炎暑、長日、柿若葉。
西園寺もあ
喉からむ
「おやまあ、先輩、そんなものでそんなに卑猥なものを咥えて座って。誰か待ってらっしゃるんですか?」
じぃじぃと鳴く蝉の声に、一早は耳を傾ける。目の前にはいつもの暑苦しそうな髪を結んだ眞乃が、神社の階段の一番上に座っている一早に声をかけた。彼の目に映るのは可愛い後輩の素足。足元を見るとサンダルで、ああ、二年生はプールだったか、と思い出す。
「お前を待ってた」
適当に嘘をつくと、真に受けたふりをする眞乃が隣に座る。同級生のようにご丁寧にスカートを下に折りたたんで石畳に座るような奴じゃない。砂埃が下着に入らないのかと思う。セミがうるさい。
「それはそれは。私がここの下を通らなかったらどうするつもりだったんですか?」
「これ食って帰ってた」
コンビニで懐かしくなって買った、溶けかけたチューペットを振る。
「半分」
「は?」
「半分くれるんじゃないんですか」
微妙に、それこそ微妙に、眞乃が怒りを含ませた声でそれを強請る。最初からそのつもりだったから、惜しげも無くポキリと割って渡す。この態度に不満を覚えるだろうな、と思ったら眞乃が文句を言い出した。
「なんでそう惜しげも無くボキリと。ここは何か「嫌だよ自分で買ってこいよ」「えぇ、やだぁ、くださいよぉ」とか言いながらイチャイチャイチャイチャ先輩後輩がこう、束の間の逢瀬を楽しむんじゃないでしょうか」
この前鬱陶しくものをねだって来た一年と俺の話の内容と照らし合わせるように、思い切りじゅるると眞乃が溶けたジュースを吸う。眞乃の頬に水滴が伝う。限りなく健康に悪そうな色のそれか、ただの結露なのかはわからない。もしかしたら汗なのかもしれない。
「しねーよ」
「そうですか」
また、セミの大合唱のどまんなかに居る。シャツが汗で背中に張り付く。「普通」の女子と時間を過ごしているのなら、これもためらわれる事なのだろうが、それを気にしないのはきっとこいつが眞乃で、眞乃だからだ。汗どころか他の体液まで五感で感じているのも気にならない。
「先輩、受験じゃないんですか」
「受験だよ?」
「お家帰って勉強したらいいんじゃないですか、こんな馬鹿みたいに暑い所でバカみたいにチューペット啜って後輩といるより」
じゅるる。じゅる。
その後に続くはずだった言葉を一緒に、溶けたアイスと飲んでいる。
「…お前も来年になったらわかるよ」
「はぁ」
「お前、どうせ受験勉強とか初めてだろ」
「そうですけど」
じゅるり。
「来年のお前はどーしてんだろな。泣き見るぞ」
「ひどいですねぇ、頑張るところは頑張るのに」
「びぃびぃ泣いてるお前が目に浮かぶよ、同情する」
舌を出して、眞乃はチューペットの切っ先を口から出した。フフン、と鼻で笑われるのは癪だ。
それは俺の専売特許だ。イラッとした顔を俺は隠さない。しかし、それに怯む眞乃でもない。
「来年の私に?」
「来年のお前に」
すくりとそのまま眞乃が立つ。空のチューペットを手に持って。
「私は泣きませんよ。私は」
俺に言うと言うよりは、自分に言い聞かせるように眞乃はチューペットの容器を噛み始める。
何か噛んでいないと落ち着かないというこの哀れな後輩の歯は、案外鋭いぞ。ボロボロになるだろう無残なプラスチックの残骸を想像すると、涙が出てきそうである。
チリリリと蝉が鳴く。風の運ぶ暑さは、もう新鮮じゃない。
早く秋が来て、冬が来て、とは言わないあ。秋は秋で虫が出るし、冬はまず寒いのが短い。苦手だ。
「つまんねーな」
「そんなことないっすよ」
ねと、と唾液がすでに一部、ボロボロになったふにゃふにゃのプラスチックに伝う。きたねーぞ、というとどんな冷房よりも冷たい目を一瞬向けて、眞乃はそいつを藪に投げ入れた。
「うわー、環境破壊」
「大丈夫っすよ。根拠はないけど」
「野生動物があれを食って…」
「ここらへんに出るのは全部害獣です」
「減らず口」
お前の鼻息一つで飛ばされそうなレッテルを貼る。
重たいだろうな、お前の背中。知らぬ人からのたくさんのレッテル背負って。
ま、俺もそうだし、皆そうだけど、お前はお前出たくさんだ、とでもいいたげに背負い込みすぎている。
そういう不器用でバカっぽいところ、好きだ。
そう思ったら、顔に影がかかった。容赦なく照りつける直射日光から俺を遮りそうなものなんて、ただ一つしか無いけども。
「今ちょっと失礼なこと考えたでしょう」
「考えてない」
「こいつバカだな、とか考えてません?」
「考えた」
「やっぱり失礼です」
「事実だからいいんだよ」
「クソかよ」
どうにもふさわしくない言葉を投げつけられる。うん、まったく気にならない。
もうとてつもない暑さが、思考能力を奪っていく。
それはきっと眞乃もそうで、それに対する質問中傷批判などどろどろした脳みそには刺さらず、ぽいんと音を立てて弾んでいく。
目を閉じれば熱い暑い布団に包まれているようで、今からででも意識を失ってしまいそうだ。
「先輩」
「おー?」
「好きっす、一早先輩」
「おう」
ちーりりりりりりりりりりり。じぃい。じーーーーーーーーっ。
蝉だけが鳴く。
俺達の間の沈黙を埋めていく。深い深い暑い風の谷に阻まれた俺たちの間に、沈黙と一緒に愛が埋まっていく。
「ということで、よろしくお願いします」
夏は長いようで、一瞬である。
「ねえよ」
「まあ、普通に考えてそうですよね」
しゅ、とあいつが鼻水を啜る音が聞こえる。夏だぞ。風邪引いてんじゃねえよ。
「まあ今度まで待てよ」
「何をですか。心変わりですか。しんどいんですよそういうの」
「怒んなよ」
「誰のせいだと思ってんですか。ほんとそういう所嫌いです」
階段から立ち上がる眞乃の手を慌てて引っ張る。転びそうになって、右手で受け止めてやる。膝を打たせたことは下りたら謝ろう。
「…何すか」
涙目の眞乃の頭に手を当てる。これまた熱を持った黒髪が、いきもののような温度を持って俺に訴えかけてくる。
ふん、と一つ鼻で笑ってやった。
「まあ俺から言うまで待ってろって」
チャンスぐらい寄越せよ。夏はまだまだ長いんだから。
炎暑、長日、柿若葉。 西園寺もあ @lemanade
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