3-3 森の中の国、ラティクス
アルヴァリッドを出て四日。
当初のリティさんの予想以上に早いスピードで移動していた僕らは、世界樹とラティクスのある大森林に足を踏み入れ――いや、正確には大森林の上を、『
「……空を飛べるって、なんだかずるいです……」
横に並んでいたリティさんがぼやく。
そうは言われても、これがなかったらなかなか辛い道のりだよ。
ラティクスに続くこの大森林は、自然の要塞であり迷路だ。
魔物も出現する上に、アルヴァリッドのダンジョンの三層のように、木々の枝から枝へと移動しながら攻撃をしてくるような猿型の魔物なんかも多くいるし、二層にいたトレントのような魔物だっているらしい。
いくら【スルー】があっても、何かあったら即死しかねない僕がそんな場所を通るのは危険なんだよ。
「空を飛ぶ魔法とかってないの?」
「空を飛ぶなんて聞いたことないですよ~……。例えできたとしても、魔力がすぐに尽きちゃいます……」
どうやら魔法があればなんでもできる、というわけにはいかないらしい。
リティさんの言う通り、どうにかして魔法で空を飛ぶ方法を見つけたとしても、空を飛び続けるとなったら魔力を使い続ける事になるだろうし、魔力なんてすぐに尽きてしまう。
レベルが上がれば魔力の総量があがることはあがるんだけれど、僕には無縁な言葉だね、れべるあっぷ。嫉妬に悶えたくなる。
この旅路は比較的平和なものだった。
というのも、この辺りは魔族との戦闘が繰り広げられている大陸の北東部に物資を送ったりするため、積極的に魔物を駆除しているおかげだ。
僕らが召喚されたファルム王国がある大陸――リジスターク大陸は、北東から南西に向かって、緩やかな「く」の字を思わせるような形をしている。地球で言うところの南アメリカ大陸に似たような形で、ファルム王国はこのリジスターク大陸の西部を治める、近隣諸国に比べても比較的大きな国だ。
魔の軍勢との戦いは今、大陸の北東部とその南で起きていて、すでに北東部の一角は魔王軍によって占拠されてしまっている。
ちなみに、魔王軍の本拠地はこの大陸から海を渡った先にある、歪な円形の大陸にある『
いくら前線が大陸の北東部だからって、油断していられるわけじゃない。
僕らはリジスターク大陸の平和な場所にいるけれど、すでにエキドナやファムといった魔族の侵攻がアルヴァリッドにまで及んだ以上、ファルム王国もまた、かなり追い込まれているというのが現実的なところだろう。
間違いなく、このリジスターク大陸は僕らと敵対する魔王軍との戦火に侵されつつある。
だからこそ、僕の作った魔導具は早く設置したいところだったりもするのだけれど、偉い人達の話し合いは長引いているんだろうなぁ。
まぁ、一人旅なんて真似をしている僕が言える事じゃないけれど、他の国の権力者が先走って僕を誘拐したり、はたまた魔王軍が僕を狙ったりする可能性を考えると、今回の旅はちょうどいい時間稼ぎにもなっているし、何よりエルフの国に興味を惹かれたのは事実だ。
うん、しょうがないね。
「あっ、ユウさんっ! そろそろ降りましょう! 結界に――ふにゃっ!?」
先行していた僕に向かってリティさんが後ろから声をかけてきた、その瞬間。
僕の耳には聞き覚えのある効果音が鳴り響いて、振り返った先ではリティさんがべたん、と何かにぶつかって空中に張り付いた。
一体何が起こったのかと思いながら、呆然としている僕の視界に見えるように、ミミルがログウィンドウを目の前に広げた。
ミミルが笑いを堪えてきゅっと口を結んでいるせいで、リスみたいに口が膨らんでる。
――『〈エスティオの結界〉をスルーしました』。
……うん。
なんかごめんね、リティさん。
それにしても〈エスティオの結界〉?
