幕間章 知ること ≠ 理解すること
高槻悠。
彼の名前を、私――西川楓――は知らなかった。
「この数日、何も言わない僕達に、「こいつらは何も言えない」という烙印を押し付けたつもりみたいですけど――残念でしたね。宮藤先生、あなたはもう詰んでますよ?」
例えば、不良生徒なら目立ちもする。
大きな声で話す生徒もそれは一緒だし、同じクラスにいるのだから、特に話した事がない相手でも、同じクラスにいれば当然ながらに目についたりもする。
例え話したことがなくても、授業で当てられている姿を見れば見覚えぐらいあるのも当然だと思うけれど……。
あんな、薄っすらと笑みを浮かべながら告げるような人は見たことがない。
それは他のみんなも同じみたいで、目を丸くして誰もが彼を見つめていた。
ううん、きっと違う。
多分私達は、彼を知っていて、特に気にも留めていなかった。
そんな人が鮮烈過ぎる一言を放ったから、混乱しているんだと思う。
「……な、何を言っているんだ、高槻……」
「何って、そのまんまの事実です。詰んでるんですよ、宮藤先生」
「詰んでる……?」
「えぇ。あなたが深影さんに言い寄っている事も、他の先生方が問題になるのを面倒だと考えて対処しようとしないのも、全部、全て、ここに証拠として録音されてるんですよ」
そう言いながら彼が取り出したのは、ICレコーダー。
動揺に目を剥いた宮藤の視線を真っ直ぐ受け止めながら、彼はしれっと再生ボタンを押してみせた。
《――もう、そういうのやめてくれませんか……?》
《なかなか往生際が悪いなぁ。他のみんなにバレるのが心配なの?》
《そうじゃありません……! 私は、宮藤先生と付き合う気なんてないんです……!》
《いいじゃない。高校生にもなったんだし、それにあんなに楽しそうに話してたろ? 付き合うのが怖いだけだって》
《ち、違いますっ! 私は……――》
聞き覚えのある声が再生された。
水面下で私達が猜疑心を抱いていたものが露呈に晒されて、騒然とする教室内。目を剥いた宮藤に向かって、高槻くんが「あぁ、そうそう」と続ける。
「ついでに言うと、深影さんからもチャットの内容を写メで送ってもらってるので、証拠としてきっちりと保管させてもらってますよ?」
「――……ッ!」
「やめた方がいいですよ。目は口程に物を語る。そうやって深影さんを見てしまった時点で、大根役者ぶりに拍車がかかるだけなので」
教室は彼の――高槻悠という一人の少年のペースに呑み込まれていた。
悪意や侮蔑、嘲笑といったマイナスの感情を見せるわけでもなくて、誰もの視線を一身に背負いながらも気負いもなく、まるで感情すら偽ってみせているような薄っすらとした笑みを浮かべている。
そんな、まるで人を人として見ていないかのような高槻くんの姿に、私は生まれて初めて、人に対して得体の知れない恐怖みたいなものを覚えた。
再びICレコーダーをいじって、今度は他の先生に宮藤先生のことを相談するかのような高槻くんの声と、それに対してまともに取り合おうともしない先生の声が再生されていく。
「いや、びっくりですよね。他の先生も問題が表面化するのを嫌がったのか、まともに取り合おうともしない。自殺した生徒のいじめを否定する学校みたいな反応ですね、これ。さぞワイドショーで取り沙汰されやすそうなネタですね」
「ワイドショー、だと……? フザけた事を――!」
「フザけたこと? あはは、フザけているのはあなたでしょう、宮藤先生。ここまで証拠が出揃っているのに、しらばっくれて誤魔化せると思っている方が、よっぽどフザけていますよね?」
そう言われてしまっては、宮藤に反論する余地なんてあるはずがなかった。
歯噛みして睨みつけるような表情を浮かべる宮藤の視線を受けながらも、高槻くんはまるで意に介すような仕草も見せずになおも続けた。
「ただ、この証拠をどうしようか迷っているのも事実なんですよね。教育委員会に相談しようと思ったんですけど、なかなか教育委員会も、すぐに重い腰をあげてくれるわけじゃないみたいなんですよね。恐らく事情聴取やら何やらが続いたりするでしょうし、そうなると教師側の肩を持たれる可能性もあるので、面倒なんですよ」
「……何が言いたいんだ」
「単純な話ですよ、宮藤先生。これをネット上に実名付きでばら撒かれたくなかったら、この学校を辞めて二度とこの町に姿を見せないでください」
お、脅しだーー!?
