3-2 風の精霊
パチパチと小さく爆ぜるような音を奏でる焚き火を見つめながら、僕とアルシェリティアさんこと、リティさんは、夜空の下で夕飯を済ませてゆったりとした時間を過ごしていた。
「じーー」
「……何かな?」
「ユウさん、ホントに魔物に襲われないんですね……」
ここに来るまでの間に何度か魔物と遭遇したのだけれど、僕は汎用型の魔導銃を使って軽く牽制したり、『
そんな中、初めて僕をスルーする魔物の姿を目の当たりにしたからか、どうもリティさんには不思議でならないらしい。
まぁ、足をかけて転ばせたまま、上から背中を踏んで動けないゴブリンがジタバタしてるのとか見ると、そうも思うだろうね……。
僕には出来の悪いバグ満載のゲームのようにしか見えないけれども。
「僕の【
「それは聞きましたけど……ずるいです!」
「まぁリティさんにとっても悪い話じゃないんだし、いいじゃない。僕の分までレベル上がるんだから」
「……むぅ~、それはそうですけどぉ……。はぁ、おかしなスキルですよねぇ……」
抱えた膝に顎を乗せてぼやくように呟くリティさんの呟きは僕も同意見だよ。苦笑しか浮かばない。
すでにリティさんには、”スキルの影響で存在力が変質して同行者に吸収される”という点ついても説明した。というより、旅に同行する以上、僕の事情を知らないままいられても困る。
普通なら秘匿するべき内容だとは思うんだけれど、リティさんはそもそも僕に依頼をしている形なので、監禁したり僕を利用したりといった行動を取って僕と敵対するのはデメリットしか生まれない。それに、僕にもいざとなった時に使うつもりの対抗策もあるからね。
だから話さずに隠し通そうとして面倒を招きかねないリスクより、話した後で利用しようとしてきた時に対抗策を用いるリスクの方が低いと判断したんだけれども、リティさんは「ほへぇー、すごいんですねぇ」の一言。
ちょっと間の抜けた〈
「ところで、〈
「ラティクスは、世界樹の麓に築かれたエルフの国ですっ。――そういえば、ユウさんは〈
「いるって事は耳にしているけれど、詳細は特には。あぁ、でも旅をした後には大体ラティクスに帰ってしまう、とは聞いたかな」
「そうなんですね……。では、まずは私達がどんな存在か、そこからお話しましょうか」
焚き火を見つめながら、リティさんは続けた。
世界樹に護られ、守る存在――〈
彼女達は元々、世界樹によって生み出された樹と風の精霊が変質して生まれ、人の姿へと変質していった存在なのだそうだ。
それ故に森を愛し、森に生きる事こそが本懐であるとされる種族だという。
「それだけ聞くと、外から人が来るのを拒みそうな感じがするね」
僕の知るファンタジーの知識やリティさんの説明だけ聞くと排他的なイメージが生まれそうなものだけれど、しかしリティさんは首を左右に振った。
「いえ、そうではありません。私達は多種族に比べてあまりに永い時を生きますから。その生涯を森の中だけで過ごしていては、エルフは世界から取り残されてしまいますからね。外の世界を旅するのは、謂わば社会勉強として推奨されているぐらいですよ」
「へぇ、ずいぶんと社交的だねぇ」
「社交的と言いますか、確かに平和な時代であったならば、そういった内向的な生活を続ける者もいました。ですが今は、世界の存亡がかかった争いが引き起こされていますから」
「それは、魔王や魔族のことかな?」
リティさんは肯定を示すように無言で頷いた。
魔王が率いる魔族の存在は、どうやら〈
「……ユウさんは、『異界の勇者』の一人だと聞いています。魔王や魔族の存在については、どれ程ご存知なのですか?」
「どれ程って言われると難しいなぁ。魔族率いる魔物が、人々の世界を脅かしているとは聞いているけども」
「そう、ですか……」
「何か違うの?」
言葉を濁すような素振りを見せるリティさんに訊ねてみると、リティさんは小さく頷いた。
