第2話 ニガテな彼女とクラス委員
僕たちが教室に入ると、クラスの中で一番賑やかなグループの女子たちが、センサーでもついているかのようにばっと振り向きこちらに駆け寄ってきた。狙いはもちろん——ツヅラ。
「ツヅラおはよー! ねぇ、今日の英語の課題やった?」
「ああ、やったよ」
「さっすがー! 私全然分かんなくてぇ、見せてくれない?」
女子たちの猫なで声と上目づかいの眼差しを一身に浴びせかけられるツヅラ。そう、親愛なる僕の幼馴染は、顔とスタイルが良くてスズメと会話できる能力があるだけでは飽き足らず、勉強までトップクラス。背景と化してしまっている奥の男子たちのじっとりとした視線が痛い。分かるよ、僕もそちら側だ。ツヅラは一瞬僕の方をちらりと見てから女子たちに言った。
「だめ。灰慈の先約が入ってるから」
「ええー、また灰慈?」
女子たちは恨めしそうに僕を見た。馬鹿ツヅラ! そんな約束一言もしてないだろ!
「まぁ灰慈じゃしょうがないよねぇ」
「うん、灰慈じゃね」
そう言って女子たちは子供をあやすかのように僕の薄ピンクの頭を撫でる。小柄で童顔で髪もこんな色だし、名前は某アルプスの少女と同じで、おまけに実家は花屋ときた。僕は昔から女子に男として見てもらえないことが多いのだ。その上、ツヅラが女子をかわすために僕を言い訳に使うことが多いせいで、最近は僕とツヅラができてるなんていう噂も立っているらしい。全く、はた迷惑な話である。
「くっそー、どうやったら男らしくなれるんだよ」
僕は乱雑にカバンを自分の机の上に放り投げると、今朝来る途中にコンビニで買った雑誌を広げる。
「ぶっ……灰慈お前、そんなん読んでんのか」
僕の雑誌の中身を覗き見たツヅラが噴き出して大爆笑し始めた。何がそんなに面白いのか。僕は真面目だ。この雑誌にこそ僕が追い求める男らしさの秘訣が詰まっているに違いないのに。
「灰慈が湘南サーフ系って……ぶふっ」
ツヅラは笑いを堪えるかのように口を押さえて肩を震わせる。僕は構わず愛読コーナーである筋トレ特集のページを開いた。放課後は家の手伝いもあるし、運動神経が良いわけでもないので部活には入っていない。その分筋トレだけは欠かさないようにしている。ツヅラには筋肉がつきすぎると身長が伸びないと言われたことがあるが、どうせ桜庭家は父方・母方共に平均身長以下の家系なのでもう諦めている。
その時、ガラッと教室の扉が開く音がした。
「ホームルーム始めるぞ。ほら、席ついたついた」
無愛想な社会科の先生、黒柳。僕たちのクラスの担任だ。若いわりにぶっきらぼうだが案外面倒見がいいので、女子たちはクロちゃんと呼んで親しんでいるらしい。彼は教壇に着くと出欠をとり始めた。
「あれ、水川は?」
四十人のクラスで、空席は水川の席だけ。僕はツヅラと顔を見合わせる。
「先生、水川は——」
僕が言いかけた時、教室の後方からガラッと扉が開く音が聞こえて水川が入ってきた。
「……よし、水川も出席だな」
水川何も言わないまま自分の席についた。相変わらずぶすっとした表情。意外と早く来たな。叱っても彼女には響かないので、ザマス先生も呆れて解放したのだろう。
「よし、これで全員揃ったな。今日は二つ重大発表があるからよく聞けよ」
黒柳は白いチョークを取ると、黒板に「7月1日」と書いた。
「まだ二ヶ月くらい先の話だが、この日保護者の方との三者面談をやることになった。事前に進路希望調査票を渡すから、ちゃんと書いてくるように」
教室中が「えーっ」というブーイングで沸く。
「もう進路決めなきゃいけないのー? まだ高校入ったばっかなのに」
「二年生から文系理系でクラスが分かれるだろ。そのための文理選択をしなきゃいけないのが一年生の秋なんだ。だから今のうちに考えといてほしいんだよ」
「僕たちの可能性はまだまだ無限大なのに?」
「原田、そう言っている奴が一番ニートになりやすいから気をつけろ」
クラスのムードメーカーである原田がどっと笑いを誘う。
——進路、か。
そういえばちゃんと考えたことがなかった。というのも、僕の進路なんてすでに決まっているようなものだからだ。
一見実生活では何の役にも立たなそうな花咲師の能力だが、ひとつだけ花形の仕事がある。それは——"
僕はじいちゃんがやる花葬りを一度だけ見たことがある。普段は家でぼーっとしていて、しょうもないダジャレばかり言うじいちゃんだったが、儀式の時はまるで別人のようだった。
藍染めの
なんとも不思議で、清浄な空間。そんなものを生み出す力が僕にも備わっているのだと思うと、自分の中に自信が湧いてくるような気がした。花葬りをする機会なんてそうそうあるもんじゃない。僕はまだ依頼されたことはないが、いつかじいちゃんみたいな花葬りができるようになりたいと思っている。
「で、もう一つの重大発表だが——」
黒柳の声で僕はハッと我に返る。まだホームルームの途中だ。
「保護者の方が来ても恥ずかしくないよう、この日までに学校の清掃を推進するクラス委員を選ぶことになった」
もう一度、より一層大きなブーイング。