結界の製作者か何かの名前なのかな……って思ってログウィンドウを見つめていたら、鋭い視線を感じた。視線の主はリティさんである。
「う~~っ! なんで私だけぇ……! ユウさんなんで無事なんですかぁ! 大体なんで「大丈夫?」とか「怪我はない?」とか訊きもしないで考え事してるんですかぁ!」
「酷い八つ当たりを見た気がする。というか、言うの遅すぎるんじゃないかな? 僕もスキルがなかったら間違いなくぶつかってたんだけども」
「うぐ……っ、と、とにかく下に降りますよっ!」
涙目で赤くなった鼻を押さえながらリティさんが先に地上へと向かって下りていく姿に苦笑しつつ、僕もその後ろをついて空を滑っていくと、ちょうど生い茂る枝と枝、葉と葉の間から一人分が通れる程度の隙間があって、着地は特に問題なく成功した。
森は深く、僕らが通ってきた木々の隙間から射し込む陽光が道を作るかのように明るく照らされているものの、周囲は薄暗い。素直に歩いてこようものなら、まず間違いなく迷子になる自信がある。僕が腕を伸ばして抱きついても半分にも満たないだろう太さの幹の巨木ばかりだ。
「太古の森って感じだ」
「この辺りはもう結界の近くですから、私達〈
「へー、目を瞑っても帰れるぐらいなんだ。その割には結界に正面からぶつかったりしてるけど、空だったから?」
「……ひどいです……」
思ったままに言ってみたんだけれど、どうにもリティさんはメンタルがあまり強くないらしい。リティさんがむっと口を尖らせてそっぽを向いてしまった。
さて、リティさんは〈
長くきめ細やかな白に近い金髪に明るい翠玉の瞳。
旅装はどうやら『カエデブランド』で買い揃えたらしく――リティさんに出発前に自慢されたから聞いたんだけれども――、白を基調にして明るい緑色のラインがあしらわれた七分丈のジャケットに、白のプリーツスカート、白のニーハイソックスに膝丈まであるブーツと、僕にとってはすごくコスプレっぽい服装の美少女。
ただし、顔にはどこかあどけなさというか、少し童顔っぽい感じなので、言動からは精神的にどこか幼く感じられるけれども、こう見えて彼女は僕の三倍は生きているそうだ。
どうも、〈
つまり、この見た目でありながら、リティさんは五十歳を超えているのであって、僕の目の前では五十歳オーバーの人が頬を口を尖らせてそっぽを向いているわけだ。
僕はリティさんの肩にそっと手を置いた。
「年齢考えようね」
「なんか酷い侮辱を受けた気がします!?」
失礼な。
僕は見た目で差別するような真似をせずに助言しただけだよ。
頬を膨らませるリティさんに軽い調子で謝って、先行して歩き出したリティさんについて後ろを歩いていく。
森の中、それも獣道と言ってもいい程に整備されていない道を歩く、男子高校生。普通ならまず間違いなく体力が尽きてしまいそうなものだけれど、やっぱりこの世界に来て以来、平均値というか、身体のスペックはかなり上昇している。
ダンジョンを一人でうろついていた時も、歩くだけならそこまで疲れたりはしなかったし、この部分だけでも僕にとっては十分ありがたい。歩きまわるのとか嫌いなタイプだったしね、疲れるから。
「そういえば、リティさん。森の中に魔物はいないの?」
「いないわけじゃないですけど、この辺りの魔物はエルフの狩人達が積極的に狩りに来ているんです。魔物は獣も襲いますし、森を穢しますから。それに精霊も魔物を見ると襲いかかりますからっ!」
「アグレッシブな精霊だね……」
この世界の精霊、なんか僕の想像と違う。
クーリルみたいなのがいっぱいいるような気がして、なんとなくげんなりとしつつ、リティさんの後ろについて歩いていく。
僕が作った『
実際、十日程はかかると思われていた道程も、五日目の夕刻――森がすっかりと暗くなり、空が藍色に染まる頃には、結界の入り口となっている場所へと辿り着いていた。
「――クーリル」
《任せな、お嬢!》
相変わらずダンディな声を響かせながら、クーリルが姿を現して眩い光を放つ。
すると、僕とリティさんの目の前に結界がある事を知らせるかのように、シャボン玉の膜を思わせるような虹色の揺らめく光のカーテンが姿を見せた。
「どうですか、ユウさん! これがラティクスを守る魔導結界です!」
ミミル程じゃないけれど、自慢気に胸を張って言われても困る。
「あれ? 壊れてるんじゃないの?」
《以前に比べりゃ、明らかに質が落ちちまってやすぜ。ささ、結界を開きやした。今の内に通ってくだせぇ》
