第3話 母の日の路地裏で
「……で、結局クラス委員の仕事はお前がほとんど一人でやってるわけ?」
「そーだよ」
腹を抱えて笑うツヅラに、僕はむっとして団子を一気に三つ頬張った。
半強制的にクラス委員に任命されて一週間くらいが経った。今日はやることが早めに終わったので、ツヅラと一緒に商店街の団子屋でだらだらと放課後を過ごしている。こうやってたむろしていると普通は煙たがれそうなものだけど、おっちゃん曰くツヅラがいると心なしか女性客が増えるので構わないんだそうだ。僕だけの場合はどうなんだって話だけど。
「でも初めて水川が笑うとこ見たんだろ。少しは仲良くなれた?」
「なれるわけねーじゃん」
他人事だと思ってにやにやと笑みを浮かべるツヅラに僕は即答した。
「あれは単に僕を馬鹿にして笑っただけだよ。あいつ、基本的に無愛想だし? 話しかけても返事しないし? と思ったらいきなり僕に対して文句つけてきてさ? 反論しようとしたタイミングでいつもバイト先に呼ばれて先に帰っちゃうし!」
「はっはっは、溜まってんなぁ」
——そう、今日なんて。
「なぁ、手伝わないなら先帰ってもいいよ。先生には言わないでおくからさ」
僕が重い廃棄物を抱えているのをいつも横で見ているだけの水川に、しびれを切らしてそう言ってみた。一応言っておくと、これは入学式の日にトラウマを植え付けられている僕にとって、かなり勇気を出しての発言だったのだ。けど、水川は下手くそな口笛を吹きながらスマホの画面を見ているだけで返事をしない。思わず深いため息が出た。
(やっぱり苦手だ、水川のこと)
僕は気を紛らわせるために、頭の中で理想の女子像を浮かべてみた。そうだな、できるだけ大人しくて、優しい子。部活は茶道部とかで、真面目だけどたまにドジを踏む。身長は僕より小さくて、抱きしめたらちょうど胸のあたりに顔が来るぐらいがいい。
その時、強い風が吹いた。「やっ」と水川が声を上げる。水色の花柄パンツ。
(へぇ、水川ってこんなの履くんだ。もっと黒とかそういうのかと……)
するといきなり、紺のハイソックスの鋭い蹴りが脇腹に入った。
「い、いってぇ!」
涙目で彼女の方を見ると、彼女はまるで虫けらでも見るような冷たい目で僕を睨んでいて。しかし僕と目が合うと、すっとそっぽを向き抑揚のない声で呟いた。
「私はただ、どこまでもつのか見てみたいだけ」
「な、何を?」
「あんたのその、お人好しをね」
「お、おひとっ……!?」
まさかそんなことを面と向かって言われると思っていなかった僕は、流石にうろたえて言葉が出てこなかった。僕がお人好しだって? 褒められているのか、けなされているのか。いや、この凍てついた表情で褒めてるってことはないだろう。ってことは……馬鹿にされているのか? いや、なんで? 水川に、僕が何か悪いことをしたっていうのか? 確かに今ちらっとパンツが見えたけど、それとこれとはまた別の話で……
コンマ数秒の間に色んな疑問が飛び交い、普段あまり稼働していない僕の頭はオーバーヒートしかけていた。そんな僕に、この後の水川の一言は氷の刃のように深く突き刺さったのだ。
「……嫌いなの、そういうの」
——ピリリリリリ!
