遠い世界にあると感じておるであろう。故にこそ、ユウ殿といるのならば大丈夫なのじゃ」


 ――かつての自分が、リュートに触発されて奮い立ったあの日のように。

 アリージアはそんな懐かしい記憶を口にしようとはしなかったが、その目は一片の曇りも映していなかった。


「アリージア様がそう仰るのであれば、無用な心配なのかもしれませんね」

「うむ。誇れ、ルシェルティカよ。おぬしがその細い腕で守り続けた蕾は、必ずや大輪の花を咲かす。妾が太鼓判を押してくれるわ」

「……でしたら、その大輪の花を見守るためにも、この場所を守り、生き抜かなくてはなりませんね」

「無論じゃ。生き残るのじゃぞ」

「アリージア様こそ。私の娘自慢に付き合うまで、必ず生き残ってくださいね」


 魔族――それも魔王直属の部下である〈十魔将〉が相手となれば、どうなるかはあまりに未知数だというのが、二人の本音である。

 それでも、互いに生き残ると決めた。

 今生の別れとなるかもしれないその瞬間を、二人は互いに笑い合ってそれぞれの戦場へと向かって歩みだした。









 王宮の外を出て、まっすぐアリージアが向かったのは先日も訪れた場所、世界樹の大精霊であるルウが護る〈界〉。世界樹の本質である〈門〉の役割を果たすその場所であった。

 揺れる世界に身を投じ、一瞬の酩酊感に「何度通ってもこればかりは慣れぬのう」と心の中でぼやきながら、アリージアは〈界〉の中へと足を踏み入れ――眼の前の光景に大きく目を剥いた。


「――あぁ? んだよ、勇者かと思いきやハズレじゃねぇか」


 アリージアの眼前に広がったのは、本来ならば悠が〈精霊界〉で見た光景と酷似した緑溢れる広大な大地と、そこに佇む世界樹。世界樹は木の枝が絡まり合うように硬く扉を閉ざしてこそいるものの、紛れもなく〈門〉があるはずの光景であったはずだ。


 しかし、今は全く異なっている。

 大地が隆起し、焼け焦げ、鋭利な氷の刃が天を突くように空へと向かって屹立している。その中心地では、黒い外套に銀色の鎖をあしらった外套に身を包み、目深に被ったフードから桃色の髪を覗かせる女――アイリス。

 更に、そんなアイリスによって踏みつけられた、傷だらけになりながら倒れている門番、ルウの姿であった。


 ポケットに手を突っ込んだまま、踏みつけていた足を退かしたアイリスが、ルウを背にするように身体をアリージアへと向けた。


「よりにもよって魔族がこんな所にまでやって来ておるとは……。どうやって〈界〉に入りおった、おぬし」

「あぁ? どうやって、だと? おいおい、何寝惚けた事ぬかしてやがんだよ、ハイエルフ。忘れっちまったのか? ――だろうがよ」


 同胞。

 その言葉にアリージアは明らかな嫌悪を顔に示した。


「怨嗟によって生み出された邪神の眷属めが同胞などと、虫酸が走るわ……!」

「クククッ、そうだな。虫唾が走るってのは同感だぜ。自分で言っちゃなんだけどよ、テメェらみてぇなのと一緒にされるのはオレの方が願い下げってなもんだぜ」


 かつて悠が、クーリルに問いかけた世界樹と魔族の関係。

 その本質が、今まさにアリージアとアイリスの間で交わされた会話に集約されている。


 世界を創った十柱の神、その一柱である精霊神アーシャルから生み出される精霊。その力を半分受け継いでいるアリージア。対して、世界に生まれるべきではなかった、ありとあらゆる憎しみや欲望、怨嗟によって生まれたとされる邪神の眷属が魔族だ。本質的には精霊のそれに近い。

