第九回 灯台もと暗し
十四
「東京都多摩市唐木田―」
「4LDK、ベランダ付き。家賃は―」
「JR相模湖駅から車で十八分。三階部分は共用で―」
前髪を横に流してヘアピンで留めた
「ああっ、もう! こんなことに何の意味があるのよ!」
「ふんす!」
「このペン、うちの能力にようついてこんわ」
えるとりなも、書き取りに協力してくれている。頼みもしないのに付いてきた二人だけれど、こうなると、いてくれて助かった。
この二人は授業中、ひどい時は試験中でも平気で居眠りする。そのおかげで、タイムロスを取り戻すための高速筆記が得意なのだ。始めから寝なければいいのに。というかわたしの目は本当に(以下略)。
由利が「
こんなことに意味があるかといえば、限りなく「ない」に近いだろう。
でも、盗人岳がその部屋に物件情報の記載された資料を置いていたということは、彼がその中のどこかへの引越しを考えていた可能性がゼロではないということだ。単にチラシを置いていただけかもしれないけれど、いまは藁にもすがるしかない。
それに、茉莉の話しぶりによれば、孤児の目にわたしの目の細胞を移植してもう一つの力が発現するまでは、それがどんな能力か、盗人岳自身もわかっていない可能性が高い。そうだとすれば、さすがの盗人岳も、由利が「直観像記憶」で自分が検討中の物件の詳細な内容まで把握しているとは、きっと思い至らないはずだ。盗人岳が完璧超人でないことを祈りたい。
そして、もう一つ好材料がある。
りなの実家は、不動産屋なのだ。
りなによると、業務用のデータベースを使えば、各物件の契約履歴を調べることができるという。七年間のタイムラグがあるとはいえ、その間一度も借りられていない物件なら、少なくともそこには盗人岳はいないことになるから、多少なりともターゲットを絞ることができる。褒められたやり方ではないけれど、この際仕方がない。
今回だけは、りな
持つべきものは幼馴染、なのかもしれない。
「かーっ。一仕事終えたあとのパフェはうまい!」
まるで飲み屋で一杯目のビールを飲み干したサラリーマンのごとき台詞とともに、えるがチョコレートパフェをほおばる。
「なるちゃんはほんとブラックやなあ。うち、もうお嫁に行かれんわ。責任取ってな?」
レモンティーに砂糖を溶かしながら、りながつまらない冗談を言う。仕事を押し付けたのは悪いけれど、いつも散々わたしを利用しておいてどの口が言うか。
「とはいえ、もうこのデータと、りなの職権濫用に頼るしかないわ。これで盗人岳をぶん殴れたら、りなにもいちごミルク奢ってあげる」
茉莉は事もなげにそう言う。成功報酬としては少なすぎやしないか。あと、わたしのガムシロップを勝手に使うのはやめてほしい。使わないからいいけれど。
駅前の細い路地にあるこの喫茶店はかなり昔からあるお店で、わたしの両親もデートによく使っていたと聞いた。赤い布張りの椅子がかわいい昔ながらの喫茶店で、分煙がされていないから少し煙たいけれど、この薄暗い雰囲気が好きで、この街に来るとき、わたしは毎回のようにここに寄っている。
ここのアイスコーヒーは水出しではなくて、氷がたっぷり入ったグラスに、店員が熱いコーヒーをポットから直接注いでくれる。グラスの中で氷が溶けるカラカラという音は、風鈴みたいで涼しげで、少し切ない。
この氷みたいに、わたしたちの問題もスムーズに解けてくれればいいのだけれど。
そのまま街でちょっとした買い物をしたあと、電車で古川に戻り、三人と別れて帰路につく。気付けばもう夕方だ。
ちょうど、夕方五時を知らせる豆腐屋のラッパが鳴り響く。
あの街と比べて、ここはやっぱり人通りが少なく、なんとなく寂しい。
目的があってのこととはいえ、四人での外出は楽しかった。茉莉は二人の間に違和感なく溶け込んでいるし、なにか心理的な壁を作っているようにも見えない。
もし、茉莉がわたしの目を移植されていなかったら、そもそもわたしが目の力を持っていなかったら、いまごろ茉莉は、もっと多くの友だちと、きょうのように笑えていたのだろうか。
そもそも目のことを隠す必要もないんだから、きっとそうに違いない。そんなこと、考えればすぐにわかる。
わかるのに、なのにどうして、盗人岳は、幼い子供たちに、そんなことをしたのだろう。
やっぱり、盗人岳に会ったら、わたしもぶん殴ってしまうだろうな。
わたしは茉莉ほど血気盛んじゃないから、十発で勘弁してあげるけれど。
十五
いつも通りの月曜の朝。
顔を洗って歯を磨き、朝食を済ませ、制服に着替えて学校に向かう。もう完全なルーティンで、これをしようと思わなくても、身体が勝手に動いている。でも、休日明けの学校は少し憂鬱で、それが遊んだ直後であればなおさらだ。もっとも、遊んだわけではないのだけれど。
教室に入ると、いつもはわたしより遅く入ってくるはずのりなが、机に突っ伏している。家で一秒でも長く寝ていたいタイプのはずなのに、きっと昨晩の成果を報告したくていち早く登校したのだろう。お疲れ様でした。
でも、りなは一度こうなると、きっと昼休みまではほとんど夢うつつだ。
