第八回 アイコニック・メモリ

十三

 本荘由利ほんじょうゆりに案内されて、わたしたちはエレベーターで彼女の部屋のある階に向かう。

 由利は長い前髪でその両目が隠れていて、表情が一見してわからない。

 これではなかなか他人と視線が合わないだろう。というより、その前髪は綺麗に切り揃えられたいわゆるぱっつんだから、意識的に他人と目が合わないようにそうしているようだ。そのことは、由利もまた茉莉まりと同じで、目の力を悪用していないという事実の何よりの証拠になる。


 由利の部屋は、その階の角部屋だった。わたしたちは玄関で靴を脱いで、部屋に上がる。

 全体的に物が少なくて、必要最低限の家具以外は置かれていない。その家具も、女子高生の部屋のものとは思えないシンプルなものばかりで、まるで生活感が感じられない。由利のその地味なルックスも相まって、彼女の性格がなんとなく推し量られる。

 わたしたちは、埃ひとつなくて、まるで新品にしか見えないカーペットの上に揃って座らせてもらう。

「この子が千明ちぎらなるこ。わたしたちのオリジナル」

 茉莉が由利にわたしを紹介する。「オリジナル」というのは茉莉が勝手にそう呼んでいるだけのはずなのだけれど、由利はどう思っているのだろうか。

草葉くさはえるです!」

「うちは、片藪かたやぶり―」

「―千明なるこ。一九九八年四月七日生まれ。B型。茨城県―」

 りなの自己紹介に被せるように、由利は突如として、前髪を手でかき分けてその大きな目を露わにすると、わたしの個人情報を事細かに早口で話しはじめた。

 なるほど、確かに茉莉ほどではないけれどかわいい。きれいな目だ。でも、その目をわたしと合わせているわけではないらしい。


 それはいいけれど、何これ。

 わたしたちはが唖然としていると、茉莉がおなじみの呆れ顔で告げる。

「ごめんなさいね、これがこの子の癖なの。というか、これが『直感像記憶アイコニック・メモリ』」

 由利は少し顔を赤らめ、無言でコクリと頷く。前髪はもう元通りだ。

 は、はあ。


 茉莉を介した説明によると、由利の「直感像記憶」は、それを使うたびに結構な体力を消耗するのだそうだ。もっとも、腕立て数回分程度らしいけれど。だから、由利は普段前髪で目を隠しているのだという。他人と合わせないようにしているわけではなかった。というより、オリジナルのわたし以外は、茉莉のように他人と目が合っても問題ないのだから、その必要はそもそもないのだった。

 前髪くらいで防げるというのも不思議だけれど、記憶の読み書きは、両目がはっきり見えている時だけ可能らしい。さっきの様子から、目さえ露わになっていれば、誰かと目を合わせる必要もないのだと思う。

 人間の目は、焦点の合っている部分以外も、一応見えている。由利の「直感像記憶」は、その焦点の合っていない部分も含めて、視界に入ったほとんど全てのものを全天周カメラのように記憶できるそうだ。まったくすごい能力だ。

 そして、見ていてわかるけれど、由利はとても大人しく、普段はほとんど話さない。

 でも、自分が「直感像記憶」で記憶している内容についての話題になると、さっきのように興奮して、我を忘れて一方的に話し始めるとのことだった。

 テストの時に便利で羨ましいと思っていたけれど、何だか大変そうだ。試験中に覚えたことをひとりで話し始めたら、おそらく完全にアウトだ。


「でも、さっき本荘さんがわたしの個人情報を話したってことは、それを以前に何かで見たことがあるってことだよね」

 わたしの質問に、由利は頷く。

 記憶したことでなければ、話せないはずだ。由利が「直観像記憶」によりわたしの個人情報を記憶しているということは、盗人岳がわたしの目の細胞を由利に移植して由利の能力が発現したあと、どこかのタイミングで、由利はわたしの個人情報が書かれた何らかの資料を目にしたということになる。

 ということは、由利はわたし以外にも、他の十人の孤児たちに関する情報が記録された資料についても目にしている可能性があるのではないだろうか。

「ほかの人の情報は、わかる?」

 由利があまりに大人しいので、こちらの態度も自然に柔らかく、気を遣ったものになる。別に強い態度でなくても、普通に接しただけで、なんとなく由利を責めているような気持ちになってしまう。

「……ごめん、わからない………」

 由利はささやくようにそう告げる。

「ありゃ。詰みゲーかな?」

 えるは無邪気にそう言う(それに、「詰みゲー」の意味も少し違う気がする)けれど、それも虚しく、部屋は重い雰囲気に包まれる。

「そんな…ほんの少しの手がかりでいいのよ! 何もないわけないじゃない」

 茉莉は声を荒げる。その苛立ちが目に見えるようだ。

 由利が孤児たちの情報を知らないことに、由利には何の責任もない。

 でも、唯一の手がかりだった由利なら、きっと何らかのヒントを持っているだろうと、心のどこかで根拠のない期待を抱いてしまっていたのは、わたしも同じだ。その期待が裏切られたことに、落胆せずにはいられない。

 こうなると、もう日本全国をしらみつぶしに探していくしかないのだろうか。それは、あまり頭のよくないわたしでも、とても現実的ではないとすぐにわかるのだけれど。

 しかるべき機関に「盗人岳武ぬすっとだけたけしに目の移植手術を施された孤児を知っていますか」などと尋ねたところで、「ああ、知っていますよ」なんて答えが帰ってくるはずがない。万に一つ知っていても、今は個人情報保護の時代だ。親族でもないわたしたちに、そう簡単に望んだデータは提供されない。

 そもそも、その孤児たちが、全員日本国内にいるという根拠だってない。たとえ国内にいても、見過ごしてしまうことだってあるから、一、二度調べただけでは「ここにはいない」と決め打ちはできない。もっと言ってしまえば、全員が生きているかだって、実のところわからないのだ。

 名前も顔も分からないから、頼みの綱は茉莉の「探知」だけだ。でも、茉莉の「探知」は、目の前に目の能力を持った人間がいるときにしか使えない。

 どう考えても、探すなんて無理だ。

 他の「二十四にじゅうしの瞳」も、盗人岳も、今後一生この目のことを誰にも告げずに過ごす。そんな虫のいい偶然、いや奇跡に期待する。そんな受け身の生き方しか、わたしたちには残されていないのだろうか。

 知ってしまった上で、それを知らないこととしてやり過ごす。それも一生。

 そんな精神力が、少なくともわたしにあるとは思えない。


「あっ、でも……」

 由利が何かを思い出したかのように、突然つぶやいた。

「住所、何かの…物件……?」

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