3-10 リティさんと僕
「ふにぃ……」
疲れきった様子でお風呂上がりの浴衣に着替えたまま、膝を立てた状態で上半身だけべったりと布団に引っ付けるように倒れたリティさんから、おかしな声が漏れた。
一応同じ部屋に異性がいるというのに、まったくもって警戒心のかけらもないというか、そもそもまだどこか子供に見られているという感覚が抜け切っていないとでも言うべきか。
浴衣が僅かにはだけて少し露出が激しい状態である事をリティさんは気にしていない。
女性としてどうなのかと言いたくもなるような光景だけれども、かく言う僕も、目の前にウィンドウを展開しながらミミルと魔法陣の作成を続けているのでちらりと横目でそちらを見ただけで、ドギマギするような青少年らしい反応をするようなタイプでもない。
お互い様なのかもしれない。
「ずいぶんと疲れてるみたいだね、リティさん。どうしたのさ?」
「うぅ~、今日はユウさんが一日中〈界〉に行ってたから、私は外で魔物狩りを手伝ってたんですよぉ……」
「外で魔物狩り? 大森林の中で?」
「ですです。なんか最近、魔物が増えちゃってるみたいで……」
「ふーん。あ、ミミル。ここ、こっちと繋げた方がいいんじゃない?」
そう言いながら顔だけをこちらに向けたらしいリティさんがもぞもぞと動く音を聞きながらミミルに間違ってそうな箇所を指摘してみると、ミミルが『その発想はなかった!』とログウィンドウを頭上に展開しながらテヘペロよろしく自分の頭を軽く小突いた。
なんていうか、レパートリー増えてないかな、この子。
「でもでも、ラティクスの周辺の大森林って元々魔物は少ないはずなんですよ~」
「ふーん」
「私達はユウさんの魔導具の『
「へー」
「オルトネラさんとかと一緒に戦ってたんですけど、途中でオルトネラさんだけ森の浅い所まで見回りに行っちゃって、戦力落ちちゃうしー」
「ほうほう」
「……ユウさん、聞いてます?」
「聞いてるよ、うん。でも、僕にはお疲れ様としか言えないかなって」
「冷たいっ!?」
実際、その苦労は僕には分からないからね。大変だったねって慰めてもしょうがないし、一緒になってオルトネラさんがいなくなってしまった事を責めるのも、オルトネラさんがなんでわざわざリティさん達と別行動したのか理由が判らない以上、それを責めれる立場にいるわけじゃないし。
「むぅ……。明日からは護衛で一緒になるんだから、もうちょっと優しくしてくれてもいいんですよ?」
「あぁ、うん。よろしくね、クーリル」
《おまかせくだせぇ、ユウの旦那》
「私アテにされてないっ!?」
リティさんの戦闘スタイルはクーリルが主体となった風の【精霊魔法】だからね。リティさん自身が近接戦闘をする姿を旅の間に見たのはほんの数回で、大体がクーリルの助力で終わっちゃってたし。そもそも空を飛んでたから、魔物との接敵回数が少なかったから、いまいちリティさん本人の戦闘能力は理解できてなかったりもする。
ましてやステータスが強化されている人は、総じて僕には把握できない速さで動いたりするもんだから、僕から見れば誰だって強いんだけども。
「ところで、ユウさんの方はどうなんですか?」
「結界の事なら、心配はしなくてもいいと思う。色々と調べなきゃいけない事はあるけれど、時間さえあればどうにでもなるだろうし」
「わっ、ホントですかっ!? すごーい!」
《お嬢、浴衣がはだけちまってやすぜ》
「にゃっ!? あうぅ、ユウさん見ないでくださいねっ!」
「見てないから大丈夫」
がばっと起き上がったリティさんが小首を傾げ、クーリルにはだけた浴衣を指摘されてゴソゴソと直してる。というか、気にはするんだね、一応。
