3-7 〈界〉での邂逅
「ううぅぅ……、頭、割れちゃいますぅ……」
ルシェルティカさんから預かった、多くの〈
さっきルシェルティカさんと廊下で会った時はある程度フォローしたから事無きを得たのだけれど、さすがに昼食まで眠り続けるというのは彼女の役割――つまりは僕の護衛として、目に余る失態だと判決が下ったみたいだ。
その結果、部屋にやってきたルシェルティカさんによるアイアンクローが執行され、微笑を湛えたまま片手で持ち上げられながら痛みに目を覚ましたリティさんの末路が、今の状態だ。
畳まれた布団に身体を預けて、さながら二日酔いに苛まれて唸っているかのような仕草をしているリティさんの姿に、思わず苦笑してしまう。
さすがに僕としてもフォローしきれず、無言で運ばれてきた昼食を食べているのだけれど……さて。
「どうして二人がこの部屋にいるんですかね」
そんな質問を投げかけた相手は、執行者と化したルシェルティカさんと、そんなルシェルティカさんの横で器用にお箸を使って料理をつついているアリージアさん。
何故か昼食を運ばせる人とは別口でやってきた二人が、僕と向かい合うように食事をしているのだ。
「うむ。色々と予定を詰める必要があるからの。それに、今日は妾と共に世界樹の中へと向かってもらうからの」
「世界樹の中?」
さて、木の中に入れとはこれ如何に。
疑問符と一緒に首を傾げ、おかしな方向に想像を膨らませた僕に、アリージアさんは箸を持った右手をそのまま左右に小さく振った。
「おぬしの想像しているような意味ではないぞ。正確に言えば、世界樹の本体がある聖域、とでも言うべきじゃな。昨夜話した報酬の前払いの為じゃ」
「あぁ、そういえば報酬なんてものがありましたね」
「……のう、おぬし。昨日は報酬の話をするまで明らかに断ろうとしておった気がするんじゃが。何を今思い出したかのように振る舞っておるんじゃ……?」
「気のせいですよ、きっと」
あたかも報酬の為に僕が引き受けたかのように言い始められるなんて心外だなぁ。
僕は世界樹を守るという大事な大事な使命を引き受けた、心根の清い健全な青年だと言うのに。
……だからアリージアさん、ジト目で僕を見るのはお門違いだよ、うん。
「行くのは分かったけれど、世界樹の周りはあの溶ける水に覆われているんじゃ?」
「物理的に言えば、そう見えるのも無理はありません。ですが、世界樹の中とはつまり、世界樹が作り出した〈界〉へと入り込むという事ですよ」
「〈界〉、ですか?」
「そうです。これはハイエルフであるアリージア様にのみできる、特殊なスキルの恩恵とお考えください」
「ちょっと待ってください。ハイエルフは下位精霊、なんですか?」
「ぬ? 知らなかったのかの? アルシェリティアには説明するように伝えておいたはずじゃが……」
「えぇ、初耳ですね」
僕らがちらりとリティさんを見ると、さっとこっちから視線を逆側へと向けた。何やらぷるぷるとリティさんが震え出していた。
――あぁ、忘れてたんだね。
三人の気持ちが一つになって、残念な子を見ている気分で僕らは嘆息した。
「リティには後ほど私からたっぷりとお説教するとして、一から説明しましょう」
ルシェルティカさんが微笑を湛えつつも冷たい視線でリティさんを貫き、その後で改めて説明してくれた。
どうやらハイエルフは「〈
そんなハイエルフが、世界樹を守るエルフの指導者の役割をこなしつつ、かつ世界樹の代弁者の役割を果たすのは、要するに、大精霊に仕える巫女といった役割が近いみたいだ。
そういう意味ではこの王宮が神社風の造りになっているのはあながち見当違いというわけでもないようだ。
「――つまり、アリージアさんは世界樹に棲まう大精霊とコンタクトが取れる、という事ですか?」
「うむ、その通りじゃ。じゃからこそ、おぬしに昨日話した通りの報酬――つまりは〈大精霊の加護〉を与えてもらう事ができるというわけじゃ」
そう、ひた隠しにしているからアリージアさん達には知られていないだろうけれど、僕が今回の依頼を受けようとしている理由である、僕に与えてくれるという報酬の前払い条件こそが、アリージアさんが言う〈大精霊の加護〉という代物だった。
――――以前、『叡智の神』であるルファトス様からもらった〈叡智の神の加護〉によって、僕には【魔導の叡智】が与えられ、ミミルと共に魔導具を作れるようになった。
僕の特性とでも言うべきか、存在力――つまりは経験値のようなものを【スルー】してしまう僕の性質上、この〈加護〉の系統と付随するスキルというものは、僕が唯一まともにスキルを得られる可能性のある手段であって、喉から手が出る程にほしい代物だ。
魔導具で魔王や魔族と対峙する以上、戦える手段は多い方がいい。今後〈加護〉を優先して取得しようとしているのは、すでにエルナさんにも相談していた内容だったりもする。
