第4話 初めての花葬り
「おーにーいっ! なーに落ち込んでんの!」
その声がしたとともに、僕の背中の上にモフモフとした毛の感触と、子供一人分くらいの体重がズシリとかかる。桜庭家の飼い犬・クララだ。
「なんだよ
僕はのしかかってきた白い大型犬をどかして、部屋の入り口に仁王立ちしている妹に押し付ける。彼女は炭蓮。中学二年生で、僕とは違いスポーツ万能、成績優秀の生徒会長。何かと兄をパシリにしようとする面倒な妹だ。ただでさえ水川に対するモヤモヤを休日まで持ち越してしまった今、あまり相手にしたくはない。
「考え事って言ったって、さっきからぼーっとしてるだけでしょ」
そう言って僕が勉強机の上に広げていた雑誌を指差す。我が妹ながら痛いところを突っ込んでくる。ページは今朝……いや、昨晩読んでいたところから1ページも進んでいなかった。
「お母さんが呼んでるよ。花屋の方に来なさいって」
「また手伝いかな……今日は必要ないって言ってたのに」
僕は部屋着からラフなパーカーとジーンズに着替えて、花屋の方へと向かった。母さんは店先で『桜庭花店』と店のロゴが入ったバンに花を積んでいた。一輪ずつ簡易なペーパーで包まれた白い菊の束。葬儀用の供花だろう。
「ああ
「店番ならやっとくよ」
「いや、店番じゃなくってね……急で悪いんだけどさ、
いつも強気な母さんが珍しく優柔不断な言い回しをする。それもそうだろう、なんたって僕が花葬りをするのは初めてのことだから。だけど僕にとってみればこれはチャンスだ。やっとじいちゃんに近づける。
「わかった。花葬り、やるよ」
「いいのかい?」
「うん。じいちゃんの跡を継ぐなら、遅かれ早かれやることになるんだし」
僕は乗り気で引き受けたのに、依頼主の母さん自身はなんだか浮かない顔をしていた。
「そうね……まぁ、そうなのよね」
「?」
その時、ガラッと店の扉が開く音がした。振り返ると同時に、風呂敷の包みが僕に向かって投げられているのに気付き、慌ててそれをキャッチする。それを見て、店から出てきたばあちゃんが歯を出して笑った。
「ひゃっはっは、ないすきゃっち! 灰慈や、花葬りをするならそれを着ていきなさい。
包みを開いてみると、藍染めの腹掛けと股引きに、背に花咲師と書かれた
「ありがとう、ばあちゃん」
早速衣装に袖を通す。背中の生地がなく五月の空気では少し冷えるが、その分気が引き締まる感じがした。ばあちゃんは着替えた僕を見て「うんうん。若い頃の灰ノ助さんによう似とる」と満足そうに頷いた。
実際に花葬りをするのは初めてだけど、やり方はちゃんと頭の中に明確にイメージできている。小さい頃、じいちゃんに徹底的に教えられたからだ。
なんで今まで機会がなかったかというと、じいちゃんが高校に上がる年齢になるまでは僕に花葬りをさせないようにと遺言を残していたからだ。どうしてそんな制限をしていたのかは分からない。むしろこの遺言さえなければ、じいちゃんが亡くなった時に花葬りをしてあげられたのに。
それが僕にとって、たった十六年の人生の中での一番大きな後悔でもあった。
母さんの運転するバンは住宅街の奥へと向かう。この辺りには普通の一軒家よりも敷地が一回り広い豪邸が並んでいる。実はツヅラの家もこの一角にあったりする。
バンは立派な門構えの家の前で止まった。もう一台、白いバンが門の前に駐車されている。天井に排気口がついている特殊な仕様。移動式のペット火葬車のようだ。
「ああ桜庭さん! 急なお願いにも関わらず来てくださってありがとうねぇ」
門の中から
母さんは車から降りると、腰低く挨拶をした。
「この度はお悔やみ申し上げます。今回は息子の灰慈が花葬りを担当させていただきます。初めてなので色々と不手際があるかとは思いますが……」
「あらやだ、そんなこと気にしないでぇ。先代が亡くなってからしばらく花葬りはお休みされるって聞いてたから、てっきり断られるのかと思ってたのよぉ。でもまさか息子さんこんなに大きくなってたなんてねぇ。頼もしいわぁ」
「ありがとうございます。それで……ご遺体はどちらに?」
「ああ、今火葬車に運ぶところだからちょっと待っててもらえるかしら」
すると、女性にそっくりの体型で黒の喪服がぴちぴちに張り裂けそうな少年が、その手に彼の顔の大きさほどの白い木箱を抱えて玄関から出てきた。
——あれ、なんか小さくないか?
少年は火葬車の業者の男に木箱を渡す。男はうやうやしくお辞儀をすると、穏やかな口調で言った。
「では、最後のお別れです。ご挨拶と献花をお願いします」
木箱の蓋が開けられる。中に入っていたのは、緑色の小さなイグアナ。……イグアナ?
