3-6 不穏な空気
――――悠がラティクスにてアリージアらから事情を聞かされていた、その頃。
夜空さえも塞ぐ木々に覆われた森は、精霊花と呼ばれる提灯のように花びらの中から光る花々と、時折光を放ちながらゆらゆら揺れて舞う精霊の光に照らされ、幻想的な光景が広がる。
巨大な倒木に、銀色の鎖があしらわれた黒いロングコートを身に纏い、顔を隠すように目深にフードを被る二人組の姿が揺れる精霊に照らされた。
倒木に乗り、腰掛けているのは女性なのだろう。網目のタイツに覆われ細い足先には黒いブーツを履いており、ポケットに手を突っ込んだまま退屈そうに足先をプラプラと揺らしている。
「――なぁ」
「……」
「おい、返事ぐらいしろっつの」
「……なんだ?」
ようやく返ってきた無愛想な男の返事は、女の気に入る返事ではなかったようだ。苛立った様子で舌打ちした後で、苛立ちを見せつけるようにため息を吐いてから改めて口を開いた。
「ホントに来んのか? 協力者さんとやらはよ」
「心配いらん」
「へぇ、ずいぶんと自信たっぷりじゃんか。あーぁ、めんどくさ。せっかくこのままエキドナを殺ったってヤツを殺しに行こうと思ってたのに、こんなトコで足止め喰らうなんてよー」
「エキドナを斃すような輩ならば、俺も興味はあったがな――来たぞ」
二人の視線が向いた先、森の奥からやってきたのは一人の男の〈
目深に被るフードで隠された顔がどのような表情を浮かべているかは定かではないが、倒木の上に座る女の口元は愉悦を象っているようで、その姿に気付いた〈
「待たせたな」
「ハッ、待たせてるって思うんなら駆け足ぐらいしろってーの。こちとらテメェらみてーにダラダラ永く生きてんじゃねーんだよ、ボケ」
「口の悪い女だ」
「……あ? おい、あんま調子乗んなよ、カス。磔にすっぞ、コラ」
「いい加減にしろ、アイリス。話が進まん」
「チッ……」
アイリスと呼ばれた、倒木に乗る女。彼女が不貞腐れるようにそっぽを向く気配を感じ取りつつ、フードを目深に被っていた男がエルフの男を見やる。
「すまんな。アレは気性が荒い」
「見ていれば判る」
「だろうな。――それで、問題はないのだな?」
「あぁ、無論だ。今のところ、誰にも気付かれてはおらん。ただ……」
「なんだ?」
「勇者の一人が来ている」
男――オルトネラは、来訪者である悠の存在を口にした。
その言葉に、プラプラと揺らしていた足を止めてアイリスと呼ばれた女が口角をあげた。
「勇者の一人、だと? 特徴は?」
「おなごのような顔をした若い男――ユウと呼ばれている」
「――くっははっ! そいつはいいや!」
倒木から飛び降りたアイリスが早速とばかりに歩き出そうとしたところで、オルトネラと話していた男がその動きを制するように声をかけた。
「待て、アイリス。結界を無闇に刺激すれば、〈
「ハッ、どうって事ないね。っつーかよ、エイギル。アンタ私がこいつら如きが束になったところでどうにかなるとでも思ってんのか?」
「聞き捨てならんな。我々〈
「チッ、さっきからゴチャゴチャうるっせーんだよ、カス。この場で殺しちまってもいいんだぞ、あ?」
「……貴様こそ、あまり調子に乗るなよ」
「やろうってのか? いいぜ、相手して――――ッ!」
刹那、アイリスとオルトネラの二人が息を呑んで動きを止めた。
――否、動けなくなった、と表現するのが相応しい。
再燃する二人のやり取りに、いい加減付き合いきれなくなったとでも言うべきか。エイギルと呼ばれた男が強烈な魔力を周囲に放出し、オルトネラとアイリスの二人を威圧したのだ。
「あまり手を煩わせるな。――殺すぞ、二人とも」
「……わぁーったよ」
「う、うむ」
ようやく落ち着きを取り戻した二人の姿を見て溜飲を下げたエイギルは、気持ちを切り替えるように嘆息した。
「アイリス。ユウと呼ばれるそいつの情報は知っているな?」
「面倒な魔導具を作ったっつーヤツだろ? そいつを殺せば、面倒な魔導具を作られなくて済む。そーすりゃ、エキドナを殺ったヤツを狙い易くなるんじゃねーか?」
