第十一回 石

十七

「える、りな、気をつけて。こいつ、目の力を持ってる」

 茉莉まりは警戒心をあらわにした表情で、そう二人に促す。

 えるとりなは無言で頷くと、眼鏡のフレームを手で押さえ、しっかりと顔に掛かっていることを確認する。

探知サーチ」ができる茉莉がこの表情で言うのだから間違いない。万にも一つという想像だったけれど、それは当たっていた。

 盗人岳ぬすっとだけは、目の力を持っている。

 わたしもフレームに手を触れる。茉莉と違って、わたしはオリジナルであるにもかかわらず、この眼鏡がなければ眠らせる能力に対抗できない。

「『探知』は順調に成熟しているようですね、百々ノ津とどのつ茉莉さん。

 この短時間で気付くことができるとは、少々驚きました。安心してください、こんなところでいきなり皆さんを眠らせるようなことはしませんよ」

 盗人岳は笑顔でそう告げる。悪役にありがちな胡散臭いそれではなくて、裏のなさそうな笑顔だ。

千明ちぎらさんも大きくなりましたね。随分大人びた。その二人はお友達かな?」

 法事で久々に会った親戚のようなことを唐突に言われ、むず痒い気持ちになる。

片藪かたやぶりなです。なるちゃんの目にはお世話になってます」

草葉くさはえるです。同じくです」

 二人が挨拶をすると、盗人岳は感心したように笑う。

「これは驚いた。お友達は目のことを知っているんですね。よくそれで噂が広まらないものだ」

「うちは一ユーザーであって、それを宣伝するかどうかはなるちゃんが決めることやから。うちは誰にも言いません」

 あなた、初対面のえるに思いっきりばらしてましたけど。

「それは感心だ。いいお友達を持ちましたね、千明さん。まあ、いつまでそれが続くかはわかりませんがね」

 盗人岳がそう言うと、隣のえるは露骨に不快そうな表情をした。やな感じ、と言わんばかりの顔だ。

「余計なお世話です」

 皮肉めいた言葉に、わたしはこう返すのがやっとだ。もっとも、盗人岳は皮肉を言っているつもりはないのかもしれないけれど。

 茉莉のほうを見ると、彼女は無言のまま盗人岳を睨みつけている。これまでのことを考えれば、それは無理のないことだろう。

「立ち話もなんです。どうぞ上がってください」

 盗人岳はそんな茉莉のあからさまな敵意を意に介する様子もなく、微笑みを崩すことなくそう告げる。


 盗人岳が玄関の扉を開けると、そこには生活感が少しも感じられない光景が広がる。

 間取りは普通の家だ。でも、外から見た印象通り、まるで空き家のような雰囲気しか感じられない。由利の家は物が少ないだけで人が住んでいる雰囲気はあったけれど、ここにはそれもない。生体反応がない、と言えば伝わるだろうか。

 盗人岳は入って右の扉を開けると、その向こうの応接間のような部屋にわたしたちを案内する。

「どうぞ、座ってください。いまお茶を入れますから」

 家族用のような大きなテーブルを囲うように、椅子が六脚置かれている。

 盗人岳に促され、わたしと茉莉、そしてえるとりながそれぞれ向かい合うように着席した。

 盗人岳の物腰はとても柔らかい。身長も高く、容姿も体格もまるで俳優のようで、見た目も七年前からほとんど変わっていない。もし彼が教師としてわたしの高校に在籍していたら、間違いなく女子生徒からの人気はトップクラスだろう。

 もっとも、彼がしたことを知っているこの状況では、かっこいいだなんて冗談でも思えないけれど。

「お待たせしました」

 盗人岳は、自分も含めた五人分の茶器をテーブルに置き、長方形のテーブルの、わたしが座っている側の短辺に置かれた椅子に腰掛ける。

「ああ、毒は入っていませんよ。安心してください」

 本人は冗談のつもりで言っているのかもしれないけれど、わたしたちがそう受け取れるはずはない。そもそも、毒がなくても飲む気はしない。

「おいしいです!」

「結構なお点前で」

 えるとりなは平気で飲んでいる。

 肝が据わっているのか、単純にアホの子なのか。えるはさっき盗人岳に不快感を示していた気がするけれど、お茶は別腹か。


「それにしても、驚きました。どうしてここが分かったのですか?」

「それをあたしたちがバカ正直に答えるだなんて、まさか本気で思ってないわよね」

 茉莉の盗人岳への態度からは、彼女の怒りが滲み出ている。

「まあ、いいでしょう。別に居場所を隠していたわけではありませんからね。言う必要がなかっただけですから」

 まったく悪びれた様子もなく、盗人岳は言う。

 確かに、わたしはこれまで盗人岳の居場所を知ろうとしたこともなかったし、困ったこともなかった。

 彼の言う通り、居場所をわたしたちに言う法的な義務は何もないだろう。でも、人の目を勝手に利用して、あげく十一人もの孤児を巻き込んでおいて、自分は何も説明せず行方をくらますなんて、