「……ぬか喜びにならなければいいんだけどね」
「よいしょっ、直りました! もうこっち見てもいいですよ!」
「見ないから大丈夫」
「ユウさん冷たい……。えっと、それで、ぬか喜びってなんですか?」
見るなって言ったり見ていいって言われたり、そもそも僕はミミルとの作業でそれどころじゃないからね。
リティさんみたいな、有り体に言えば美少女な相手と同じ部屋で寝泊まりするんだから、普通なら少しは緊張したりとかするんだと思うけれど、ね。
僕は赤崎くん達の願いによって生み出された、「彼らの知る高槻悠という精霊」――今は神もどきでもあるけれども、それはさて置き――だ。そのせいだと思うけれど、恋愛感情とか男女の関係とか、そういうものに一切心が動くような事がない。
不思議な感覚だった。
自分が人間じゃないと言われてもなんとなくそれを受け入れられるし、むしろ納得できてしまうような感覚。こちらの世界にやって来てからというもの、僕は精神的にはともかく肉体的に疲れていない理由はそれだったのかと腑に落ちた。
ルファトス様から告げられた、肉体を創った神々の話に関しても驚くことなく受け入れていたのは、心のどこかでその可能性を理解していたからだ。それに比べ、今回アーシャル様から聞かされた僕自身の存在についてはさすがに考慮していなかった。
それでも驚かなかったのは、僕自身、心のどこかで朧気に理解していたのかもしれない。自分が歪んでいるような気がしてならなかったのは、その違和感が生み出したものだったんだろう。
エキドナとの戦いの後、目が覚めてから、エルナさんが目を閉じた僕の唇に指を当ててからかうような真似をした時はさすがに驚かされたりもしたけれど、恋愛感情があるかと訊かれると、僕にはそういった感情は多分存在しない。
ましてや、僕が根本的に人間ではなくなっている事については、これから時間が経てば証明されるだろう。
僕はもう、精霊として生まれている。
これから先、みんなとは違って僕だけが、身体が成長する事も、大人になる事もなくなってしまっているのだから。
「……ユウ、さん?」
「ん……。あぁ、ごめんね、ちょっと考え事してただけ」
「……何か、あったんですか?」
ぴたりと動きを止めていたせいで、どうやらリティさんに余計な心配をかけてしまったみたいだ。
いけない、話の途中だった。
頭を振って「なんでもないよ」と答えつつ、話を戻す。
「〈エスティオの結界〉は、何者かに細工された形跡が見つかったんだ。だから、これから〈エスティオの結界〉を修理しようとしていれば、まず間違いなく妨害が入ると思う」
「――ッ! じゃあ、アリージア様が仰っていたことは……」
「うん。〈エスティオの結界〉を発動させているアーティファクトは、このラティクスの中枢にある。このラティクスで、アーティファクトがある場所を知っているのは僕を除けばエルフの人達だけって言う話だし、まず間違いなくエルフの誰かがそれをしているっていうのは間違いないだろうね」
疑う余地はもうないと思う。
実際にアーティファクトに刻まれた傷はそれを物語ってしまっているし、外部からの来訪者は〈エスティオの結界〉がどこにあるかも判らない。必然的にエルフの、それもリティさんが知るであろうラティクスの上層部に関係している存在の介入がなければ、今回の騒動はそもそも起こり得ない。
「ねぇ、リティさん。今ならまだ引き返せるよ」
気落ちしているリティさんをちらりと横目で見てみれば、やはり信じられないのか表情が動揺を隠しきれていない。この様子を見る限り、いざ裏切り者が凶刃を向けてきた時に対処はできないだろう。