ペットの火葬というからてっきり犬か猫なのだと勝手に思っていた。少し拍子抜けしたが、僕は献花を用意する母さんの手伝いに専念して、なるべくそれを表情に出さないよう心がける。
箱いっぱいに白い花が詰められると、業者の男がゆっくりと木箱の蓋を閉じ、白いバンの中の火葬炉の中へと入れ、車の扉を閉めた。
「それではお骨上げまで40分ほどお待ち下さい」
うっすらと炉の中から燃えている音が聞こえてくる。ペットとはいえしっかり火葬をしてあげるなんて、ちゃんとした人たちだな——僕はこの瞬間までそう思っていた。
バンの戸が閉まるなり、イグアナの箱を運んできた少年は奥さんの袖を引っ張りながら言った。
「40分なんて待ち時間長いよー。ねぇママ、今のうちにペットショップへ行って次の子を買おうよ。今度はすぐ死んじゃわない子がいいな」
(え……)
自分の胃のあたりが裏側から冷えるような、嫌な感じがする。
「ダメよぉ坊や。ペットショップの子はあんまり長生きしないから、お父さんが今外国の子を取り寄せてるところでしょ」
思わず母さんの方を見た。こういう時は他人であっても構わず指摘するのに、今は無表情に口をへの字に曲げているだけだ。それは相手が大事なお客さんだからというよりも、その身を焼かれている小さなイグアナのために沈黙を守ろうとしているかのようだった。
僕の頭の中にはなぜか水川の顔が浮かんだ。あの薄暗い路地の中で「ここにいる時点で負け組だ」と言われた時の、一瞬見せた悲しくて痛そうな顔。なんであんな顔になったんだろう。水川の事情なんて知らないし、それを知ったところであの一匹狼女に共感してやれるかは正直わからない。
——だけど、だけどこの人たちは……。
高級住宅の居間に通され、年季の入った商店街では滅多にお目にかかれないようなお菓子を出されたが、僕は手をつけなかった。なんだか何も口にしたくなかった。一方、少年の方は人数を気にせず満足いくまでお菓子を頬張ったあと、柔らかいソファに寝転んで携帯ゲーム機に夢中になっていた。君のペットじゃないのか。僕は何度もそう思ったけど、直接口に出す気にもなれなかった。母さんの方は奥さんの世間話に相槌を打っている。早く終わって欲しい。不謹慎にもその思いが自分の中でぞわぞわと広がっていく感じがして、気持ち悪い。
「お
しばらくして、業者の男が居間に現れた。少年は「まだセーブできてない」と文句を言いながら、外に出ていく。僕たちもそれに続いた。
男がゆっくりとバンの戸を開き、火葬台を手前に引く。小さなイグアナの色鮮やかな緑色は消え去って白っぽい骨と灰だけがそこにあった。じいちゃんの葬式の時を思い出す。棺の中に入っている時はまだ安らかに眠っているかのようだったのに、骨を見せられた瞬間、本当にこの世ではないどこかへ旅立ってしまったんだと思い知らされるのだ。
「灰慈」
母さんにつつかれ、僕はハッとした。花咲師の出番はここからだ。僕は火葬台の前に立ち、決められた口上を述べようと大きく息を吸った。その時——
——カシャッ
背後にシャッター音が響いた。驚いて振り返ると、後ろで少年がそのずんぐりした体型には不似合いな最新型のスマートフォンを僕に向かって構えていた。
「こら、写真はダメよって言ったでしょう」
「ええー、だってさ、こんなの滅多に見れないじゃん。友達に自慢するんだぁ」
「儀式の邪魔になっちゃうでしょう。キレイなものは写真じゃなくて目に収めるの! 灰慈くん、悪かったわねぇ。さ、早速始めちゃって。あなたにとっての初めての花葬りがうちで見れるなんてとっても光栄だわ」
そう言う奥さんの方も、どこか楽しげだった。
——なんでだよ。大切にしていたペットが死んだんじゃないのか?
またも母さんにつつかれ、僕はもう一度火葬台に向き直る。だけど、全然集中できなかった。
「それでは、花葬りを執り行います」
目を閉じて
灰になった小さなイグアナはこの家族に本当に愛されてきたんだろうか。この葬式は本当にイグアナのために開いているんだろうか。
……僕は、何のためにここにいて、何のために花葬りをしようとしているんだろうか。
別のことばかり考えていたのに、昔じいちゃんに教え込まれた手順は一つもミスをしなかった。……だけど。
「”いざ——花となり
勢いよく火葬台にのった灰を握る。熱い。痛いくらいにまだ熱が残っている。花葬りの前に口上を述べる理由は、ある種の覚醒状態になってこの熱さを忘れるためだと教わったっけ。僕は拳の中の灰を宙にまいた。空中に灰が散らばり、太陽の光をあびて反射した瞬間——ああしまった、こんなつもりじゃなかった。そんな後悔が身体中を支配していく気がした。
イグアナの灰は空中できらめき、オニユリの花となった。その花の色はとても葬儀の場にはふさわしくない、毒々しいオレンジ。オニユリの裏の花言葉は——「嫌悪」。
裏の花言葉なんて普通は知られていない。奥さんは一瞬そのキツい色の花に戸惑いながらも、手を叩きながら感心した調子で言った。
「すごいじゃないの! さっすが灰ノ助さんの跡継ねぇ。桜庭さんも鼻が高いでしょう」
さすがに母さんは花が示す意味に気づいたのか、愛想笑いが少し引きつっている。空に咲いたオニユリにあっけにとられていた少年は、僕のところに駆け寄ってきた。
「すげえよ兄ちゃん! ね、もう一回やってよ今のやつ! 今度こそちゃんと写真に撮るからさ」
「……それはできない」
「えーっ! なんでだよぉ! 灰ならまだあるじゃんか!」
駄々をこねる少年。僕は彼が袖を掴んでいる手を無理やりに
「すみません。僕は……花咲師として、失格です」
「ちょっと灰慈!」
気づけば走り出していた。母さんの止める声や、あの裕福な親子が戸惑う声を全部聞き流して。住宅地の中をじいちゃんと同じ衣装を着たまま、ただ走っていた。
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