第3話・出逢い
──昨年の初夏だった。
「……あんた知らないし、迷惑だ」
梅雨の時期に入り、傘をさす程ではないにしても、しとしとと雨が降る中、裏庭に面する校舎裏に呼び出された眞悟は不機嫌も顕に言葉を放った。
目の前には、愕然と青褪める学生服に身を包んだ女の姿。
「ひ、酷い。そんな風に言わなくったって……」
「生憎と、好きでもない相手に愛想を振り撒ける程、人間出来てないから」
(──面倒臭い)
泣き出した女子生徒に、嫌悪すら感じられる冷たい双眸を向ける。
入学して早二ヶ月弱。
休み時間や放課後に呼び出され、果ては待ち伏せされて告白される学校生活を送る羽目になった眞悟は、かなりのストレスを感じていた。
告白される度に、相手を思い遣る事は一切せずにこっ酷くフるが、それでも湧いて来るように次がある。
──中には、身体の関係だけでも良いと、求めて来る女もいた。
男の中にはそれを据え膳だと喜び、喰って遊ぶ者もいるだろうが、眞悟は言葉を交わす事にさえ嫌気が差している。故に、関係を持つなど考えられない事。
『迷惑』と、皆に告げているのだからいい加減止めて欲しいものだが、『自分ならばもしかして』と希望を抱いて来るらしい。
結果フラれて泣き、怒り、縋る。
眞悟にしてみれば、過去の例が大量にあるのだから容赦なくフラれる覚悟で来い、という思い。
『面倒』『時間の無駄』以外の何物でもなかった。
「……ャンを、返して下さい!」
「駄目だ。放課後まで没収だ!」
それは目の前の女子生徒とは別の女の声と、ここ数ヶ月で聞き慣れた男の声。
徐々に距離は近くなるようで。
「……?」
何となく気になった眞悟は首を動かす。
その視界の端に捉えたのは、窓の向こう、廊下を足早に歩く数学教師の
眞悟は無意識化に視線で追った。
少女は紫藤に手を伸ばす。紫藤の手には何かが握られていた。
「返して下さいってば!」
「授業中に弄ってたのが悪いんだろうが」
「それは反省しますから、返してー!」
「放課後まで我慢しろ!……おわっ、飛び掛かって来るな!!」
「返して私のセバ……あっっ……!!」
「……あ!」
少女から逃れようと身を捩り、腕を動かしたその勢いで紫藤の手に握られていた何かは宙を舞った。
そして運悪く開いていた窓から外へ、──眞悟の方へと飛び出して来る。
──ボチャッ。
飛んで来たそれは幸いにも眞悟に当たる事はなかったが、眞悟と目の前の女子生徒の間に、連日の雨で
「「…………」」
「……セバスチャーンッッ──……!!」
そこは専門教室や準備室が並ぶ人通りの少ない場所。しかし幾ら少なくとも生徒の行き交う廊下に、少女の悲痛な叫びがこだました。
「……」
目の前に落下したそれを眞悟は掴み上げた。
「……セバスチャン……?」
(……これの何処が、セバスチャン?)
