第5話 ジゾゥ教

 ジゾゥ教、それは救済を旨とする宗教である。


 この世の全ての者は等しく救いを求めることが出来る。

 ジゾゥ様を信じて祈れば、人は必ず救われる。


 この二文がジゾゥ教の教義の主な概要だ。

 非常にシンプルであり、解釈を論ずる必要もない。

 しかし、それはシンプルであるが故に、形式や体面を気にする上流階級の者には受けが悪いものだった。


 また、教義のシンプルさ加減だけでなく、まるで王家も貴族も領主も農民も平等であるかのようなその内容は、支配する側の者達からすれば馬鹿馬鹿しいの一言に尽きる。

 元より領主の徴税官に叛逆した者達が唱えている戯言、諸共に踏み潰せば良かろうと領主は対処をうっちゃった。

 どうせすぐに軍勢を派遣して討伐を行うのだから変わらない、という判断だ。

 それ以上に、そんな教義を信じる者など居ないという思い込みがあったことも取り合わなかった理由だろう。


 しかし、ジゾゥ教の教義はシンプルであるが故に、農民達には分かり易かった。

 ソフィーヤの村に集まった者達に衝撃を与えたように、平等であると言う考え方も農民達へのインパクトは大きい。

 領主達が一笑に付して放置した間に、教えは密かに、それでいて凄まじい速度で浸透していった。

 領主軍の編成が終わるよりも早く、領内のほぼ全ての農民が帰依する程に。


「こ、これは由々しき事態ですぞ!?」

「むぅ……」


 領主を始めとする支配者側で最初に異常事態に気付いたのは、聖ロランス教の司教だった。

 古の聖人の偉業を称えるこの宗教は各国に広く信者を得ており、国や領主との結び付きが非常に強い。

 一方で、自らの地位や既得権益を危ぶませるものには過敏だった。


 主な収入源である王家や貴族達は押さえたままとは言え、民の支持をごっそり持って行かれては危機感を覚えるのは当然だ。


「この事態、一体どうなさるおつもりか!?」


 故に泡を喰って領主の館を尋ねて詰問を始めたのだが、領主は面倒臭そうな表情を隠さない。


(貴様がそれを言うか?)


 確かに自領で一揆のようなことが起こっているのは失態と言えば失態だが、それに関しては既に討伐の準備を進めている。

 思ったよりも規模が大きくなってはいるものの、所詮は剣を振るったことも無い農民達の集まりだ。領主軍を派遣すれば容易く踏み潰せるだろうと考えていた。実際、その推測は正しいだろう。


 そんな彼にとって、農民達の信仰がどうこうというのは知ったことではないの一言に尽きる。

 そもそも、それはどちらかと言えば目の前で顔を真っ赤にしている司教が責任を持つべき仕事ではないかと彼は考えたし、それは実際間違いと言うわけではない。


 自身の怠慢を人のせいにするとはけしからん……と内心で思いつつも、相手は聖ロランス教の司教だ。それを言えば余計に面倒なことになることは暗愚な領主でも理解は出来ている。


「ふむ、それではこうしようではないか。

 例の村の討伐に司教殿も着いて行かれるがいい」

「なんですと? 私が村の討伐に?」


 領主の言葉に、司教は首を傾げた。

 自分が叛乱の討伐に着いて行くことに何の意味があるのか、彼には分からなかったのだ。

 領主はそんな彼の姿に嘆息しながら、説明を続けた。


「例の、ジゾゥだったか?

