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「ノイギーアが森で拾って来た本があったでしょう? グリュックから、もし上手くあの不思議な生き物たちから逃げることができたら、対価にあの本がほしいと言われたの」

 森からの帰り道。

 うっすらと明るくなり始めた空の下、僕とミルト姉さんは並んで歩いていた。

 オルドヌングはグリュックと一緒に森にいる。オルドヌングには攻撃的なことばかりされていたけれど、いざいなくなってしまうのとなると、それはそれでちょっと寂しい。

「ごめんなさい、ノイギーア」

 唐突にミルト姉さんが言った。

 思いもしない言葉に僕は驚いて、訳もなくあわててしまう。

「あの本をノイギーアが拾って来た日にね、なかなか帰ってこないあなたを待ちながら、思ったの。私がしっかりしていないから、だからいけないんだって。私がしっかりしなくちゃ、どんなことをしてでも、私があなたを守らなきゃって……」

 消えかかった月を見上げて、ミルト姉さんは何かを確かめるように目を細めた。

「でも、もうあなたは、そこまでこどもじゃないのよね」

 こどもじゃない、と言いながら、ミルト姉さんは僕の頭をこどもに接するみたいに優しく撫でる。うれしいような、気恥ずかしいような、もうこどもじゃないんだぞと反発したいような、よくわからない気分だ。


 村に帰ると、僕らはなんと一ヶ月近くも失踪していたことになっていて、警察やら先生やら近所の人たちやら友だちやらから次々に質問攻めになった。

 はじめのうち、僕は全てありのまま話した。

 フルーフの本のこと、グリュックのこと、人でも獣でもないナニカたちのこと、わさわさと揺れる葉っぱのこと……。

 結果、カウンセラーがやって来て、つらかったでしょう、本当のことを話しても、もう大丈夫ですよと優しく諭されてしまった。

 だから僕は、森で迷子になっていたと嘘を言うようになった。みんなそれで納得してくれた。


 ただ、村の神父だけはそれだけでは納得してくれなかった。

 神父は森中を調べて回り、僕になんだかよくわからない呪文を唱え、水や粉を撒き、聖書を朗読させ、十字架を渡し、それでようやく納得してくれた。悪魔は祓われた、と言っていたけれど、なんのことやらさっぱりわからない。 


 ようやく僕とミルト姉さんの日常が戻ってきてしばらく経ってから、僕はグリュックとオルドヌングに会うため、森に入った。でも、どんなに探し回っても、見覚えのあるサンザシの木やグリュックの家は見つからなかった。


 全部夢だったのかもしれない、と思い始めた頃に、僕はグリュックの名前を図書館で見つけた。

 学校から出された宿題で、自分の住む地域の歴史について調べているときのことだった。

 グリュックはこの村の医者みたいな存在で、記録によると、フルーフの森で最初に失踪した人らしい。


 窓から外を眺めてみる。

 雲ひとつない青い空だ。

 僕は胸の支えがすとんと落ちるようにして、わかった。

 グリュックは、いた。

 グリュックは確かに存在していたし、きっと今もあの森にいる。なにもかも、夢なんかじゃなかった。

 本を閉じ、ふと思い付いて図書の検索用のパソコンに、『フルーフ』と打ち込んで検索してみた。ヒット数はゼロ。

 でもそれは、この図書館に資料がない、というだけのことで、フルーフが実在しなかった、ということではないんだ。


 僕はどきどきとする心臓をおさえて、ゆっくりと深呼吸をする。

 知りたい、と思った。

 グリュックのこと、フルーフのこと、あの森のこと、それから世界中にある不思議のことを、もっともっと知りたい、と。

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グリュックとフルーフの本 洞貝 渉 @horagai

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