第10話 君が前に進むために
僕たちは葬祭場の遺族控え室の一室にいた。窓の方からコンコンと音がする。窓の外から、いつの間にか僕の元を離れていたスズメがつついていた。スズメは僕が気づいたのを見て、窓から離れてどこかへ飛んでいく。こっちへ来いってことだろうか。
「ごめん、ちょっと行ってくる」
水川を置いて、控え室の外に出る。スズメは駐車場の方へ飛んで行ったみたいだ。スズメの後を追うと、一台の見慣れたバンが猛スピードで駐車場に入ってきた。
「灰慈! あんた勝手に学校抜け出して……!」
車を雑に停め、母さんがずんずんとこちらに向かってきた。やばい、叱られる。そう身構えていたら——ポン、と頭の上に手が乗せられた。
「とにかく、間に合ってよかった」
そう言って、僕に紙袋を渡す。初めての
「後でツヅラくんにもお礼言っておきなね。スズメを飛ばして知らせてくれたんだから」
母さんはボサボサになっている僕のピンクの髪を手ぐしで整えながら言った。
「じゃ、私はそろそろ店に戻るよ。……灰慈、男なら自分で決めたことをちゃんとやり切るんだ。いいね?」
「うん。わかってる」
衣装に着替えてから控え室に戻ると、水川はベンチに横になって眠っていた。長いまつ毛は涙で濡れていて、まぶたは赤く腫れている。きっと昨日から寝てないんだろうな。僕の手が自然と彼女の頬に伸びていき、急に我に返って引っ込めた。こんな時に何をしようとしてるんだ、僕は。
コンコンと控え室のドアをノックする音。スタッフらしき人が入ってきて、僕たちに向かって一礼した。
「お
眠っている水川の肩を揺する。彼女は目をこすりながらゆっくりと起き上がった。
「桜庭……? 何その格好」
「花咲師の衣装だよ。火葬、終わったって」
「そっか……」
水川は制服のポケットから番号札のついた鍵を取り出す。遺族に預けられる火葬炉を開けるための鍵だ。もう一度あの扉を開けた時、そこにもう生前のお母さんの姿はない。水川はその鍵をじっと見つめていたが、しばらくしてギュッと握りしめると、「行こう」と言って歩き出す。僕もその後に続いた。
——ガタンッ
水川から鍵を受け取ると、係員は火葬炉の扉を開けて遺灰と骨を
「では、お骨上げを——」
係員がそう言いかけた時、僕は前に進み出た。それまで落ち着き払っていたその人は、僕を見て目を丸くした。
「その格好、あなたは……!」
「15代目花咲師、桜庭灰慈です。突然で申し訳ありませんが、水川
骨上げ台の周りに集まっていた親族たちもどよめく。「花咲師だって?」「依頼はしてないぞ」「あんな少年が」……そんな声が聞こえてきたけど、急に静まった。振り返ると、水川が僕に向かって頭を下げていたのだ。
「……お願いします」
消えてしまいそうな小さな声。だけどちゃんと届いたから。
「——それでは、花葬りを執り行います」
僕は水川のお母さんの遺灰を前に、両手を合わせて瞳を閉じ、大きく息を吸った。静かなこの場には不似合いなくらい声を張り上げて
「"さて、ただ今咲かせまするは、
桜に霧島、
四季折々に十人十色、
灰とは思えぬ形にて
皆の
遺灰の上に右手をかざす。触れなくとも熱を感じる。ゆっくりとなぞるように灰の上を一周させる。水川と、水川のお母さんのことを思い浮かべながら。
「"ただし一点お約束。
思いのままには咲かせませぬ。
灰とは故人の落としもの。
我がお役目は花葬り。
ゆめゆめお忘れなさらぬよう、
花と飾りてお送りいたす。
さぁ晴れやかな
どうかとくとご覧あれ!”」
右手を振り上げ、そのまま勢いよく灰の中に落とす。もう熱さは感じない。僕の手に収まるだけ一杯、灰を掴んで、
「"いざ——花となり
頭上に思い切り灰を撒いた。僕や水川、骨上げ台を取り囲む人たちの頭上にまで広がっていき、陽光に反射して煌めく。
「——あ」
水川が小さな声を漏らした。宙を舞う灰はふわりと風に乗った後、少しずつ姿を変えていった。何重にも花弁を重ね、優しげに包み込むようなヒダを織り成す……それは白いカーネーション。
水川がふらふらと転びそうな足取りで一歩二歩前に進み、その花に手を伸ばした。柔らかい花びらが、彼女の指に触れる。その瞬間、水川の目からはほろりと一筋の涙がこぼれた。
「……お母さん……お母さん……! ごめんね……私、お母さんにひどいこと言っちゃった……! 裏切り者なんて、そんなことちっとも思ってなかったのに……私のこと認めてほしかっただけなの……大好きだった……お母さんのこと、大好きだったから……。本当に伝えたかったのは、ありがとうって気持ちだけだったのに……」
ゆったりと白いカーネーションの花が落ちてくる。まるでその場には花と水川しか存在しないみたいな静けさで、割って入るのは少し気が引けた。だけど、僕だって伝えなきゃいけないことがある。僕はカバンから出しておいた一枚の紙を水川に渡した。
「……水川。お母さんからの贈り物だよ」
水川は折り畳まれていたその紙を開いてハッと口をおさえる。
「僕はお母さんから特別注文を受けてたんだ。毎年水川の誕生日に花が届くように、って。この先どんなに喧嘩しても、いつか離れて暮らすことになっても、自分の身に万が一のことがあっても、いつでも
「こんな……こんなのずるい……」
また泣き出しそうな顔をする水川に、僕は大きく息を吸って声を張り上げる。
「いいか! だからこれから、どんなに拒否されようと僕は意地でもお前んとこに花を届けに行くから! うざいとか、お人好しとか、そういうの言われたって無視するからな! 僕は水川のお母さんとの約束を守るよ。だから水川も——お母さんが望んだみたいに、自分のために生きろよ」
水川は涙を拭ったが、また一粒こぼれてきて頬を濡らす。彼女はもう一度ハンカチをぎゅうっと目に当てて——しばらくして顔を上げた。
「うん……ありがとう、桜庭」
それは初めて見た彼女の笑顔だった。
まるで朝露に濡れた花みたいなみずみずしい笑顔に僕の胸が一瞬飛び跳ねたのは、ここだけの秘密の話だ。
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