僕はドライな性格をしているから、できないのならやらなければいいと思うし、僕と一緒に立ち向かえなんて無責任な言葉を投げかけるような性格はしていない。
リティさんの性格を鑑みる限り、そう簡単に敵だと判明したからと言って感情を切って捨てられる程、割り切れるような類の性格とは到底思えないしね。
――恐らくは、今夜が最後のチャンスだろう。
僕が〈
この夜が明ければ、僕が〈
そうなれば、もう引き返す事なんてできない。
僕の護衛という立場にいる以上、まず間違いなく殺し合いにも近い激しい争いになる可能性は、否めない。
「――ユウさんは、優しい、ですね」
返ってきた答えは、予想していたものとは全く異なるものだった。
「僕は優しくなんてないよ」
「そんな事ありません。だって、そうやってまた、選択するチャンスを与えてくれてるんですから」
「心配だからとか、そういう優しさなんかじゃないよ。僕が無駄死にしないためだったりする。相手がエルフってなったら、リティさんはいざという時に戦えないだろうからね」
「ふふっ、そういう事にしておきます」
あれ。
本音でそう言ってるのに、なんだろうこの「分かってます」的な微笑み。
「大丈夫ですよっ、私だってもう子供じゃないんですからっ! だいたい、私の方が年上なんですからね?」
「あはは、年上らしさを培ってから出直してきてください」
「ひどいですっ!?」
なんとなくリティさんが大人な対応するのを見ると、ツッコミを入れずにはいられないよね。
明けて翌朝。
昨日はルウさんのおかげで直接転移するような移動方法ができたけれど、ルウさんはあまり世界樹から離れるわけにもいかないし、僕もまだ〈エスティオの結界〉が置かれた場所の正確な位置を把握できていない。
という訳で、僕はリティさんを伴って〈エスティオの結界〉がある場所へと歩いて行った。
どうやら〈エスティオの結界〉は、王宮の裏手側に回り込んだような位置にあるみたいだ。誰でも行けてしまうのかとも考えていたけれど違ったらしい。
「――王宮の敷地内に立ち入りができる程度には立場がしっかりした人じゃなきゃ、この場所に来ることもできないって考えるべきなのかな」
「そうですねぇ。エルフの中でも限られた人以外、王宮入り口の鳥居を潜ることは許されてませんから。忍び込もうものなら門番代わりの契約精霊に見つかって、お母さんにすぐに見つかっちゃいます」
「へぇー……って、あれ? じゃあ、ラティクス内でもあっちこっちでふよふよ浮いてる光る精霊達って……」
「全部お母さんが契約している契約精霊の仲間です。何か異変があったらお母さんに伝えてくれますよっ」
……要するに自動監視システムをたった一人で構築しちゃってるって事だよね、それ。
もういっその事、アリージアさんじゃなくてルシェルティカさんがハイエルフでいいんじゃないかな。
まぁ、その辺は何か決まりみたいなものがあるのかもしれないし、置いておいて、だ。
管理システムことルシェルティカさんがいる以上、王宮に立ち入りできる程度に立場がしっかりしていなくちゃ、〈エスティオの結界〉に近づく事もできない。つまり、〈
「王宮に入れる人はどれぐらいいるの?」
「んー、正確な人数までは私も知らないですけど、かなり少ないと思います。お母さんと私はアリージア様の側近として王宮の一角に元々住まいがありますけど、それ以外で私が聞いているのはそれぞれの区画長と、ラティクスの警備隊の隊長のオルトネラさんぐらいですねぇ」
ラティクスは世界樹を中心に円状に広がっていて、区切るように区画があるらしい。その区画長達が実質的な〈
……あれ?
