地蔵・ザ・セイヴァー

北瀬野ゆなき

プロローグ

 地蔵、それは衆生を救済する者である。

 釈迦如来の入滅後、遠い未来に弥勒仏が訪れるその時まで六道を輪廻する衆生を救うため、地蔵がいるのだ。


 しかし、近代化により彼らの居場所は次第にその域を狭められていった。


 大きな寺に祀られている地蔵菩薩はまだ良い。昔よりも信者は減ったとは言え、それでもまだ人々に信仰されているし、風雨に晒されることも無い。手入れだってされるし、お供え物も供えられる。


 しかし、その一方で地蔵と言うのは必ずしも寺に祀られているわけではない。

 日本の各地に道祖神信仰と結び付き、町や村を護ることを願って建てられた無数の地蔵が存在する。

 彼らにとって、現代は苦難の時だった。

 かつては信心深い者達がお供え物を供え、祠の手入れをしたものだが、時の流れにより世代交代が進むと、その担い手は次第に減っていった。

 堅い石で作られているとはいえ、手入れをする者が居なければあっと言う間に朽ちるもの。

 そうして、多くの地蔵がその姿を消していった。


 そして今まさに、最期の時を迎えようとしている一体の地蔵が居た。




『……我も……ここまで……か』


 山の中の狭い道の途中で、横倒しになった地蔵が途切れそうになる意識の中で呟いた。

 山を旅する者達を見守るようにと建てられた彼は、長き時を道を見守りながら過ごしてきた。

 しかし、別の場所に広い道路が敷かれたためにこの道を通る者は地元のほんの僅かな人間だけとなり、それすらもここ数年はとんと姿を見ない。


『…………思えば我も…………長いこと……あったものだ……』


 かつては小さいながらも祠があったのだが、それも風雨で朽ちて久しい。

 大風によって薙ぎ倒されて横倒しになった身体を立ててくれる者も、居ない。

 祠を失い剥き出しになった身体は、風雨に晒されて少しずつその身を削られてゆく。


 人々を守り続けてきた地蔵に対して、あまりにも惨い仕打ちだった。


『………………悪く……ない……』


 しかし、それでも彼は決して、自分に見向きをしなくなった人々を恨んだりはしなかった。


『………………悪くなど……ない……』


 人間達が自分の護りを必要としなくなった……大いに結構。

 かつては自分が護らなければならなかった彼らは、強くなり巣立っていったのだ。

 それはきっと、素晴らしいことだ。

 その巣立ちを心から祝福しよう、と。


 大きな満足感と僅かな寂しさと共に、彼は意識を閉じ……。







(……て)





『………………』





(……けて)




『………………ん? 今、何かが……』


 意識を閉じようとした彼の耳に、何かが聞こえた。

 それは、地蔵である彼だからこそ聞こえる、遥か遠き場所からの声。




(…すけて)




『これは……呼ばれている?

 誰かが……』


 そちらに意識を向けることで、少しずつ声が大きく聞こえるようになってゆく。

 そして、声が届けば聞き違えることなどあり得ない。




(たすけて……っ!)


『誰かが救いを求めている我を呼んでいる!!』


 そう、これは遥か遠き場所で危難に際し助けを求める人の叫び。

 衆生を救済することを存在意義とする地蔵が、その声を聞き違える筈などない。

 何処とも知れぬ場所で、誰とも知れぬ者が、それでもその意図は明確に。

 救いを求めている地蔵を呼んでいるのだ!



『このまま朽ちても構わないと思っていた。

 人々が我を必要とせぬのなら、我は要らぬと思っていた。

 それがこの世界の意志であり運命なのだと……』


 そう、彼はつい先程までただただ朽ち果てて最期の時を待つばかりだった。


『……だが!』


 しかし、今は違う。

 このまま朽ちることなど、あり得ない。


『今こうして! 助けを求める人が居る!!

 これを救わずして……何のための地蔵か!!!』


 地蔵は衆生を救済するために存在する。

 故に、救いを求める者が居るのならば、救わねばならない。

 それが何処であろうと、それが誰であろうと、救いを乞われれば助けるのが地蔵の矜持。


『ぬおおおおおぉぉおぉおぉぉおぉぉおーーーーーッ!!!!』


 そして、奇跡は起こる。

 最早力など入らぬと思っていた身体に渾身の力を籠めて、彼はその身を起こした。

 そう、地蔵が独りでに中空に浮かび起き上がったのだ。

 しかも、彼の全身からは光が放たれ、それは少しずつ強さを増していく。


(誰か、たすけて!)


『行くぞ行くぞ、今行くぞ!

 救いを求める者よ、地蔵が行くぞ!』


 そして次の瞬間、一際強い光が放たれ辺りを眩く包んだ。




 数瞬後、光が消えたその山中に地蔵の姿は無かった。

 後には朽ちた社の残骸だけがただ残されていた……。

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