第8話 季節外れのカーネーション
もう梅雨に入りかけているからか、今日はひどい雨だ。
店番をしていてもお客さんはほとんど来ず、母さんは夕飯を作りに行ってしまった。外の雨音を聞きながらレジ締めの作業を始めていた、そんな時だった。
——ガラッ。
店の扉が開く音がして、僕は顔を上げる。
「いらっしゃいませ……って、水川!?」
入り口にはびしょ濡れ、泥だらけの水川が立っていた。ショートパンツから伸びた細い足には擦りむいた跡があって血が
「ちょっ、なんだよその怪我! 今救急箱とってくるからちょっと待ってて!」
「いい!」
水川が急に叫んだ。
「別に……助けてもらうために来たわけじゃない」
「またそれかよ。じゃあ何? なんで来たんだよ。まさか僕に文句つけるためにわざわざそんなカッコで来たってわけ? ああそうだよ、水川が停学になったのは僕のせいかもしれないんだもんな。お人好し、お節介、いい迷惑って言いたいんだろ。もう分かったよ、君が何をしてようが僕は関わらない、そうすれば満足なんだろ」
水川は黙ったまま、彼女の服からしたたり落ちる水滴の音だけが店内に響く。う、さすがに言いすぎたかな。僕はそーっと彼女の表情をうかがった。口を一文字に結んだまま下を見るその顔は、あの日路地で一瞬だけ現れた表情によく似ていて、触れるだけで壊れて崩れ落ちてしまいそうだった。
「……カーネーション」
「え?」
「ここ、花屋なんでしょ。カーネーションを買いに来たの」
「何でカーネーション? うちみたいな小さい花屋にはもう時期外れだから置いてないよ」
チェーン店みたいなところでも、そう本数は置いてないだろう。母の日を過ぎると年に一度のピークは終わってしまうのだ。
「そっか……そうだよね……」
水川は小さな声でそう言うと、くるりと背を向けた。
「……邪魔してごめん。帰る」
「あ、おい、待てよ!!」
——ピシャッ!
水川は勢いよく店の扉を閉めると、雨の中を走って行った。誰の手からも逃げるかのように。
「なんだったんだ、あいつ……」
あまりにも突然のことで、水川に会ったら言おうと思っていたことも全部吹っ飛んだ。僕はレジカウンターの下の引き出しに入っている一枚の注文書を取り出す。水川のお母さんからもらった注文書には、確かにあの日付が記されていた。
翌朝。
やっぱり水川は学校には来なかった。まだ停学中のはずだから、来なくて当然といえば当然なんだけど。
「どうした灰慈。なんか不機嫌?」
ツヅラが僕の席までやってきて言う。昨晩のことを思い出すだけで、僕の口からは深いため息が出た。
「聞いてくれよ、昨日閉店直前にいきなり水川が来てさ——」
——ガラッ!
教室の扉が勢いよく開いた。いつもはのんびりホームルームにやってくる黒柳が今日はなんだか神妙な顔つきで、廊下を走ってきたのかゼェゼェと息を切らしている。
「どしたのクロちゃん」
らしくない彼を心配してか、クラスメートの一人が声をかける。黒柳は息を整えるために少しだけネクタイを緩めてから教壇に立ち、
「昨晩——水川のお母さんが亡くなった」
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