幕間章 真治が見た、異質


 ――――『一年F組大集合!』。


 そう書かれている、トークアプリのチャットルーム。

 とは言えその実、宮藤が何か連絡を送ってきたりするだけで、俺――赤崎真治――はそれぞれに個別にチャットを送ったりもするわけで、このチャットでわざわざ発言しようとは思わなかった。


 クラスの全員が参加しなくちゃいけないわけじゃないけれど、やっぱり流れっていうか、そういうものはあるわけで、誰もが参加している。

 けれどその日、なんとなしにふと見てみれば、チャットルームの参加者はになっていた。


「……ん? ウチのクラスって、三十五人じゃなかったっけか」


 別に何か用事があったわけじゃないし、理由があったわけでもない。

 ただ、普段は喋らないヤツも参加しているはずのチャットルームにクラスの誰かが入っていない事に、純粋に俺は驚かされたものだ。

 確か以前、宮藤が嬉しそうに「これでクラスの全員と連絡が取れる」なんてにこやかに言っていた。だから、どこかで誰かがチャットルームから退出したのだろうと考えて、俺はただただその人物が気になって、チャットを遡る。


 すると、深影さんと宮藤が話し込んだあたりのところで、一人の退出者が表示されていた。


「……ID名、『YuU』……」


 英語の二人称の方ではなく、そのまま小文字にして、ユウ。

 ウチのクラスにそんな名前のいたか? と思いながら、チャットルームに参加したての頃、名前を入れて最初に挨拶するかのように一言打ち込んでいたなと思いながら、さらに画面を上へ上へと遡る。


 書かれていたのは、名前とただ一言――「よろしく」だけだった。

 他の連中がどこの中学出身かとか色々書いている中で、それ以上もそれ以下も語らずに書いてある一言を、俺はどうやらスルーしちまっていたらしい。

 しかもよくよく見れば、挨拶が混雑してる時間に、まるで自分の存在を隠すかのように、だ。長文に挟まれる短文は、頻繁に入るみんなの自己紹介の間にうまく埋もれていたらしく、着信時間が前後と一分以上離れてすらいない。


 これ、もし狙ってやってるんだとしたらすごいよな。


「……女、だよな? いや、男でも悠って名前は別に珍しくはねぇけど、そんなヤツいたっけか……?」


 こう言っちゃなんだが、俺は他人の顔と名前を憶えるのは得意だったりする。だけど、ウチのクラスに「高槻悠」なんて名前がある事も、その人物が男子か女子かも判然としない程に、俺はそいつに気付いていなかったらしい。


「……いる、よな?」


 思い出そうとすればする程に、まったく違う連中の顔ばかりが浮かんできていて、なんだか以前読んだミステリー系のホラーマンガを思い出して、なんだか悪寒がした。

 さて、明日にでもちょっと確認してみるか――なんて思っていたその矢先に深影さんが学校に来なくなってしまって、俺の頭からはすっかりと「高槻悠」の名前も存在も、抜け落ちてしまっていたんだ。







 ◆







「――あっちゃー……、教室に忘れちまったのか」

「真治、どうしたよ?」

「いや、数学の宿題思い出してさ。教科書教室に忘れちまったらしいんだ」

「うわ、ついてねぇな。まぁ今日は筋トレだけだし、まだ校舎開いてんだろ。取り行ってこいよ」

「そーするわ」


 その日は酷い雨で、俺達は空き教室から階段を使った筋トレメニューをこなしただけで部活は終了する予定だった。サッカーはさすがに雨の中で練習するのはなかなか辛いものがあるから、たまにこういう日もあるんだよな。


 ましてや、季節はもうすぐ六月。梅雨に入ったら、こういう日は結構多くなっちまう。体作りが大事だってのは分かってんだけども、どうにもボールを蹴れない日は不完全燃焼っつーか、なんとなく退屈に感じる。


 ウチの学校のサッカー部は、そこまで強くもないし、学区内でも下から数えればそこそこの強さで、上から数えれば弱いっていう、そんな程度だ。

 部活に特に力を入れてる学校じゃないし、俺がサッカーやってんのも小さい頃からの習慣みたいなもんだから、本気でプロを目指してる訳でもなけりゃ、当然ながらに青春の全てを注ぎ込んでやろうなんて気もなかったりする。

 しかも俺のクラスにはサッカー部に一緒に入ったヤツがいないから、クラスでサッカー談義なんて滅多にしないしな。まぁ、ゲームが好きだからゲームやってるヤツとはたまに喋ったりもするんだけど、さ。


 吹奏楽部とか軽音部とかの音楽が遠くで鳴り響く中、俺は自分のクラスまでやって来てドアを開けると――そこには担任の宮藤と、なんだか微妙に泣きそうな顔している深影さんが立っていて、明らかに俺が入ってきたせいで会話が途切れたような、なんとも言い難い空気が漂っていた。


