弐拾九

 斑の号令の元、伴部と久家の者たちの働きで、新しい宮が着々と建てられていった。宮京から逃がれていた人たちもまた戻ってきて、宮京は活気を取り戻していった。

「間もなく宮もできあがる。さすれば即位の礼であるのぉ。」

「はい。」

「覚悟は、ついたようじゃの。」

「はい。今わたしが大王となることが、世の中の平穏のため必要なことなれば。」

「うむ。」

「そして大王の位に即くからには、わたしは人々の安らかな暮らしを守るための政を心がけます。それが我が父の行いの償いともなるでしょう。わたしは父と同じ過ちを繰り返しますまい。そうならぬよう、己を厳しく戒めてまいります。」

「うむ…、うむ。」宿禰は慈しみ深い瞳で武雲を見つめ、静かに、何度も頷いた。「では武雲。おまえにとっては耳が痛いことかもしれぬが言っておこう。」

「はい………」

「おまえが魔に言われたことは、ある意味真実でもあるの。未来においておまえの後裔が人の世に大きな災いを及ぼすことがあるかもしれぬからの。またもしおまえがこの度の戦いに破れ、その後魔の側にある者がこの世を治めたとして、あるいはその王統が代々善政を施すということもあり得ることじゃ。我らが魔と呼ぶ者からすれば、人々を苦しめるような政をしてきた歴代の大王こそが魔であるというのにも一理ある。」

「はい。」

「しかし我らにしてみれば、やはり魔は討ち倒すべきものであった。………魔は我らの世に鬼へびを送り込み、人々を苦しめていたのだからな。」

「はい………」

「これから先、我らの孫の孫のそのまた孫の代くらいまでは、鬼へびに苦しめられることもないじゃろう。」

「………」武雲は微かに微笑んでゆっくりと目を閉じた。

「武雲よ。」

 武雲はまたゆっくりと目を開けた。

「我らには未来のことはわからぬが、過去に学ぶことはできる。我らの為すべきは、過去に学び、今の最善を行うことじゃ。」

「はい。」

「そしてもしもそれが間違っていたら、すぐにそれを改める。国を治めるとはそれを尽くすということじゃ。」

「はい。」

「善い国を創ろう。わしも労を惜しまぬぞ。」

「はい。」


 空は青く澄み渡っている。新たに建てられた宮は白木の色も爽やかに清々しい。清新な東風は凛として吹き渡り、宮の周りに並べ立てられた氏族たちの幟や旗を気持ちよく靡かせている。昇ったばかりの幼い日輪が、地上にあるもののすべてをその光で慈しむかのように包み込んでいる。

 武雲は宮の正殿の奥に据えられた高御倉の中の玉座に、正装被冠して座っていた。すべては宿禰が整えてくれたものだ。

 武雲の左、やや後ろには奇志室が床几に座っている。緊張にこわばったその顔は、また誇らしげでもあり恥ずかしげでもあった。


「武雲よ。大王に即位するとなれば大后が必要じゃ。」

 武雲は三日前に宿禰からそう言われたのだった。

「は、はぁ…」

「おまえの支えとなり、おまえとともに天に祈り、地を鎮め、人々を慈しむ大后がな。」

 武雲は傍らにいる奇志室に目をやった。奇志室は武雲の視線に俯き、頬を薄く赤らめた。

 声のでない武雲を宿禰が後ろから小突くように押した。

「おっ………」

 鷹勢と斑はそれを見てにんまりと笑みを浮かべている。それでも武雲は何も言えない。宿禰がもう少し強く武雲の背を押した。武雲はその勢いで奇志室の方に倒れかかり、体を支えようと武雲は片手をついた。

「奇志室。」そのままの姿勢で発した武雲の声は震えている。

「はい。」奇志室の声もやはり震えていた。

「わたしの…妻になってくれ。」

「はい、喜んで。」

「うっほほーぃ。」逆登実が両手を高く突き上げ、素っ頓狂な声で叫んだ。その目には光るものが溜まっていた。


 高御倉の並び、一段低くなった左には鷹勢、右には斑が、またともに衣冠を整えて武雲の脇に侍して立っていた。身なりを整えた二人は威厳を放ち、ついこの前までとは見違えるような姿の丞相ぶりであった。