 神と精霊、邪神と魔族。互いに眷属として生まれたという意味で考えるならば本質的には近い存在でありながら、正反対の存在なのだ。


「だいたいよう、オレ達がここに来る理由なんざ、今更語る必要なんてねぇだろう?」

「……〈門〉を奪いに来たか」

「ククッ、その通りだ。ここの支配権さえ奪えば、〈魔界〉にいる連中を一気に呼び寄せれるからな。そうすりゃ、いちいち海を渡るなんて面倒な真似はしなくて済む」


 アイリスが語る通り、これこそが魔族が執拗に世界樹を狙う理由であった。

 アーシャルのいる〈精霊界〉と同じように、邪神が築き上げた〈魔界〉。その場所から現世へと姿を現すには、どうしても「門」が必要になる。

 今でこそ魔族の本拠地とされている大陸にしか魔族が支配した〈門〉はないため、海を渡って侵攻してくるといった手段しか持ち合わせていない魔族であるが、〈界〉を渡って〈門〉をくぐれば、その侵攻速度は今とは比較にならない程に跳ね上がるだろう。


「させると思うでないぞ。おぬしらに世界樹を――〈門〉を明け渡すぐらいならば、世界樹を枯らせてでも止めてみせる」

「ハッ、いい度胸してるじゃねぇか。けどよぉ、ハイエルフ。死んじまったら、そんな真似もできねぇよ――なッ!」


 ポケットから手を出して、だらりと下ろした両手。言葉の勢いをそのままに突き出したアイリスの手の先には、赤く煌々と輝く魔法陣が描かれ、炎によって象られた数十にも及ぶ矢が放たれた。

 殺到する炎の矢の姿を確認したアリージアが横へと駆け出して回避する。


「ハハッ! 逃がすわきゃねーだろうがッ!」


 アイリスが突き出していた手を今度は地面に叩きつける。

 青い魔法陣が叩きつけた手を中心に広がり、まるで大地を突き破るかのように生み出された鋭利な氷が、横へと避けたアリージアに向かって襲いかかっていく。


 回避した先を詰めるように放たれた氷の魔法は、寸分違わずアリージアへと肉薄――しかし、アリージアは突如としてぴたりと足を止めると、薄い桜色の唇を小さく動かした。刹那、アリージアへと迫っていた魔法は突如として生み出された雷撃によって打ち砕かれた。


「ふむ。詠唱もなく多様な魔法を操る、か。おぬし、〈十魔将〉の〈沈黙〉――アイリスじゃな。厄介な相手じゃ」


 虚空から黄金色の雷撃を放電させながら、額に角を生やし、二本に分かれた尾を持つ一匹の銀狼。歩み寄る銀狼の首を撫でながら、アリージアが告げる。

 詠唱なく魔法を操り、一切の反撃も許さずに数々の魔法によって敵を黙らせる、魔族随一の魔法使い。魔族に相対する者ならば誰もが一度は聞いたことがある名であった。


「……チッ。あぁ、そうだ。そういうテメェこそ、その銀狼の精霊。噂は聞いたことがあるぜ」

「『銀雷狼』ブリッツじゃ。良い名であろう?」


 初代勇者と共に、契約精霊のブリッツを連れて多くの魔族を屠ったハイエルフ――アリージア。彼女もまた、魔族の中でその名を知らぬ者はいないと言われ、強さを知られている猛者であった。

 大精霊とまではいかずとも上位に位置するブリッツの力は強力で、発動から着弾までの早さもその威力も、ただの精霊とは隔絶している。魔力障壁と呼ばれる物理面でも魔法面でも強い防御力を持つ魔族であっても、ブリッツの雷撃はまともに浴びればタダではすまない。

 男勝りの苛烈な口調で喋るアイリスではあるが、こと戦闘においては無意味に熱くなるほど愚かではない。ブリッツとの戦いは、いくらアイリスであっても決して油断できるものではないと判断したのか、目深に被っていたフードを外した。

 波打ち、どこかボサボサなままの肩口まで伸びた桃色の髪を掻きむしるように乱暴にほぐしたところで、アイリスは髪の桃色に近く少し仄暗い赤を思わせるような目を細め、口角をあげた。


