第5話 特別注文
***
「じいちゃんはさぁ、なんで"花はぶり”をするの?」
じいちゃんの
「なんでってそりゃあ、じいちゃんが
「えーっ、それじゃあなんだかギムみたいじゃん! 僕、宿題やるのは嫌いだよ」
「ほう、義務なんて言葉よく知っとるな。人は自分の能力からは逃げられん。じゃが、やらなきゃいかんことに対して、好きと思うか嫌いと思うかは己の向き合い方次第じゃ」
「うーん、なんだかよく分かんないや……」
「はっは、灰慈には早い話だったかの。安心をし、お前には高校に上がるまで花葬りをさせないつもりじゃ。まだ時間はある、それまでゆっくり考えておきなさい」
「うげ、もしかしてそれも宿題?」
するとじいちゃんはいたずらっ子のように微笑んで言った。
「そうじゃ、宿題じゃ。しかも生きている限りずっと考えないといけない難しーい宿題じゃ」
「えー……宿題が増えるのは嫌だなぁ……」
***
「こんなところにいたのね、灰慈」
母さんの声が聞こえて僕は振り返る。その肩にはスズメがちょこんと乗っていた。ツヅラの力を借りたんだろう。
僕は住宅街から外れたあたりにある墓地に来ていた。僕の目の前の墓石には『桜庭家之墓』、ここにはじいちゃんが眠っている。
「……ごめん母さん。大事なお客さんにあんな事しちゃって」
「いいんだよ、正直私もちょっとイラっとしたから。奥さんには一応謝っておいたけど、そこまで気にしちゃいなかった。まぁこれくらいで途切れるつながりなら縁がなかったって事だね」
母さんに連れられて花屋のバンに乗り込む。外はいつの間にか日が沈みかけて、景色はオレンジに包まれている。その色は今日咲かせてしまったオニユリの色によく似ていた。
「花葬りって、何のためにやるのかな」
運転する母さんはしばらく黙っていたけど、信号が赤になって車を止めた時に前方を見たまま言った。
「私も昔おじいちゃんに聞いたことがあるよ。おじいちゃんはね、花葬りを頼まれたら基本的には断らなかったんだ。それがホームレスだろうが、偉い政治家だろうが、犯罪者だろうが、犬だろうが、ハムスターだろうが、いつだって遺灰を綺麗な花に変えていた。だから理由を聞いてみたかったんだけどね、結局教えてくれなかったよ。自分で考えろってことなんじゃないかしら」
「自分で考えろ、か……だとしたら僕は今日すごく嫌だと思った。こんな人たちのために花葬りはしたくないって。その気持ちは正解だったのかな」
「さぁ、それは分からない。でも花葬りは花咲師に課せられた義務ってわけじゃない。無理しておじいちゃんみたいになる必要はないと思うよ。何もしなくたって花咲師の能力は隔世遺伝で受け継がれていくんだから」
「そういうものかな」
「……あ、何もしないんじゃダメだね。まずはあんたにちゃんと彼女ができて、家庭を持てる甲斐性がないことには」
そう言って母さんは笑う。きっと励ますつもりで。だけど僕は素直に笑う気にはなれなかった。
「おかえりー! 二人ともおそーい! もうお腹減ったー!」
花屋に戻ると、店番を任されていた
「ごめんごめん、お兄ちゃんが花葬りの途中で失踪したもんだから」
「なにそれ、お兄ダッサ」
「店番の間、何か困ったことはなかったかい?」
「うん、大丈……あ、そういえばさっき配達の注文が一つ入ってたんだった」
炭連はレジの奥から注文書を持ってきた。電話でミニブーケの注文があったらしい。希望の日付が今日になっている。
「これ今から届けないと間に合わないじゃん。幸い住所は近いみたいだし、僕が行ってくるよ。母さんは店の仕事がまだ残ってるでしょ」
「そうしてくれると助かるわ。頼んだよ、灰慈」
母さんが手早くミニブーケを包む。黄色い花が中心の明るい花束だ。僕はそのブーケの入った紙袋をカゴに入れて、自転車で配達先の集合住宅へと向かった。
——ピンポーン。
僕はふとその家の表札を見てハッとした。
(え、水川?)