「魔王や魔族は、何もそれだけの存在ではないのです。魔王や魔族は、謂わば〈異物〉。本来ならばこの世界に生まれるはずになかった、予定調和から外れた存在――その最たる存在こそが魔王であり、その魔王によって生み出された者達こそ魔族なのだと言われております」
「……どういうこと?」
リティさんが語ったのは、世界の創世記として語り継がれているという〈
――最初に世界を創りだした、三柱の神々。
――二柱が昼と夜を生み、一柱が生命を生み出し、昼を生んだ神が生を、夜を生んだ神が死を生んだ。
――始まりの生命は、七柱の女神。
人の姿を持つ女神は〈
――世界は女神に見守られ、それぞれの女神とその上に立つ三柱の神を崇拝したが、やがて神々は箱庭のような世界を見守り、世界に生まれ落ちた者達に祝福を与えるに留まるようになった。
――しかしそれは、世界に生きる者達に自由を齎せると同時に、揺りかごのように揺蕩う心地良さばかりではない、苦痛を伴う日々の始まりでもあった。苦痛はやがて怨嗟を生み、その矛先は自分達を見放した十の神々へと向けられた。
――やがて怨嗟は力を得て、「魔」となった。
――その魔こそが、魔王となり、この世界を――神々の寵愛を滅ぼそうと文字通りに魔手を広げたのだ。
リティさんが歌うように語った古い言い伝え。
僕はそれを、心のどこかで酷く冷めた視点で見ながら聞いていた。
神々に捨てられたと勘違いして、神々に牙を剥くかのような身勝手さ。
勝手な期待を抱いて、勝手に失望して、勝手に嘆いて世界を蝕む魔の存在を生み出したなんて、失笑するしかないような内容だ、と。
そんな僕の心情を察したのか、リティさんは僕の方を向いてくすりと笑うと「ユウさんは、間違ってないですよ」と短く告げて、再び揺れる焚き火の炎を見つめた。
「言い伝えとは言っても、諸説あったりするんです。誰が、どうして。どこで歪曲させてしまったのかも今となっては判りませんけれど、この言い伝えはきっと間違っていると、私も、他の〈
「……間違っていると思うのに、言い伝えはそのまま伝わってるの?」
「はい。その真偽を確かめる事や追求する事よりも、私達にとって何より大切なのは、魔の存在が世界樹を狙っているという純然たる事実です」
「魔王が、世界樹を?」
「はい。魔の存在の出自がどうであれ、世界樹を狙う以上は精霊や世界樹にとって害である事には変わりありません。彼ら魔の者達は、世界樹を奪い精霊の力を削ごうとしているのです。だからこそ、ラティクスは築かれたのです。世界樹を守る為に」
天然っぽいリティさんの丸い瞳には似つかわしくない剣呑な光が、焚き火の炎に照らされて妖しく揺れていた。
「樹と風の精霊の血脈を継ぐ〈
「だから、僕が必要になったっていうわけだね」
「そうです。ラティクスと世界樹を覆う結界を生み出す〈
精霊を生み出す、か。
あれ? そういえばルファトス様から、精霊は精霊神から生み出される存在だって聞かされたけど、そうなると精霊神は世界樹と何か関係している? 精霊神がイコール世界樹ってことなのかな……。
ともあれ、ここでようやく僕が彼女と一緒にラティクスへと向かっている、その理由に繋がる。
リティさんが僕に、突然国を助けてくれなんて言ってきた理由がこれだ。世界樹とラティクスを覆う結界を生み出している〈
けれど、〈
リティさんら若いエルフで外の世界にいる人達は、〈
リティさんがアルヴァリッドにやってきたのは、〈火の精霊祭〉の前日だったみたいで、アイゼンさんに依頼を出してみたんだけれど、アイゼンさんもさすがに手が出せないと首を横に振ったのだそうだ。
余談だけれど、ファンタジーの定番とも言える〈
ともあれ、その翌日にはまた魔導技師を探すつもりだったらしいのだけれど、そんな中で彼女が見たのが、僕によるファムの断罪劇場であり、そこで発動させた【敵対者に課す呪縛】だったそうだ。
