第6話 魔王
領主軍の主な構成はリュードと呼ばれる騎獣に騎乗して戦う騎獣兵と、徒歩で戦う歩兵の二つによって成り立っている。
リュード兵とも呼ばれる前者はエリート集団であり、貴族の出身や代々領主に仕えている軍人の家系の者によって構成されていた。
一方、歩兵については平民や農民であり、常備軍ではなく徴集によって構成される。
領主はジゾゥ村の一揆に対して、騎獣兵のみで攻撃を仕掛けるつもりだった。
と言うのも、基本的に平民や農民で構成されている歩兵は、彼らがジゾゥ教の教えに帰依していないという保証がない。
下手をすれば叛乱を起こした側に寝返る恐れがあるため、民を信用出来ない領主は派遣する軍から歩兵を除いた。
歩兵に対して、騎獣兵は身分的に支配者側の身分の者が殆どであるため、ジゾゥ教の教えに耳を貸す者はまず居ない。
騎獣兵は総数は多くないが、相手が農民達による烏合の衆であればそれでも十分だろうと彼は考えていた。
また、歩兵が居れば遅い方に合わせる必要が出てくるが、騎獣兵のみでの派遣であれば移動のスピードも段違いに速くなる。面倒ごとをさっさと片付けない領主としては、最適の案に思えた。
実際、騎獣兵の兵達でジゾゥ教の教えに帰依している者は殆ど居なかった。
……騎獣兵の兵達には。
問題は、彼らの近くに居る者達だった。
基本的に支配する側の身分である騎獣兵は、リュードの世話など自分ではしない。
そういった下賤な仕事は、低い身分の者にやらせるものだというのが彼らの考えであり、そうしていた。
任された者達は平民階級であり、ジゾゥ教の教えは彼らに広く広まっている。
その結果……。
「リュードが居ないだと!?
どういうことだ!」
騎獣兵が用いる筈のリュードがそっくり姿を消したと言う報告に、領主は顔に青筋を立てて怒鳴った。
報告を行った騎獣兵部隊の隊長は、冷や汗を掻きながら起きたことを彼に説明する。
「そ、それが……どうやら世話をしていた者達が逃がしたらしく」
「ジゾゥ教とやらに染められたか!?
ふざけた真似を!
そいつらを引っ立てて来い!」
「生憎、リュードと共に姿を消しておりまして」
「ぐぬぬ……っ!」
怒り冷めやらぬ領主だが、当事者達がその場に居ない以上は幾ら喚いても意味が無い。
「ぐ、軍の派遣については如何致しますか?」
「今更歩兵の徴集をしている暇は無い。
やむを得ん、騎獣兵をそのまま派遣する他ないだろう」
「し、しかしリュードが居ないのですよ?」
「そんなことは分かっとる。
貴様らとて足がないわけではあるまい……歩け」
「ぬぅ……かしこまりました」
領主の命令に、隊長は渋い顔をしながらも頷いた。
騎獣がいなくて何が騎獣兵だと言われかねない状態であり、出陣は好ましくないのだが、ない物はないので言っても仕方ない。
「所詮、戦う力のない農民共の集まりだ。
リュードが居なくとも簡単に潰せるであろう」
「それは確かに」
騎獣兵はリュードに乗って戦うことを想定して訓練を行っているが、地に足を着けて戦えないと言うわけではない。
少なくとも、戦闘力で農民に劣ると言うことはないだろう。
「それでは、予定通りに出立されるのですね」
「うむ。行軍日程が伸びる以上は糧食も増やす必要はあるが、それは別働隊に後から届けさせれば良いだろう。
日程を先延ばしにしては聖ロランス教の司教が五月蠅いからな。
予定は変えぬ」
「かしこまりました」
こうして、領主軍は領都から出立した。
しかし、領主はある重大なことを考慮していなかった。
今回の一件は彼が追加の税を徴収しようとしたことが契機となっているが、そもそも彼は何故そのようなことをしようとしたのか。
そして、リュードが居ないことで行軍が遅れることが何を齎すのか。
彼らがそれに気付いたのは、問題の村まであと少しという頃だった。
もしも、リュードが居なくなったりしておらず騎乗したままで居れば、遭遇しても逃れることが出来ただろう。
いや、そもそも行軍スピードが落ちて居なければ、遭遇すらしなかった可能性の方が高い。
しかし、様々な巡り合わせが不運に働き、彼らはそれに出逢ってしまった。
大小や種別も様々な魔物達の軍勢がそこに居た。
巨大な蜥蜴のような魔物、羽の生えた獅子、動く彫像、蠢く液状生物、動く人骨に巨人。
通常であれば共に行動することがあり得ない様々な種類の魔物が、整然と並んでいる。
その光景から導き出される答えは、たった一つだけだった。
「バ、バカな!?
