第十回 盗人岳武

十六

 わたしたちの希望的観測通り、その物件に行って首尾よく盗人岳ぬすっとだけに会うことができれば、小一時間ではすまない話になるかもしれない。学校が終わってから行くというのでは帰りが遅くなりそうだ。由利ゆりを訪ねた時と同じように、土日を使うのがいいだろう。盗人岳のスケジュールがどうかなんて気にしない。

「何時集合? 起きられるかなあ」

 えるが不安そうに尋ねる。

「えるたちはいいよ。わたしたちの問題だから」

 この前は結果的に手伝ってもらったけれど、もともと、この話に二人が巻き込まれる筋合いはないのだ。今回の行き先はは買い物ができるわけでもないただの田舎だし、二人が来て楽しいこともないだろう。

「いやいや。それはなるちゃんの目のエンドユーザーたるうちらに失礼ちゃうん? なるちゃんの目は、うちらの目でもあるんやで」

「お客様は神様でしょ、なる」

 二人は不満そうな顔で言う。

 あなた方はお客様ではないし、こちらが使用許諾をした覚えはないのだけれど。そもそも、その台詞はお客様サイドが言ってはいけない台詞ナンバーワンだ。

「まあ、いいんじゃない。あたしたちの目についてもう知ってるわけだし、盗人岳だって何も言えないでしょ」

 茉莉まりは意外に賛成派だ。

 まあ、この二人はわたしが駄目だと言っても付いてくるだろう。

 それに、盗人岳の方からわたしたちを呼んだわけではないから、連れて行っていけないという理由もない。盗人岳に会えて、わたしと茉莉にしかできない話だと言われたら、先に帰ってもらおう。

「正直、相模湖遠足の方が、うちとしてはいいんやけどな」

 わたしとしては面倒ですし、繰り返すけれど、これは遠足ではありません。古川に盗人岳がいなければ、行くしかないけれど。


 家に帰って、古典の時間に課された漢文の予習を片付ける。

 わたしはどちらかというと、古文よりも漢文の方が好きだ。文章が淡々としていて訳しやすいし、古文に比べて頭の中で場面を想像しやすい。単に、わたしの想像力が弱いだけかもしれないけれど。

 盗人岳が茉莉たちにわたしの目を移植した理由は、いくら考えても結局わからない。正解がわからないのは無理がないとしても、その想像もつかないのだ。

 これは、わたしの想像力不足なんだろうか。それとも、盗人岳は、人の想像を超えるようなことをしているんだろうか。

 不思議な目を持った人間を目の当たりにした研究者が、その目の細胞を採取して研究するというのは、きっとおかしなことではないのだと思う。

 でも、動物で実験をすることもなく、いきなり人間に、それもわたしと同年代の少女たちにばかりその細胞を移植するということが、きっと普通のことではないというのは、わたしでもわかることだ。

 身寄りがない孤児でも、戸籍のある一人の国民だ。そんな子たちに実験をして、もしものことがあれば、暴行とか傷害で逮捕されてもおかしくない。

 それでも実験を強行したということは、失敗しないという根拠が盗人岳にはあったということだろうか。あるいは、誰かの指示があったのだろうか。

 そこまでは想像できるけれど、どんな根拠なのか、どんな指示なのかは、やっぱり分からない。そもそも、まったく違う理由なのかもしれない。

 現実にこの目を持っているわたしが言うのはおかしいけれど、この目の力は完全にSFだ。きっと、科学的に説明できるものではない。

 だったら、昔の論文に根拠があるわけがないし、指示や指導をできる人がいるわけがない。もしあるのなら、それもわたしの目と同じように、現実に存在してしまっているSFだ。そんなもの、わたしに想像できるはずがない。