「あー……、すんません。忘れ物あったんで取りに来たんっすけど」

「おー、赤崎。部活帰りか?」

「そっすよ」


 何事もなかったかのように声をかけてきた宮藤にしれっと返事を返しながら、俺は自分の机に向かいつつ、ちらりと深影さんを見た。


 深影さんは綺麗な子なんだけど、なんかお嬢様っぽさがあって近寄り難いんだよな。

 最近少し学校休みがちで、今日は珍しく来てたんだけど、その事で宮藤に問いつめられて泣いてるって感じ――じゃ、ねぇんだよなぁ。


 最近、宮藤が深影さんを口説こうとしているんじゃないかって噂は、ウチのクラスでもそれとなく出てきてる。

 でも、その証拠もないし、他の先生に言おうって話になっても、それがかえって深影さんに面倒がかかるかもしれないからって、クラス委員の佐野なんかが言ってたっけか。


 もしかしてそんな現場に遭遇しちまったのかと思ったけど、何かを喋ってるような声はちらっと聞こえたには聞こえたけれど、はっきりとは聞こえなかったしな。


 んー、このまま素知らぬ顔して帰るってのもなんとなく嫌なんだけど、な。

 だからって何もできるわけじゃないし、どうしたもんか。

 深影さんに適当に声かけて、一緒に帰る方向に持ってくってのも手なんだよなー。


 ――そんな事を考えながら自分の机を漁ってたら、再び教室のドアが開いた。

 思わず振り返ると、そこにはなんか背の低い男が、「ども」って一言だけ言って自分の机に向かってスタスタと歩いてった。


 ……あんなヤツ、いたっけか。


「なんだ、高槻も忘れ物か?」

「…………」


 ……無視かよっ!?


 宮藤も少し顔を引き攣らせてて、でも高槻って呼ばれたそいつはしれっと無表情のまま自分の机に向かって歩きながら――後退っていた深影さんとすれ違う時に、ぼそっと僅かに口を開いた……?


 でも深影さんも何か反応するわけじゃないし、気のせい、か……?


「そういえば高槻、お前グループチャットから抜けてたろ?」


 宮藤の声に、俺もようやく思い出した。


 ID名『YuU』――高槻悠。

 あのチャットから抜けてたヤツ。

 あの女みたいな顔した無愛想なヤツが、高槻か。


 当の高槻は、机の中から筆箱を取り出してから、ようやく宮藤の声が今更届いたかのように振り返った。


「あれ、そうでしたっけ? あんまりああいうの使い方分からないんですよね」

「おいおい、俺より若い現代っ子だろうに。しょうがねーなー。もう一回招待送っといてやるから、入っとけよー?」

「え? 入ってもしょうがなくないですか?」

「は……?」

「どうせ僕、あのチャットには反応する気ないですし。じゃ、帰ります。深影さん、ウチと近いし、一緒に帰らない?」

「え……あっ、はいっ」


 呆然とする俺と宮藤を置いて、高槻と深影さんはスタスタと帰って行っちまった。


 ……え、残された俺、なんかすっげぇ気まずいんだけど。

 気付かれないようにちらっと宮藤を見ると、宮藤は――普段の飄々とした兄貴っぽい空気とは全然違う、明らかに苛立ったような冷たい無表情を浮かべながら、ぐっと拳を握っていた。


 ……あー、これキレてるわ、絶対。

 触らぬ神に祟りなしっつー感じでそのまま俺も帰ろうとしたら、宮藤が俺を呼び止めた。


「――そういや赤崎。俺と深影の変な噂が流れてるって耳にしたんだけど、なんか聞いたことあるか?」


 呆れの混じるような声色でそう訊ねてきたけれど、それはどう捉えればいいのか。くだらない噂だ、と一蹴するつもりなのか、それともバレてる事に面倒だと言いたいのかが、俺にはいまいち分からなかった。


 噂を耳にした事はある。

 というより、宮藤のいないチャットルームでそれが最近のトレンドだ、とでも暴露してもいいかもしれないけど、佐野の言ってた事も気になるし、何よりそんな事を言っても認めるとも思えないんだよな。