またちょうど良いタイミングで水川の携帯が鳴る。
「ちょっと待てよ、水川っ……!」
呼びかけても彼女が立ち止まらない。水川はそれ以上何も言わず、いつも通りバイトに行ってしまった。暴言をぶつけた相手に悪びれる様子もなく。
水川の話をしていたら、いつの間にか腕時計の針が六時を指そうとしていた。そろそろ帰らないと母さんの小言が増える。団子屋を出ようとしたタイミングで、ツヅラが思い出したように言った。
「そういや今日母の日だな。お前んち寄ってっていい? カーネーション買っていかなきゃ」
「げっ、忘れてた……」
「マジで? 花屋のくせにそんな
「しょうがないよ。最近はクラス委員のせいであんまり家の手伝いできてなかったかったからさ。にしてもツヅラの方こそよく覚えてたな」
「うちの母さん、そういうのうるさいから」
「あー、確かに気にしそう」
頭の中にはツヅラのお母さんが花束をもらって喜んでいる姿が容易に目に浮かんだ。フランスからやって来たお嬢様。まるでメレンゲ菓子のようにふわふわとして華やかな見た目の彼女は、男勝りでたくましい二の腕を持つうちの母さんとは正反対だ。とはいえ、その二人がなぜか仲が良いからこそ、僕たちは昔からの付き合いなわけだけど。
僕の家は商店街の中にある。じいちゃんの代から続く街の花屋。くすんだ看板に、雑多に並べられている花々。決して
「あら、ツヅラくん! お店の方に来るなんて珍しいわねぇ」
商店街の裏は住宅街。僕の家は正面が花屋で、その後ろに民家がくっつく形で併設している。つまり、住宅街にも商店街にも玄関があるような感じだ。ツヅラの家は住宅街の方にあるので、彼が花屋に来るのは僕が店番をやっているのを茶化しに来る時くらいだ。
「今日は母の日だからカーネーションを買おうと思って」
しまった、先を越された。ツヅラはわざとらしいくらい爽やかに微笑む。くそ、確信犯! 案の定母さんはじっとりとした視線で僕を睨む。
「えらいわねぇ。マリー、きっと喜ぶよ。うちの灰慈とは大違いだね」
「す、すみません……今日は店の手伝いでも家事でもなんでもやるから」
「ふん、今更言っても遅いよ。これだからあんたはいつまで経っても彼女ができないんだ」
「そっ、それは余計なお世話だろっ!」
母さんが淡い桃色のカーネーションを包んでいると、どこからかスズメが飛んできてツヅラの肩にとまった。チュンチュンと、普段より速いさえずりでツヅラに何かを伝えている。
「なんだって?」
僕が尋ねると、ツヅラは浮かない顔で言った。
「商店街の奥で、うちの高校の生徒がなんかもめてるみたいだったって。わざわざそんなこと報告してこなくても良いって伝えてあるんだけど」
「それは心配だな……助けに行こう、ツヅラ!」
「えええ……」
不満を漏らすツヅラを僕は強引に引っ張り、道案内をするかのように前を飛ぶスズメを追った。ツヅラは小さい声で「俺、今なら水川の言い分に一票入れるわ」と言った。
スズメに案内されたのは、駅前の商店街から一本脇道にそれた坂道。ラブホ街に続くこの道は、両脇にパチンコ、カラオケ、レンタルビデオ……雑居ビルにはコスプレ喫茶にガールズバーと、怪しげなネオンを光らせた店が所狭しと並ぶ。男である僕たちでさえ、歩くのに少し緊張するエリアだ。
小さな茶色の鳥は雑居ビルの間の細い路地に入るところでちょこんと止まって、僕とツヅラの方をじっと見ている。面倒事が嫌いなツヅラは深いため息を吐いた。路地の方から何やらもめる声が聞こえてきた。
「なぁ、いいじゃん少しぐらい。金に困ってるんだろ? そうだ、いくら欲しいんだ? 払ってやるから言ってみな」
「ちょっ、汚い手で触んな! うちの店じゃそういうのないって言ってるでしょ!」
あれ、この声は——
「水川!?」
細い路地の奥には、膝上の丈の短い浴衣を着た水川が、ツンツンとジェルで固めた金髪の男に迫られていた。男の耳にはいくつものピアスが刺さっていて、派手な赤色のシャツに黒スーツ。いかにもこのエリアの住人といった佇まいの彼は、僕とツヅラを見て「ハッ」と笑った。
「なに、キミたちこの子の知り合い? じゃあ一緒に加わりなよ。姉ちゃんだってこんな薄っぺらい服着て、本当はみんなに見て欲しいんだろ?」
「ふっざけ……むぐっ!」
男は反論しようとした水川の口を無理やりに塞ぐと、下卑た笑みを浮かべて彼女の耳元で囁いた。
「プライドなんて捨てちゃえよ。お前どうせ、ここにいる時点で負け組なんだからさ」
普段強気な水川の瞳の端に涙が浮かぶ。クソ野郎。僕はもう冷静ではいられなかった。
——ガッ!!
