第2話 村

『ふむ、これは……』


 森の中で獣に襲われていたソフィーヤと名乗った少女の後にフヨフヨと浮かびながら着いていった地蔵は、やがて彼女の住む村へと辿り着いた。

 村の入口──といっても、門があるわけでもなく入口と言えるかどうかも怪しい──に入って周囲を見渡す地蔵。

 地蔵は村を見た感想を一言呟いた。


『寂れているな』

「うぅ……やっぱりそうですよね」


 地蔵の容赦の無い感想に、ソフィーヤは思わず落ち込んだ。

 しかし、地蔵がそのように言うのも無理が無い。それ程、村は「寂れている」という表現が適していた。

 最早ここまで来ると、「寂れている」という言葉が具現化したかのように。

 それほど軒数も無い家はボロボロであちこちが崩れており、地面には雑草が生え放題になっている。

 見掛ける人の姿も少なく、活気というものが感じられない。


 村に対する表現として正しいかはさておき、その村は一言で言えば死に掛けだった。

 しかし、そんな村を目にした地蔵の声に落胆や諦めの色は見えない。

 それを証明するかのように、地蔵はソフィーヤを慰撫するかのように笑いながら告げた。


『まぁ、案ずるな。

 地蔵の法力を持ってすれば、この程度の不作などあっと言う間に豊作に変えてくれる!』

「ほ、本当ですか!?」

『うむ、試しに何かの種を村の畑に埋めてみよ!』

「は、はい!」


 地蔵の指示に従い、ソフィーヤは走って家に戻るとなけなしの種を握りしめて帰ってきた。

 それは、彼女の家に残された最後の食糧だった。

 最早それを植えて作物を育てることを諦め、そのまま食用にするつもりだったものだ。


 一人と一体は村の端の方に設けられている畑へと赴く。

 村がそうであったように畑も荒れ果てており、食用になりそうな作物は全くと言っていい程になっていない。

 それどころか、土も荒れ果てており柵が無ければそこが畑であることすら分からなかっただろう。

 正直、この畑に種を撒いても作物が収穫出来るようになるとは思えない有様だった。


「これでいいんですか?」

『うむ、それで良い。

 少し離れているがいい』


 種を撒いて土を被せたソフィーヤが尋ねると、地蔵は鷹揚に頷き彼女に下がっているようにと告げた。

 なお、地蔵の首は曲がらないため、頷くと言うより全身を傾けたと言った方が正確かも知れない。

 ソフィーヤが下がると、地蔵は彼女が種を撒いた場所の上へとフヨフヨと浮いたまま移動する。

 そして、その場で何かを念じ始めた。


 ソフィーヤが期待と不安の籠った視線で見つめる中、地蔵はカッとその目をかっぴらいた。

 石で出来た地蔵の目蓋が開けるのならだが。


『法力……照射~~!!』

「!?」


 地蔵の裂帛の叫びと共に彼の身体から眩い光が放たれ、畑へと降り注いだ。

 ソフィーヤはその光に一瞬目が瞑るが、しばらくして目が慣れてきたため怖々と目を開く。

 するとそこには、信じ難い光景が広がっていたのだ。


「こ、これは……!?」


 なんと、つい先程種を撒いたばかりの場所から芽が出ている。

 ソフィーヤとて幼いとはいえ農村で生まれ育った身だ。作物の種を撒いて芽が出るまで暫くの時間が掛かることくらいは知っている。どんな作物であれ、撒いた直後に芽が出るようなことは無い筈だ。