 つか、そんな事言ったら俺が睨まれるはめになりそうだし、そういうのはちょっとごめんだ。


「へー、そんな噂流れてるんっすか?」

「……そうなんだよなー。勘弁してくれよ、俺もうすぐ三十路だぜ? お前らの年齢なんて恋愛対象にできるかっつーの」


 一瞬の間を置いて、宮藤は笑いながらそうやって答えた。

 その中に含まれてる意味はやっぱり俺には分からなくて、俺は適当な相槌を打ちながら、なんとか帰宅する方向で教室を後にした。


 ……深影さんのさっきの雰囲気は、どう見ても普通じゃなかった。

 けれど、宮藤があんな風に言ってる以上、言及したってきっとしらばっくれるんだろうな。


 ……なるほど。

 グループチャットでみんなが言ってるのはこういう事だったのかって、改めて実感させられた。


 俺達に、どうにかする方法なんて、見つけられないんだよな……。

 いっそ深影さんが暴露してくれたら、どうにかできるかもしれねぇんだけど、佐野達が言うには他の先生もアテにならないらしいし。


 なんとなく、外の雨に曇った風景が、今のウチのクラスを暗示しているような感じがして、どうにも気分が悪かった。






 ――――その、数日後だった。






 深影さんはあれから、それなりに学校に来るようになった。

 グループチャットでは相変わらずみたいで、佐野のグループの牽制を無視して他の先生に相談を持ち掛けた女子がいたんだけど、「本当にそんな事が起きてるの?」とまったく取り合ってくれなかったらしい。

 そのせいで深影さんが責められてしまったらどうするのかと佐野のグループとモメていたりもしていたけれど、俺には何も言えなかった。


 そんなせいで、教師に対する不信感が募ってきて、それでも宮藤は何喰わぬ顔で授業をする。

 俺達は俺達で宮藤に対しては何も言えなくて、深影さんにあまり関わろうとするととばっちりを受けそうで、気が付けば腫れ物に触るように扱い始めようとしていた。


「――とりあえず、今日のホームルームはここまでだ。他になんか言いたい事とか、決めときたい事とかあるヤツいたら言ってくれよー」


 毎日のホームルームの締め括り。

 訊ねているようだけれど、俺達はやっぱりだんまりを貫いてしまう。


 宮藤も、俺達の態度に少しは気付いているんだろう。

 きっと、俺達が何も知らないと思いつつも、もしかしてバレてるんじゃないかって考えて、こんな事を訊いてきてるんだ。

 だから最近、わざわざこんな言葉を毎日毎日口にして確認するようになっているんだって、グループチャットでも話題になってるしな。


 その度にクラスの雰囲気は刺々しい、居心地の悪いものになってるような気がする。

 だからって正面から言ったって、きっとこの前みたいに宮藤は知らないフリをするんだろうってみんな知っているから、言えない。


 この数日の、いつも通りのやり取り。

 終わってくれないかとみんなが思っていたら、突然宮藤が腕を組んだ。


「――俺はお前らの事を信用してるから、なんかあったら力になりたいと思ってるんだ。もし気になる事とかあったら、個人チャットでもいいから俺に言ってくれ。って言っても、正直に言うとな、名前は言えないが何人か俺に送ってきてくれてるし、事情も理解してるつもりだ」


 何人かが、宮藤に個人チャットを送っている……?

 それってまさか、グループチャットの内容を告げ口してるヤツがいるって、そういう事、なのか?


 思わず犯人が誰なのかと探すかのように、俺達は互いに互いの顔を見合わせた。


「一応、この際だからハッキリ言っておくが、個人チャットで来た件についてはハッキリとないと否定しておく」


 ……どういう、つもりだ?

 まさか宮藤が言う通り、本当に深影さんを口説いているとか、そういうのはないってハッキリと宣言してるってことか?


 深影さんも何も言おうとはしないし、まさか、俺達の勘違いだった、のか?




 そう考えていた、その時だった。

 くすくすと――いや、むしろ笑いを噛み殺しきれないとでも言いたげに、誰かが笑い声を漏らした。




 みんなの視線を追いかけるように、俺もその笑い声の主を見つめる。

 そこにいたのは、俺でさえ忘れかけていた、アイツがいた。




 誰もが突然笑い始めた高槻の姿に目を点にしていて。

 けれど高槻は、そんな俺達の視線など一切、意にも介さないような様子で、顔をあげた。


「――ふ、ふふっ、あはは。教師面してるゲスの発言なんて聞くに堪えないものですけど、ここまでくるといっそ笑えてきますね」 


 ただ噛みつくような言葉でもなく、まるで「尻尾を出したな」とでも言いたげに微笑を浮かべて、小さな身体なのに逆らえないような空気を放ちながら唖然とする程に強烈な一言を放った姿に、俺は間違いなく魅入られていた。


 それは恐らく、クラスの全員も、そして宮藤も一緒だ。

 言葉すらなく、誰もが目を見開いたまま高槻を見つめて固まっていたのだから。






「この数日、何も言わない僕達に、「こいつらは何も言えない」という烙印を押し付けたつもりみたいですけど――残念でしたね。宮藤先生、あなたはもう詰んでますよ?」





 あの日――俺達は、悠を知った。




 ウチのクラスで最も影が薄かったと言ってもいい、あの女顔の小さな男。

 無力な学生であり、諦めて許容さえしようとしていた俺達とは根本的に異なっている、悠という異質を。

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