「おはよう、なるこ。よく眠れた?」
「おはよう。茉莉も、その感じなら大丈夫そうだね」
茉莉とあいさつを交わす。
いつ見ても、茉莉は制服がぴしっと決まっている。しわ一つないシャツのボタンはすべて閉まっていて、まるでパンフレットに載っている生徒みたいに、お手本のごとくぴっしりと着こなしているのに、そこに優等生的な嫌味さはまったくなくて、むしろ可愛らしささえ感じさせる。本当にモデルみたいだ。まだ四月の上旬だし、そう遠くないうちに、本当に学校案内のパンフレットに茉莉の写真が載るだろう。
これでドジっ子でさえなければいいのだけれど、天は二物を与えないようだ。
「百合百合してますねえ、ふたりとも」
不埒なバイアスがかかりすぎたえるのちょっかいを、二人して無視する。
そのくせ茉莉は頬を赤くしている。それはどういう意味だ。
わたしの百合趣味の有無はともかく、茉莉とそういう感じに映るには、わたしのかわいさは到底足りない。由利だったら似合うかもしれないけれど。
「おはよう。ほら、出席取るぞ」
ジャージ姿の神田が手をパンパンと叩き、生徒に着席を促す。平凡な朝のホームルームが始まった。
午前中の授業が何事もなく終わり、四人で屋上に向かう。
きょうは一昨日の物件の話を少しでも長く話すため、普段は購買のパンで済ませるわたしとえるも含めて、全員がお弁当持参だ。
わたしは料理が苦手だけれど、幸い、きょうは母さんが休みだったので、作ってもらえた。わたしもいい歳だし、自分で覚えなくてはと思うのだけれど、なかなかその機会がない。
「茉莉ちゃんのお弁当、いつ見てもすごいなあ」
「味の宝石箱や!」
えるの古臭い突っ込みはともかく、茉莉のお弁当は、本当にいつも凄い。
かわいらしい小さなピンク色の弁当箱の中に、卵焼きや筑前煮、唐揚げなどがバランスよく詰め込まれている。色合いもカラフルで、これをドジっ子の茉莉が自分で作っているとは驚きだ。一人暮らしが長い状況がそうさせたのかもしれないけれど、素直に尊敬する。
一段落ついたら、ぜひわたしに料理を教えてほしい。
「ほとんど昨日の残り物よ。これで驚かれたらなんか恥ずかしいし。こんなの大したことないわ」
大したことなくてこれですか。茉莉の本気を見てみたい。
「ところで、一昨日のあれはどうなったの、りな」
茉莉が問いかける。そう、昼休みのメインは、茉莉のお弁当ではなくてそっちだ。
「ほいさ。ばっちりや。それらしい入居履歴があったのは、十四件中二件だけ。他は、入居者がいないまま取り壊されて更地になったり、いまも空き物件のままやね。
だから、可能性があるとすればその二件。
この二件は七年間ずっと同じ人が借りとる。もちろん、盗人岳が全く別の物件を選んでたり、そもそも引っ越してなかったらどうにもならんけど。とりあえず、少なく絞れてよかったわ」
二件。これは助かった。
もしほとんど全てに可能性があったなら、探すだけでも長期戦になるし、交通費だって馬鹿にならない。二件なら、わたしたちでもなんとか探すことができるだろう。もっとも、駄目だった場合の絶望感は大きいけれど。
甘い考えかもしれないけれど、この二件のどちらかに、盗人岳が住んでいることを祈るしかない。
「それで、その二件の住所は?」
「一件は神奈川県、JR相模湖駅近く。もう一件は、」
りなが溜めをつくる。
「古川市。この街や」
「―えっ」
思わずわたしは箸を落とす。お弁当、まだ半分しか食べていないのに。
「灯台もと暗し」
「はあ? あんた、嘘だったら殴るわよ」
「うーん、茉莉ちゃんに殴られるのはまんざらでもないんやけど、残念ながら、本当やな。由利ちゃんが嘘でもついてへん限り、本当や」
由利の「直観像記憶」は、自分の見た情報をただ吐き出すだけの能力だ。一件だけ器用に嘘を混ぜることなんて、まずありえない。それに、嘘をつく理由もない。これは本当の情報だ。
でも、地元の住所を言っていたのなら、由利が住所を話したタイミングで気付きそうなものだけれど。
「合併で古川市になったところやね。ちょっと距離があるけど、駅からバスで行けるわ」
そうか、合併。
この古川市は、六年前に隣接する二つの町と合併した経緯がある。由利が物件情報を見た七年前であれば、合併後に古川市内になった住所は、当然市外のものになる。それで、わたしたちは気付かなかったのだ。
物件情報によれば、その建物は一戸建ての二階建てで、築二十年。周辺は農地で、隣り合う家はないらしい。
もっとも、この辺は街の中心から少し離れるとすぐに田んぼだらけになる田舎だから、そういう家も特別珍しくはない。
「で、どうするん。行く?」
りなは問いかけるけれど、その表情は、わたしたちがどう答えるか、聞かれずともわかっている顔だ。
茉莉は、言うまでもないわ、と言わんばかりに笑みをつくり、わたしの方を見る。
もちろん、わたしの答えも決まっている。
「うん、行こう」
まずは、落とした箸を洗いに行こう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます