第十二回 眠り姫

十九

「…資料?」

 わたしの目の力がきっと科学で説明することができないものだということは、わたしにもわかる。

 なのに、それを説明する資料があると、盗人岳ぬすっとだけは言った。

 論文や何かの本で、この目の力について説明している本があるというのだろうか。でも、それなら、わたしのこの目は、もっと世界中で騒がれていてもいいと思う。

「資料というには少し大げさかもしれません。そうですね、予言書、とでも言いましょうか。いわゆるトンデモ本の類です」

 トンデモ本。

 宇宙人は実在するだとか、疑似科学だとか、そういうものならわたしも何冊か図書館で読んだことがある。要するに、内容を本気にしてはいけない本だ。

「もちろん、私も初めからそれを鵜呑みにしていたわけではありませんよ。こう見えても一応、研究者ですからね。

 以前、東南アジアを旅行した時に現地の露店で手に入れた、その国の古語で書かれた本です。薄いけれどもっともらしい雰囲気の表紙だったので、何か面白いことでも書かれているのかと少し期待して買ったのですが、帰国して文学部の院生の友人に翻訳してもらったら、実にくだらない内容でした。ですから、部屋の片隅に数年間放っておいた」

 話が見えない。どうしてそれが資料になるのか。

「ですが、そのくだらない内容が、現実に起きたのですよ」

「…あんた、馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ」

 茉莉まりが再び苛立ちを露わにする。

「馬鹿にしてなどいませんよ。その本には、こんなことが書いてありました」

 盗人岳は続ける。

「ある日、地球に空から流れ星の欠片が降り注いだ。そのほとんどは空や海へと消えてしまったが、いくつかの欠片は地上に散らばった。

 一人の少女が、偶然その欠片を目にした。

 すると、彼女と目を合わせた人々は、たちまち眠ってしまうようになった。

 彼女はそれから、眠り姫―私は『眠らせ姫』とでも呼ぶべきだと思いますが、直訳するとどうもこうなるようです―、と呼ばれた。

 眠り姫は困り果てたが、眠り姫の父が試しにその欠片を削ってみると、欠片はまるで透明なレンズのようになった。そして、眠り姫に、そのレンズで作った眼鏡をかけさせた。すると、彼女は再び人と目を合わせることができるようになった」

 わたしは唖然とする。

 論文でも何でもない、ただのおとぎ話の内容が、実際に起きたことを忠実に説明していることなんてあるはずがない。

 でも、いま盗人岳が話した「眠り姫」の内容は、あまりにもわたしの経験と一致している。

 まるで、わたしがその「眠り姫」とでも言うかのようだ。

「信じられない、とでも言いたげですね。まあ、当たり前です。こんなの、SFどころか、ただのおとぎ話だ。

 せっかく面白そうな本だと思ったのに、息巻いて翻訳を頼んだらこれだけのことしか書いていないのですから、本当にがっかりしました。でも、一気に状況が変わった」

 盗人岳は興奮気味に続ける。

「この本の存在もすっかり忘れていた頃です。半年の研究休暇が終わって大学に戻ったちょうど翌日でした。たまたま夕食を共にした知人の教授から、『目を合わせた人間を眠らせてしまう少女』の話を聞いたのですよ」

 それはきっと、わたしのことだ。父さんは大学職員で、知人の教授にわたしのことを相談したと言っていた。

「その教授は、友人から聞いたというその話を、悪い冗談としか考えていないようでした。もっとも、無理はありませんよね。でも私は、かつて読んだ本のことを思い出しました。もちろん、先ほどの『眠り姫』です。

 すぐに教授からその友人に連絡してもらい、その少女を連れて私の研究室に来るように頼みました。そしてその少女が研究室を訪れる前日、少女が訪れたという公園に出向いたのです。そこに『石』はありました。それと知らなければ気付かないでしょうが、そこにあると知っていればすぐに分かるものでしたよ。

 それを持ち帰って研磨すると、その石はまるでレンズのように高い透明度になった。その構造は、地球上の鉱石とはまるで違いました。

 そこで私はやっと確信しました。あの「眠り姫」の内容が、今まさに現実に起きているのだとね。さすがに興奮しましたよ。研磨した石は加工も容易だった。すぐレンズ状にして、眼鏡を準備した上でその少女を迎え入れました。

 もうお分かりでしょう。千明ちぎらなるこさん、あなたがその少女です」

 もう、信じたいとか信じたくないの問題ではなかった。わたしは、盗人岳の話を信じるしかない。

 たとえ盗人岳の言うことに脚色があったとしても、わたしが「眠り姫」と同じ力を持っていて、盗人岳がその力を防ぐ眼鏡をわたしに与えたことは、わたしが身をもって経験した事実だ。そう考えれば、話の内容に矛盾はない。

「その時に、わたしの目の細胞を採取したんですか」

「その通りです。私があなたにお会いしたのはその一回だけですからね」

「何の目的で」

「目的? 単純な学術的興味ですよ。私は眼科医でもありますからね。当然ですが、そんな目を持った人間の話など聞いたことがない。それが目の前にあれば調べたくなる、研究者として当然のことです」

 それは否定しないし、むしろ理解だってできる。でも。

「それをほかの人に移植するなんて、どこから思いついたんですか」

「特に根拠などありません。思い付きです」

 盗人岳は事もなげに言う。

「別に、網膜の細胞を他人に移植してみる程度のことは、危険なことでもなんでもありませんよ。元の人間が病気でもない限り、移植された側が失明したり、感染症になることもほとんどない。千明さんは病気ではなかった。

 だったら、そんな不思議な目を他人に移してみたらどうなるか、気になるじゃありませんか。もちろん、最初は自分で試しましたよ。私だって無責任にいきなり他人を実験台にはしない」

 茉莉は、盗人岳が目の力を持っていると言った。それはその結果か。

「その結果、私は片目を潰しました。

 やり方がまずかったのか、適性みたいなものがあるのか分かりませんがね。もう片方は、幸い力を手に入れた。千明さんのように眼鏡を使う必要もない状態のね」

 茉莉が顔をしかめ、こいつ狂ってる、と小声でつぶやく。

 えるとりなは、盗人岳の目を確かめるように、恐る恐る彼の顔を見つめる。確かに、左目の焦点が少し合っていないように見える。義眼だろうか。

「片目を潰すリスクを経験したのに、茉莉たちにも同じ実験をしたってことですか」

 無意識のうちに、言葉に怒りがこもる。

 自分が片目を失ったのに、盗人岳は茉莉たちにそんなリスクの説明も何もせず、同じ移植をした。それは人体実験と何が違うんだ。いや、そのものだ。

「結果的に、私が千明さんの細胞を移植した十一人の少女は誰も目を潰していませんよ? それどころか、両目に力を手に入れた。だったら、それでいいじゃないですか」

 結果論で開き直る大人は、わたしは苦手だ。盗人岳は、ただ良心が欠如しているだけではなくて、どうやらそういう人間でもあるらしい。

 そして、十一人の少女、と盗人岳は言った。茉莉の話は正しかったようだ。

「…それでいい?」

 茉莉が声を震わせる。その目には涙が浮かんでいるようにも見える。

「あんた、あたしたちが何も知らずにこんな目にされて、『失明しなかったからよかった』で終わると本気で思ってるわけ?

 あたしだって、由利だって、ずっとこの目のことを隠して、もし説明したって冗談だと笑われて、一生過ごしていかなきゃならない。他人の将来をそんなものにして平気でいられるあんた、やっぱり狂ってる」

「そうですか。では、説明しなかったことは謝りましょう。

 ですが、『あなたは他人を眠らせる力を手に入れます』と説明したとして、喜んで実験を受け入れる人間なんていませんよね?

 私は自分の片目を潰したことで、もしかしたら、若い、千明さんとできるだけ条件の近い人間に移植する方が、成功しやすいのではないかと考えました。難しい話になるので説明はしませんが、根拠のあることです。

 でも、家庭を持っている十歳の少女に目の実験をするのでは、親御さんの承諾を得るのが大変です。ですから、知人を通じて孤児を紹介してもらった。これも適切な手続きを経ていますから、法的に問題がある話ではありません。これでも、多少は世間に配慮したつもりなのですけどね」

 わたしは、思わず手が出そうになる。

 何が「配慮」だ。茉莉たちに対する配慮は、どこにもないじゃないか。


 やっぱり、この男は狂っている。

 普通の人間とは、価値観が根本的に違う。「孤児なら、たとえ失敗しても大して問題にならない」とでも言いたげな説明だ。そしてきっと、実際にそう思っているのだろう。

「…何なの、この人」

 えるの言葉が、盗人岳の人となりを的確に言い表す。

「それに、この目は便利だと思いますがね。私が手に入れた目の力と同じように、百々ノ津さんは相手を眠らせるかどうか、自分でコントロールできる。面倒な局面を切り抜けるのにもってこいじゃありませんか。

 相手が『目を見て眠らされた』なんていくら説明しても、警察や裁判官は取り合いませんよ。完全犯罪に使える道具を手に入れて、むしろ幸せだったのではないですか? まあ、無理に感謝しろとは言いませんがね」

 怒りと呆れが入り混じったような表情で、茉莉は盗人岳を睨みつける。

 もはや、この男に何を言っても無駄だ。

 茉莉はきっといま、わたしと同じようにそう考えている。

「そうだとしても、どうして十一人もの女の子に、目の力を与える必要があったんですか」

 わたしは、最も気になっていた質問を盗人岳にぶつける。

 わたしと同い年の少女であれば目を潰さずに力を手に入れる、それを知るのであれば、一人、あるいは数人で実験すれば事足りるはずだ。論文を書くわけでもないのに、どうしてそんなに多くの少女を実験台にしたのか。

「バックアップは多い方がいいからですよ。それに、力の種類だって様々だ。私は色々な力を手に入れたい。それだけです」

「手に入れたい?」

「ええ。私は、あなたたちの目の力が成熟するのを待って、私の目にそれを移植するんです。それには調達先が多い方がいいでしょう。一人だけしか作らずに、途中で事故死や自殺でもされたらたまりませんからね」

 自分の目に移植する。盗人岳はそう言った。

「分かりませんか? ですから、千明さんの細胞を始めに私や百々ノ津とどのつさんに移植したように、力を手に入れた百々ノ津さんたちの細胞を、私に再び移植するんですよ。

 私だって研究者ですから、動物実験くらい当然試しています。そうすると、力を発現した細胞をすぐに移植するより、その個体の目において成熟した細胞を移植した方が、移植後の定着率が高い。それは人間で言うと、二十歳くらいです。

 ですから、皆さんが二十歳になるのを待って、その細胞を私の目に移植するんです。そうすれば、複数の力が手に入ることも分かっています。あと三年、本当に楽しみですよ」


 どこまでも狂った男だ。

 盗人岳にとって、茉莉たちは、自分の目を強化するための、材料でしかないのだ。そして、建前や遠慮もなく、平然とその事実を本人の前で言ってのける。普通の人間であれば、そうしていいと言われてもまずできないことだ。

「…あなたの目を強化して、あなたはそれでどうしようというの」

「もちろん、権力を手に入れます。笑いたいなら好きにして構いませんよ? もっとも、そのうち笑っていられなくなるでしょうがね」

「そんなことのために、あなたは」

「そんなこと? それ以上のものは何もないでしょう。こんな腐った世の中で不自由なく生きるには、自分が権力を手にするのが一番だ。この目の力があれば、それも容易い」

「この目だけで、そんなことができるわけないでしょう」

「ですから、可能だと言っているんです。先ほど、完全犯罪の道具になると言ったでしょう。いや、正確には犯罪ですらないかもしれませんね。

 たとえば、私が殺したいと思った人物を駅のホームで眠らせるとしましょう。その人間がホームに落ち、列車に轢かれて死ぬ。

 それを『私が殺した』と言えますか?

 言えるはずがない。どう見たって、睡眠障害ナルコレプシーか何かの人間が勝手にホーム上で居眠りして、ホームに転落して不幸にも事故死しただけです。私がやっていないことで、私が捕まるはずがない。誰も私を疑いませんし、たとえ疑ったところで、証拠は何もありません」

「あたしたちだって目を持ってる。それが十二人いれば証拠になるわ」

「具体的にどう証拠になるのですか? 先ほど、『説明しても冗談だと笑われる』と、ご自分で言いましたよね。

 第一、あなた方が目の力を持っていることが仮に証明されたとして、それは私が目の力を持っていることとどう繋がるのでしょう」

「…っ」

 茉莉は言葉に詰まる。

 天はどうして、このような人間に研究者としての才能を与えてしまったのだろうと、心から思いたくなる。

「つまり、私は脅さずして人を脅せる、ということですよ。

 政治家だろうが官僚だろうが、この目の力を目の当たりにすれば必ず屈服します。誰だって死にたくありませんからね。先ほども言いましたが、科学的に説明できないのですから、逮捕されることもありません。この国は人権保護が手厚いですから、何の証拠もなくそんなことをすれば、むしろ頼まずとも誰かが私を守ってくれます」

「あなたがわたしにしたのと同じように、目の細胞を確かめれば、動物実験で分かるんじゃないですか」

「ですから、それはできませんよ。逮捕されたわけでもないのに、私自身の同意なくそんな実験はできない。それこそ人権問題だ」

 茉莉たちの人権を踏みにじっておきながら、盗人岳は堂々とそう言ってのける。


 やっぱり、盗人岳は不幸だ。すべて損得でしか物事を考えていない。いや、考えられないのだ。

「あんたの考えはもういいわ。

 でもね、どうやってあたしたちの細胞を集めるつもり? あんたのそんな馬鹿馬鹿しい目的のために、あたしたちが素直に実験に協力するとでも思ってるの」

 茉莉の言うことはもっともだ。盗人岳は組織的に行動しているわけではない。いくら大人の男とはいえ、一人で茉莉たちを屈服させることは難しいはずだ。

「協力してくれないのですか? それは残念ですね」

「当たり前でしょう。あんた馬鹿なの? そんなくだらない計画、他の十人だって誰も付き合わないわ」

「そうでしょうか。まあ、付き合ってくれないのなら、無理にでも付き合わせます」

 盗人岳は、茉莉の目を睨みつけた。

「…っ!!」

 突然、茉莉が呻き声を上げる。まるで、金縛りにあっているかのようだ。

「…身体、がっ…」

「どうです? 苦しいでしょう? これでも、付き合ってもらえませんかね」

 解放された茉莉が床に崩れ落ちる。

「茉莉!」

 茉莉は肩で息をしている。ブラウスには汗が滲んでいる。

「あんた、こんな力を!」

「これが、千明さんの細胞から私が手に入れた目の力です。凄いでしょう?

 別に、今すぐあなたたちをどうにかしようというつもりはありませんよ。大事な素材ですから、傷付けるわけにはいかない。

 ただ、分かったでしょう? この力から逃れるのは不可能です。ずっと目を合わせている必要さえありませんからね。協力していただけますよね、百々ノ津さん?」

 こんな台詞を吐いてもなお、盗人岳は悪気ひとつ感じさせない笑顔のままだ。まさに、無邪気と言った方がいいかもしれない。

 わたしにはもはや、彼は人間というより、人間に似た得体の知れない何かに思える。ここまで平然と人の心を傷付けられる人間なんて、フィクションの中にだって、リアリティがなさすぎてそう簡単には登場させられない。

「…しないわよ。するわけないじゃない」

 茉莉は力強くそう告げる。

「あんたの計画の片棒を担がされるくらいなら、死んだ方がよっぽどましよ。あたしはこの目で他人を傷つけたくない」

「なぜでしょう? 力を持つ者には、それを使って強者の座へと登り詰める義務があると思いますがね。

 むしろ、『他人を傷つけたくない』というどうでもいい理由で、力を持ちながらそれを行使しない方が、よほどつまらないエゴなのではないですか」

 盗人岳は、茉莉の主張を心から不思議がっている様子だ。

 どんな悪役の言うことでも、たいていは一理ある。でも、盗人岳の考えにはそんな「一理」すら垣間見えない。「他人を傷つけたくない」ことが「どうでもいい」ことだと、彼には言い切れてしまうのだ。

「あんた、ほんと小物ね。そんな考え方で、どうやって権力を手に入れるっていうのよ」

 小物、本当にその通りだ。

 力を手に入れたから、それで権力を手に入れる。その実現のために、自分の力を使って相手を屈服させる。盗人岳のその考えに、他人の感情は一切考慮されていない。

 自分一人で権力を掌握できると本気で思っているのなら、眼科医や研究者になれたほどの学を持つ彼は、これまでいったい何を勉強してきたのだろう。

「いま、何と言いました?」

 ずっと柔和な笑みを浮かべていた盗人岳の表情が、初めて真顔になる。

「小物って言ったのよ。こ、も、の」


「…ふざけるな! ガキの分際で何を言う!」

 盗人岳が突然大声を上げる。その剣幕に、思わず身体がびくつく。

 彼の表情を見ると、これまでの笑顔の彼と同一人物とはとても思えない、激しい怒りの形相がそこに形作られている。

 どうやら、「小物」という単語でスイッチが入ったようだ。やはり彼は、悲しいほどの小物らしい。

「お前たちには何も分からないだろうな。

 俺は、子供の頃から自分の考えが理解されたことなんて一度もない。

 親も、周囲の人間たちも、そうだ、俺には『友人』なんていなかった、誰一人として俺を肯定しなかった。

 でも、試験の点数だけは嘘をつかなかった。点数が良ければ親も褒めてくれるし、クラスメイトだって俺のノートを求めてくる。だから俺は勉強を頑張った。その結果、一度も浪人せず医師免許も取ったし、二十代で博士まで取った。すると、面白いように女も、自称『友人』も、ぞろぞろ集まってきた。

 でも、結局そいつらは俺のことを理解しようとしない。出会って一か月もせずみんな消えていった。レベルの高い場所に行けば、俺のことを理解できる人間が必ずいる。それは幻想だったよ。そんな幻想を求めて、俺はずっと努力してきたんだ。

 それで気付けばもう四十だ。俺に残ったのは知識と金だけだ。金なんかあったって、欲しいものは特にない。親も死んだし、家族も友人もない。これから一生、俺の考えなんてどうせ理解しない将来の人間のために研究を続けていく、そう思うと、死んだ方がいいとさえ思った。

 そんな時、千明なるこ、眠り姫、お前と出会ったんだ。世の中上手く出来ているよなあ。人生どうでもよくなって放浪した旅先で買ったあの本がなければ、お前の話を聞かされても、くだらない冗談だとしか思わなかったよ。これが『運命』ってやつなんだろう。

 そして、駄目元でお前の目を自分に移植したら、この力が手に入った。神様ってやつはいるんだな。

 この力を手に入れて、簡単なことにやっと気付いたよ。

 他人に理解してもらう必要なんてないんだ。理解させればいい。この力があればそれが可能だ。俺に歯向かっても無駄だということ、それは絶対に理解してもらえるからね。そして、俺をどうしても理解できない人間は、始末すればいいだけだ。

 百々ノ津茉莉。お前は俺を『小物』と言ったな。そうだな、俺は小物だよ。どうかな、そんな小物に手も足も出ない気持ちは」

「くっ…!!」

 盗人岳が茉莉を睨みつけると、茉莉の身体が再び硬直する。

「やめろっ!」

 身体が反射的に動く。茉莉の苦しむ姿を見て、いてもたってもいられない。どうしていいかわからないまま、わたしは盗人岳に駆け寄り、その身体にしがみつこうとする。

「馬鹿かお前は。オリジナルのくせに、そんな行動が無駄だということすら分からんのか!」

盗人岳がわたしの目を見つめる。その瞬間、全身が金縛りのような感覚に包まれる。

「これ…が…」

「なるちゃん!」

 背後でりなの声が聴こえるけれど、その声に振り向くことすらできない。

 茉莉の「探知」や由利の「直観像記憶」とはまったく違う、直接的で暴力的な力。


 もしかして、眠らせる力の他に発現するもうひとつの力は、その人間の願いが作用するものなのだろうか。正解はわからないけれど、盗人岳のこの力は、彼のその邪な思いの強さを充分に感じさせるものだ。いまは、そんなことを考えている場合ではないのかもしれないけれど。

「抵抗しようったって無駄なんだよ。この力の前では、どんな大男でも身動きひとつ取れやしない。

 どうだ、俺の考えは正しいだろう? これで屈服しない人間なんていないんだよ。

 あと三年もすればお前たちも大人だ。素直に従うと約束すれば、高給で雇ってやるよ。将来安泰だ。その目に感謝するがいいさ」

 茉莉や由利、他の九人の少女、そして盗人岳。

 彼女たちはもうひとつの力を持っているのに、どうしてオリジナルのわたしは、コントロールもできない出来損ないの力しか持っていないんだろう。

 別に、みんなが羨ましいわけじゃない。でも、その理由は。


 さっき考えた、「その人間の願いが作用して、もうひとつの力になる」というのがもし本当だったら、どうだろう。

 盗人岳の願いは、きっと彼が熱弁した通りだ。それがこの他人を縛り付ける力として発現したというなら、合点がいく。

 茉莉の「探知サーチ」は?

 茉莉はもともと、自分とわかり合える、共通項のある友だちを探していたのかもしれない。それは、わたしやりな、えると知り合ったあとの茉莉を見れば、間違いではなさそうだ。

 由利ゆりの「直観像記憶アイコニック・メモリ」は?

 由利は本が好きな子だと茉莉が言っていた。彼女は、何でも知りたいという気持ちが強かったのかもしれない。

 ほかの子にあるというもうひとつの力も、その願いが力に結びついたものなのかもしれない。


 なら、わたしはどうだろう。

 わたしに、何か願いがあっただろうか。

 もちろん、もう少し頭が良かったらとか、お金があったら、美人だったらとか、そういう小さな願いはある。家族や友だちと仲良くありたいと、いつも思っている。

 でも、これがわたしの願いだ、と他人に自信を持って言える、そんな願いがあっただろうか。

 わたしは、昔から常に「平凡」を求めていて、その平凡は、おおむね実現されていた。それはきっと、わたしが平凡を願ったからではなくて、そもそも平凡とは、誰も願わなくても自然にそうあるものなのだろう。それが奇跡的な平凡だったとしても、きっとそうなのだ。

 でも、いま、その平凡は、この目の力、そしてそれを私欲のために用いようとしている盗人岳の手によって奪われつつある。

 いまは小さな古川市の、わたしや茉莉の周りでだけ起きていることだけれど、このまま盗人岳が考えを改めなければ、数年後には国を揺るがす事態になりかねない。盗人岳の話だけ聞いて、そんなお子様みたいなこと、と思ったけれど、わたしと茉莉は現にこうして身体が動かないのだ。総理大臣やガードマンだって、盗人岳に睨みつけられれば、きっとこうなってしまう。実際にその力を示されると、笑ってはすませられない。

 盗人岳がその力を手に入れたのは、元はといえば、わたしが「石」を見て、目の力を手に入れたからだ。「眠り姫」の話が本当で、「石」を最初に見た少女が例外なくオリジナルになるのだとすれば、きっとわたしが「石」を見なくても、同じように盗人岳は別のオリジナルを追いかけただろう。

 でも、その子が願いを持っていたなら、盗人岳を追い返せるようなもうひとつの力がその子に発現して、盗人岳の実験を阻んだかもしれない。そうすれば、眼鏡のことはさておき、「二十四の瞳」が誕生することもなかったはずだ。

 盗人岳の小物丸出しの野望を聞いてなお、「全部わたしのせいだ」と言えるほど、わたしの責任感は強くない。でも、偶然とはいえ、わたしが最初に「石」を見たことが、いまの状況を生んだのは、まぎれもない事実だ。

 わたしの目には、もうひとつの力はない。

 もし、いま強く願えば、ここでもうひとつの力がわたしの目に宿るだろうか。それとも、それは甘い考えで、わたしはずっと出来損ないのオリジナルのままだろうか。

 もし前者だとすれば、もうひとつの力を発現できるかもしれない願いがひとつある。


 その願いは。

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