「テメェみてぇのとり合うってのも悪かねぇが、手間がかかってしょうがねぇな」

「フン、妾とておぬしのような厄介な輩と戦うのは面倒でしょうがないがの。かと言って、魔族に世界樹を明け渡すわけにはいかぬ」

「ククッ、おめでたいな。オレがあの〈門〉にとでも思ってんのか?」

「――ッ、なんじゃと……!?」


 アイリスがすっと横に避け、アリージアの目にが映るように位置を動かす。

 世界樹の〈門〉に深く突き立った、黒い短剣。まるでじわじわと侵食していくかのように短剣からは漆黒の黒色が広がり、扉の役割を果たす世界樹を徐々に、しかし確実に黒く染め上げ始めていた。


 大きく目を剥いたアリージアの姿に、アイリスの唇が弧を描いた。


「――ブリッツ、急ぐのじゃ! あの短剣、魔の力を強く帯びておる! このままにしてはおけぬ!」

「ハッ、やらせっかよ! かかってこいよ、ハイエルフ! アレが侵食しきるまで、遊んでやるぜ!」


 戦闘再開の初撃、アリージアの命令によってブリッツが額の角から雷撃を放った。まっすぐアイリスへと向かった雷撃が直撃する、その瞬間。アイリスは右手を突き出した。

 浮かび上がる赤黒い魔法陣が強固な障壁となって、アイリスの突き出した右手の前に展開――ブリッツの放つ雷撃は烈光と爆音を響かせながら、周囲に拡散して散った。


「おいおい、どうしたよ! その程度じゃ、オレにゃ届かねぇぞッ!」


 今度は自分の番だとでも言いたげにアイリスが動く。

 コートに隠れていた太ももに取り付けられていたホルスターから、左右の手に引き抜かれた鉤爪状に湾曲した短剣を引き抜いたアイリスが、瞬時にブリッツへと肉薄した。

 ブリッツに反撃を指示したアリージアの声、ブリッツの額の角に集まる雷撃の初動を見抜いたアイリスが上空へと飛ぶと、ブリッツの放った雷撃がアイリスのいた地を貫いた。

 同時に、上空へと回避したアイリスが身体を捻り、短剣をアリージアへと向かって投げつけた。

 くるくると回転しながら襲いかかった短剣をあっさりと僅かに避けてみせたアリージアであったが――アイリスの口元が弧を描いていることに気が付き、即座に身体を捻った。ぞわり、と背を走る嫌な予感がしたのだ。


 その直感は正しかった。

 やり過ごしたはずの短剣が、アリージアの腕を抉り、鮮血を撒き散らしながらアイリスへと引き寄せられるように戻っていき、アリージアの口からは苦悶の声が漏れる。


「ぐ……ッ! ブリッツ、追撃せよ!」


 傷を負いながらも、上空へと飛んだアイリスからは一切目を離さず、アリージアが更に追撃を命令。ブリッツが上空へと飛び上がり、帯電した巨躯を肉薄させた。


「――チィッ! しゃらくせええぇぇッ!」


 対するアイリスの咆哮。

 アリージアの血に濡れた短剣を掴みつつ、アイリスはもう片方の短剣に魔力を流し込んだ。赤黒く禍々しい光を宿した短剣を投げつけるが、ブリッツが額の角をうまく使ってそれを弾き飛ばし、鋭利な牙を見せつけるように大きく口を開け、噛み付く。

 咄嗟に身体を捻りながら、先程のように魔力障壁を展開したのだろう。アイリスの腕を貫くはずであったブリッツの牙は、獲物を噛み砕こうと閉じられた瞬間に、激しく金属同士がぶつかり合うかのような耳障りな音を立てながら、僅かに均衡を生み出した。

 それでもブリッツの力が強引に魔力障壁を破る。

 アイリスもすでに腕を引き抜いていたが、噛み切るには至れなかったものの外套を食い千切り、その下に隠れていた腕を掠めた牙が傷を生んだ。

 即座にアイリスがアリージアの腕を抉った短剣をブリッツへと突き立てようと振り抜くが、ブリッツはさながら空中を蹴るようにして即座に離脱。アイリスとブリッツが同時に地面へと着地した。


 一瞬の攻防で互いに腕に傷を負う、痛み分けの展開。戦いはまだ始まったばかりではあるが、アイリスはブリッツを相手にしてもそう易易と勝ちを譲ってくれるような相手ではない。