「あまり期待されても困るんだけどね。〈
「で、でも、アルヴァリッドでユウさんが作った魔導具なら……!」
「極大魔石を使ってどうにかできたけれど、見てみないとなんとも言えないよ」
縋るように言われても、安請け合いするつもりはない。
そもそもファムには通用したけれど、他の魔族にも共通している魔力のパターンなのかはまだ試してない以上、まだまだ完璧な魔導具とは言えないのが実情だ。
もしかしたら魔狼っていう特有の魔力パターンかもしれないってことを考えると、魔族相手に色々実験する必要が出てくるし、可能性を挙げればキリはない。
もちろん、成功を信じているからアルヴァリッドに設置したのも事実なんだけれど、確信できる程の情報はまだ足りていない。
一応今は魔族との戦争が起きている前線で捕えた魔族を対象に試験してみるということで、幾つか小型のものを作って送ってあるから、結果は近い内に知らされるはずなんだけど、それが届くにはまだ時間もかかるだろうし。
そんな事を考えつつ、さっきから「うーん」と唸って何かを考え込んでいるかのような声を出していたリティさんがいつの間にか静かになっていて、そっちを見たら……寝てた。
膝を抱えて顎を乗せたまま、電車の中で居眠りしている人みたいに左右に身体が倒れそうになる度に虚ろな目を開けて、また閉じてと繰り返していた。
「……リティさん、寝るならちゃんと横になった方がいいよ」
「ふぇ……? ふぁーい……」
薄っすらと目を開けたと思いきや、にへらと無防備な子供のような笑みを浮かべて、リティさんがお尻の下に敷いていた毛布に寝転がり、身体を丸め、ものの数秒で寝息を立てて眠ってしまった。
この無防備さでよく一人旅ができたね、と思わなくもないけれど、そこは【精霊魔法】を使うリティさんだからこそ、なんだろう。
ミミルと一緒にいる、白を基調にした淡い緑がかった体毛を持つプレーリードッグみたいな見た目をしているリティさんの契約精霊。彼が夜の見張りと敵の対処をしてくれているらしい。
有能な精霊なんだなぁ、とか考えながらそちらを見ていたら、プレーリードッグのつぶらな瞳が僕をまっすぐ捉えた。
《お嬢も疲れてるんでさぁ、ユウの旦那》
「……見た目と裏腹にダンディな声で語りかけるのやめてくれるかな」
《ダンディだなんて……照れるじゃないですかい。旦那は悪いお人だ》
風の精霊であるプレーリードッグもどきのクーリル。
リティさんの契約精霊であるクーリルは、ミミルと違ってうまく念話を使って僕らに話しかけることができる。ただし、その声は見た目の割にドスの利いた声である。口調はもはや、カタギじゃない人のそれだ。
つぶらな瞳と小さな体躯なのになんでこんな声なのか理解に苦しむよ。
「……素直に可愛い路線でキューキュー鳴いていれば良かったのに」
「キュ?」
「……うん、やっぱりあざといからやめて。念話とのギャップが激しすぎて辛い。その声の持ち主でそれはないね」
小首を傾げながら鳴き声を出したクーリルのあざとさは、念話を聞いてしまった僕には許容できなかった。
「それで、そっちの二人は何してたの?」
『念話のれんしゅー!』
《嬢ちゃんが旦那とあっしみたいに話したいってんでね。ちょいとやり方を教えてやろうかと一肌脱いでたところでさぁ》
「……頼むから、ミミルまで見た目に似合わない声とかやめてね」
見た目小人少女のミミルから似つかわしくない声とか、聞きたくないよ。
クーリルがダンディズムある野太い男の声なんだから、ミミルは……妖艶なお姉さま系……? だめだ、すごく疲れる気しかしない。
「それで――さっきのリティさんが言っていた神話だけど、やっぱり間違っているのかな?」
《旦那の仰る通り、色々変わっちまってるのは事実でさぁ。とは言っても、全部が全部間違っちまってるってわけじゃあねぇですぜ》
「事実を織り交ぜた虚実、かな?」