そういえば注文書の依頼主の名前をちゃんと見てなかった。確かにミズカワって書いてある。だけどその名前とは裏腹に、インターホンに出たのは穏やかな声音の女性だった。
『はい。どちら様でしょうか?』
「あ、えっと、桜庭花店です。ご注文のお花を届けに来ました」
『ああ、お花屋さん! 無理言ってごめんなさいね。ちょっと待ってて』
部屋の中でバタバタと物音がして、やがて玄関の扉が開く。そこに現れたのは、ポロシャツにジーンズというシンプルな格好をした黒の長い髪がキレイな女性だった。涼しげな目元が僕の知ってる水川にそっくりだ。眼鏡の奥から優しく微笑みかけてくれる感じは、絶対水川の顔じゃ見られないだろうけど。
「お待たせしました……ってあれ、こんな若い人が運んでくれたのね」
「近かったので母の代理で来ました。ご注文の品はこちらでよろしかったですか?」
僕から紙袋を受け取ると、その人は満足したようににっこりと笑った。
「ええ大丈夫、ありがとう。今サインするわね」
納品書にスラスラとサインを書く。その腕は今にも折れそうなくらい細く、手は荒れていて所々皮がめくれていた。よくよく見ると整った顔には隈があって少し頬がこけている。美人なのに、なんだかやつれている感じだ。
——そうだね……どうせうちの親来ないし——
僕の頭の中にふと水川が前に言った言葉がよぎった。この人がそうなら、嫌なお母さんって感じじゃないんだけどな。
僕は思い切って聞いてみることにした。
「あの……もしかして、水川雪乃のお母さんですか?」
するとその人は驚いたように顔を上げた。
「! あなた、雪乃のことを知ってるの?」
「柳田高校で同じクラスなんです。僕は桜庭灰慈って言います」
「ああそういえばそのピンクの髪、入学式の写真で見た気がするわ。すごい偶然ね! 雪乃はどう? クラスの皆さんに迷惑かけてないかしら」
——うっ、答えにくい質問だ。
「水……雪乃さんは人気者ですよ。サバサバしてて男女ともに好かれてて」
それを聞くと、やつれている水川のお母さんの顔がぱぁっと明るくなった。
「本当!? なら良かった……。ほら、あの子結構意地っ張りでしょ? 昔からすーぐお友達と喧嘩しちゃってね。高校は部活の見学にも行かないうちにバイト始めちゃったし……私はバイトなんかしなくて良いって言ったんだけど」
しまった、嘘なんかつかなきゃ良かった。お母さんの嬉しそうな表情を見て後悔する。この人は知ってるんだろうか。娘が似合わない化粧して、男相手のバイトに手を出してるってこと。
「ああ見えてあの子は優しいの。うちは母子家庭だから、自分も働いてお金稼がなきゃって思ってるみたいで」
「え……そうだったんですか?」
当然だけど、僕はそのことを水川から聞いたことはない。
「そっか。あの子、お友達には話してないのね。余計なこと言っちゃったかしら」
「い、いえ、そんなことないです! ちょうど雪乃さんのこともう少し知りたいなって思ってたので」
あらそう? と困り顔で微笑みながらも、お母さんは続けた。
「雪乃には悪いことしたなとは思っているのよ。元の旦那とはずっと上手くいってなかったんだけど、私からはなかなか言い出せなくて……見かねた雪乃が提案してくれたの。お母さんたち別れたらって。おかげで勇気が出て……あの子が小学生の時だったかな、離婚してそれからは二人暮らし。情けない話でしょう? 子どもに心配されてしまうなんて。おまけにね、今になって自分のせいで親が離婚したんじゃないかって責任を感じてるらしいのよ」
「それで、バイトを」
水川のお母さんはこくりと頷く。
「私はただ、あの子が元気に学校に通ってくれているならそれでいいんだけど。今日もバイトに行くって言うから、止めようとしたら喧嘩になっちゃって」
困り顔で笑う。その表情を見て、なんだか胸が痛くなった。今度水川に会ったらお母さんに心配かけんなって言ってやろうか。
僕が黙っていると、水川のお母さんは何か思いついたように言った。
「……あ、そうだ。一つ追加で注文をお願いできないかしら」
「いいですよ、何でしょうか」
僕は念のため持ってきた注文書を水川のお母さんに渡す。カタログも渡そうと思ったけど、どうやらあらかじめ決まっていたようで必要ないと言われた。
「はい」
返ってきた注文書を見て、僕は思わず大きな声を上げてしまった。
「えっ! これ……いいんですか!?」
「やっぱり迷惑かしら?」
「いえいえ、うちにとってはありがたい話ですけど」
その注文は、普通ならありえない内容だった。どうして、とその理由を尋ねる前に水川のお母さんが先に口を開く。
「灰慈くん、嘘ついているでしょう」
「!!」
「いいの、気を遣ってくれたのね。あなた、お人好しって言われない? 私もそういうところあるから、なんとなく気づいちゃった」
「すみません……」
まさにあなたの娘にお人好しと言われたばっかりだ、とはさすがに付け足さなかった。
「謝らなくていいの。むしろありがとう、あなたみたいに優しい子が同じクラスにいるってだけで安心したわ。面倒な娘だと思うけど、雪乃のことよろしくお願いします」
そう言って水川のお母さんは僕に向かって深々と頭を下げる。クラスメートのお母さんに頭を下げられるなんて気恥ずかしくって、僕は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。水川の普段の態度からは想像もつかないほど、優しいお母さんだ。彼女が顔を上げて家の中に戻ろうとした時、僕は頭に浮かんだことをそのまま口に出していた。
「あのっ! もしかしたら水川、お母さんに言ってないかもしれないですけど……今度三者面談があるんです。来てやってくれませんか? あいつ、どうせうちの親は来ないなんて言ってたけど、本当は来て欲しいんだと思います。……って、こんなこと言ったらまたお人好しって怒られそうだけど」
後から思えば、なんて失礼なことを言ったんだろう。だけど水川のお母さんは、少しも嫌そうな顔をしなかった。ふわっとした笑顔で、
「ありがとう、灰慈くん」
と、ただそう言った。
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