「確かにそれはそうだろう。だが、油断するな。恐らく、そいつこそがエキドナを討った勇者だ」
「――……おい、エイギル。どういう意味だよ、それ」
アイリスの耳に入っている情報に拠れば、エキドナを屠ったのは真治ら――つまりは悠が言うところの『勇者班』だ。その情報はすでに二人が所属する魔王軍の中に知れ渡っており、真治と昌平、咲良と美癒に瑞羽といった名は要注意人物として扱われている。当然そこに悠の名はなく、アイリスが先んじて悠を殺そうと判断したのは、あくまでも悠が作る魔導具がばら撒かれる前に処分し、尚且つ勇者などという輩を一人でも減らしてやろうという魂胆があったからでしかなかった。
しかし――風向きが変わった。
ファムを捕縛してみせたという魔導具の開発と共に伝令役から聞かされた情報に拠れば、かなりの「キレ者」であり、しかし戦闘能力は不明であるとどうにも掴み切れない存在という、どこか断片的な情報だけが錯綜するのが悠だ。
そんな悠がエキドナを討ったと言い出すエイギルの言葉は、アイリスとて一笑に付せるような代物ではなかった。
「エキドナは嗜虐趣味が過ぎるのが難点だが、戦いで油断するような愚かな真似をする者ではなかった。そんなエキドナが敗れた、というのがそもそもおかしいのだ」
「あー……、ハッキリ言えよ。めんどくせぇ言い回しすんな」
「……まったく、お前も少しは頭を使え。もしも真正面からエキドナを斃せるような実力を持つ勇者を擁立していたのであれば、エキドナを討伐する前から情報は漏れていたはずだ。だが、そのような情報があったとは一切耳にしていない」
「そりゃそうかもしんねーけどよ。それがなんだっつーんだよ」
あまり頭を使うのが得意ではないアイリスは、どうやらエイギルが言わんとしている内容の先を理解するつもりはないようだ。明確な答えを欲するばかりの相変わらずな相棒の姿に呆れつつも、エイギルは続けた。
「エキドナはアレで実力に胡座をかくタイプでもなく、むしろ行き過ぎる程に狡猾な女だった。まず間違いなく勝てる算段をつけていなければ、不用意な戦いなど持ちかけたりはしない。接触したという事は、間違いなく勇者達に勝てるだけの絶対的な力の差と勝算があったはずだ」
エキドナは何も、その美貌と実力のみで傾国の魔族として恐れられたのではない。
内部からじわじわと毒で侵食するように、一手一手を確実に打ち、最終的にはどこにも逃げ場がなくなるように仕向けながら敵を屠る。そういう女であったからこそ、魔王軍の中でも名の知れた実力者であったのだ。
「――そんなエキドナが討たれたのだ。原因は恐らく、エキドナ自身が確信していたはずの完璧な計算が、何らかの形で狂ってしまったせいだろう。エキドナですら予想だにしていなかった、何者かの介入によってな」
「……つまり、その何者かが、ユウっつー勇者だって言いたいのか?」
「そうだ。証拠こそないが、俺はそのユウと言う名の勇者だと直感している」
ファムが作り上げた計画に乗り、それを利用した上でファムを追い詰め、最後には完膚なきまでに叩きのめす形を取って捕縛した事については、しっかりと魔王軍内に知れ渡っている。その有り様は策士と呼ぶには過大評価が過ぎるかもしれないが、それでも一筋縄ではいかない、何かの片鱗のように思えてならない。
故にこそ、エイギルが最も注意し警戒すべき勇者は、そんな事を思わせる相手――悠であった。
「間違っているのならそれでもいい。だが、下手な真似をして警戒され、手を打たれては面倒だ。計画の変更は俺が許さん。形勢逆転の一手を用いられる前に潰す。これは決定だ、アイリス」
「……チッ、アンタがそう言うならわぁーったよ。だけど、そいつはアタシの獲物でいいな?」
「構わん。お前の魔法の威力は俺がよく知っている――」
――まるで獰猛な獣が牙を剥いた姿そのものだ。
振り向いたアイリスの口元に対して、エイギルはそんな感想を抱きつつ、改めて命令を下す。