正直なところ、今回の一人旅の目的は確かに魔族や他の面倒事から僕の姿を隠す目的もあったのは事実だ。けれど、世界樹を擁するエルフならば、何かしら神に関係する存在と接触できる可能性が高いと踏んでいた。多少の危険には目を瞑ってでも来る必要があったというのも本音だったりもする。
もっとも、普通に考えれば、いくら神様に会えたとしても、そう簡単に〈加護〉を得られるかと言えばその可能性は低い。
けれど――僕の場合は少々事情が異なる。
僕にはファムを嵌めてみせたあの日から、とある称号が追加されているのである。
――――――――――
称号:〈神々の注目株〉
神々の予想だにしない結果を生み出し、女神アルツェラが抱腹するなどといった事件を引き起こした事により、ありとあらゆる神々から注目を浴びるハメになった者へと送られる称号。何か機会があれば、興味津々な神が釣れるかもしれない。神界における最新のホットなトピックス。
――――――――――
相変わらずのフレーバーテキストさんなわけだけれども、この「何か機会があれば、興味津々な神が釣れるかもしれない」という文を読む限り、何かしらのアクションを起こしてくれそうな予感がしている。
……最後のホットなトピックとかいう軽々しい感じの文に関してはスルーでいいんじゃないかなと思ってる。触れてあげない。
「――クックックッ、時にユウ殿よ。おぬし、前払いの報酬だけで満足しておって良いのかの?」
不意に告げられた、アリージアさんからの何やら悪巧みでもしていそうな含むような物言いに、僕は思わずぴくりと眉を動かした。
「……まさか、とは思うけれども。僕を唸らせる程の何かが用意できている、とでも言うつもりかい、アリージアさん……?」
「クックククッ、それこそ「まさか」な物言いじゃな、ユウ殿。よもやハイエルフたるこの妾が、前払いの報酬に見劣りするような成功報酬を用意しておるとでも思うたのかの? 甘く見るでないぞ?」
お互いに口角をあげて、ニヤリと笑い合いながら僕らは肩を揺らす。
「そこまで言うのなら、聞かせてもらおうかな。僕を満足させる程の報酬とやらを」
正直に言えば、僕にとっては〈加護〉以上に望むものはあまりない。
強いて挙げるとすれば、変わった魔法陣だったりエルフ特有の何かの素材とか、そういう部分を望んだりしている部分がない訳ではないのだけれど、じゃあそれが大精霊から与えられる〈加護〉以上の代物なのかと言われれば、どうしても首を傾げざるを得ないはずだ。
なのに、アリージアさんは――確信している。
今の彼女の物言いは、まるで僕が何か見落としているかのような態度だ。
何を見落としているのか見当もつかないけれど、この態度から察するに、きっととんでもない、僕が想像している以上の何かを用意してくれるのではないだろうか。
知れず、喉が鳴る。
からからと渇いた喉を潤すかのように、思わず僕は唾を飲み込んでいた。
やがて、薄紅色の薄い唇が弧を描いて、アリージアさんは――告げた。
「――悦べ、ユウ殿よ。成功の暁には、妾がおぬしの伴侶となって――」
「チェンジで」
「っ!?」
期待外れも甚だしいとでも言わんばかりに、間髪入れずに僕は異議を申し立てた。
さて、堂々と自分を引き合いに出しておきながらあっさりとチェンジを言い渡され、なんだかすごく不機嫌になったアリージアさんにフォローすら入れず、ともあれ僕はルシェルティカさんとリティさんを護衛に、アリージアさんと共に世界樹の〈界〉とやらへと向かった。
行き先は王宮に入ってきた時には気が付かなかった、もう一箇所の鳥居に囲まれた道だった。ゆらゆらと景色が揺れているような、なんだか蜃気楼のようにぐにゃりと歪んだ道が見える。
「あれが〈界〉の入り口――境界じゃな」
「あれを潜れば誰でも入れるってわけじゃないんだよね?」
「うむ、当然じゃ。世界樹に棲まう大精霊様の許可がない者が無理に通ろうとすれば、たちまち境界の狭間へと落ちるじゃろう。そうなれば、二度と自力では上がってこれまい」
「なにそれこわい」
まさかの返事に割りと本気でドン引きする僕を他所に、アリージアさんは振り返ってルシェルティカさんとリティさんに「では、行ってくるぞ」と短く告げると、僕の手を引っ張って歩き出した。
「ふふふん、〈界〉の中に入った瞬間に手を放したりはせんから安心するのじゃ」
「得意気にそれを言われると、かえってなんだか凄く嫌な予感がするんだけれども」
「いくら妾とて、そのような危険な真似をするつもりなどないぞ? そもそもユウ殿にはこの里を護る〈
キリッとした顔でそう言われても、その前のフラグを建てるような物言いをされたせいで、嫌な予感しかしないんだけれども。