 そやつはその村に居ると聞く。

 叛乱を討伐するついでに捕えさせる故、司教殿がそやつの化けの皮を剥ぐのだ。

 さすれば、愚民共の信仰も元に戻るであろう」

「ふむ、成程……」


 領主の提案に司教はしばし黙って思考を巡らせる。

 確かにジゾゥ教の教えは地蔵の救済に拠ってなりたっているため、その者が悪ないしは無力であると証明出来ればあっと言う間に崩れるだろう。

 そういった何でもない部分をあげつらって貶めるのは、彼を始めとする聖ロランス教の得意分野である。


 また、領主に対処させるよりも自分の手でそれが為せるというのも魅力的だった。

 これだけ広まった対立宗教を仮に自らの手で阻止することが出来れば、それは聖ロランス教内での彼の評価に繋がる。もしかすると、枢機卿への道も拓かれるかも知れない。

 栄光の未来が脳裏に浮かび、司教は下卑た笑みを浮かべる。


 しかし、討伐の軍に同行するということは戦いの近くに赴くことになる。

 その点について身の危険を最小限にしたい彼は、領主へと条件を出した。


「では、領主殿も私がそやつの化けの皮を剥ぐところを御目で確かめて頂きたい。

 貴方の証言があれば、より確かでしょう」

「ぐ……やむを得ん。分かった」


 領主自身が討伐軍に同行するのであれば、自然と防備には力を入れざるを得ないだろう。

 彼の近くに居るようにすれば、安全度は飛躍的に高まるというのが司教の計算だ。

 領主が自身の保身に関しては妥協しない人物であることは、よく分かっている。


 領主としてはそんな危険な場所に行くのも嫌だったが、自らが提案した手前危ないから行きたくないとは言い辛い。不満そうな唸り声を上げながらも、渋々と同行を受け入れた。


「それで、討伐軍の編成はいつ頃まで掛かる予定ですかな?」

「そうだな、あと十日といったところだろう。

 準備が出来次第、出兵する」

「ふむ、承知致しました。

 それでは、私の方も準備がありますのでこれにて失礼させて頂きます」


 そういうと、司教は領主の館から慌ただしく立ち去っていった。


「ふん、なまぐさ坊主めが」


 館から出てゆく司教の背を窓から眺めながら、領主は苦々しく吐き捨てる。

 しかし、すぐに気持ちを切り換えて頭を振った。


「まぁいい。こちらは予定通り例の村を攻め落とすだけだ。

 精々、派手な説法の準備でもしているがいい」


 領主は邪悪な笑みを浮かべながら、問題の村がある方向へと視線を向けた。

 勿論、遠く離れたその村を見ることは叶わないが、彼の脳裏には自身に歯向かった愚か者達を蹂躙する様が浮かんでいる。

 ジゾゥ村に、危難が迫る。





 そんなジゾゥ村はどのような状況だったかと言えば、集まった村人達……改め、ジゾゥ教信徒達が連携の強化を図っていた。


『……それは一体何なのだ?』

「え? これですか?

 前掛けですけど……」


 社に立つ地蔵がソフィーヤへと尋ねると、彼女は不思議そうに首を傾げた。

 地蔵が「それ」と言ったのは、彼女の襟元に着けられた前掛けだった。

 それは、地蔵が着けているものと同じような、赤い半円状の前掛けだ。

 まだ幼い少女であるソフィーヤが着けている分にはそれほど違和感は無く、むしろ可愛らしいと評しても良いだろう。

 ……着けているのが彼女だけであればの話だが。


『前掛けは分かる。

 気になっているのは、何故全ての者達がそれを着けているかという点なのだが』


 地蔵が気に掛けたのは、ソフィーヤだけでなく全ての信徒達が一様に赤い前掛けと着けていたためだ。

 彼女だけであれば可愛らしいで済むのだが、老人も壮年の男も着けているとなると異和感以外の何物でもない。

 ハッキリ言って、不気味であり滑稽だった。


「はい、ジゾゥ様の教えに従う者として、皆で同じ印を着けようということになったんです。

 どんな印にしようか村長さん達が色々と話し合った結果、ジゾゥ様にあやかって前掛けにしようと決まったそうです」

『……そうか』


 嬉しそうに話すソフィーヤに、地蔵はツッコミの声を寸でのところで呑み込んだ。

 彼の教えを真摯に受けてくれる者達なのだ、それくらいは好きにさせてやるべきではないかと、そう思ったのだ。

 また、前掛けは兎も角として、村人達が意思を共有し連携を深めること自体は決して悪いことではない。

 ちょっとくらいの異和感で水を差すのも無粋だろうと、地蔵は追及を諦めた。


 この時止めなかったことが後々禍根になるとは、流石の地蔵も想像も出来なかった。

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