第七回 本荘由利
十二
その後三日間の授業を何事もなくやり過ごし、土曜日になった。
わたしたちは今日、
わたしは土曜にしてはいつもより少し早めに起きてシャワーを浴びると、着替えて自転車で駅に向かう。
古川駅は、県内唯一の宇都宮線の駅だ。かつては東日本有数の「開かずの踏み切り」があることで有名だったらしいけれど、昭和の終わりに高架駅に改築されて、今ではよそから来た人が新幹線の駅と見間違えることもある、立派な駅になっている。
駅前は特別栄えていないというか、どちらかといえばむしろ寂れているのだけれど、西口に大きなタワーマンションがあるおかげで、なんとなく見栄えはいい。最近は東口にも分譲マンションやテナントビルが建ち始めて、少しずつ再開発も進んでいる。
わたしは駅ビルに入ったテナントのカフェで軽めの朝食をとる。それから少しすると、カフェからガラス越しに見える駅の通路に茉莉の姿が見えた。
そういえば、茉莉の私服姿を見るのは初めてだ。少しロリータ趣味の入った、わたしが着たら周りに引かれてしまいそうな服装で、けっこう高いヒールを履いている。でも、美少女の茉莉はごく自然にそれを着こなしていて、まるで
茉莉がわたしに気付く。わたしは急いでカフェラテを飲み干して、店を出る。
「おはよう、なるこ」
「おはよう。早いね」
茉莉は待ち合わせには遅れてくるタイプかと思っていたけれど、集合時間より二分早い。やっぱり、意外と律儀なタイプなのかもしれない。
「早い? ほとんど時間通りじゃない。どうせわたしが遅れて来るとでも思ってたんでしょ」
はいはい、すみませんでした。
と思った矢先、茉莉は顔を赤らめる。
「財布を忘れてきたわ。五分で戻る」
愉快な茉莉さんに向けられた前言を、わたしは全力で撤回する。急いで飲んだカフェラテ返せ。
その間に切符を買っておこうと思い、券売機に向かう。いまは交通系ICカードを持っている友だちも多いけれど、わたしは徒歩通学なので電車にはほとんど乗らないから、出かける機会があると、切符をそのつど買うことにしている。路線図によると、五八〇円だそうだ。
「ねえねえ、りな、いくらの切符?」
「五八〇円って書いてあるやん、えるちゃん」
背後から、明らかに聞き覚えのある声がするのだけれど。
ちょうど茉莉が戻ってくる。まだ五分も経っていない気がするけれど。まさか、あの駅前のタワーマンションに住んでいるのだろうか。
「はあ? 何であんたたちまでいるのよ。なるこ、あなたが呼んだの?」
呼んでません。濡れ衣はやめてください。
「遠足は人数が多い方が楽しいやんな、なるちゃん」
「大丈夫! おやつはみんなの分も持ってきたし」
そういう問題ではない。というか、そもそも遠足ではなくて、これは大事なお仕事だ。
「まあ、いいけど。由利は他人に危害を加える子じゃないし、話せば分かるだろうから」
おやつに釣られてませんよね?