「〈界〉に渡るのに、そこまで時間はかからぬ。しっかりと手を繋いでおれば、そうそう不測の事態など起こりはせぬよ」
「……そういうものとして信じるよ。慣れてるみたいだしね」
「うむ、二度目じゃからな」
「…………ん?」
「一度目はリュート殿じゃったからの」
前言撤回。
あまり慣れているとは言えない回数じゃないのかな、それ。
「ほれ、しっかり捕まっておるんじゃぞ」
返事をする間もなく、僕はアリージアさんに手を引かれるままに境界へと足を踏み入れた。
――――恐らく、境界を抜けるのに本当にかかった時間は、ほんの刹那の間だったんだと思う。
思わず目を閉じてしまった僕の身体は妙な浮遊感に襲われて、アリージアさんに掴まれた手の感覚だけを頼りに、ただ必死に手を放してしまわないようにと捕まり続けていたけれど、すぐに重力を取り戻した感覚に思わずたたらを踏みながら、転ばないようにと目を開ける。
「ここが、〈界〉……?」
見上げた空は夜空。
真っ暗な山の中で見た天の川を彷彿とさせるような、まさしく川のように光の帯が走った空が広がっていて、足元は草原が広がっていた。
遠方を見渡してみても、どこにも山も何もない。ただただ草原と夜空だけが広がっているような光景に、僕は口を開けたまま呆然と立ち尽くしていた。
「アリージアさん?」
今しがたまで手を握っていたはずのアリージアさんがいない。
一瞬の浮遊感があったあの瞬間までは確かに握っていたはずなのに、いつの間にか手を放してしまったのかな……。
もしそうだとしたら、僕はアリージアさんが言う次元の狭間とやらに落ちてしまった事になりそうな気がするんだけれど、不思議とそういった場所ではないような気がしてならなかった。
むしろ、この感覚というか、独特の空気は初めてじゃない。
かつて一度だけ、これと全く同じような空気に包まれた事があった。
「――待ちくたびれるところだったよ、ユウ・タカツキ」
突如背後から、まるで最初からそこにいたかのように、気配もなく声をかけてくる存在。それは、アルヴァリッドにあるファルム王立図書塔でルファトス様と会ったあの時と、まったく同じ空気だ。
そんな空気を放つ声の主に向かって振り返ると、中空に漂うように浮かんで胡座をかいた女性がいた。
南アジアの民族衣装であるサリーを思わせる色鮮やかな赤を基調にした、さながら踊り子を思わせるような服に身を包む、淡い水色の髪を揺らす女性。
金と翠のオッドアイは面白いものを見ているかのように細められながら、しかし真っ直ぐと僕を捉えていた。
「会う約束まではしてないですし、待ちくたびれるなんて言われても困るんですけどね」
僕の指摘に、女性は唇の下に人差し指を当てながら上体もろとも首を傾げると、エルフと同じように尖った耳につけられた黒と白の大きなリングピアスが揺れる。
「あれ、そうだったっけ? クーリルが言ったよね、「――精霊神様から聞いてください」ってさ」
「……まさか、あれが僕と会う約束になった、とでも?」
「うん、そうだよ? もう、しっかりしてよ~」
にへらと笑いながら言われて、思わずため息が漏れた。
そんな一方的なアポイントメントを押し付けられても、分かるはずがないんじゃないかな。しっかりしてほしいのはむしろこっちである。
それにしても、どうやらこの人――と言うべきか定かじゃないけれど――、話しぶりから察するには精霊神と呼ばれる存在であるらしい。
精霊を生み出す、神の一柱。
クーリルが言葉を濁した真実を知る存在。
どうにも間の抜ける喋り方や空気を纏っているように見えるけれど、独特の神気とでもいうべき気配の強さは、かつてのルファトス様以上の巨大さを思わせる。ともすれば、呑み込まれてしまいそうなぐらいに、だ。
「それで、ここはどこですか?」
「んー、どこだと思う?」
「訊いてるのはこっちなんですけど……」
「うん、そうだね。でも、キミはここがどこだか、もうとっくに理解しているよね?」
確かに、なんとなくは理解している。
相手が精霊神である事と、アリージアさんがいないという意味。この二つを鑑みれば、大体想像がつくのも当然の帰結とでも言うべきだと思う。
「ここが、〈精霊界〉ですか……」
「ふふふっ、そうだよ。――改めて、ボクが精霊神、アーシャル。ようこそ当代の勇者」
そして――と、彼女は付け加えた。
「――ボクらの新たな同胞。
三の母神、七の姉弟に連なる十一番目の上級神候補、ユウ・タカツキ。
ボクはキミを歓迎するよ」
ふわりと髪を靡かせながら、まるで歌うように告げる精霊神アーシャル。
彼女の言葉に、まるで僕の時間が止まったような気がした。
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