第1話 少女

「たすけて!」


 森の中で少女が助けを求めながら必死に逃げていた。

 彼女を追うのは、角を持った数頭の獣である。


「お願い! 誰か、たすけて!」


 食糧を得るために村の外に出てきた少女は、木の実を集めている間に森の深い場所へと入り込み過ぎてしまい、獣達に追われることとなった。

 助けを求めてはいるが、その声が誰かに届くことなどないことは、彼女自身が一番良く分かっていた。

 村人はこんな森の奥までは来ないし、通り掛かる旅人などもいる筈もない。


 まだ幼さの残る少女の足では、四足の獣達には遠く及ばない。

 そんな彼女が未だ逃げおおせているのは、ひとえに獣達が狩りを愉しんでいるからに他ならない。

 その気になればいつでも仕留められるにも関わらず、トドメを刺さずに敢えて甚振っているのだ。

 それが分かっていても、襲われる恐怖に少女はただただ走り続けるしかない。


「きゃっ!?」


 しかし、そんな逃走劇も少女が木の枝に足を取られたことによって終わりを告げる。

 彼女は転倒し受け身も取れずに地面に叩き付けられた。

 獣達は狩りを終わりにすることにしたのか、少女の周りを取り囲んだ。


「あ……ああ……」


 最早、万事休す。

 運が良ければ喉笛を噛み切られてその命を終えるが、最悪の場合は生きたまま腹を裂かれ腸を引き摺り出され、その身を貪られる。

 少女の命は時間の問題だった。


 獣達はジリジリとその輪を縮め、少女へと迫る。

 彼女は恐怖にギュッと目を閉じ、心の中で叫んだ。


(たすけて!)


