第四回 わたしの結論
六
ほとんど集中できないまま、午後の授業が終わった。
いろいろと考えはしたけれど、茉莉に対するわたしの態度を決定付けるだけのしっかりした考えは、まだまとまらない。
幸い、今のところ、茉莉の側からわたしに接触してはきていない。彼女は、転校生に下心丸出しでおせっかいを焼きたがる女子グループや、彼女の美貌に惹かれた血気盛んな男子たちに、休み時間のたびに取り囲まれている。彼女はそれをほとんど無視しているようだけれど。
わたしは、彼女に付け入る隙を与えないように、えるとりなを引き連れて、足早に帰路につく。
明治の初期まで、城下町、そして日光街道の宿場町として栄えたというこの街は、その名残なのか、細い道が多い。茉莉がもし放課後にわたしを尾行するつもりだったとしても、わたしたちが早くに帰ってしまえば、まだよそ者の茉莉にはそれもかなわないだろう。もっとも、朝の正面衝突事件も茉莉が狙ったものだったら、既にわたしの家まで知られているのかもしれないのだけれど。
「そうは言っても、やっぱり話すしかないんちゃう?」
確かに、りなの言う通り、いつまでもこうして茉莉を撒き続けるという手段が最善だとはわたしにも思えない。
「なる、焦ってるでしょ」
できる限り平静を装ったつもりでいたけれど、鈍感さで右に出る者はいないえるにそう指摘されるのだから、いまのわたしは目に見えるかたちで相当に焦っている。
わたしだけが特別そうなのではないだろうけれど、起伏のない平凡な生活を送り続けていると、そこに少しの変化があっただけで、ペースを乱されたような気になって、気が滅入ったり、パニックになったりする。親や先生に怒られたり、(これはわたしの経験にはないけれど、きっと)異性に突然告白されたり、そんなときだ。
もっとも、そうした日常の変化ならまだいい。
いまわたしが直面しているのは、これからのわたしの在りかた、もっと言えば世の中への向き合いかたを変えてしまう、そして変えなければいけない変化なのかもしれない。
わたしの目を利用するかもしれない人間が突然現れた。そして、わたしの目は、その人間を介して、衆目にさらされることになるかもしれない。そうすれば、もうこれまでのようにはいかない。
ワイドショーのリポーターは、わたしをしつこく追いかけてくるだろう。この能力を重用されて高校生の身で捜査の第一線に駆り出されることだってあるかもしれない。「頼む! 殺さないでくれ!」と、わたしを前にした大の大人がなりふり構わず逃走するようなことも。
そんな変化を予告されて、はたして焦らない人がいるのだろうか。
でも、他のみんなはわたしのような目を持っていないのだから、そんな問いかけも意味はない。
いずれにしても、わたしはいま焦っている。その事実に変わりはなかった。
二人に付き添われて帰宅すると、父さんは出張、母さんは夜勤で家にはいなかった。
こんな気分のときに顔を合わせれば、両親にはきっとすぐに焦りを見抜かれるだろうから、それを避けられた安心感はある。他方で、こんな気分のときに、一人で眠らなければいけない孤独感もあって、複雑な気分だ。
母さんが作っていってくれたカレーを温めて、少しのご飯で食べる。いくら美味しくても、こんな気分で多くは食べられるわけがない。風呂も早めに済ませて、夜更かしもしないですぐに布団に入る。
当然、すぐに眠れもしない。それどころか、朝までに眠れるかも怪しいくらいだ。やっと眠れるかと思ったところで、茉莉のことを考えてしまう。
彼女がいったい何者なのか。わたしだって、それは知りたい。
でも知ろうとすれば、きっと何かに巻き込まれる。
それを避けるには逃げるしかない。
でも、普通に考えて、ずっと逃げられるはずがない。
りなやえるはわたしの目を見て一瞬で眠れるというのに、その上質な眠りを二人に提供するわたしがいつまでも眠れないなんて、皮肉なことこの上ない。
七
寝坊することなく無事に起きることはできたけれど、やっぱり眠りは浅かった。学校で授業中にうまく寝ないと、あとあと身体に響きそうだ。
夜勤明けで帰ってきた母さんを起こさないよう、静かに、そしていつもより少し早めに家を出る。茉莉と衝突した例の曲がり角を通らないようにして、遠回りのルートで登校する。
きのう茉莉に遭遇してしまった以上、きのうと同じパターンでの登校はしたくない。向こうだってそこまで安直ではないだろうけれど。
一晩考えて、「茉莉と接触するしかない」という結論が出た。やっぱり、ずっと避け続けることはどう考えたって無理で、避けてもそれはただの先延ばしにしかならない。
学校に着くまでに茉莉に会ったら、思い切って問いただそう。会わなければ、教室で問いただすまでだ。
結局、わたしは、学校までの道で茉莉と会うことはなかった。
そして、教室でも、茉莉と会うことはなかった。
茉莉は、学校を欠席していた。
その事実が朝のホームルームで神田から淡々と告げられると、きのうの今日でまだ茉莉に興味津々なクラスメイトたちは、ほとんど一斉にため息をつく。
わたしは、みんなとは別の意味でため息をついた。
せっかく茉莉と話そうという気持ちの整理がついたのに、これでは拍子抜けだ。
だけど、厄介事を少しでも先延ばしにできたことに対する安堵感もあって、少し情けない気分になる。先延ばしはやめようと思って結論を出したのに、そんな感情を抱いてしまう辺りがわたしのよくないところだ。
そんなわたしの心中を見抜くかのように、隣の席のえるが、わたしをジト目で見つめてくる。鈍感とはなんだったのか。
そんな目で見るな、と言いたいところだけれど、いまは、こうして茶化してくれるくらいのほうが、少しでも気分が紛れていいのかもしれない。果たしてりなは、と思って彼女の席を見てみると、まだ一限も始まっていないのに、もう机に突っ伏してぐっすりと眠っている。お前は本当にわたしが必要か。
一時間目は数学、二時間目は古典。
きのうに引き続き、まだ新学期のガイダンス的な内容だ。
まだ折り目のついていない新しい教科書をめくると、勉強がそれほど好きではないわたしも、多少は気分が高まる。この気持ちが一年間続いたなら、きっと成績もよくなるのだろうけれど、同じことを一年前にも考えていた気がするので、きっとそううまくはいかない。
三時間目は体育。きょうは最初の授業なので、体育館で学年合同のガイダンスが行われる。選択の球技をどうするかとか、合同で行う種目の組分けをどうするかとかの事務的な内容に終始するのだろう。決まりとはいえ、身体を動かさない内容なのに体操着に着替えなければいけないのは、少し面倒だ。きのうゼッケンを付け替えたばかりの体操着に着替えて、りな、えるの二人と体育館に向かう。
体育館の前まで来て、体育館シューズを教室に忘れたことに気がついた。睡眠不足で注意力が散漫になっているのかもしれない。えるとりなも言ってくれればいいのにと思ったけれど、二人にそんなことを期待するのは酷だ。
授業開始まであと数分しかない。一度降りた階段を駆け上がり、無人の教室に戻る。机の横のフックに掛けた、学校指定の黄色いナイロンの巾着に入った体育館履きを手に取ると、わたしはすぐに教室の出口に向かう。
「おはよう、
制服を着た
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