epilogue ギロチン台の上で



 かつん、かかつん。


 僕と理塚くんの手から放たれた賽銭が、乾いた音とともに賽銭箱の中に消えていく。

 鈴を鳴らし、二人で手を合わせる。

 思いつくかぎりの言葉を心の中で呟いて、顔をあげた。


「なに祈ってたんだ」


 理塚くんが横目で問いかけてくる。

 僕は頭をかいて自分では笑みを浮かべたつもりの表情を作った。


「ごめんなさい、恨まないであげてください、成仏してください、って感じかな。理塚くんは?」

「まぁ、似たようなもんだ」


 僕がそうしたように、理塚くんも何に対してかは言わなかった。たぶん、似たような心境だからだろう。

 合掌をすますと、僕たちは境内へ戻りながら空を仰ぎ見た。


 ずいぶんと綺麗に晴れた日だ。

 ――僕たちは、街の少し外れにある寺へと来ていた。沢瑠璃さんに誘われてのことだった。

 あの夜から三日経ち、今日は日曜日。


 あの日は、あれからも少し大変だった。ようやく泣き止めた沢瑠璃さんを理塚くんと二人で家まで送り届けると、沢瑠璃さんのご両親は当然ながら火がついたように、というより爆竹の束に火をつけたように怒っていて、僕たちがいる前で手を出す寸前まで沢瑠璃さんを叱り飛ばした。二人の激怒をぎりぎりで止めたのは、聞いてるこちらが胸が苦しくなってしまうほどの泣き声と繰り返される「ごめんなさい」の言葉だった。


 僕と理塚くんは沢瑠璃さんのご両親にひたすら謝罪と感謝の言葉を聞かされ、半ば逃げるように沢瑠璃さんの家を後にしたけれど、僕にとっての試練というより針のむしろは自分の家に帰ってからだったのは言うまでもない。

 次の日は沢瑠璃さんは休みを取ったようだけれど、どうやらそれは冷静になったご両親の配慮だったようだ。


 昨日の土曜日、学校に着くと沢瑠璃さんは僕の教室前に立っていて、プロ野球投手並みの腕の振りで僕の手に紙切れを渡してきてそのまま自分の教室へ戻っていった。

 そこに書かれていたのが、今日のことだった。動物霊園のあるお寺へ親と行くので、一緒に行ってほしい。


 二つ返事でオーケー、だったのだけれど、メールは使えないので、沢瑠璃さんの教室を覗いてみると沢瑠璃さんが席に座っている。どうしようか悩んでいると廊下から「入ったら?」と声がして、振り向くと三間坂さんがいた。教室へ入っていく三間坂さんに肩を叩かれ、思いきって中へ入って席に座る沢瑠璃さんの前で「オーケーです! 何時かな?」と堂々と聞いた。

 あの時の、沢瑠璃さんのびっくりした顔とモジモジしながら時間を答えてくれた顔は、もう可愛すぎて忘れることができない。


 そんな感じで。

 沢瑠璃さん一家は今、寺の裏手にある共同墓地でおでんの供養を行っている。僕たちは供養が終わるまでのあいだ、境内でこうして待っていた。


「でも、動物供養してくれるお寺も探したら意外とあるもんだね」

「ペットの立ち位置も昔と変わってるしな。坊さんからしても、いい収入源なんじゃねぇの?」

「……こんな場所で、よくそんな大それたこと言えるね」


 二人で境内へ戻り、竹で編まれたベンチへ腰かける。

 そのまま、しばらく黙ったまま空を見上げていた。


「……ああ、そうだ。一つだけ訂正しとかなきゃダメなことがあったわ」

「なに?」

「オレがお前とは別に沢瑠璃探すきっかけを作ってくれたの、沢瑠璃のクラスの女子なんだわ」


 沢瑠璃さんのクラスの女子。

 そう聞いて思いつくのは、あの子しかいない。


「……三間坂さん?」

「え、お前知ってんの!?」


 やたらとびっくりされて、僕の方こそびっくりしてしまう。


「理塚くんこそなんで知ってんの?」

「いや、あいつ、うちの女子マネ」

「女子のマネしてるの?」

「いやあいつは女子だよ! 違うわ、女子マネージャー!」

「え、そうなの!?」

「なかなかのおサボリさんだけどな」


 僕があの日出会ったのも、おサボリなさってた所だったらしい。その翌日、かつて僕がそうしていたように理塚くんは沢瑠璃さんのクラスを覗きに行って、その時に三間坂さんから僕との一件を聞いたのだった。


「三間坂さん、いい人だね」

「だよな。みんな見た目に騙されがちなんだよ」

「……」

「……」


 僕は横目で理塚くんを見る。

「理塚くん、もしかして……」


 瞬間! 理塚くんが! 顔から火を噴いた!