え、なんであんな満面の笑顔で人のこと脅してんの!?
「きょ、脅迫するつもりか!?」
「人聞きが悪いですよ。これは脅迫じゃありません、取引です。おかしな真似をしなければ、公表したりはしないって約束します。証人はこのクラスのみんなです」
それ脅迫って言うよね、実際……。
歯噛みする宮藤に、高槻くんは何かを思い出したかのように「あ」と一言。
それだけで宮藤の顔が蒼くなった。
「そういえば宮藤先生、この前の日曜日、彼女さんとデートしてたそうですね」
「――な、んで、それを……」
「なんでもなにも、SNSで自分でアップしてるじゃないですか。どうやら彼女さんもやっているみたいですけど。確か名前は――」
「ま、待て! 待ってくれ!」
ど、どっちが悪なのか分からなくなってきた……。
でも、なるほど。確かに彼が言った通り、この状況は宮藤から見れば詰んでいる。
素直に認めなきゃ全てが周りに暴露されて、なら謝って終わりにするなんて選択肢を彼は一切与えていない。彼はこの学校から、この町から――私達の前から消えること以外の選択肢を与えていないのだから。
「宮藤先生、さっきも言いましたけど、もう詰んでいるんですよ。確かに僕らじゃ教育委員会やマスコミを動かすには至れないかもしれませんけど、あなたの知人や恋人、それに両親の連絡先ももう押さえてあるんです。諦めて、受け入れてください」
その一言が、決め手となったんだと思う。
宮藤先生は言葉を失って項垂れた。
――――その後は、色々大変な騒ぎになった。
翌日から宮藤は学校に来なくなった。
なんでも、正式に退職するどころか、突然音信不通になって学校を去ったらしい。
その発端が今回の騒動に――そして悠くんにあると突き止めた他の先生が、悠くんを呼び出して色々と話したりしようとしたんだけれど、悠くんがそんな先生達に「証言があるのに動かなかった先生達が悪いんじゃないですか?」と堂々と言い放ち、それ以来悠くんに関しては他の先生も腫れ物に触れるかのような扱いを続けた。
でも悠くんは、そんな先生達の態度なんて一切構う事はなかった。
英雄視されつつある悠くんに話しかけても、それで天狗になるわけでもなく、ただただ淡々と「他の先生から睨まれてる僕に必要以上に構わない方がいいよ」と躱し始めたのは、その頃からだった。
私達とは必要以上には喋ろうともしない、元々目立たない彼らしい生活が再び戻ってきたけれど、私達は彼を知っていて、他の先生たちも悠くんが言った通り、悠くんを危険視する日々が始まった。
まるで何事もなかったかのように堂々としている悠くんは、肝が据わっているというべきなのか、それともマイペースを貫いているのかとちょっと判断しにくい部分もあったけれど、私達にとって、悠くんは特別な存在になっていた。
後で聞いた話だけれど、悠くんが私達に一切何をするのかも告げずに深影さんだけに協力を要請していたのは、私達の誰かから下手な横槍を入れられてしまうのを危惧したからだそうだ。
笑いながら、言下に「君たちをアテにはしていなかった」と言われた気がしそうな言葉だったけれど、誰もそんな事は口にしなかった。
ただ声を大きくするか口を噤むかしか手段を持たない私達と違って、証拠を押さえて、宮藤の周りを調べて追い込む準備が整ったからこそ、あの場で立ち上がった。あれが誰かの口から漏れていたら、宮藤も何らかの手段を講じていた可能性もあったのだと素直に納得というか、理解させられた。
力になりたいのに、なれない。
動きたいのに動けない無力な――ただ無神経に嘆いたり憤ってみたりしかできない私達と彼とでは、その徹底ぶりも、行動力も、根本的に考え方が違った。
誰にも頼らず、誰かを巻き込もうともせずに、私よりも華奢に見える身体で、他の先生や宮藤からの恨みを向けられるような行動取れるような強さ。あれは、私にはきっと手に入れられない代物だ。
その後は、宮藤が逆恨みする可能性があるってことで、私達はしばらく玲奈と一緒に帰り、事の顛末を玲奈の両親に説明して、しばらくは一人にしないようにしてもらった。
当然、玲奈の両親は宮藤と学校側の責任を追求すると息巻いたけれど、それを止めたのは他でもない玲奈だった。蒸し返されたくないっていうのも本心だっただろうけれど、何より玲奈が悠くんにこれ以上迷惑をかけたくないのだと私達に語っていたから。