「人としてありえないでしょう」

 わたしの心を読んでいたかのように、茉莉がそう口にした。

「あんた、なるこの目を勝手に利用しておいて、なるこに何も説明してないんでしょ。ありえない。なるこがそれを知って、どれだけ辛い思いをしてるかわからないの? ほんと最低」

 茉莉の目には、うっすら涙が滲んでいるように見える。

 こんな形で、茉莉がわたしを大切に思ってくれていることを知るのは少し辛い。

「それも、説明する必要がなかったからです。

 千明さん、あなたは自分の目が誰かに使われることで、何か不都合があるのですか? ないと思いますがね。

 それに、百々ノ津さん。

 仮に、千明さんが自分の目を他人に使われて苦しんでいるとして、そのことを千明さんに教えたのはあなたでしょう。千明さんに辛い思いをさせたのは、あなた自身ではないですか」

「…っ」

 茉莉は絶句する。

「それはないんちゃう。あなた、いい大人やろ」

 りなが口を挟む。その語調は、珍しく怒りを含んでいる。

「どうしてでしょう。私は誰も傷つかないように立ち回ったのですがね。それを自分で崩しておいて、なぜ私を責めるのですか? いえ、責めるのは構いませんけれど、私は責任など感じていませんよ」

 盗人岳は笑みを崩さない。それも、家の前で見せた笑みと変わらない、裏を感じさせない笑みだ。


 いつか、テレビで見たことがある。

 世の中には、人間が普通持っている「良心」の欠如した人間がいるという。

 わたしたちが何か悪いことをするとき、たとえそれを実行してしまったとしても、多少なりとも罪悪感は覚えるはずだ。

 でも、その「良心」をもたない人は、罪悪感を感じることがないのだという。

 だから、他人がどんなに傷つこうと、得られる結果が自分にとって得であれば、ためらいなく行動する。特に、犯罪にはならない「道徳的な罪」については、彼らはまったく躊躇しない。刑罰を受けるという損がないからだ。

 わたしたちは、罪を犯す人に対して「どうしてこんなことをするのだろう」と感じる。それと同じように、彼らは、罪を犯さない人に対して「どうしてこれをしないのだろう」と感じているのだ。

 わたしたちが反省したり、罪を償ったりできるのは、それを悪いことだと思っているという前提があるからだ。

 でも、心から何ひとつ悪いと思っていないことを「反省」することはできない。

 だから、良心が欠如した人たちは、躊躇せず得を求める。たとえ罰金とか懲役を受けても、彼らは「なぜかお金を取られたり、牢屋に閉じ込められた」としか思えない。そういう話だった。


 間違いない。盗人岳たけしは、良心のない人間だ。きっと、彼に反省を求めることはできない。

 良心のない人間は、一生マイノリティであることを決定された、ある意味で不幸な人間だ。彼らによる被害に巻き込まれない最善の方法は、お互いに距離を置くこと、その一つしかない。わたしが見たテレビ番組では、確か専門家はそう言っていた。

 でも、彼らが不幸だとしても、それはわたしたちが傷つかなければいけない理由や、彼らを許さなければいけない理由にはならないだろう。

 できない反省は求めない。

 でも、どうしてこんなことをしたのか、盗人岳にとって、わたしの目を利用することがどんな「得」だったのか、それは納得いくまで説明してもらう。

「もういいです。でも、教えてください。どうして、私の目を利用したんですか」

「利用した、という言い方もどうかと思いますが。まあ、いいでしょう」

 盗人岳は続ける。

「そうですね、『石』のお導き、とでも言えば据わりがいいでしょうか」

「『石』?」

 まさか、普通の石ころのことではないだろう。少なくともわたしが知っている何かではなさそうだ。

「千明さん、やはりあなたは何も知らないのですね。もっとも、教えていないのだから、無理もありませんが。

 あなたにその目の力を与えたのが、まさにその『石』なんですよ」


十八

 盗人岳の言葉に、わたしはしばし呆然とした。

 理解が追いつかない。

 いま盗人岳は、確かに、「石」がわたしにこの目の力を与えた、と言った。わたしには、その意味がわからない。


 わたしがこの目の力を手に入れたのは十歳のとき、学校の帰り道だ。


 下校途中の三角州にある公園で友だちとほんの少し道草を喰って、家に帰ろうとしたとき、一緒にいた二人の友だちが、わたしの顔を見て少ししてから突然ふらついて、そのまま遊具にもたれかかって眠ってしまった。そのときは、まだ力も不安定だったのかもしれない。大きな事故になることもなくて、その友だちもすぐに目が覚めた。