「ばばばばばバカや、、、バカ野郎、んんんなワケねーだろがよっ!」

「……もう言っても遅いけど理塚くん、僕はまだ何も言ってないよ」

「ぐはぁ!」


 理塚くんがベンチからもんどり打って頭から転げ落ちた。

 ……生きてるのだろうか。

 マンガのような、というよりマンガでしか見ないアクションに興味がいってここからどう展開されるのか観察していると、やがて理塚くんがなぜか不敵な笑いを立てながらベンチへ這い戻ってきた。


「織野よぉ……お前は大事なことを忘れている。オレも実は何も言ってないぜ?」

「ああ、そう」


 思ったよりも回復していて失望して興味が薄れたので、テキトーに返事する。

 理塚くんが服についた埃を払ってまた座る。

 会話がなくなって、二人でぼーっと座り続ける。


 と。

「お。来たぜ」

 理塚くんの声に誘われて視線を巡らせると。

 寺院の裏手へ続く路地から、四人の人影が見えた。


 一人は寺のお坊さんで、三人に頭を軽く下げるとまた路地の方へ戻っていく。その背に頭を下げた内の一人の少女が、僕たちに気づいた。

 沢瑠璃さんはご両親になにか話しかけながら小さく手を振り、僕たちの方には来ずに賽銭箱の前に立った。

 僕たちは駐車場の方へ歩いていく沢瑠璃さんのご両親に頭を下げたあと、手を合わす沢瑠璃さんを黙ったまま待った。


 長い、長い合掌だった。何に手を合わせているのかは、聞く必要は無いと思った。


 沢瑠璃さんが手を下ろす。――そして、振り返りざま僕たちを見据えてきた。

 沢瑠璃さんは僕と買いに行ったあのスニーカーを履いていたけれど、僕たちの方へ真っすぐに歩いてくるその効果音にはツカツカ、がまさにお似合いで、その手に小ぶりの可愛いバッグを持っていることに僕は気がつく――のが遅かった。


「ジロジロ見るなぁ!」

「うわバフぅっ!」


 久しぶりの鞄プレスに対応が遅れた。僕の真剣白羽取りは綺麗な柏手を打って、沢瑠璃さんのバッグはこれも綺麗に僕の顔面へ着弾した。

 目の前が真っ暗で見えない、その向こうから、


「お前にジロジロ見る権利を与えた憶え無し……!」

「ぼべん、ぼべんばばい……」


 打った柏手をそのまま陳謝の型へとトランスフォームさせ(実際には同型のため変形はしてない)、精魂込めて謝ると、沢瑠璃さんがゆっくりとバッグを引いて、「ふんっ」と鼻を鳴らす。そして、


「お前もだ理塚ぁ!」

「うわバフぅっ!」


 ……まぁ、確かに沢瑠璃さんを見てた点では公平な扱いだと思う。けれど、理塚くんの呼び名がフルネームでなくなっていること、そしてこれまで僕にしかしなかった鞄攻撃を理塚くんにも仕掛けたことは、一方では複雑で、一方では少し、ほんの少し、海から採れるすべての塩分の内の一粒くらいだけ嬉しかった。