眞悟が目の高さまで持ち上げたそれは泥水を吸って汚れ重くなりはしたが、どう見ても牛の縫いぐるみ。──但し、目は不自然に離れて口許は何故か弧を描き、眉毛がきりりとした、西洋貴族のような服を纏った一風変わった牛だが。
「……ぅぅっ、セバスチャーン……」
窓枠から身を乗り出し手を伸ばす少女の肩を、慌てたように紫藤が掴んで止めた。
「こらっ、危ないだろうが!」
「……やっ、セバスチャン!」
二人がいるのは一階のため大怪我はしないだろうが、しかし危なっかしさを感じた眞悟は、少女が身を乗り出す場所まで歩を進めた。
「……ほら」
差し出した牛の縫いぐるみ。それをじっと見つめた少女は両手を伸ばした。
その手の上に、なるべく汚れていない箇所を下に置いてやる。
漸く少女の手に戻って来た縫いぐるみ──否、セバスチャン。
歓喜に瞳を潤ませた少女は眞悟を目を向けた。
(……っ……)
その澄んだ瞳に、一瞬鼓動が高鳴る。
「……──ありがとう!!」
「……ん」
満面の笑みで礼を言う少女に、眞悟は珍しく僅かに頬を緩めた。
手の上に置かれたセバスチャンを、暫くの間、
その身をおどろおどろしい気に包んだ少女に、たじろいだ紫藤は足を一歩引く。
「た、か橋?」
少女は己の目の高さまで持ち上げたセバスチャンの腕を器用に動かす。
「……この恨み、晴らさでおくべきか……」
低く、何処か不気味な声を出した少女に、教師である男は狼狽えた。
「わ、悪かった!だから止めい!」
「む……」
不貞腐れ頬を膨らませる少女の姿に、常に不機嫌に彩られた眞悟の表情が、意識せず柔らかいものに変わる。
「……っ」
──その場から、悔しげな表情の、一人の女子生徒が走り去った。それは言わずもがな、眞悟にフラれたあの生徒で。
「……北村、お前もう少し柔らかくフってやれ」
「無理です」
敢えてその存在に気付かぬ振りをしていた紫藤に、即答する。
「……あの子、どうしたんですか?」
今まさに気が付いた様子の少女に、二人は呆れる。
「……まあ、お前は『セバスチャン、セバスチャン』言ってたからなー……」
紫藤の呟きに、眞悟は確かにと頷いた。
「??」
「……なあ、訊いても良いか?」
首を傾げる少女に、眞悟は声を掛けた。
「はい、何でしょう」
「それの何処が『セバスチャン』?」
──さっきから気になっていた事。
『セバスチャン』という名と言えば、日本人は執事のような者を連想しやすい。
だが、彼女がそう名付けたのは一風変わった牛。どう考えても、どう見ても、『セバスチャン』という名前は思い浮かばない。
のに。
「此処です、此処!」
縫いぐるみに興味を示して貰った事が嬉しかったのか、嬉々として少女が指し示したのは──肩。
「「……」」
思わぬ所に、眞悟と紫藤は言葉を失った。
けれど、瞳を輝かせて説明する少女があまりにも生き生きとしていて。
「……ぷっ……」
とうとう堪え切れずに噴き出した。
眞悟が笑う様子を初めて見たであろう紫藤が、これでもかと言わんばかりに驚きに目を見開く。
「因みに、製作期間は衣装も含めて一週間です!」
「……作ったの?」
「はい!学校では手芸部に所属していて、偶に作品の販売も行っています!」
「……へー。欲しいかも」
今度覗いてみようか、何て考えが浮かぶ珍しい思考に、苦笑が漏れた。
「あの、先輩ですか?」
首を傾げる少女に、一応自身の顔が知れ渡っている自覚のある眞悟も同様に首を傾げた。
「あー、高橋ならあり得るな。……お前ら同級生だぞ。
紫藤の説明に、少女も眞悟も瞬いた。
「そうなんだ!……あ、えっと、初めまして?高橋葵。一年三組です」
「……北村眞悟、一年五組です。よろしく」
自己紹介をした少女に釣られて、眞悟も名前と組を口にした。
(……よろしく、何て、久々に言ったな)
──それが二人の出逢い。二人の始まり。
以来、頻繁に言葉を交わすようになり、共に過ごすようになり、今日がある。
初めて逢ったその日から数日後。
「北村君、これセバスチャンを助けてもらったお礼です」
そう言って葵から渡されたキリンの縫いぐるみ。
やはりと言って良いのか高さも大きさも異なる目をした、キリンにしてはふくよかなそれは、今でも眞悟の自室に大事に飾ってある。
──その事実は葵も知らない。
もう、好きじゃない。 永才頌乃 @nagakata-utano
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