「――だからこそ、アイリス。勇者ユウを、一切の油断も躊躇も、侮りもなく殺せ」
ニタリと笑みを浮かべつつも、肌を突き刺すような明確な殺意を周囲に撒き散らせてみせるアイリス。そんなアイリスの殺気ですら、いっそ可愛げがあるとすら思わせる程の威圧を放ってみせたエイギル。
二人の間に流れる空気に気圧されたかのように、思わず足を半歩ばかり後退させたオルトネラは、それでも虚勢を張るかのように咳払いし、二人の視線を自らへと向けさせた。
「……ではな。また襲撃の機会を見つけ次第、改めて声をかけさせてもらう」
短くそれだけを告げたオルトネラは、足早にその場を後にする。
企みは、うまくいっている。
今の所、特に大きな障害は存在していない。
そう、全ては順調なのだ。
――――しかしオルトネラの顔は、決して晴れやかなものではなかった。
しばらく森を進んだ所でふと足を止めたオルトネラの表情に浮かんでいたのは、葛藤を抱えながらも苦渋の選択を迫られ、それでもなお自らにこの結果を呑み込ませるかのような――それこそ苦虫を噛み潰したかのような表情であった。
「――……こうするしかないのだ」
拳を力無く横に佇む大木へと打ち付けて、瞑目したままオルトネラは改めて自らの決意を自身に言い聞かせるように呟いた。
「世界樹を枯らせる存在など、認めるわけにはいかない。世界樹を守るためには、お前を殺すしかないのだ。許せ――勇者、ユウ」
その言葉の真意を悠が知るのは、まだ先の事。
ともあれ、エイギルとアイリスの二人によって、これまでは偶然とも言えるような流れから魔族と対峙してきた悠は、明確に魔族の上層部によって命を狙われ、否応なく戦いは迫ろうとしていた。
◆ ◆ ◆
ラティクスに到着して、明けて翌日。
昨日は結局、あの後アリージアさんに今後の説明を受け、
……いや、うん。
確かに僕はレベル一だから、それこそ赤崎くんとか細野さんとか、みんなみたいに体力が増えているわけじゃないから、しょうがないんだよ。
だけど、僕の目の前――というより正確には視線の先、離れたところ――に敷かれている布団で、にへらと笑みを浮かべながら涎を垂らして眠っているリティさんは、どうして僕以上に深い眠りに落ちているんだろうか。
普通にレベルが高いんだから、元気なはずだけどね。
ともあれ、リティさんを起こさないように静かに立ち上がって、乱れ気味だった浴衣を少し直して僕はそのまま部屋の外に出た。
「あら、おはようございます、ユウさん」
「あ、おはようございます。って言っても、ずいぶんと寝過ごしたような気がしますけど」
柔らかい笑みを浮かべて声をかけてきたのは、「のじゃロリ」であるアリージアさんではなく、この人こそハイエルフなのではないかと思わせるような気品に溢れる人。金色の長いストレートヘアを靡かせた物腰の柔らかな女性であり、アリージアさんの側近でもあるルシェルティカさんだった。
「ふふ、旅の疲れが出たのでしょう。まだお昼に差し掛かっているわけでもありませんし、もう少しゆっくりしていても大丈夫ですよ」
「そう言われても、結構早く寝たような気がしますしね。むしろ寝すぎて少し身体がダルいような気さえしてますよ。それより、その手に持っているのは……?」
「えぇ、昨日お話した通り、結界の〈
昨日の話で、ルシェルティカさんが今後のスケジュールを調整しながら、〈
「そういえば、リティが何処に行ったのか知りませんか?」
「リティさんならまだ寝てますけ、ど……」
言葉の途中から、ルシェルティカが湛えている微笑みには似つかわしくない、何やらどす黒いオーラのようなものを噴き出したような気がして、思わず僕も言葉に詰まってしまった。
「ふふふふふ。あらあら、まだ寝ているのね、あの子ってば……」
「ま、まぁあれです。旅で疲れていたんですよ、きっと」
「それでも、ユウさんより早く起きるのが護衛の務めというものでしょう? 昨夜部屋を覗いた時には二人ともぐっすり眠っていたのですから、夜中に襲撃を警戒していたとは思えませんし」
え、夜中に部屋を覗いたの?