《……いやはや、お見逸れしやした。その通りでさぁ。さすが、ルファトス様に認められた御方だ》
ミミルが僕と『叡智』を司る神であるルファトス様によって生み出された精霊である事は、僕はまだ話していない。
なのにクーリルは僕の事を知っていたかのようにそう言ってみせた。
《そう睨まんでくだせぇ。ユウの旦那の話は、すでに精霊界では有名な話ですぜ?》
「精霊界?」
《あっしら精霊の世界、この世界と隣り合った世界でさぁ。旦那は異界からの来訪者であり、同胞であり新たな精霊を生み出した御人。噂にするなって方が無理な話ですぜ》
そんな世界があるなんて初めて聞いたけれど、ミミルは知って――いなかったらしい。頭上のログウィンドウに『衝撃! 今明かされた精霊の事実!』と書いてあるし、驚いたような顔をしてる。
「……精霊界、ね。でもそれっておかしいんじゃないかな。リティさんはさっき、精霊は世界樹から生まれるような言葉を口にしていたけれど? それにルファトス様からは、精霊は精霊神によって生み出されるって聞いてる。なんだかチグハグで齟齬があるんだけど」
《あぁ、ルファトス様から聞いてらっしゃるんですかい。だったら話は早いってもんでさぁ。精霊界の存在を、お嬢らは知らないんでさぁ》
「知らない……?」
《えぇ。はっきりと言っちまえば、精霊界の存在を知っているのは神々と、あっしら精霊のみでしてね――》
クーリル曰く、どうやら精霊界の存在は秘匿されているものであるらしく、更には、その「精霊界からこの世界へと続く道となるのが世界樹」であり、樹の大精霊はその門番のような役割を果たしているのだとか。
リティさん達が「世界樹が精霊を生み出している」と思い込んでいるのは、実際には語弊があり、精霊界で生まれた精霊が、こちらの世界へとやって来る際に「世界樹という名の通り道を通って来ること」を指しているみたいだ。
もっとも、その道となるのは何も世界樹だけではないらしく、属性に特化した場所がそのまま門の役目を果たすような形になっているみたいだけれど、世界樹はその中でも最も巨大で、高位の精霊が守る門となっているらしい。
「なるほどね。でも、その真実をどうして教えてあげないの?」
《精霊界の情報やこの事実を周知するのは、禁忌に当たるんでさぁ》
「……いや、僕に教えちゃってるけど?」
《ユウの旦那には、精霊神様から許可を得ていやす。もっとも、みだりに他者には漏らさないよう、できれば他言無用でお願いしやす。もし誰かに話そうものなら、恐らくは処罰の対象になっちまいやす》
「何それ聞きたくなかった」
まぁ誰かに喋るなって言うなら喋る気はないけれど、ならどうして僕にわざわざ話したりするのかな……!
いきなり爆弾抱えさせられたような気分だよ、僕からすれば。
……あれ? そういえば、精霊が精霊神から生み出される存在だって話はエルナさんにも喋っちゃったような気がするんだけれど……うん。まぁ、それは口止めしなかったルファトス様が悪いって事で、気にしない方向でいよう。
《ユウの旦那、あっしからも頼んます。世界樹を守ってくだせぇ》
「……一つ、訊いてもいい?」
《あっしに答えられることなら、お答えしやす》
「魔の者――というより、魔王はもしかして、世界樹と精霊界の関係を知っているから狙っているのかな?」
僕とクーリルの間に、重い沈黙が流れる。
クーリルの横では『返答はいかに!?』と書かれたログウィンドウがミミルの頭上で輝いているので、シリアスさがどうにも迷走しているような気がしてならないんだけれども。
《……そいつは、精霊神様から聞いてくだせぇ》
クーリルの答えはどこか苦渋の選択というか、どこか歯切れの悪い物言いで、それ以上の詮索を拒むようなものだった。
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