 アリージアの表情は優れなかった。

 ちらりと視線を動かせば、木の枝が絡み合うように「門」を閉ざしている世界樹の枝の一本が真っ黒に染まり、侵食を深めている。このまま時間がかかってしまって得をするのはアイリスなのだ。アリージアとしては、すぐにでも短剣を引き抜き、未だ倒れたままのルウを介抱して、「門」の修復に取り掛からなくてはならない。明らかな劣勢だ。

 アイリスの実力を決して軽んじていた訳ではないが、ブリッツの牙を前にかすり傷一つしか負わせられず、得意の雷撃も強固な障壁によって遮られてしまっているせいで、決め手に欠けている。


 アリージアはハイエルフであるため、その身体は華奢で小さく、見た目と同じく非力である。――もっとも、レベル一のステータス最弱な悠に比べれば圧倒的に優れているが、対するアイリスのように近接戦闘までこなせる程ではない。


 ――せめて、誰かが助太刀にやってきてくれれば。

 そんなアリージアの願いが通じたかのように、ゆらりとアリージアが背にした〈界〉の出入り口が揺れた。


 アイリスがそこから姿を現した人物を見て、眉をぴくりと動かし、顔を顰めた。

 すわ味方がやってきたのかと、アリージアも振り返る。


「――何を遊んでいる、アイリス」


 姿を現したのは、アリージアの願い虚しく敵側の助っ人。

 そして、鮮血に染められ、血だらけとなり気を失っているであろう、悠の姿であった。









 ◆ ◆ ◆










 一方その頃、ラティクスの南側では魔物の軍勢とエルフ達の激しい戦いが繰り広げられていた。

 彼らの頭上、空をたゆたう光の球体達が白みがかった穏やかな色から一転、赤い光へと一斉に切り替わり、同時に、前衛となって前線を支えていたエルフ達が後退、散開した。


「――斉射ッ!」


 ルシェルティカの声とほぼ同時に、後方に控えていた〈森人族エルフ〉達から一斉に魔法が放たれた。

 吹き荒れ重なり合う風が魔物の軍勢を呑み込み、大地が隆起して生み出された硬化した土の槍が魔物を貫く。周囲の木がざわざわとざわめき、鞭のようにしならせた木の枝で魔物を吹き飛ばした。

 魔法の発動が落ち着き、空を浮かんだ光の球体が再び白みがかった色に戻ると、一度後退、散開していた前衛を務めるエルフが再び魔物の軍勢へと向かって飛び込んだ。


 この統率された動きを可能にさせているのが、ラティクスの頂点に立つアリージアの側近、ルシェルティカの契約する光の精霊――ウィル・オ・ウィスプの能力であった。

 ルシェルティカの傍に佇む、ウィル・オ・ウィスプの本体。一際大きい光の球体がルシェルティカの指示に従い、分体であり眷属でもある、ラティクス内を日頃から漂うように浮かんだ光の精霊達を使って信号の役割を果たしているのである。


「……キリがないですね」


 ルシェルティカが独りごちるのも無理はなかった。

 ウィル・オ・ウィスプを通してラティクスの外までを偵察してみたものの、魔物の軍勢は未だ衰えるどころか、未だに最後尾すら確認できていない。その波は南側のみに留まらず、西側の悠とアルシェリティアが通ってきた場所と、さらには北東側にも集まっていた。

 すでに〈エスティオの結界〉は完全に沈黙してしまったのか、魔物が押し寄せてくる中、エルフ達がどうにか精霊魔法で数を減らしてこそいるものの、まだまだ終わりは見えていないのだ。


 多種多様の種族の魔物は、本来こうして一斉に協力して動くような存在ではない。弱肉強食はもちろん、同族であろうとも殺し合うような魔物も珍しくない。

 そんな魔物が協力してラティクスに襲いかかっているのだ。魔族が魔物を統率するという噂はルシェルティカも耳にした事はあったが、ここまでの数の魔物がどこにいたのだと思わずにはいられない。


