1-7 「これじゃない感」

 また一匹の魔物が、短剣によって舐めるように首を斬り裂かれ、生命を落とした。

 まさに鎧袖一触で魔物を屠るその様は、鋭利な刃物のように鋭い殺気すらも感じさせない、さながら呼吸する動作の一つとしてやすやすと命を刈り取る死神のようだ。


 また一匹の魔物が、目の前に誰もいないものであるとでも言いたげに素通りしていく。

 まさにアウトオブ眼中で素通りするその様は、少しイタズラ心で差し出された足に躓いて転ばせてもなお振り向かない、出来の悪いバグ満載のゲームのモンスターのようだ。




 ……まぁ、言うまでもなく前者がエルナさんを見た感想で、後者が僕の目の前に繰り広がる光景だよ。




 存在力を手に入れられず、レベルが上がらない。

 その上、魔物はどうやら全部が全部、僕を無視してエルナさんへと向かっていく。


 あまりのスルーっぷりに足を出して転ばせてみたものの……。

 それでも僕に振り向こうともしない辺り、徹底しているね、こんちくしょう。


 ――『魔物がスルーしました』。

 ――『存在力をスルーしました』。


 もうこのログを見るのは飽きたし、期待するのも諦めた。

 頭の中の効果音さえ僕自身の意思でスルーしつつある。


 ……なんだろうね、この「これじゃない感」が満載のダンジョンアタック。

 エルナさんがさっきからチラチラと僕になんだか申し訳無さそうに視線を向けてるけど、我ながら死んだ魚のような目をして景色を見ている自覚はあるよ。


「僕、なんだか町を練り歩くよりダンジョンにいる方がよっぽど安全な気がしてきた」

「落ち着いてください、ユウ様!?」


 だって、町の中だとアシュリーさんみたいに体当たりされたら瀕死だしね……。

 その点、ダンジョンの魔物は僕を見事にスルーしてるわけだし。


 つい数十分までは「いつかは僕も冒険者みたいに夢を」とか「命を奪うってこんなに辛いんだ……!」とか、ちょっとシリアスやってたのに、僕にとっては魔物は無害で倒してもレベル上がらないんだもの……。