 しかし、確かにその芽は地面から顔を覗かせていた。

 それどころか、見る見るうちにその芽は高さを増して伸びてゆくではないか。


「す、すごい……」


 ソフィーヤが目の前で行われた奇跡に呆然としていると、異変に気付いた村の人間が次々と集まってきた。

 先程地蔵が放った声と光が、彼らの注意を引いたのだろう。

 集まった彼らは一様にその光景に驚いて、その場に立ち竦んだ。

 無理もない。とうに枯れ果てて死んだと諦めていた畑に作物がなっているのだから。


「こ、これは何事だ……何故作物が?」

「一体、どうなっているんだ!?」

「ジゾゥ様が救ってくださったんです!」


 困惑する彼らに向かって、興奮気味のソフィーヤが満面の笑みを浮かべながら叫んだ。

 しかし、それを聞いても彼らの混乱は余計に深まるばかりだった。


「ジゾゥ様?」

「はい、この方です」

『地蔵である』


 ソフィーヤが手で指し示すと、法力の照射を一段落させた地蔵がクルリと振り向いて宙に浮かんだまま胸を張った。

 曲がらないので後ろに傾いただけとも言う。


 石で出来た中空に浮かぶ喋る像。

 普通に考えれば、怪しむのが妥当だろう。

 魔物か何かと断じて逃げたり攻撃したりしてもおかしくない。


 しかし、この村の住民達は最早限界だったのだ。

 不作によって飢饉が起こり、頼みの領主は彼らを救うどころか更に搾取を繰り返して苦しめるばかり。

 誰も助けてくれない、救ってくれない……そんな状況に齎された一筋の救いの光。

 果たして縋らずに居られる者が居るであろうか。


「おお~~~!」

「ありがたやありがたや」

「そうです! ジゾゥ様は凄い方なんです!」

「きっと神様の遣いに違いない」

『神ではない、地蔵だ』


 ソフィーヤの説明を聞き、地蔵が村の畑に作物をならせたことを知った村人達は、口々に地蔵に感謝を告げ、拝んだ。

 この辛い世の中に、彼らを救ってくれる存在を見出して、心の底から拝み立てた。


 村人達の信仰を得て、地蔵の力がまた少し大きくなった。

 救いを求める心と、救われたことによる感謝。この二つが地蔵の力の元なのだ。

 信仰が届いた瞬間、地蔵の身体が薄っすらと光を放つ。

 それはとても神秘的で、それでいて優しい慈悲を以って村人達を照らした。


「なんと神々しい」

「……む? 何だか身体が」

「活力が、漲ってくる?」

「これもジゾゥ様の御力か!」

「流石はジゾゥ様じゃ!」


 地蔵が放つ光に照らされた村人達が自らの身体の調子に気付き、口々に歓声を上げた。

 飢えに苦しみ、病に侵され、生きる活力を失いつつあった村人達。

 そんな彼らが今、軽くなった身体ではしゃいでいる。


 地蔵による救済の力で彼らは回復された……わけではない。

 無論、地蔵が法力を駆使すればそのようなことも可能かも知れないが、少なくともまだそんなことはしていないのだ。

 地蔵から放たれた光は単に信仰を得た力の余波に過ぎないのだから。

 彼ら村人達に活力を与えたのは、そんなただ照らすだけ光ではない。もっと別の力だ。


 それは、希望という力だ。

 自然の猛威に奪われ、権力者による搾取に奪われ、絶望に伏してただ死を待つのみだった彼らに、地蔵の救済が希望を齎したのだ。そしてそれが、彼らに生きる活力を取り戻させたのだ。


 病は気からという言葉がある。

 心が絶望に沈んでいると病に掛かったり病が重くなったりしてしまうものだ。

 しかし、逆に心の中に希望が宿ればどうなるか。

 それが今この場で実際の光景として広がっていた。


「ううむ、何だかやる気が出てきたわい!

 こうしちゃおれん!」

「おおよ! ジゾゥ様にだけ頼っているわけにはいかねぇ!」

「折角、ジゾゥ様のおかげで畑が生き返ったんだ!

 雑草抜いたり、虫をどけたり、柵を直したり、やることはいくらでもある!」

「よし、手分けして取り掛かろう!」

「おお!」


 活力を取り戻した村人達は、手分けをして畑の整備に取り組み始めた。


『ふむ、村人達にも活力が蘇ったようだ。

 善哉善哉』

「これも全て、ジゾゥ様のおかげです!

 ありがとうございます!」

『なに、これも全て地蔵の務めよ』


 死んだような目をしていた村人達が生き生きとした表情に変わる様を見て、ソフィーヤも笑顔を輝かせて地蔵へと感謝を告げた。

 地蔵は満更でもなさそうにしながらも、フヨフヨと浮かび歓喜に沸く村人達を暖かく見守っていた。

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