 それに。

 そのバッグの肩紐に、小さくではあったけれどネコのストラップが付いていること。これは、そんな一粒など比較対象にすることこそがおこがましいほど嬉しかった。


「んじゃ、沢瑠璃も戻ってきたことだし、オレ帰るわ」


 んー、と伸びをしながら理塚くんが鳥居の方へ足を向け始めた。


「あれ、もう帰るのか理塚」


 沢瑠璃さんの、少し焦ったように聞こえる声。


「ん? あぁ、帰るよ」

「帰るな。帰るとあの鳥居を倒す」

「なんで!? あんなデカい鳥居どうやって倒すんだよ!」

「押して」

「シンプルだなおい! いやそんなんで倒せるわけねぇだろ! いや違う、そもそも倒そうとするなよ! いや悪いけど帰るよ、ちょっと用事があんだ」

「その用事ごと倒す」

「なんで!? それも押して倒すのか!? いや、ちょっと礼を言わなきゃいけないやつがいるから、そいつんとこ行くんだよ」

「じゃあそいつを倒す」

「倒すな!」


 理塚くんは疲れたようなため息をつく。そして、僕と沢瑠璃さんの肩に手を置いた。


「ではご両人。後はお若い二人で」

「たしかに、理塚くんの誕生日四月一日だもんね」

「たしかにそうだ! どうしたってオレが年長者だ!」


 なんだか実入りのない余計なやり取りを続けたあと、理塚くんが僕をぐい、と引き寄せてきた。


「……おい。そういやお前、まだ言えてないだろ」

「……なにが」


 ついとぼけながらそれをごまかすためにじろりと睨んでやると、理塚くんは嫌みったらしくヘラっと笑った。


「分かってる分かってる、なんだかんだでお前が腹くくってることくらい、お兄さんにゃ分かってるよ」

「……理塚くんの誕生日四月一日だから、たしかにお兄さんだね」


 理塚くんがピシリと動きを止めた。けれどこれだけじゃ物足りないので、追い打ちをかけてやる。


「三間坂さん、上手くいったらいいねぇ」

「み、みまっ、織野お前っ」

「まあ、困ったことがあったら古賀征一郎先生に聞いたらいいよ。なんせ、理塚くんの質問ならいつだってすぐに答えてくれるんだから」


 含みを持たせた言い方をしてやると、理塚くんがゆっくりと僕の目を覗きこんでくる。


「……もしかして、バレた?」

「ネットで調べたら、古賀征一郎の姓名判断の結果しか出てこなかったよ。……でもありがと。あれで前に進めたところもあるから」

「あっ、そ」


 彼らしく恩着せがましくしないあっさりとした返事をした理塚くん。――その理塚くんの顔に手がかかる。同時に僕の眼前にも手が覆ってきて、

「訳のわからん内緒話するなぁ!」

『ひだっ、ひだだだっ!』

 沢瑠璃さんに鼻を思いきり上にめくられるという超絶技巧を極められてしまった……


「と、とにかく帰るわ。また学校でな」


 理塚くんはようやく鳥居をくぐっていった。「織野、最後の一言、頑張れよ」とダメ押しに余計なことを言い残して。


「……」

「……」


 くそ。理塚くんのやつ、余計なことを。最後のそれ、要らないじゃないか。


「あ、あのさ。おでんの供養、無事終わったんだね」

「え、あ、うん。なんとか」

「あ、ああ、そう。良かった」


 変に意識してしまうからついどもってしまって、沢瑠璃さんもどもるからぼくもまたどもる。

 ダメだ、おでんのことは緊張して話すことじゃない。


「これで、おでんもゆっくりできるんじゃないかな」

「うん。もう大丈夫だから、って言っといた」


 短い言葉だったけれど、もう大丈夫というその言葉がこれまでに起こった出来事の終わりを示していた。同時にその言葉は僕たちの関係の継続を約束してもいて、僕はほっと息をついた。

 沢瑠璃さんが、苦そうな笑みを浮かべる。


「あの子も、ゆっくり逝けてたらいいんだけど」


 沢瑠璃さんはあの子と言って、僕も聞かなかった。ただ、「うん」とだけ頷いた。


「よし。理塚がいたら、どっかでお茶でも思ったんだけど、あいついなくなったし、どうしよっか」


 どうしよっか。

 その一言が、僕の背中を押して最後の一線を超えさせてくれた。今日言う、と。

 だから僕は覚悟を決めて、


「沢瑠璃さん、行きたいとこあるんだけど一緒に行ってくれないかな?」

「え……あ、うん、べつにいいけど」


 言うならあの場所、と決めていた。だから僕は、沢瑠璃さんと一緒に鳥居をくぐった。


「……ありがと」


 二人で歩いていると、沢瑠璃さんがうつむき加減に小さくそう言った。


「え……そんな。元は僕が悪いんだよ。沢瑠璃さんを独りぼっちにさせたから」


 沢瑠璃さんが頭を振った。


「そんなことない。私が弱すぎただけ」

「いやそんなことないよ。あんなに一緒だったおでんが、……その、いなくなったんだ。簡単に忘れられるわけなんてない。沢瑠璃さんが弱かったとしても、僕が沢瑠璃さんを一人ぼっちにさせたのは僕のせいだ」