「ユウさん、ついてきてくださいね!」
そう言いながら、腰程までしかない程度の高さで人一人分程の横幅で、光のカーテンが消え去り、リティさんが四つん這いになりながら一生懸命潜っていく。スカート姿でそうされてついて来いって言われても、ちょっと目のやり場に困る。
なので何事もなかったかのように隣を歩いて通過していくと、潜ってる最中のリティさんがぽかんと口を開けて僕を見上げていた。
「……ずるいです! ずるっこさんです!」
「いや。そう言われても、さっきも通過したじゃない、僕」
紳士的な対応をしてみせたというのに酷い言い草である。
膨れっ面のリティさんが出てくる姿を横目に、ちらりと結界の中に広がるであろう森を見るつもりで視線を向けて、僕は思わず目を丸くして言葉を失った。
大きな木のうろの中を通る階段と、漏れる暖色の光。
地上から離れた位置の枝で繋がっているのであろう道からも、同じような暖色の光が漏れていて、こぶのように盛り上がった箇所には家と思しきものが建てられている。
色鮮やかな光の球体が、尾を引くようにふわふわと中空を揺蕩い、薄暗い森の中を鮮やかに照らす。ミミルが『精霊いっぱい!』とログウィンドウを掲げたので、きっとあの光の球体は精霊なんだと思う。
ワイワイガヤガヤと、人の営みを感じさせる喧騒が聞こえてきており、多くの〈
結界を抜けた先は、どうやらラティクスの内部であるらしい。
結界の外から見た時は森でしかなかったはずなのに、どうやら結界そのものが景色を遮蔽し、偽っていたみたいだ。
さっき結界を一度通過した時にこの町の様子が見えなかったのは、空を覆うように大木の枝葉が空を塞いでいるせいだろう。
けれど、僕が言葉を失ったのはそっちじゃない。
そのもっと手前――数名のエルフが弓を構え、鏃の鋭利な先端を明らかに僕とリティさんに向けているからだ。
とりあえず無言で両手を軽く挙げて無抵抗を示す僕の横で、リティさんもまたようやく結界を潜りきったようで立ち上がり――「ふぁぁあっ!?」とどこか間の抜けた声をあげて目を丸くしていた。
うーん。
どうもこれはリティさんの予想していた展開とは異なるらしい。
一瞬脳裏を過ぎったのは、リティさんが僕を監禁して利用している、という可能性だ。
僕が作った魔導具はすでに効果が実証されている上に、ファルム王国内のみならず近隣諸国にまで知られている。国単位で設置場所の決定などで動いている以上、〈
仮にそうだった場合のために、すでにミミルは事前に僕と話していた通り、即座に〈
ステータス差を考えるとおかしな真似をできるとは言い難いけれど、僕を利用したがる勢力は、僕を脅す事はできても殺すことはできない。
多少こっちが強引な手段に出ても、攻撃してくる可能性は低いと考えてもいい。対〈
でも、どうもこの状況は、リティさんにとっても予想外なのだろう。
まぁそもそも、彼女がそこまでの腹芸を見せられるような役者タイプだとは思えないけども。
そこまで考えていると、弓を構える一人の〈
「――すまない、どうやら早とちりだったようだ」
リーダー格の男性がそう言いながら手をあげると、横に並んでいた兵達も一斉に弓を下ろした。
「び、びび、びっくりしましたよ、オルトネラさん……! なんなんですか、いきなり……!」
「先程、この場所以外からの何者かの侵入を検知した。ましてや森の上、空の上だと言うではないか。てっきり魔族が攻めてきたのではないかと思ってな」
「……空の」
「上……?」
おっと、僕のせいかもしれない。
どうやらリティさんも僕が原因だと思い至ったのか、僕の言葉を引き継いでじとりと視線を向けてきた。そんな視線、絶対に目を合わせてあげるつもりはない。
ともあれジト目を回避しつつ、僕はオルトネラと名乗るリーダーさんに向かって歩み寄り、頭を下げた。
「リティさんから〈
「おぉ、そなたが『異界の勇者』にして修理を請け負ってくれたという、あの『泣く子も騙し、悪魔に土下座させる』と名高いユウ殿であったか!」
「ちょっとそこんとこ詳しく聞かせてもらえますかね。誰からの情報ですか、それ」
「あぁ、それはもちろん、そなたを連れて来ると連絡してくれたリティによるものだとも」
ぐるん、と音が鳴りそうな程の勢いで僕がリティさんへと振り返ると、リティさんが「ひっ」と声を漏らしながら目を逸らした。当然、この僕がその程度で追撃の手を緩めるはずもなく、リティさんの視界へと回り込む。
……くっ、ステータスが足りない……っ!