そんなの僕だってまったく気付きもしなかったんだけれど。
「困った子です。私の娘が申し訳ありません、ユウさん」
「いえいえ……って、ルシェルティカさんの娘さんなんですか?」
「えぇ、その通りです。リティは私の娘ですよ?」
知らなかったんですか、とでも言いたげに告げられても困る。
そもそもアリージアさんから解放されてからというものの、リティさんとは当然ながら風呂も別だったし、部屋に戻ってからはすぐに眠ってしまったし、情報交換なんて一切していない。
苦笑で場の空気を誤魔化していると、突然ルシェルティカさんがすっと微笑みを消した。
「ユウさん。娘のこと、お願いします」
「護衛されるのは僕の方なので、むしろ僕がお願いする側なんじゃ……」
「いえ、そういう意味ではありません」
………………。
「……なんだかヒシヒシと面倒臭い感が漂ってきていて、あまり想像したくない展開になりつつある気がするので、敢えて訊きますけど――どういう意味です?」
「我々〈
「外堀から埋めようとしないでもらえますかね。そもそも同じ部屋で寝ろって言うのはアリージアさんの指示ですし、夜中に部屋を覗いたのなら僕らがお互いに無頓着に熟睡していたのは分かっているはずですけど」
「……さすがはユウさん。そう簡単には靡いてくれませんか」
「自分の娘に靡かせようとしないでください」
確かに僕だって健全な男子だし、女性と一緒の部屋で寝るっていうのはそれなり以上に緊張もするし、落ち着かないかもしれない。
でも、考えてほしい。
この数日一緒に旅をしてきたけれど、その中で僕にとってのリティさんに対するイメージは「年上なのに年下っぽい見た目と性格をした、警戒心のかけらもない女の子」といったものだ。
確かに見た目は美少女と呼ぶのが相応しいのかもしれないけれど、そんな印象が強く根付いた相手に恋愛感情云々が芽生えるはずなんてない。
そんな僕の心情を察したのか、ルシェルティカさんが苦笑を浮かべてため息を漏らした。
「まだまだあの子には大人になった自覚や色気というものがありませんからね。なんとなくユウさんがリティを見ている視線というものも想像がつきます」
ですが――と続けて、ルシェルティカさんが僕の耳元に口を寄せた。
「昨日アリージア様がお話した通り、ラティクスも今は一枚岩ではありません。リティをお願いするという意味では、あながち冗談というわけでもありませんので」
鼻腔をくすぐる女性特有の匂いというか、そんなものを残しながらそれだけを告げて顔を離すルシェルティカさんに思わず緊張しかねないような状況だったけれど、そんな事に頓着するような気持ちの余裕はなかった。
昨夜聞かされた、ラティクス内部に「裏切り者がいる」という可能性。
結界の〈
あまりにも出来過ぎたタイミングの良さを鑑みる限り、やはりその可能性は払拭できないらしく、だからこそ〈
アリージアさんの依頼は、それだけではない。裏切り者を誘き寄せる餌になってもらうというのもまた、今回の依頼には含まれている。
まぁ、当然そんな危険な依頼はお断りしてさっさと帰ろうかと思ったのだけれど、そうはいかない。
世界樹の危機、魔族の陰謀をそのまま放っておくわけにはいかないッ!
そう、断じて。
断じて、アリージアさんから齎された報酬に、思わず目が眩んでしまったわけじゃないとここに名言しておこう。もうすぐお目にかかれるだろう、僕にとっては願ったりな報酬を提示されたから思わず引き受けてしまったとか、そういうわけじゃないのだ。
「私達もユウさんの事は必ず守ります。親としてはリティを守ってあげてほしいというのは嘘偽りのない本心ですが、アリージア様の側近である私としては、ユウさんには些事に捕われず、しっかりと目的を果たしてもらう事を望んでいます。例えそれが、娘の命を天秤にかける事になったとしても」
ルシェルティカさんの立場と想いは、僕にも朧気ながらに理解できる。
きっとルシェルティカさんは、昨夜の話し合いの段階でリティさんには退席してもらいたかったのだろう。もしそうなれば、僕がこれからやるべき仕事に付き添う必要もなく、危険に晒される可能性はぐんと下がっていたはずなのだから。
けれど、リティさんは最後まで僕と行動するという道を選んでしまった。
ルシェルティカさんの親としての想いと、アリージアさんの側近という立場から導き出される感情は、正反対だっただろう。
そんなルシェルティカさんに対して僕ができる事は、「絶対に守る」なんて根拠のない決意を口にする事でもなければ、かと言って言葉を濁したり、同情の声をあげる事なんかじゃない。
「分かっています。どちらも救う道を探し出すつもりですよ」
これでも、一応は勇者と呼ばれているからね。
名前負けしないようにするためには、できる限りの手を打ち、裏切り者を嵌めてやろうと決意しつつ、僕はルシェルティカさんにそんな言葉を以って答えた。
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