 戦闘の指示をあちこちに飛ばしつつも、ウィル・オ・ウィスプを通じて非戦闘員達をラティクスの中心に佇む世界樹に向かって退避するように通達している。

 現在はルシェルティカの加勢によりエルフ達も殺到する魔物達に対して均衡を保つ事ができているとは言え、こうして戦闘を繰り広げていてこそいるものの、押し返すには至れていなかった。

 アリージアと悠が魔物を統率している魔族を倒すか、あるいは退かせるかしなくては、エルフ側が疲弊して押し切られてしまうのが目に見えていた。


「お母さん!」

「――リティ……ッ!?」

「状況はどう!?」

「〈エスティオの結界〉が完全に沈黙してしまったらしいわ。今はここだけじゃなくて、北東と西でも魔物が襲いかかってきてるわ。――それより、リティ。ユウさんはどうしたの?」


 聞こえてきた声に振り返ったルシェルティカは、娘であるアルシェリティアの姿を見て安堵しながらも、悠の姿がそこにない事に気が付き、事情を問いかける。

 そんな母にアルシェリティアが先程起こった出来事を説明した。


「――そう。ユウさんは、何かをあなたに託した、と」

「うん、それは間違いないんだと思う。でも、何をすればいいのか分からなくて……。お母さん、何か思い当たることはない?」


 ルシェルティカとて、悠と直接会話をする機会は決して多くはなかった。

 基本的にはアリージアと共に行動しており、悠は悠で自室で色々な魔導具を開発したり、あるいはミミルと相談しながら中空に浮かべたウィンドウに描いた魔法陣をあれこれと話し合っていたりと、作業に没頭している事が多かった。


 かと言って、このまま何も思い当たらないと言ってしまえば、アルシェリティアもどうすればいいのか困惑してしまうだろう。まだどこか幼い娘の力になるべく、どうにか知恵を絞ろうと――そこまで考えて、ルシェルティカは今更ながらに気が付いた。


 ――雰囲気が、変わった……?

 ラティクスが魔物率いる魔族に攻め込まれ、切迫した状況。今までのアルシェリティアなら、まず間違いなく不安に揺れていたであろう娘の翠玉のような瞳は、まっすぐと自分へと向けられている。

 その姿を見て、ふとルシェルティカはつい先程、アリージアが語った言葉を思い出していた。アルシェリティアはかつてのアリージアに似ており、そんなアルシェリティアだからこそ、悠と共にいる事で何かが変わるであろう、と。


 娘の成長をこんな状況下で実感するはめになるとは、と思わず頬を緩めるルシェルティカに、アルシェリティアが小首を傾げた。


「――リティ、落ち着いて思い出してごらんなさい。ユウさんと一番一緒にいたのは、他の誰でもないあなたよ。何か、あなたが見た何かがあったはずよ」

「何か……」

「えぇ。今のあなたならきっとできるはずよ」


 いつも叱咤激励するか、諭すように物を告げるルシェルティカから向けられた信頼の言葉。その変化に気付く程の心のゆとりはなかったが、アルシェリティアは母の言う何かを思い出そうと、目を閉じた。


 実際にルシェルティカが言う通り、悠はいつだってウィンドウを中空に浮かべて何かをしていたり、ミミルと共に魔法陣の相談、魔導具の制作ばかりにかまけていた。

 アルシェリティアもエルフであり、決して魔法に対して造詣が深い訳ではないため、何がどうなっているのかまでは解らず、じっと見ているぐらいであった。




 だが――――




「――あ……っ!」

「何か思い出したの?」

「う、うん。もしかしたらって感じだけど……!」

「そう……。なら、そちらはリティに任せるわ。気をつけなさいね。魔物は未だに魔族に統率された動きを見せているわ。魔族さえどうにかできれば状況は変わるはずだけれど、このままじゃいずれ……」

「大丈夫だよ、お母さん――」


 言葉を濁す母の言葉を遮り、アルシェリティアは続けた。


「――私が、絶対になんとかするから」


 アルシェリティアは、再び走る。






 脳裏に浮かんでいたのは、つい二日程前の穏やかな夜の話であった――――。

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