 それは誰に向けてのものでもない、ただただ救いを求めるだけの言葉。

 当然、その心の声が誰かに届くことなどなく、全ては無意味──ではない。


『──無論!』

「……え?」


 誰にも届かない筈の声に、答える者が居た。

 それが幻聴ではない証拠に、獣達も周囲へと警戒を向け始めている。

 思わず疑問の声を上げる少女だが、次の瞬間上空から何かが物凄い勢いで飛来し、少女のすぐそばの地面を直撃した。


「きゃああっ!?」


 轟音と共に地面は小さなクレーター状に窪み、激しい揺れが少女や獣達を襲う。

 もしも彼女が立ったままであれば、きっと耐えられずに倒れていたところだろう。


『む? 勢いのままに跳んできたが……一体何処だ、ここは?』


 舞った砂埃が晴れてくると、そこには……石で出来た人型の像が立っていた。

 少女はそれが何なのか知らぬが、言わずと知れた地蔵である。


『何やら大地や大気の雰囲気が異なるな。

 それに、先程までいた地よりも遥かに力が漲る』


 地蔵は興味深く周囲を見回した。

 先程まで居た地では彼は身動き一つ取ることが出来なかったが、この地では不思議と奥底から法力が湧き出してきて、身体を自在に動かせた。

 尤も、地蔵の手足はかたどられた状態であるため、歩いたりすることが出来るわけではない。

 その姿のまま、法力を噴出して中空に浮かぶだけだ。


「ゴ、ゴーレム?」


 突然現れた地蔵に呆然としていた少女が、思わず呟いた。

 石造りの動く像。

 見たことは無いが話には聞いたことがある、魔法使いによって作られた石人形のことを思い出した彼女は目の前のそれをゴーレムだと思った。


『ごおれむ? 何だそれは。

 我は地蔵だ!』


 しかし、ゴーレムという言葉は彼の地蔵によって否定される。

 彼は頑なに自分を地蔵であると主張した。


「ジゾー様?」

『じぞーではない地蔵! ZI・ZO・U、だ!』

「ジゾゥ様?」

『むぅ……まぁそれでいいか』


 まだ微妙に発音がおかしかったが、呼び方が「お地蔵様」に近かったため、何だかホッコリとしてしまった地蔵は妥協することにした。


「ぐるるる……っ!」

「ひぃ!?」


 少女と地蔵の心温まる語らいに対して、無粋な横槍が入れられた。

 地蔵の登場以降ずっと無視された形になっていた、獣達だ。


『狼? ……いや、角の生えた狼など見たことが無い。

 妖の類いか……ふん』


 地蔵は最初その獣達を狼かと思ったが、よくよく見るとそれらの額には角が生えており、彼の知る狼とは姿を異にしていた。

 故に、それらを妖怪だと判断した彼は、取り囲む獣達に向かって宣言する。


『妖共よ、この娘は地蔵が救うと決めた。

 故に、手出しは許さん。

 今なら見逃してやる、疾く去ね』


 地蔵は少女を救うためにやってきたのであり、獣達を調伏しにきたわけではない。

 このまま立ち去れば何もしないという彼の言葉は、しかし獲物を前にした獣達には届かない。


「ぐるるる……っ!」


 唸り声を上げながら少女と地蔵を囲む輪を狭める獣達、その意は明らかだ。

 その様子を見て、地蔵は静かに呟いた。


『……よかろう、ならば是非もなし』


 少女を救う、それは決定事項だ。

 故に、それを邪魔する者が居るのなら、実力を以って排除するのみ。

 ただし、仏の教えの制約により不殺生で。


『ゆくぞ! 地蔵乱舞!』


 その叫びと共に、足元から凄まじい勢いで法力を噴出した地蔵は、まさに乱舞の言葉が相応しく縦横無尽に飛び回った。


「ぎゃん!?」

「きゃいん!?」

「きゅう!?」


 その軌道上に居た獣達は重い石の塊の直撃を受け、激しく撥ね飛ばされることになる。

 当然、激しく飛び回りながらも後ろに庇う少女には傷一つ負わせては居ない。


 数秒後、全ての獣達は意識を失ってその場に倒れていた。






「助けてくれてありがとうございます、ジゾゥ様!」

『救済は地蔵の使命だ、礼には及ばぬ』


 倒した獣の内の一体の上にズシンと乗っかり、少女と向き合う地蔵。

 命を救われたことを感謝する少女に、地蔵は微笑ましく思いながらそう返した。


『ところで、娘。ここは一体どこなのだ?』


 これまで居た地とは大分離れていることは地蔵にも分かったが、具体的に何処かが分からなかった。

 そのため、取り敢えず知っているかも知れない相手に聞いてみようと思い、直球に問い掛ける。


「え? ええと……モーランの村の近くの森です」


 しかし、少女からの回答は地蔵が全く知らない地名だった。


『もおらん??? 国の名は?』

「ランドール王国です」

『聞いたことの無い国の名だな……欧羅巴よーろっぱか』


 国名すら聞いたことがないものだったが、その言葉の響きから当たりを付けた地蔵は納得した。

 ……無論、その見当は的外れなのだが。




『時に娘よ、そなた……まだ救いを求めているな?』

「え?」


 唐突な地蔵の言葉に、少女は聞き返した。


『隠すな隠すな、我には分かる。

 先程の獣達に襲われていた危難から助かっても、そなたは真の意味で救われたと感じていない。

 まだ心の何処かで救いを求めている、そうであろう?』

「そ、それは……」


 地蔵の指摘が図星だったらしく、俯く少女。

 そう、確かに獣達に襲われていたことは紛うことなき命の危機であったと言える。

 しかし、遥か遠くの地蔵に届く程の救済を乞う気持ちは、それだけでは説明が付かなかったのだ。

 それに、地蔵は今も彼女から救いを求める心の叫びを感じ取っている。


『案ずるな、我はそなたの味方だ』

「実は……」


 躊躇っている少女を安心させるように優しく諭す地蔵に、彼女はポツリポツリと事情を話し始めた。


「不作で作物が全然実らなくて食べるものがなくて……」

『ふむ、飢饉か。確かにそれは大変だな』


 元より蓄えもそこまでない村で不作と言うのは大きな危機となり得る。それは地蔵にも理解出来た。

 実際、少女の住む村でもこの冬を越せるかどうかが危ぶまれている。

 しかし、彼女を襲う危難はそれだけではない。


「前の優しかった領主様が亡くなって新しい領主様に変わったのですが、新しい領主様は税を沢山取るようになって、払えない村は代わりに娘を差し出せと……」

『ぬぅ、それはけしからん領主も居たものだ。

 領民を守ってこその領主であろうに!』


 ただでさえ不作であるところに新領主による搾取。

 その上、支払えない場合は年頃の娘を差し出せと言う暴挙に、地蔵も思わず呆れ果てた。

 しかし、彼女を襲う危難はそれだけでもない。


「ついでに、封印されていた魔王が復活して魔物の軍勢があちこちの街や村を襲っていて、この村も危ないって噂になってて……」

『ふんだりけったりだな!?

 ……待て、魔王だと?』


 次々と少女や村に襲い掛かる危難に、地蔵も思わず叫んだ。

 がすぐに、聞き慣れない言葉に疑問を抱く。


「はい、大昔に恐怖を振り撒いた古の魔王です。

 勇者様に倒されて封印されて居た筈なのですが、長き時によって封印の効力が弱まって解けてしまったのだと、村に来られる神父様が仰ってました」

『ふむ、妖の王……鬼のようなものか』


 厄介事が盛り沢山のこの状況、仮に勇者がこの場に居たとしても即座に匙を投げたであろう。

 しかし、今ここに居るのは勇者ではない、地蔵なのだ。


『フッフッフ……』

「ジゾゥ様?」

『結構! 大いに結構! 実に救い甲斐がある!』


 地蔵が救うことに臆することなど、ある筈もない。

 むしろ、最高に猛る。


『娘よ、安心するが良い。

 そなたらの危難、地蔵が救ってしんぜよう』

「で、でも……」


 少女に向かって宣言する地蔵だが、彼女の反応は芳しくなかった。

 救いを求めているのは地蔵の嗅覚からも確実だというのに、何故そんな反応をするのかと地蔵は気に掛かった。


『む? どうした?』

「村は貧しくて……その……お礼とか出来なくて」


 助けてもらうためには、当然お礼が必要になるだろう。

 しかし、村には最早そんな余裕はない。何せ明日の食事にも事欠く程なのだ。

 お礼が出来ないと救ってもらえないのではと、少女は暗い表情になる。

 しかし、そんな不安を地蔵は笑い飛ばした。


『何だ、そんなことか。

 要らぬ要らぬ、救済は地蔵の使命だ。

 どうしてもと言うのなら、祠を立ててお供え物の一つもしてくれれば十分だ』

「ほ、本当ですか?」

『うむ、地蔵に二言は無い』


 呵呵と笑う地蔵に安心したのか、少女も笑顔になった。


『さて、そうと決まれば早速村に案内してもらおう』

「はい、分かりました! ジゾゥ様!」

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