古川駅も路線図的には一応首都圏扱いということもあって、ほとんど十分間隔で電車は入ってくる。わたしたちの降りる駅にはどの列車も停まるから、ホームに上がってすぐ入線してきた上り列車に乗った。幸い座席は空いていて、四人でボックスシートを陣取ることができた。
ダイヤに遅れがなければ、三十五分くらいで目的地に着くことになる。
この席だと、窓が真横に見えるから、車窓の風景もよくわかる。
はじめは田んぼだらけのいかにも田舎の風景だけれど、鉄橋で県境の橋を渡ると、次第に住宅街が目につくようになる。途中で乗ってくる人数も駅ごとに右肩上がりに増えてきて、いま自分たちは東京方面に向かう上り列車に乗っているのだということを実感する。
「その由利ちゃんっていうのはどういう子なの? かわいい?」
えるが興味津々な面持ちで茉莉に尋ねる。
「あたしほどはかわいくないわね。でも、いい子よ。ちょっと大人しすぎるけど」
茉莉は、堂々と「自分がかわいい」と言い放つ。でも、茉莉は実際こんな美少女なのだから、悔しいけれど突っ込めない。
「でも、その子の目もなるちゃんがオリジナルなんやろ? 妹属性やとええなあ。茉莉ちゃんはかわいいけど、ちょっと妹的なかわいさは足りんよね」
「ばっ、あんた、何どさくさに紛れて失礼なこと言ってんのよ! それに、同い年に妹属性なんか求めないでくれる?」
茉莉はまた顔を赤らめる。
プライド高そうなツンデレ×妹属性。
ちょっとこってりしすぎなので、今のままで充分だと思う。
茉莉がえるの持参したおやつに感動して買った場所を事細かにえるに問い質したり、わたしも茉莉も目の力を使っていないのにりなが完全に熟睡し、降りる駅への接近アナウンスが流れてもまったく起きないなどの新規エピソードをいくつか挟みつつ、わたしたちは無事に目的の駅で下車した。
「やっぱり大きいねー」
「改札内がショッピングモールみたいやもんなあ。田舎とは違うわ」
えるとりなが感嘆の声を上げる。
この駅は隣県でも有数のターミナル駅で、在来線、新幹線、私鉄、そして新交通システムなど、数多くの路線が乗り入れている。街には通勤・通学客も多いけれど、商業都市としての性格も強く、駅ビルや駅周辺の大型テナントビルは、特に土日ともあれば一日中大賑わいだ。
わたしもたまに買い物に来るけれど、わざわざ東京まで出なくても、本や雑貨、服など、たいていのものはここで揃ってしまう。むしろ、規模は大きいけれどその分店舗があちこちに散らばっている都内より、駅ビルやその周辺に店舗がまとまっているこの街のほうが、疲れずに買い物ができて便利だ。
「東口から少し歩いたところ。ついてきて」
茉莉の案内に従って、駅を出て大通りを進んでいく。
茉莉が春まで通っていた、そして由利が今も通っている高校は、バスでこの通りを進んだ先にあるらしい。由利の家もそこに通いやすい場所にあるのだろう。
大通りを真っ直ぐ進むと、途中で神社の参道に突き当たる。茉莉はそこを曲がった。
この神社は関東有数の由緒ある大きな神社で、初詣シーズンの参拝客は、全国ベストテンにも入るという。わたしもりなたちと来たことがあるけれど、人混みで身動きが取れず、せっかく露天で買った食べ物を口にする余裕もないくらいだった。
そんな大きな神社だから、参道も広くて長い。両脇は自動車も通行できる道路になっていて、道沿いにはいかにも高級そうなマンションが立ち並ぶ。たとえばこんな、
「ここよ」
茉莉はそのマンションの前で立ち止まった。
由利はこんな立派なところに住んでいるのか。いったい、盗人岳からいくら振り込まれているのだろう。さすがに「いくらもらってるの?」なんて訊けないけれど。
自動ドアからエントランスに入ると、その向こうの扉はオートロックになっている。部屋番号を入力してインターホンで通話し、その部屋の住人にロックを解除してもらう、最近の高級マンションではよくある仕組みだろう。
わたしたちは、茉莉が部屋番号を入力するのを待つ。
待つ。
待てど、茉莉はいつまでも番号を入力しない。
茉莉の顔が次第に青ざめていく。
悲しいかな、その理由がなんとなく分かってしまう。
部屋番号、知らないんですね。そうなんですよね。
「な、何よ! あたしが悪いっていうの?」
茉莉はまたまた顔を赤らめる。青かったり赤かったり、まあ忙しいことだ。
「来たことあるんでしょ?」
「く、来るときはいつも学校の帰りに由利と一緒だったから、こんなことする機会はなかったわ」