◆
「……なるほど、ユウ様らしいやり口ですね」
「あははは、やり口って。でも確かに、今回の騒動は悠くんらしさ全開って感じだったよねー」
美癒と瑞羽が唖然とする中でエルナさんの一言に朱里が言った通り、確かに今回の騒動は悠くんらしいやり方だった、と思う。
「でも、悠くんってレベル上がらないんだよね……。大丈夫かな、これから……」
魔族のファムっていう少女が言った通り、エキドナに続いてこの町で魔族が捕まっている。伝令役がいるって言ってたのが本当なら、今回の騒動で絶対に悠くんは魔族に存在を知られているはず。
「悠くんと一緒に魔物倒したら、レベル上げしやすいんだよね? それ使って護衛の人をパワーレベリングとか」
「それは使わないって約束だろ?」
「むー、分かってるけどー……」
朱里の提案に真治くんが冷静にツッコミを入れた。
実は悠くんと一緒に狩りをすると存在力を反則的に得られるっていう話は、エルナさんから聞いている。
それを利用したせいで悠くんが危険に曝される可能性もあるって聞いた以上、私達は使わない方向で満場一致している。
「ユウ様はこれから、お父様や各国との打ち合わせで動きますので、むしろ位置を把握されにくいと思います。それより、ユウナ様やカエデ様、アカリ様といったこの町に残る方々の方が、魔族から発見されやすいかと思われますが……」
「私達は魔族側には知られていないから、そこまで心配いらないと思うわ。多分だけど、真治くん達『勇者班』と悠くんぐらいだと思うもの、魔族が危険視しているとしたら」
うん、私も祐奈とは同意見かな。
私達は完全に裏方だし、悠くんや真治くん達と違ってそこまで目立っていない。
「あるとしたら悠くんとか勇者班を誘き寄せるために誘拐される可能性があるってことぐらいだけれど、確かもうすぐこの町の分は完成するんですよね?」
悠くんが作った、【敵対者に課す呪縛】と呼んでいた魔道具。
シュットさんやアシュリーさんが試作品と称して、最初にこの町に取り付ける方向で話を纏めてくれているらしいから、悠くんは最近そっちの開発につきっきりだ。
「そうですね。一応、昨日最後の調整をするとかでお兄様達と町を回っていましたが」
「……それが完成したら、私達は行く」
咲良が一言、小さく告げる。
そう、それが完成したら『勇者班』である真治くんと昌平くん、それに咲良と美癒、瑞羽は魔族との戦いが起きている前線へと向かう事になっている。
本当はすぐにでも向かうつもりだったんだけれど、とりあえず悠くんがアルヴァリッドの防衛を完璧にするまで残る方向で落ち着いていたから残っているんだよね。
「……そう、だよね。もうすぐみんな、それぞれに進むんだよね」
「だな。悠が作った魔道具のために少しばかり時間は延びたけど、さ」
でも――と真治くんは続けた。
「悠に負けてらんねぇからな。ステータスなんてもんを得られたのに負けたままってのは、やっぱ男としては悔しいし」
頼りなかったというか、どこか軽い、芯が通ってなかったような真治くんも、こっちの世界に来て変わったらしい。まぁそれは、今じゃ自分の名前のブランドなんてものができてしまっている私も同じようなものだけれど。
これが、私達が「悠くんを知った日」のお話だった。
けれど――――どうやら私達は、まだまだ悠くんを理解はしていなかったらしい。
――『旅に出ます。落ち着く頃に帰ってきますね。探しても無駄だと思うので、気にしないでください。勇者班のみんな、がんばってね!』。
昼食に呼びに行ったエルナさんが持って来た、悠くんの置き手紙。
「……おい、マジか。マジなのか、アイツ」
「……本気、でしょうね。部屋はもうもぬけの殻だったみたいよ」
唖然とする私達の傍で、真治くんが呟いて祐奈が呆れたようにため息を吐いた。
ちなみに咲良は、お腹を抱えて一生懸命笑いを堪えていて、使い物になりそうにない。
――――ともあれ。
私達は相変わらず、彼を知ってはいても、理解はしきれていなかったらしい。
幕間章 FIN
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