「……あん?」
男は額に青筋を浮かべて僕の方を睨んだ。しかし僕は掴んだ彼の片腕を離す気はない。しばらくの沈黙。やがて男はプッと吹き出して言った。
「お熱いねぇキミ! 少年マンガのヒーローにでもなったつもり? なぁ、どうやってこの子助けるの? キミみたいな……ぷぷ……ちっちゃいガキがさぁ!」
そう言って男は腕を振り払おうとした。だが、僕の手はしっかりと掴んだまま。男はもう一度腕を縦に振った。が、僕の手はびくともしない。
「ん……? んんん……?」
男の顔にじわりと汗がにじむ。何度腕を引いても身長10cm以上も下の高校生から逃れられないことに焦りを感じているのだ。僕はそのままありったけの握力を込めた。男の顔がみるみるうちに青くなっていく。
「ちょ、ちょっと待って……穏便に、穏便に、ね? まずこの手を……」
「うるさい黙れ!」
僕が怒鳴ると、男は先ほどまでの威勢が嘘だったかのように肩を震わせた。その態度の豹変っぷりが余計に僕の感情に油を注ぐ。
「チビなガキで悪かったな……! 簡単にあしらえるとでも思った? 残念、こちとら花屋でこき使われてんだよ。華やかに見えるけどそれ商品だけだから! 毎日水替えでクソ重いバケツ運んだりしなきゃいけなくて体力仕事なわけ! おまけに最近は水川がやってくれない分のゴミ運びもやってるし? おかげで筋トレはかどりまくりだっつの!!」
少しだけ男の腕を本来と逆方向へひねると、彼は情けない声で悲鳴をあげた。距離を置いて傍観していたツヅラは、トドメを刺すかのようにぼそりと呟く。
「あのー。俺の親、警官なんですけど……通報しときます?」
男の顔はみるみるうちに青ざめていった。
「ひっ! ひぃぃぃぃぃぃっ! も、もう彼女には近づきませんからぁぁぁぁぁっ!」
僕がパッと手を離すと、男はつまずきながらわたわたと逃げていった。
路地にいるのが三人だけになると、なんだか腰が抜けて僕はその場に座り込んだ。
「こ、怖かったぁぁぁ……」
まさか自分からああいう
「桜庭、強いんだね」
水川が口紅を引いた唇でぼそりと呟く。少女を無理やり大人に見せるかのような濃い化粧が、もともと綺麗な彼女の顔の上で違和感の塊となって浮いている。
「ま、こいつ普段から無駄に筋トレしてるから」
「無駄ってゆーな。実際役に立っただろ」
僕は肘でツヅラを小突く。しかし水川は笑わない。むすっとした表情でうつむいていた。
「水川……そんな格好、似合わないよ」
正直、目のやり場に困る。丈の短い浴衣からすらっと伸びた色白い足はどこか病的で怪しい世界へと誘うランプのようだ。紺のハイソックスを履いて僕に蹴りを入れた時の健全さはどこへ行ったのか。
「……分からない……」
「え?」
「分からない、って言ったの。なんで私を助けたりしたの?」
「そりゃ困ってそうだったから」
「頼んでない」
「はぁ?」
「おい水川、それはないだろ。灰慈だって危険を冒して助けに入ったんだ。礼の一つくらい——」
「バカにしないでよね。私は一人で生きていける。生きていくしかないの」
水川はキッと僕たちを睨んできた。さっきまで浮かべていた涙はまるで嘘のようだ。彼女は乱れていた浴衣を直すと、僕たちに行き先も告げず路地から出て行ってしまった。
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