第2話・日常




「眞悟様、お車のご用意が──」

「いらない」

 色素の薄い髪に同じく色素の薄い瞳。何処か日本人離れした容姿の持ち主である背の高い彼は、洒落た制服に身を包み、自身の父親に仕える壮年の男の言葉を切り捨てる。

「眞悟様……!」

 焦り、手を伸ばす男を最早視界にも入れず、青年は足早に邸の門を潜った。

 その整った顔は、苛立ちに彩られる。

 毎朝毎朝、同じ遣り取り。──とうの昔に嫌気が差している。

(……何奴も此奴も腹の中は腐っているくせに)

 案ずる振りをして、利益を得たいのか。

 瞳に嫌悪が宿る。


 青年の名は北村眞悟。世界展開を行っているIT企業KITAMURA社長、北村眞也の一人息子で、西高等学校に通う十七歳。

 小学校中等学校と、著名人の子息らが多く通う私立に行っていたが、水面下で行われる媚や足の引っ張り合いの煩わしさに、高校は自宅から然程離れていない公立高校を受験した。

 本当は、自宅から離れた所を望んでいた。が、両親の猛反対に遭い、互いに妥協した結果の措置だった。


 登校する眞悟の姿を見た若い女達が黄色い悲鳴を上げる。

(……煩い)

 眞悟の眉間に刻まれた溝が更に深くなる。

 煩わしさから逃れたくて公立にしたものの、別の意味で煩く、然程変わらない気がする。

 けれども、後悔はしていない。

 何故ならば、

「──眞悟、おはよう!」

 駅へと続く路と交わる箇所で、一人の女子生徒が笑顔で片手を上げる。

 一度も染めた事がないというセミロングの髪の持ち主は、勝気さが覗くその瞳を柔らかく細め、愛らしいその口許で弧を描いた。

 自然、眞悟の表情も和らぐ。

「はよ」

「……じゃ、俺らは行くからな」

「うん。ありがとう」

 少女の傍にいた数人の男女が手を振りその場を後にする。

 去り際に、彼らから視線が投げられた。

 彼らは少女の友人。眞悟と合流するまで少女の傍らにあり、眞悟が来ると離れて行く。

 ──何時もの事だ。

 眞悟は自分が嫌われているからと認識していた。

「眞悟、行こう」

「ん」

 けれども少女は眞悟の傍にいる。

 彼女は眞悟が肩の力を抜ける、唯一の存在。唯一の友人。

 彼女以外の友が欲しいと願った事はない。

 隣を歩く少女がおもむろに鞄に手を突っ込んだ。

 自身の肩辺りに頭の頂点が来る少女のその行動を、眞悟は穏やかに見守った。

 少女が鞄から取り出したのは携帯電話。

 それを周囲に気を配りながらも操作すると、画面を眞悟に向ける。

「見て見て、今度の力作!」

「ん?…………ぷっ」

「あ、笑ったー」

 少女が見せたのは、縫いぐるみの写真。──濃さの違う緑をふんだんに使用したカエルの。

 しかもそのカエル、左右の目の高さも異なり、何故かニヒルな笑みを浮かべている。

 肩を震わせ笑う眞悟に、しかし少女は怒る事なく自らも笑みを浮かべる。

「……ぷっ、……何かこれ、葵に似てるな」

「え、そう?」

 笑いながら言われた少女は、画面を食い入るように見つめる。

 眞悟が言った『葵』とは、彼女の事で。


 ──眞悟が葵と合流してから周囲にいる女達の嫉妬の視線が酷い。

 通常の感覚ならば逃げ出しそうな程のもの。

 けれども、葵は平常通りに過ごしている。


 すぐに顔を上げた葵は眞悟に目を向けた。

「──こう?」

 同時に、ニヒルな笑みを浮かべて見せた。


「……っっ、ははっ!」


 その表情がツボに入った眞悟が、声を上げて笑った。




 ──変わらずにあってくれる葵が傍にいてくれればそれで良いと、そう思った。




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