 忘れたい。

 忘れてほしい、切実に。

 あれは黒歴史だ。

 決して開けてはならないパンドラの箱だったんだ。


 僕だって今まで色々な小説読んできたと思う。

 魔物に対して主人公が強すぎて楽勝ムードっていう話は珍しくないけど、ダンジョンマスターでもないのにダンジョンで魔物に無視されるって、何その新境地。


「エルナさん、僕帰っていいかな……」


 そう言いながらも、隣を駆けていくゴブリンに足を引っ掛けて転ばせると、エルナさんが容赦なく首に短剣を突き立てた。

 えげつない。


「……ユウ様。もう少しだけ、付き合ってもらえませんか?」

「えー」

「これをご覧ください」


 そう言いながら、今度はエルナさんが僕にステータスを見せてきた。


――――――――――

《エルナ・オルム Lv:23 職業:〈王宮侍女長〉 状態:良好》


攻撃能力:54     防御能力:42

最大敏捷:65     最大体力:31

魔法操作能力:59   魔法放出能力:43


【術技一覧】

【暗器術】・【暗殺術】・【上級社交術】・【万能奉仕】・【中級魔法『風』】・【中級魔法『闇』】


〈称号一覧〉

〈侯爵家令嬢〉・〈男嫌い〉・〈下半身直結は殺意対象直結〉・〈萌え道入門者〉・〈年下好き〉

―――――――――――


「あれ、エルナさんのレベル上がってる?」

「はい、そうなんです」

「何? 僕がレベル上がらないのに自分は上がってるっていう、そういうアレですか?」

「ち、違いますっ! 私がユウ様にそのような嫌がらせをして、一体何の得があるのですかっ! そうではなく、少しおかしいのです」

「僕が?」

「……怒りますよ?」

「ゴメンナサイ」


 さすがにネガキャラ風に振る舞い続けて、エルナさんの冷たいジト目が向けられた。

 そろそろ頭を切り替えないとね。


 さて、エルナさんが何を言わんとしているのか。

 それは僕にもなんとなく想像がついていたりもする。


「一階層程度で二十代のレベルが上がるのは確かに妙ですね」

「……やはりお気付きですか。存在力を吸収できるのは、あくまでも自分と同格か格上の相手のみです。なのに私のレベルは、ここにきて上昇しているのです」


 実際これはおかしな話だ。

 ゴブリンと蝙蝠の魔物であるブラッドバットは、せいぜいがレベル一から六まででしか存在力が得られず、レベル七には何匹魔物を倒しても上がらないという検証を、初代勇者は自分の奴隷を使って試したのは有名な話みたいだ。


 なのにエルナさんのレベルが上がっている。

 ふむ。


「……幾つか考えられる理由があるけれども、まず一つはここの魔物が強くなっているっていう可能性」

「あり得ませんね。ここの魔物は私が来た頃となんら変わっていません」

「でしょうね。んじゃ、勇者と一緒にいる事で吸収率が上昇している、というのはどうです?」


 僕ら――『異界の勇者』はレベルが上がりやすいという話は聞いている。

 その差は存在力の吸収率の違いによって生み出されているのか、それともレベル上昇に必要な数値の違いなのかは判らない以上、可能性としてはこちらの線もあり得る。


 けれど、エルナさんは首を左右に振って否定を示した。


「他の勇者様達と同行している冒険者達から、そのような報告はあがっていません。恐らくそれは関係ないでしょう」

「だとすれば……――僕の【固有術技オリジナルスキル】が生み出している、という可能性が高くなりますね」

「ユウ様のスキルが、ですか?」


 本音を言えば、その線が一番濃厚だという事には気付いていた。

 確証がないために後回しにしていたけれど、これはいよいよもって現実味を帯びてきたかもしれない。


「例えば、ゴブリンを相手にした場合、レベル一の僕ならば二十程の存在力が入るけれど、レベル二十二のエルナさんの場合はゼロになってしまう、と仮定しましょう」

「はぁ……?」


 まぁゲームに親しみがないエルナさんには、いまいちこの発想は理解できないのだろう。呆けるような声を出すエルナさんを無視して、僕は続けた。


「魔物を倒したことで、本来僕が得るはずだった二十の存在力。ですがここで、僕のスキルである【スルー】が発動され、僕は存在力を吸収できません。――では、その僕によってスルーされた存在力は、どこに消えるのでしょう?」

「――……ッ、まさか……?」

「多分そのまさかだと思いますよ。”スルーする”、っていうのは避けるような意味合いであって、打ち消すような意味ではありません。行き場を失った存在力が、そのまま二十という数値としてエルナさんに入っている、という事なら――エルナさんのレベルが上がる説明がつきます」


 存在力というものはゲームで言うところの経験値だ。

 ゲームによっては「魔物の持つ経験値は変わらないけれど、一レベルあたりの必要数値がやたらと上がって弱い敵じゃ大したプラスにならない」というシステムのものと、「レベル差がありすぎる相手からは経験値が得られない」というシステムが使われるものがある。稀に両方が合わさっているものもあった。


 この世界は恐らく、その稀なパターン――つまりは「必要経験値が増えている上にレベル差があると経験値が入らない」というものじゃないかと僕は考えている。


 つまり、本来なら僕が得るべき存在力が、僕の【スルー】によって変質し、そのままエルナさんに加算されているのではないかと考えれば、実際にこの仮説は成り立ってしまう。


「そ、んな……、事が、あり得るのですか……?」

「あくまでも可能性として、ですけどね」


 多分これは、異世界の勇者という本来ならば存在しないはずの世界の異物が齎したバグ。【スルー】という意味を持った特徴がスキル化してしまったために起こる、世界の誤作動とでも言うべき代物だ。