お世辞にも公立高校というのは綺麗な空間とは言えない。清掃業者が入るわけでもないし、一応毎日生徒が清掃をする時間があるけれど、大抵は談笑してやり過ごすのでホコリは全く減らない。
「お前らがそういう反応をするだろうと思って、実はもう誰にやってもらうか決めてある。うちのクラスで部活をやっていない二人——桜庭と水川、よろしくな」
「えええッ!?」
思わず声が裏返った。後ろの席に座るツヅラの爆笑する声が聞こえる。帰宅部が対象なんだったら、野鳥観察会とかいうツヅラが勝手に一人でやっている同好会も含めてほしい。しかし僕が抗議するより先に、彼女が低い声で言った。
「……無理なんだけど」
水川の一言に、教室中が凍りつく。黒柳は無理に愛想笑いを浮かべる。
「頼むよ。形だけでも良いからさ」
「そんなことに何の意味が——」
水川が反論しようとした時、一限のチャイムが鳴った。
「やば、次三年生の授業なんだよ。桜庭と水川は放課後職員室の俺のところまで来いよ。何やるか指示するから。じゃ、ホームルーム終わり!」
黒柳はそう言うと、そそくさと教室を出て行った。入れ替わりで英語の先生が教室に入ってくる。僕は恐る恐る水川の様子を見やる。彼女は整った顔を歪め、奥歯をギリギリと噛み締めていた。
僕は正直言って水川雪乃のことが苦手だ。
四月、名簿順で並んだ席で僕と水川は隣同士だった。だからたぶん、彼女に最初に話しかけた勇者は僕だったに違いない。ご多分に漏れず「こんな可愛い子と隣の席なんてラッキー」と思った僕は、入学式が始まる前に彼女に自己紹介を試みたのだ。
「桜庭灰慈です。えっと……実家は駅前の商店街の花屋をやってる。もしフラワーギフトとか必要だったら相談してよ」
当たり
「何なのその髪。高校入ったからって浮かれてる? 頭の中までお花畑なの?」
(かっ、かわいくねぇっ……!!)
僕の肝は一瞬で冷えて縮みあがり、なんの言葉も返せなかった。後からその話を聞いたツヅラは、笑いすぎて涙を流しながらこう言った。
「あっはっは! じゃあ水川は灰慈が一番苦手なタイプの女子だったってことだ」
そう、強気な女子はなるべくご遠慮したい。そういうタイプの女性は大概僕のことを男として見ないで下僕のように扱ってくるからだ。代表的なのは僕の家族の女性陣。ツヅラ曰く、桜庭アマゾネス。桜庭家は女性がとにかく強くて男はみんな尻に敷かれている。ばあちゃんは熱烈な野球ファンでTV中継を見ながら選手に野次を飛ばしまくっているし、母さんはいわゆる肝っ玉母さんで
そんなわけで入学式初日から、僕の水川に対する警戒心は常にMAXまで引き上げられているのだ。
「何? ジロジロ見ないで」
「あ、ごめん……何でもない、です」
クラス委員(という名の先生のパシリ)としての最初の仕事は教室に溜まっていた過去の授業のプリントを処分することだった。放課後、職員室に行くと、大量のプリントが入った箱が二つ。これを校舎の裏のごみ捨て場まで運ばなければいけないらしい。さすがに水川に持たせるのは可哀想だということで、僕は今無理して二つ同時に運んでいる。おかげで正面が見えず、横でケータイをいじりながら歩いている水川の方を見ざるをえない状態なのだ。
しかし……気まずい。会話が続かない。むしろ帰ってくれた方がありがたいくらいだ。
「なんで断らなかったの」
まさか水川から話題を振られるなんて思っていなかった僕は、一瞬姿勢を崩しそうになった。
「だって断る理由がないじゃん。先生困ってたしさ」
「……ふうん」
え、今の会話、これで終わり? 水川はそれ以上何も言わない。
「まぁでも保護者のためだったら他の奴らにもやらせるべきだよな! 帰宅部だからって俺たちに任されてもさぁー!」
仕方なく取り繕うかのように話しかける僕は、周りから見たら相当滑稽に映るだろう。視界に映る範囲で周りにスズメがいないか確認した。スズメに見られている
水川はふぅと息を吐くと、ぼそりと呟く。
「そうだね……どうせうちの親来ないし」
「へ?」
——ピリリリリリ!
けたたましい電子音が響く。水川の携帯だ。
「あ、店長からだ」
「店長?」
「私バイトしてんの」
「えぇ!?」
大きな声を上げてしまったせいで、絶妙に保たれていた二つの箱のバランスが崩れた。バサバサバサ! 箱の中に入っていたプリントがそこらじゅうにぶちまけられる。だけど、僕が今気にしているのはそんなことじゃなくて。
「バイトって……うちの学校、バイト禁止だろ?」
なるべく声を潜めて水川に尋ねる。しかし水川はけろりとした表情で言った。
「うん、だから内緒ね。呼び出されちゃったから、もう帰らなきゃ」
「ちょっと待……!」
かっこ悪いことに、足元のプリントで滑って僕はその場で転ぶ。……恥ずかしい。耳まで赤くなっているのが体温で分かる。ゆっくりと顔を上げて水川の方を見ると、彼女は口元に人差し指を立てて、悪戯な笑みを浮かべた。
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