 わたしに、SFを書ける想像力なんてないんだから。

 考えても仕方ないと割り切って、盗人岳に会って、直接正解を聞けることを祈るしか方法はない。

 残り四日間をやり過ごして、早くその日を迎えよう。


 土曜日の朝、駅のロータリー。

 市内の路線バスのほとんどは、この駅を起点として発着や循環を行っている。問題の物件の最寄りに行くバスにも、ここから乗車する。

「おはよう、なるこ」

 茉莉はわたしよりも先に来ていた。この前の私服よりも全体的に落ち着いた、きれい目の服装をしている。

 相手が盗人岳であっても、「大人に会う」というTPOをわきまえた茉莉の律儀さに、思わず感心する。ドジっ子なのに、できた子なんだよな。

「おはよう、なるちゃん、茉莉ちゃん」

「おっはよー」

 二人の私服はいつも通りだけれど、この二人はもともと茉莉のような派手な服装ではないから、これといって問題はなさそうだ。

「そうだ茉莉ちゃん、このバス、スイカ使えんけど大丈夫?」

「はあ? そんなの聞いてないわよ。電子マネー使用不可とか、どこの田舎よ」

 ここがその田舎なんです。すみません。

「なるこ、小銭貸して」

 茉莉はうつむき気味になり、頬を染める。

 そのかわいさに免じて、この田舎民がお貸しします(要バナナミルク二本)。


 バスは定刻通りにロータリーを出発した。平日はいつも混んでいる様子だけれど、さすがに土曜ともなると朝でも空席が目立つ。後方の二人席を二組使って、四人でまとまって座る。

「そうだ、りな、える。これ」

 わたしは二人に、普段はスペアとして鞄の中と家に常備している、わたしが普段掛けているレンズと同じものが入った眼鏡を渡した。

 考えすぎかもしれないけれど、わたしの目を研究している盗人岳自身が目の力を持っていないとは言い切れない。

 あるいは、他の「二十四の瞳」の誰かが盗人岳に協力していて、盗人岳のところに住んでいるかもしれない。そんな場合に備えて、りなとえるにも対策が必要だ。

「エンドユーザーとしては複雑な気持ちやな。でもありがと」

「ホントだ! 眠くならない! すごーい!」

 わたしの眼鏡を勝手に外さないでほしいけれど、効果を確かめてくれたのはいいことだ。

「それにしても、その眼鏡はいったい何なのかしらね。おかしいと思わない? レンズ一枚で、目の力を無力化するなんて」

 茉莉の言う通り、どうしてこんなレンズ一枚で、わたしの目の力は防げるのだろう。

 盗人岳は「わからない」と言っていたけれど、普通のレンズでは効果がないのに、効果のあるレンズをピンポイントに選んでわたしに与えたというのは、明らかに不自然だ。盗人岳は、きっと何か知っているに違いない。

 あの頃は子供だったから疑問に思わなかったけれど、いまは違う。盗人岳から納得のいく答えが得られるまで、わたしは帰らない。


 バスが工業団地を抜けると、いかにも地方の郊外といった風景が車窓に広がっていく。わたしの住んでいる場所はともかく、この辺に住んでいる人は、生活に自動車が必須だろう。

 進学や就職をしても、駅に行くまでが遠いから、きっと実家暮らしは難しい。駅が近いというだけでも、わたしは充分恵まれているのだなと感じる。


 バスの自動アナウンスが、目的のバス停の名前を告げる。

 茉莉が真っ先にボタンを押した。小銭を持っていなかった割に、堂々としている。

「次、停まります。停車するまでお立ちにならないようお願いいたします」

 わたしたちは運転手の指示に従って、電子マネーを当てて(茉莉だけ運賃を入れて)下車する。

 バス停は、県道沿いの民家の前にある。道路の反対側に渡って帰りの時刻表を調べると、バスは十九時台までは一時間に二本ある。まだ十時前だから、よほどの長期戦にならない限り、無事に帰れそうだ。

 りなにプリントしてもらった地図を片手に物件を探す。ここから徒歩五分とのことだ。

 県道沿いには民家やいわゆるロードサイド店が立ち並んでいるけれど、一つ道を曲がって裏道に入ると、ものの見事に田んぼばかりの風景が広がる。

 きっと土地は安いのだろうけれど、農地のままでは建物は建てられないし、そもそもアクセスの不便なこの場所に新たに住もうとする人がいないのは無理のないことだ。

「えっと、あれじゃない?」

 最初に声を上げたのはえるだった。

「そうやね。この建物で間違いない」

 周囲に建物がほとんどないから、少し距離があってもはっきりと見える。地図からしても、どうやらあの建物が目的の物件だ。

 田んぼに面したまっすぐな道を少し歩くと、その家の前に辿り着く。

 建物は二階の一戸建てで、小さな庭のついたごく一般的な民家といった雰囲気だ。

 でも、表札はなく、自動車も停まっていない。こんな住宅で、なにか研究をするという雰囲気でもなさそうだ。

「空き物件、かな」

「残念だけど、そうみたい―」

 茉莉がそう言いかけたとき、背後から車のエンジン音が聴こえてくる。わたしたちに近づいてきた白のハイブリッド自動車は、この家の駐車スペースに停車した。

 車のドアが開き、降りてきたのは、細身のスーツに身を包んだ長身の男性。

「おや、珍しくお客さんかな」


 その柔和な語り口は、七年前と全く変わっていない。


 盗人岳たけし

 わたしの目を利用した、その男だ。

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