 まぁその辺はまだ細かい情報も得られていないから言及するつもりもないけれど、ともあれ僕のオリジナルスキルはどうやら、おかしな方向に恩恵を与えてくれているようだ。


 ……主に僕以外に、ね。

 当事者である僕をスルーしてる辺り、もはや悪意しか感じられないけども。


「まぁ、もう少し奥に進みましょう。エルナさんのレベルが上がるなら、検証がてらにも得ですし」

「……分かりました。ですが、あまり私のレベルを上げてしまわない内に引き上げましょう」

「え?」

「……ユウ様。低階層であなたを連れていればレベルが上げられるというこの情報が、もしも何処からか漏れてしまったらどうなるか、考えていますか?」

「考えていますよ。十中八九、僕は否応なく戦力を強化したい連中に連れ回されるでしょうね」


 リスクを背負わずに誰かを強化できると知られれば、そういう道具として使われる事になるだろう。こうなってくると、後方支援と言われた言葉が妙にしっくり来るのだから、皮肉過ぎる。


「その通りです。例え私が秘密をこの胸の内に隠し続けようとしても、【鑑定】系のスキルの中には、他人のステータスを見る事ができる者もいると聞きます。もしも私の急激な変化を知れば、変化のきっかけがユウ様であると確実に知れてしまいます。そんな事になってしまったら、私は私を――決して赦しません」

「僕が許しても、ですか?」

「はい。ですから、私の為にその力は絶対に隠し続けてくださいね?」


 僕を守る為に自分を天秤にかけるように言われてしまったら、無理にレベルを上げてくれなんて言えるはずもなかった。


「……むぅ。なんだかしてやられた気分です」

「ふふっ、私はユウ様より年上ですよ? たまにはこうして、ちょっとはお姉ちゃんになりたい時だってあるんです」


 そんな僕の心境を見透かすように、まるでイタズラが成功したかのように笑うエルナさんの笑顔は、いつもの微笑とは違って、思わずそっぽを向きながら、ここが薄暗い洞窟の中で良かったと思わされてしまった。




 一階層を魔物と無駄に接敵せずに歩き、さっさと二階層へとやってきた。


 二階層はさながら鬱蒼とした森のような場所だった。

 薄暗い森の中、提灯を思わせるような花が淡い光を放ってあちこちに点在していて、なんとも幻想的な光景が広がっている。


「綺麗だなぁ」

「そうですね」


 ことごとく魔物にスルーされてる僕のまったくもって緊迫感のない一言に、飛んできた直系五十センチはあろうかという巨大な蜂型モンスターであるキラービーを投擲用の針を投げて瞬殺して同意するエルナさん。


 ……もうこの人が主人公でいいんじゃないかな。

 というか、この強さのエルナさんでも勝てない魔族とか魔王とか、レベルが上がったぐらいで勝てる気がしない。


「キラービーとポイズンスネイク、それと稀にこの階層にはトレントが発生します」

「トレントは珍しいんですか?」

「はい。この階層ではかなり危険な魔物で、初心者殺しとされています。基本的にこの階層は十一レベルが限度となっていますけど、トレントだけは別です。ですので、あまり前を歩かないように……いえ、なんでもありません」


 僕がことごとく魔物にスルーされている事については、もう疑う余地はない。

 実際今、僕は足元にいたポイズンスネイクの頭を踏んで動きを止めているしね。

 巻き付いてくるのかと思ったけど、巻き付いて反撃もせずになんだかジタバタしているポイズンスネイクを見て、きっとトレントに近づいても僕はスルーされるのだろうと思ったのか、エルナさんはなんだか微妙な表情をして言葉を濁してポイズンスネイクを短剣で斬り裂いた。