魔王軍だと……!?
このようなところにまで!」
そう、魔王の軍勢による襲撃だ。
元より、領主が追加の税を課そうとしたのは、復活して人間の国へと侵攻を始めた魔王軍に対抗する軍備を整えるためだ。
彼の領地は魔王領に隣接しており、その対策は急務だった。
それ故に、飢饉で村人達の余裕が無いことは知りつつも、強引に徴収を行おうとしたのだ。
領主や騎獣兵達が愕然としながら見ている前で、魔物の軍勢が左右に割れ、そこから一人の人物が姿を現した。
それは、意外にも女性だった。
銀色の長い髪を翻した女性で、紅い甲冑ドレスを纏っている。
外見は普通の人間と殆ど差はないが、耳が多少尖っていることと人並み外れて胸が大きいことが特徴だった。
そう、彼女が古より復活し、人間の世界を蹂躙している魔王だった。
女魔王は領主軍の方を見て、不思議そうに首を傾げた。
彼女の想定では、軍隊との衝突はもう少し先の予定だったためだ。
「む? 人間の軍勢だと?
何故このような場所に……まあよい。
我らの侵攻を阻むと言うのなら、是非もなし」
そういうと、さっと腕を上に挙げ、前に向かって振り下ろした。
「征け! 脆弱な人間共に我らの力を見せ付けてやるがいい!」
魔王の号令の下、数多の魔物達が目の前の領主軍へと襲い掛かった。
たまらないのは、領主軍だ。
元より烏合の衆である農民達を軽く追い散らす程度にしか考えていなかった所、いきなり魔王軍と衝突することになったのだから士気も何もあったものではない。
「うわあああーーーー!?」
「に、逃げろ!」
魔王軍が動き始めてまだぶつかり合わないうちに、あっと言う間に領主軍は崩壊した。
一人が叫びを上げて逃げだすと、それに釣られるように次から次へと逃げ始めたのだ。
本来であれば領主がそれを止め、兵達を鼓舞して士気を高めるべきところなのだが、彼自身が真っ先に逃げ出しているのだからお話にならない。
中には抗戦しようとしていた兵も少ないながら存在したが、領主が逃げるところを見てしまったせいで彼らも士気を挫かれる。
「お、お助けーーーー!」
逃げ出したのは、従軍していた聖ロランス教の司教も同様だ。
地蔵の化けの皮を剥がすために派手な説法をしようと準備していた彼は、やたらとゴテゴテした装飾の付いた衣装を着ていたが、それを振り捨てて半裸になって命からがら逃げ出した。
結局、まともな戦いは殆ど無いままに領主軍は敗走し、あっと言う間に遠ざかってゆく。
逃げ足の速さだけは大したものだったと言えるだろう。褒められたことか否かは別として。
魔王は追撃をし掛けようとしていた配下の魔物達を止め、無様に潰走する領主軍を見ながら嘲笑った。
「フッ、他愛も無い。
このような弱兵ばかりでは、この国の兵力も高が知れているな」
彼女は一しきり嗤うと、改めて元の侵攻ルートであった村の方へと振り向いた。
それなりに規模は大きいものの、村は村。
数多の魔物によって構成された魔王軍の前では風前の灯に等しい。
「さて、行き掛けの駄賃だ。
そこの村を早々に踏み潰し、それを皮切りにこの国を攻め落とすとしよう」
魔王は軍を整え直すと、村へと足を進めた。
領主軍の脅威は何もしないうちに去ったものの、それは彼らにとって救いにはならない。
それを遥かに超える脅威がジゾゥ村へと迫る。
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