「……ありがと」


 沢瑠璃さんが小さく笑った。今の「ありがと」には、いろんな意味が込められているように思えた。


「あ、そうだ。理塚に聞いた。心配かけちゃったね。あの後も、ずっとおでんを探してくれてたんだよね」

「え……ああ、まあ、うん」


 はっきりと頷くのが妙に照れくさくてうやむやに返事すると、沢瑠璃さんがクスッと笑った。


「司はさ、優しいのに褒められるの苦手だよね」

「え、ああ、まあ、そう……かな?」

「ほら」


 クスクスと笑う沢瑠璃さん。

 僕は横目でそんな沢瑠璃さんを見て、すぐに視線を外す。なんだろ、なんか雰囲気が違う……か、可愛い……! 男言葉も全然無いし、これがホントの沢瑠璃さんか……可愛すぎる……!

 ひとしきり笑ったあと、その笑みに辛そうな苦味が混じった。


「おでんにも迷惑かけちゃった。早く天国行きたかったのに、私が心配で行けなかったんだね。さっき、共同墓地でいっぱい謝ったよ」

「う、うん。おでんももう心配してないと思うよ。向こうで安心してると思う」


 すると、沢瑠璃さんが押し黙ったあと、少し涙目になりながらもとても明るい笑顔を浮かべた。


「うん、私もそう思う!」


 そうして、僕たちはいろんな話をする。あの夜のあと、どれほど親に怒られたか。翌日の学校でどれほど担任に怒られたか。二人がどんなルートで探し回っていたか。それは決して楽しい思い出でないはずが、僕たちは人の目も気にせずに大笑いしてしまった。


「……あ、見えてきた」


 目的の場所が見えてきて、それを見た沢瑠璃さんが小さく笑った。


「なんか、ここだと思ってた」


 そこは、湊川公園。

 僕と沢瑠璃さんが初めて出会った場所。

 入口から入ると、僕にとってラッキーなことに子供の姿が少ない。


「で、ここで何するの?」


 僕はニコリと笑った。

 僕と沢瑠璃さんと初めて出会った場所だからこそ、ここが合っている。ここだから、勇気がわいてくる。勇気を出して、ここから始めたいと思える。

 だから、

「見てて!」

 僕は走り出した。


 目指すは、滑り台。僕にとってのギロチン台より凶悪な遊具。僕の幸と不幸の両方のルーツになった滑り台に駆け寄ると、急な階段を一気に駆け上がった。

 空を見る。青く澄んで、高い空。そう言えば、子供のときこの滑り台に上がったのも、少しでも空が近く感じれるから、だったような気がする。


 振り返ると、滑り台の下に驚いた顔の沢瑠璃さん。

 僕はそんな彼女を見つめながら、思いきり、息を吸いこんで、そして、思いのかぎり叫んだ。


「沢瑠璃さん! 僕は! ずっと! 君が好きでしたぁ!」


 ――気持ちいい。思いのたけを人に伝えるのが、こんなに気持ちいいことだったなんて。

 と。


「あ、あれれ?」


 目の前がいきなりぐらりと揺れる。まさか、と思った途端、乗り越えたと思ったはずのめまいと尾骨の寒気がいきなり襲いかかってきて、よろめいた僕は「うわぁっ!」滑り台に倒れこんで頭から落ちていく。

 頭から砂場につっこむ! 僕は目をつぶろうとして……


「大丈夫!」


 滑り台の終着点で、僕は体ごと滑りこんできた沢瑠璃さんにキャッチされていた。

 すぐそばにある、沢瑠璃さんの顔。


「危なかったぁ、怪我してない?」

 僕は、照れ笑いを浮かべた。

「い、いやぁ、高所恐怖症、克服できたと思ったんだけど……」

 そんな僕のおでこを、沢瑠璃さんはペン、と叩いた。


「私思うんだけどさ、高所恐怖症、治らなくていいんじゃない?」

「え?」

「だって、私がそばにいたら大丈夫なんでしょ?」

 そう言うと、沢瑠璃さんは頬を赤らめながら微笑んだのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女とネコは高いところが好き 二ツ木線五 @FutatsugiSengo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