 僕らの間にはどうしようもない微妙な沈黙が流れる。


「……なんていうか、ユウ様のそのスキル、ズルいですね」

「ねぇ、エルナさん。レベルが上がらない僕から見れば、レベルが上がるみんなの方がよっぽどズルく見えるって知ってる? ねぇ、知ってる?」

「す、すみません、分かりましたからその回り込もうとするのやめてください……っ!」


 うろちょろしてやった。

 やはり視界には入り込めない。


 ブブブブブとヘリコプターみたいな音を立てて飛んできたキラービーを、拾った木の枝で殴りつけて撃墜。ポイズンスネイクはさっきから僕を茂みの一部だとでも思ってるのか、堂々と足元まで来るので踏んで止める。


 ふふふ、この僕のサポートぶり。

 隠れたところからサポートしている凄腕みたいで、ちょっと気分がいい。


「攻撃しても反撃もしないなんて、やっぱりズルい……」


 ぼそっと呟いたエルナさんの声なんて聞こえない。

 聞こえないったら聞こえない。


「レベルが上がりました」

「チッ」

「舌打ちしました!?」


 まったく、僕なんて〈千古不易〉とかいう妙な称号まで入っているのに。

 まったく変わってなんて……アレ?


――――――――――

《高槻 悠 Lv:1 職業:〈傍観者〉 状態:良好》


攻撃能力:7     防御能力:4

最大敏捷:12     最大体力:8

魔法操作能力:32   魔法放出能力:0


固有術技オリジナルスキル】:【スルー】


【術技一覧】

【精神干渉無視】・【存在力無視】・【突き破る一撃】


〈称号一覧〉:

〈徹底的な第三者〉・〈女神の抱腹対象〉・〈女神の心を見透かす者〉・〈千古不易〉

―――――――――――


「なんか出た!」

「これは……攻撃スキル、でしょうか?」


 ついに僕に攻撃スキルが……!


「でも、僕が攻撃スキル持ってても、ステータスが低いんじゃ意味ないですよね」

「そ、そんな事は……えっと、ありますね…………」


 この階層の魔物はまだそこまで硬くないし、僕の非力な攻撃とかでも見事に止まってくれてるけれど、どうせ強くなったらステータスが足りないからね……。

 まぁ、いいけどさ……。


 その時、ヒュンッと風切り音を奏でて何かが僕の目の前を横切り、エルナさんが飛び退いてそれを避けた。

 振り返るとそこには、太い木の幹に顔のような窪みを作っているトレント。

 どうやら射程範囲内からエルナさんが離れたおかげか、追撃せずに自らの枝をゆらゆらと揺らしながら佇んでいた。


「ユウ様、早く離れてください! いくらユウ様が魔物に無視されるとは言え、そこにいては枝の攻撃に巻き込まれてしまいます!」

「――【突き破る一撃】、えい」


 持っていた短剣をトレントの顔の部分に、【突き破る一撃】を発動させながら突き立てる。

 短剣の先端が突き刺さり――そのまま短剣がトレントを貫通し、顔の部分を爆散させた。


「…………」

「…………」


 ゆらゆらと揺らしていた枝がぐったりと落ち、顔から上の部分が激しい音を立てて向こう側へと倒れていった。


「……えっと……」

「……なんですか、その威力……?」


 いや、うん。

 僕だって、なんでいきなりここにきて訳の分からない斜め上スキルが派生したのか、本当に理解に苦しんでるよ……。


 そりゃ、スキルとしてこんないかにもな強い攻撃がゲットできて、僕の童心は本当なら喜んでテンション上がったりもするよ?


 でも、どうせ……。


「あ、レベルが上がりました」

「もういい。帰る」


 そう、どうせ僕のレベルは上がらないし。




 とりあえず、やっぱり僕のオリジナルスキルによるレベル上げの異常性は証明された。

 多分僕の仮説は正しいんだと思う。

 僕に一切の恩恵はない上に、むしろ周りにバレたら大変な事態に陥るという爆弾になっているけども。 



 ――――ともあれ、僕の初めての「これじゃない感」満載のダンジョンアタックはこうして幕を下ろした。

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