なんか今まで気にしてなかったけれど、そう考えるとリティさんって偉い人の娘さんっていう事になるよね。
「……な、なんでユウさん、そんな生温かい目でこっちを見てるんです……?」
「あはは、気のせいじゃないかな。それより、区画長って何人ぐらいいるの?」
「三人です。世界樹に近い、私達が入ってきた南西の入り口以外にも、北と南東方向に結界の出入り口があるんですけど、それぞれの通りを治めていらっしゃるので」
そうなってくると、アーティファクトに細工を施したのはルシェルティカさんとリティさんを含めて五人。だいぶ絞り込めそうな気がするね。
「ただ……」
「ただ?」
「お母さんが言うには、王宮に入らずとも王宮のある敷地内に入ってくる許可は簡単に下りるので、この数年で許可を得て入ってきた人達を加えると……」
……なるほど。
聞けば、〈
いくらルシェルティカさんでも、そういう人物の一人一人の行動を逐一チェックしていられるはずもなく、その間に何か細工をされていたんじゃ犯人の目星なんてつくはずがない。
そうなると、容疑者はかなりの数に増えたって事になるね。
結界の不調が即座に分かったなら対処もできただろうけれど、もう三年も前ってなると、すでに犯人を特定するのは難しい。
「まぁ、僕が頼まれたのはあくまでも〈エスティオの結界〉の修理だし、犯人探しはルシェルティカさんとアリージアさんに任せるけどね」
「……面倒臭くなったから丸投げすればいいや、とか思ってませんよね?」
「さぁ、ミミル。始めようか」
失礼な事を口にするリティさんを他所に、僕はミミルに声をかけ〈エスティオの結界〉を再び調べ始めた。
さて、気を取り直して、と。
結局のところ、僕はこの〈
けれど、これに刻まれた魔導陣自体が、僕らの知識の基盤となっている【魔導の叡智】にもない旧時代に開発されたためか、一般的に知られていない代物だ。
ラティクスに仕掛けられた結界は、ただ侵入者を防ぐという代物ではなく、ドーム状に世界樹すらも覆って視覚さえも偽り、存在自体を隠している。
これは【敵対者に課す呪縛】にはない効果だし、僕とミミルの間でもそれに近い魔法に目処はつけているけれど、どうにも納得がいかないというのが現状なのだ。なので、どうにか解析して流用したいというのが本音だ。
幸い、ミミルの見立てによると〈ラティクスの結界〉はそう簡単に消えてしまいそうな程の傷もなく、あと数年程度は余裕があるとの事だ。僕としても急いで手を打つ必要はなく、ゆっくりと解析しながら代用の魔導具を作る予定でいる。
いくつか見た事のない記号や文字の役割を果たしているものを次々に抜粋しながら、浮かび上がったウィンドウに書き込んで、それらを屑魔石――無色透明の魔石――を使った簡単な魔法陣にして効果を試しながら検証するっていう地味な作業を繰り返す。
単体では発動しなくても、複数を繋げれば発動したりもする。
なかなかに気が遠くなりそうな作業だ。
「――……そろそろ切り上げようか、ミミル」
何時間ぐらい作業をしていたのか、どうにもラティクスにいると空が塞がれてしまっているせいで時間の感覚が狂ってしまう。ミミルもコクコクと頷いて『その言葉を待っていた!』とプラカードよろしくログウィンドウを頭上に出している辺り、結構な時間が経ってしまっているらしい。
作業中、最初の内は何かと質問を投げかけてきていたりもしたリティさんも、途中からずっと黙ったままだったし、退屈させたかもしれないなぁと思いながら振り向くと、リティさんは膝を抱えるように座ったまま眠っていた。
はて……護衛とは。
「リティさん、今日は帰るよ」
「……にへへ……」
何度か声をかけてみても起きようとしないリティさんを、半ば強引に横から押して転ばせて起こしたのは、決して僕だけが疲れてイラッとしたからではないという事を、ここに明言しておこうと思う。
そうして数日間、魔法陣の解析と下調べの日々を繰り返す事になったのだけれども、その時の僕は、きっとどこか平和ボケしていたのだろう。時間がかかってもしょうがないし、まだまだ猶予はあるのだから、と。
作業開始から、六日。
西川さんに頼んでいた服がまさかの黒一色という色合いで送られてきて、それでも僕には必要な服だと割り切る事にして、その服を着ながら作業していたある日。
作業している僕らの耳に、ラティクスのどこかから響き渡った強烈な爆発音とも言えるような何かが聞こえてきた。
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