「これからの武雲の治世を二人が要となって支えるのだ。」

 二日前、二人は宿禰からそう託されたのだった。それは武雲の心からの願いでもあった。

「いや、わたしは……」鷹勢はそれを断ろうとした。

「何、今まで通り武雲のそばにいて武雲を支えるだけのことよ。」笑みをたたえた宿禰に言われ、鷹勢は言葉を途切らした。

「それが檜垣鷹勢の、やるべきことであったのではないのかな。」

 鷹勢の心の中でかつて仕えた王の面影が微笑んだ。

「はい。…承知いたしました。持てる力のすべてを尽くします。」

「ありがとう鷹勢。どうかよろしく頼む。」武雲もほっとして言ったのだった。


 宮の中、鷹勢と斑が並び立つ所よりさらに一段低い広間には、武雲の左に宿禰と靫田、さらに逆登実が、右には伴部多宜留と久家可尾留が、向かい合うように内を向き並んで座していた。逆登実も今日ばかりはいつもとは違って整った衣服に身を包んでいる。宿禰に言われ、靫田が体の大きな逆登実のためにどうにか調達してきたものだ。逆登実はいささか窮屈そうではあったが、今はそんなことはまるで気にならなかった。玉座にある武雲とその横の奇志室を眩しそうに見つめながら、溢れる涙と鼻水を借り物の衣服の袖口で何度も何度も拭っていた。

 宮の前庭には氏族や家々の宗主・領袖、長老・重鎮・惣領たちが、肩を並べて座している。そして宮の外側、正門の前には、武雲の即位を祝いまた喜んで、宮京中の人たちが居並んで座っていた。それぞれの氏族の者達も、宮の外側にそれぞれの氏族の幟・旗のもと、整然と隊伍を組んで正殿の方を向き座っている。その中には『巴龍』の旗も『盾に剣矛』の幟も風に翻っていた。


「斑よ。氏族たちに告げよ。明朝、即位の礼を執り行うと。」

 斑は昨日宿禰からそう言われた。斑は武雲の即位を前に、伴部の氏上うじのかみの座を多宜留より譲り受けていた。

「はい。」

「武雲の即位に異を唱えるものはおるまい。鬼へびを討ち倒したのを、この度はその目で見たのだからな。」

「はい。」

 斑は物見櫓に登り、宮の周りを取り囲む名だたる氏族たちを見回しながら、高らかにそれを告げたのだった。

 そして宮京の市井の人たちの耳にもその大音声の快哉は届いた。

「その日が来た。その日が来た。」

「遂に我らの武雲様が大王の位にお即きになる。」

 人々は嬉々としてそう声を掛け合った。


 武雲が玉座からすくっと立ち上がった。奇志室も武雲に続いて立ち上がる。鷹勢と斑は左膝と左の拳を床に着き、右の二の腕を右膝に乗せてこうべを垂れた。宿禰、多宜留、可尾留、靫田、逆登実の五人は、両の拳を床につき額が床に着くぐらいに頭を下げた。前庭に座っている者たちも皆、同じように頭を下げる。それを見て宮京の人たちも頭を下げ、宮の周りの氏族の郎等達も額を地面につけた。

「わたしは宣する。今この時より、わたしは大王である。わたしは天と地とそして人々に誓う。天地あまつちの間にあるすべての人が安らかに、穏やかに、楽しく生きていくために、わたしの身命を捧げる。」

 朗々として清々しい、武雲の声であった。

「大朱雀豊武雲の大王、」宿禰が高らかな声で言った。「弥栄いやさか!」

「弥栄!」鷹勢が、斑が、多宜留と可尾留と靫田が、そして鼻水まみれでぐちゃぐちゃの顔の逆登実が宿禰に続いて大きな声で言った。

 さらにそれに続いて宮の前庭に居並ぶ者たちも声を響かせた。

「弥栄!」

 そして宮の正門の前の市井の人たちも、宮の外の氏族の者たちも一斉に、空気を振るわせて言った。

 「弥栄!」

 人々が顔を上げると、どこから現れたのか、空に大きな朱雀が舞い飛んでいた。

「おおおぉぉ。」

 人々はどよめき、その姿を目で追いかけた。悠々とはばたくその翼は朝日に輝き、あまりの美しさに人々は我を忘れた。宮京の空を、人々の頭上を悠然と舞い飛んだ大朱雀は、宮の真上の空を高く高く、どこまでも高く真っ直ぐに昇っていった。

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天威神槌 澤山 銀河 @sawayamaginga

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