「ねぇ、ちょっとリティさん。こっち向いてくれないかな?」
「い、いい、いやですぅ! こういう時に目を合わせたら陥れられるって噂聞きましたもん!」
「ほう……、いいでしょう。では、その根も葉もない噂をあなたに聞かせた人物の名前を教えてください。それでリティさんの罪については不問にしてあげましょう」
「冒険者ギルドのミーナさんです!」
あっさりと情報を暴露したリティさんに、周りの人達もドン引きである。
ともあれミーナさん、帰ったら覚悟しておいてもらおうか。
「と、とにかく、陛下がお待ちです。ささ、参りましょう」
ドン引きから復帰したオルトネラさんに促されて、僕らはようやくまともにラティクスの中を歩き出した。
僕を囲む〈
なんでこんな話を今更ながらに持ち出したのかと言うと、とある有名な写真を思い出したからだ。
ラティクス――つまりはエルフの国はどうやらエルフ以外の人種が少ないらしく、僕らには必然と視線が集まる。
武装したエルフの人達に囲まれながら歩く僕は、腕こそ掴まれてはいないものの捕らえられた地球外生命体の有名写真のような気分を味わっているからだ。
さすがにあそこまでの身長差はないのだけれど、なんとなく気分的にね。
被害妄想だけど、なんだかすごく帰りたい。
リティさんはどうやらそれなりに周りの人達から知名度があるらしく、色々な人に「おかえり、リティちゃん!」と声をかけられたりしていて、手を振って挨拶している。オルトネラさんの知名度も高いのか、色々な人達から会釈をされたりと、なかなか偉い人らしい。
そのせいで注目度が上がるわけで、僕の地球外生命体的な気分はうなぎ登りである。
あ、太った人とかいるんだ。
美男美女尽くしなのかと思っていたけれど、そういうわけじゃないらしい。
夢を壊されてガッカリするどころか、むしろ親近感を覚えたよ。
さて、ラティクスは森の中の国といった様相を呈していて、空が大木の枝葉で覆われている。太い枝がアーチ状に繋がっていて、木のうろをくり抜いて、外壁のように用いられた集合住宅を彷彿とさせる建物が多いらしい。
他にも、僕の身体よりも大きな花の蕾が淡い光を放っていたり、先述した通りミミル曰く精霊がふわふわと漂っていたりと、幻想的な光景が広がっている。
ここまで幻想的な光景だと、より一層ファンタジーチックでなんだか心が弾む。
「空が覆われてしまっているみたいですけど、不自由はないんですか?」
「不自由、ですか? 晴れの昼は木漏れ日が射し込みますし、枝が陽の光を通すために少し動くのです。雨が降ったり、こうして夜になると空を覆うように森が私達を守ってくれているのですから、不自由などございませんわ」
隣りを歩いている〈
だけど――なるほど。比喩的な意味ではなく、文字通りの意味で木がこの町を守ってくれているらしい。
もう空はすっかり暗くなっている頃だろうし、これはこれで幻想的だけれども、昼は昼で陽光が射し込む道っていうものを見てみたい気がする。
「――見えてきましたっ!」
リティさんが僕の服の袖を引っ張りながら、前方を指差して声をあげた。
示す先を見た僕は、そのあまりにも荘厳で壮大な、それでいて力強さすら思わせるような光景に思わず言葉を失って足を止めた。
そこには巨大な――幹の部分だけで、学校の校舎でさえすっぽりと入ってしまいそうな程の巨大な幹が、威容を誇るように悠然と佇んでいた。釣られるように上を見上げてみても頂上がどこにあるのかも分からないような、まるで空を貫いて宇宙にまで伸びているのではないかと思わされる程の、圧倒的な存在。
「あれこそが、世界樹――ユグドラシルです」
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