確かに、それなら部屋番号を覚えていないのも無理はないかもしれない(善解すればの話だけれど)。すぐそこに部屋ごとの宅配ボックスはあるけれど、いまはみんな個人情報保護の意識も高いから、そこに名字を書いておくことはしない。
「しばらく待ってれば来るんとちゃう?」
りなの言う通り、ここで待っていれば、由利が一日中引きこもりでもしていない限り、ここに出入りする彼女に遭遇することはできるだろう。
「ひとまず、出た方がいいかもね」
ずっとここに立ち止まって、怪しまれても面倒だ。えるの真っ当な提案に、茉莉はいかにも申し訳なさそうな表情で頷く。さっきの台詞の割には、一応悪いとは思っているらしい。
参道に戻って、ベンチに腰掛ける。ここからなら、マンションの入り口を見張ることができる。
土曜とはいっても、街の中心地から少し離れたここでは人もまばらだ。集まってくる鳩の方が、人間よりも多いかもしれない。
「探偵みたいやね」
「コロンボ!」
「それは刑事ね」
えるによる毎度おなじみのボケか真剣か分からない返答に、茉莉が瞬時に突っ込む。なんだかんだで、茉莉は二人に溶け込むのが早い。
事情があるとはいえ、ずっとここでマンションを見張っているというのも、探偵というよりむしろ不審者のようで気が引ける。できれば、早いこと由利に姿を現してほしいものだ。
まだ四月中旬だけれど、よく晴れていて、初夏のような陽射しだ。日焼け止めは塗ってきたけれど、ひと塗りで大丈夫だと思って家に置いてきてしまった。油断したかもしれない。
「茉莉、日焼け止め持ってる?」
「持ってないわ。あたし、焼けないから」
ファッションモデルの女の子の中には、まったく日焼けしなかったり、汗をかかない人がいるとは聞くけれど、どうやら茉莉もそんな体質らしい。その真っ白な肌で、手入れがいらないなんて。
まあ、茉莉がファッション誌の一ページに読者モデルとして載っていても違和感はないけれど。かわいさはともかく、その体質は羨ましい。
二十分ほど経ったけれど、状況に変化はない。
さっきと違うのは、えるとりなが、思い切り眠っていることくらいだ。あなた方、本当にわたしの目が必要ですか。
「ねえ、なるこ。この先、
二人が眠るのを待っていたのだろうか、茉莉は真剣な表情で聞く。
「とりあえず、何の目的でこんなことをしたのか、は聞きたいかな」
「まあ、そうよね。でも」
茉莉は続ける。
「少なくともわたしは、いや、きっとみんなも、なるこのことは恨んでないから。それだけは覚えておいて」
「そう、か」
それを鵜呑みにして、「わたしは悪くない」と開き直ることはできない。本当に恨んではいないとしても、何かしらの煮え切らない思いは、きっと抱えているだろう。わたしがいなければ、厄介事に巻き込まれることはなかったのだから。
でも、「
「だけど、盗人岳のことは」
茉莉はわたしの額にその細い指を添える。
「一発ぶん殴りたい」
わたしの額に、容赦のないデコピンが命中した。
「一発でいいの?」
「じゃあ、百発」
茉莉がわたしの前で初めて白い歯を見せて笑うと、わたしもつられて笑った。
それから十分ほどが経過した。相変わらず、状況に変化はない。
「本当にここでいいんだよね」
「それは間違いないわ。さすがにそこは信用しなさいよ」
まあ、三十分待ったくらいで、そのマンションの住人の一人がピンポイントに出入りする確率なんて、きわめて低いだろう。わたしは数学は苦手だけれど、流石にそのくらいはわかっている。
足元に寄ってくる鳩を見つめる。
餌もないのにアスファルト舗装をつつく彼らは、いったいどんなことを考えているのだろう。「何も考えていない」とも思えるけれど、逆に考えれば、一見何もないように見えるところからも餌を見つけ出そうとする、努力家なのかもしれない。
わたしも、もう高校二年生だ。もう、進路のことを否が応でも考えないといけない時期が来ている。
やりたいことなんて見つからないけれど、きっと見つけなければいけない。
今のわたしは、鳩にも負けているのだろうか。
することがないと、すぐ感傷的になるのはわたしの悪い癖だ。
そのとき、そんな足元の鳩たちに餌が投げ込まれる。スナック菓子か何かだろうか。
頭を上げると、そこにはコンビニエンスストアの袋を下げた、同い年くらいの少女が立っている。
「…由利」
茉莉が少女の名前を口にする。
「……茉莉、ちゃん」
本荘由利は、ささやくような声でそう言った。
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