「なるちゃんの目を見ると眠くなる」

 始めはわたしも冗談だと思った。でも、帰ってベランダの猫と目を合わせていると、猫もそのまま眠ってしまった。それで怖くなって、買い物から帰ってきた母さんに相談した。

 母さんもわたしの訴えをいかにもつまらない冗談だと思った様子だったけれど、そのあとすぐに身をもってそれを体験すると、そうも言っていられない様子だった。

 夜に父さんが帰ってきて、ひと通り同じやり取りを経たあとで、わたしはアイマスクを付けられて、次の日は学校を休んだ。

 その翌日に、わたしは盗人岳と対面することになる。

 わたしが覚えているのは、これだけだ。


 もし、盗人岳が本当のことを言っているのなら、わたしはその日の帰り道から公園までのどこかで、その「石」に力を与えられたということになるのだろうか。

 学校を出るまでの間にも友だちや先生と何度も目を合わせたけれど、彼らが眠そうな反応をしたとか、眠ってしまうことはなかった。

 もっとも、「石」がどういう力の与え方をするのか、わたしにはわからない。その「石」と出会って五年後や十年後に、突然力を与えるのかもしれない。

 でも、少なくとも、わたしはそんな「石」なんて、見た覚えも触った覚えもない。


「何ですか、その『石』って」

「まあ、無理もありませんよ。見た目は普通の石ころと大して変わりませんから。いまお見せしましょう」

 盗人岳はわたしたちを二階へ案内した。

 彼が開けた扉に入ると、そこは書斎のような部屋になっていた。机の上にはたくさんの書物や印刷物が整然と置かれ、様々な言語で書かれた背表紙が本棚を埋めている。わたしがイメージする「学者の部屋」そのままだ。

 盗人岳は部屋の片隅にある段ボール箱を開けると、その中から透明なケースを取り出して、わたしたちに見せる。

「これがその『石』です。どうです、ただの石ころにしか見えませんよね」

「見えませんよねって、あんたふざけてるの? どう見たって、ただの石ころじゃない」

 茉莉は苛立っている。

「いえ、間違いなく『石』です。確かに何も知らなければただの石ころですが、知った上で見ればはっきり分かります。

 千明さん、あなたはこれを地球上で最初に見た人間なんです。そして、目の力を手に入れた」

「最初に、見た?」

「そうです。あなたはこの古川市の公園で、宇宙から降り注いだ星の欠片、『石』を見た。

 偶然にも、この地球上に降り注いだいくつかの欠片、それを最初に見た人間が千明さんだったんですよ。信じられなくても、それが真実です」


 何を言っているのかさっぱり分からない。

 盗人岳が見せるこの石ころがその「石」であるというのは、百歩譲って認めるとしよう。それを地球上で最初に見たのがわたしだというのも、偶然としてありえるかもしれない。

 でも、それで、わたしがこの目の力を手に入れた?

 こんな石ころが、わたしと目を合わせた人や動物を眠らせる、そんな不思議な力をわたしに与えた、そう言うのか。

「ごめんなさい、意味がわかりません」

「そう思って当然です。私だって、何も知らずに突然そんなことを言われれば、馬鹿にされているとしか思わないでしょう。どこの出来の悪いSFだ、とね。

 ですが、現にあなたは目の力を持っている。そして、私にはそれが『石』の力によるものだと断定できる明確な根拠がある。

 ひとつお教えしましょう。千明さん、そしてお友達もかな?

 あなたたちのその眼鏡のレンズは、この『石』を削り出したものなんですよ」

 えっ、とえるが声を上げる。いま、その眼鏡をかけているのだから無理もない。わたしも同じ気持ちだ。

「このレンズが、『石』?」

「そうです。これで、少なくともあなたの目と『石』が関係しているということは、充分理解していただけると思いますが」

 理解を超えているけれど、理解せざるを得ない。

 普通のレンズではわたしの目の力をまったく防げないということは、わたし自身、もう何度も試している。どういうわけか、このレンズだけが目の力を無効化する。不思議だけれど、それはまぎれもない事実だ。

 そして、このレンズが「石」でできているというのが本当なら、そのことと、「石」がわたしに目の力を与えたということに何らかの関係があるということは、もはや認めざるを得ないだろう。どういう因果なのかはわからないけれど。

「関係があることはわかりました。でも、どうして『石』が目の力をわたしに与えたと言い切れるんですか」

「もっともな疑問です」

 盗人岳は笑顔のままだ。

 相変わらず、それは、苛立ちや怒りを隠しつつ、表面的に取り繕った笑顔には見えない。

 やっぱり、彼はこんな状況でも心の底から笑顔でいることができてしまう、そんな常軌を逸した人間なのだ。

「なぜなら、それを記した資料があるからですよ」

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